お盆に合わせて南会津の山旅を楽しんできました。メンバーは先日の烏帽子岳の3名です。登山ではなく山旅としたのは、がっつり登るのではなくまったりと過ごすことが狙いだっためです。那須での例会、ヒデさん訪問と、このところ栃木、福島方面をコンスタントに訪れていますが、8月もその繰り返しとなりました。この間、西は岡山を2回、訪問しています。仕事ではなく趣味ですから、東奔西走という言葉は相応しくありませんが、これも何かの巡りあわせということで・・・。流石に冬は豪雪となる地域です。早くも小さな秋を見つける山旅となりました。
初日は西那須野塩原ICから塩原温泉を経由して南会津入りです。まず最初に向かったのは宮床湿原です。ご存じの方は少ないかと思います。私もこの企画までは知りませんでした。この地域で湿原と言えばまずは尾瀬ですが、会津側にもいくつか湿原があります。1時間もあれば十分回れるサイズでした。
花のシーズンではありませんが、水連(ヒツジグサ)を見つけました。
湿原には木道が欠かせません。我々以外は人がいない様子でしたので、木道に腰を下ろして休憩です。こんな目線になります。湿原でいただくドリップコーヒーはまた格別のおいしさでした。
なんとなく青空にも秋の気配が。やがて見られる紅葉も美しいことでしょう。この後、近くの南郷スキー場のゲレンデに出てリフト頂上まで歩きました。ヤブコギ(道の無い中、草木を掻き分けて歩くことを言います)には閉口しました。夏のスキー場は荒れ放題なんですね。
宿は桧枝岐村のかぎや旅館です。桧枝岐に泊まるのは学生以来27年ぶりです。平家の落人で知られる桧枝岐は、土地が痩せていたこともあり、そばが貴重な食材でした。夕飯の終盤で出される、つなぎなしの裁ちそばに、そばを使った郷土食はっとうです。
この日は村の盆踊りでもありました。老若男女、誰もが楽しめるのが盆踊りの良さです。見よう見まねで始めましたが、すぐに覚えることができました。詞は都度変わってるようでしたが一曲のみを、ずっと繰り返します。ダブルの和太鼓の迫力、いいですねぇ。
翌日は高土山に登りました。これもなかなかマニアックな企画で、地元の人でも存在を知っている人は少ないようです(それでいて会津百名山にはリストアップされています)。東電の高圧線の保全の道が、そのまま登山道になってました。奥に見えるのは会津の名峰の七ッ岳です。
足元にはブナの実が落ちていました。山の動物にとっても、間もなく収穫の季節です。
下山先では早くもススキとセイタカアワダチソウの陣取合戦が始まっていました。横浜より2か月早いです。
桧枝岐で度々見かけたのがアジサイの花です。こちらは横浜より2か月遅いです。初夏が遅く、秋が早い、つまり夏が短いということです。ユリやコスモスまでありますから、6月から10月が一気に凝縮された不思議な光景でした。
宿に戻る途中、前沢集落に寄りました。こちらは平家ではなく、戦国末期に只見から流れた武士が移り住んだことが始まりと言われています。今でも普通に生活に使われています。うち一軒が資料館として開放されていました。大火で消失した後、明治末に建て直されたようです。
2日目の夕食では岩魚の刺身を堪能しました。岩魚でこのボリュームはなかなかお目にかかれません。串焼きとは別サイズのものを選んでいるようです。ビールはほどほどにして、
会津酒造の吟醸酒、あらばしりを冷酒でいただきました。すっきりした味わいは桧枝岐の郷土料理ともよく合います。ちなみにビンの向こうが岩魚の串焼きですから、刺身の大きさが分かりますね。
3日間お世話になったかぎや旅館です。檜風呂に会津料理を十分に楽しんだ3日間でした。若旦那さんは山のガイドもやられています。私は、会津の魅力的な山々はほとんど未踏ですので、再訪もあるでしょう。
帰りはUターンラッシュが予想されたので、早めに桧枝岐を後にしました。一部塩原温泉の先で渋滞となりましたが、スムーズに都内まで戻れました。これで夏休みも終了です。南会津の山旅の余韻に浸りたいところではありますが、明日からまたスイッチを入れ替えねばなりません。
初日は西那須野塩原ICから塩原温泉を経由して南会津入りです。まず最初に向かったのは宮床湿原です。ご存じの方は少ないかと思います。私もこの企画までは知りませんでした。この地域で湿原と言えばまずは尾瀬ですが、会津側にもいくつか湿原があります。1時間もあれば十分回れるサイズでした。
花のシーズンではありませんが、水連(ヒツジグサ)を見つけました。
湿原には木道が欠かせません。我々以外は人がいない様子でしたので、木道に腰を下ろして休憩です。こんな目線になります。湿原でいただくドリップコーヒーはまた格別のおいしさでした。
なんとなく青空にも秋の気配が。やがて見られる紅葉も美しいことでしょう。この後、近くの南郷スキー場のゲレンデに出てリフト頂上まで歩きました。ヤブコギ(道の無い中、草木を掻き分けて歩くことを言います)には閉口しました。夏のスキー場は荒れ放題なんですね。
宿は桧枝岐村のかぎや旅館です。桧枝岐に泊まるのは学生以来27年ぶりです。平家の落人で知られる桧枝岐は、土地が痩せていたこともあり、そばが貴重な食材でした。夕飯の終盤で出される、つなぎなしの裁ちそばに、そばを使った郷土食はっとうです。
この日は村の盆踊りでもありました。老若男女、誰もが楽しめるのが盆踊りの良さです。見よう見まねで始めましたが、すぐに覚えることができました。詞は都度変わってるようでしたが一曲のみを、ずっと繰り返します。ダブルの和太鼓の迫力、いいですねぇ。
翌日は高土山に登りました。これもなかなかマニアックな企画で、地元の人でも存在を知っている人は少ないようです(それでいて会津百名山にはリストアップされています)。東電の高圧線の保全の道が、そのまま登山道になってました。奥に見えるのは会津の名峰の七ッ岳です。
足元にはブナの実が落ちていました。山の動物にとっても、間もなく収穫の季節です。
下山先では早くもススキとセイタカアワダチソウの陣取合戦が始まっていました。横浜より2か月早いです。
桧枝岐で度々見かけたのがアジサイの花です。こちらは横浜より2か月遅いです。初夏が遅く、秋が早い、つまり夏が短いということです。ユリやコスモスまでありますから、6月から10月が一気に凝縮された不思議な光景でした。
宿に戻る途中、前沢集落に寄りました。こちらは平家ではなく、戦国末期に只見から流れた武士が移り住んだことが始まりと言われています。今でも普通に生活に使われています。うち一軒が資料館として開放されていました。大火で消失した後、明治末に建て直されたようです。
2日目の夕食では岩魚の刺身を堪能しました。岩魚でこのボリュームはなかなかお目にかかれません。串焼きとは別サイズのものを選んでいるようです。ビールはほどほどにして、
会津酒造の吟醸酒、あらばしりを冷酒でいただきました。すっきりした味わいは桧枝岐の郷土料理ともよく合います。ちなみにビンの向こうが岩魚の串焼きですから、刺身の大きさが分かりますね。
3日間お世話になったかぎや旅館です。檜風呂に会津料理を十分に楽しんだ3日間でした。若旦那さんは山のガイドもやられています。私は、会津の魅力的な山々はほとんど未踏ですので、再訪もあるでしょう。
帰りはUターンラッシュが予想されたので、早めに桧枝岐を後にしました。一部塩原温泉の先で渋滞となりましたが、スムーズに都内まで戻れました。これで夏休みも終了です。南会津の山旅の余韻に浸りたいところではありますが、明日からまたスイッチを入れ替えねばなりません。