4月の最初の週末、6年ぶりに九州に行ってきました。学生時代のサークルの集まりが博多であったのですが、それに併せて九州のオーディオファンとの交流を組み合わせました。前の週が仕事で兵庫滞在だったこともあり、旅の始めは姫路です。リニューアルした姫路城、この悪天候にも関わらず多くの人が訪れていました。できれば平日、それも好天時に天守閣まで登ってみたいものです。せっかくの白鷺城も桜も雨に濡れて可哀そうでしたが、ほぼ満開の桜を見届けて西方へ出発です。本記事はオーディオ交流以前の前編です。
九州は6年ぶりの上陸となります。関門トンネルをくぐり北九州に入ると妙な懐かしさを覚えるのは、小さい頃、夏休みに何度も帰省したからです。新幹線が博多開通してからもう40年になります。光陰矢如しです。初対面の人と会うのは当然緊張しますが、20、30年ぶりの再開も微妙に緊張しますね。広島あたりからそんな感覚がありました。
博多の駅ビルで軽く0次会の後、1次会のお店のある大濠公園へ。遅い日没に九州に来たことを実感します。そう、横浜よりずっと明るいのです。ここで女性4名、男性3名全員集合です。ブランクが長くても、すぐに当時の間合いに戻れることは、何度も経験済みです。
結局、深夜12時までの7時間、あっという間でした。日常の中に、交差点のような時間を持てることにまず感謝せねばなりません。散会後、天神から博多駅まで酔いざましに歩いてみました。懐かしさと楽しさの余り、飲みすぎたようです。ホテルでは、バタンキューでした。
翌日は天候が良ければ脊振山か天山に登るつもりでしたが、悲観的な天気予報を見て登山道具は兵庫に置いてきました。この日のメインは佐賀の古湯温泉です。特急みどり号に乗るホームです。鶏肉を「かしわ」と表現するのは九州に限られないようですが、私の中ではかしわめし、かしわうどんと相まって九州を連想する言葉になっています。
古湯温泉は佐賀からバスで天山方面に向かって1時間弱でした。学生時代に祖母を訪ねた際、レンタカーで訪れたことがあるのですが、当時と現在の姿が一致しません。記憶の薄れだけでなく温泉側の変化もあるのでしょう。ぬる湯であったことだけは憶えていました。選択肢はいろいろとあったのですが、鶴霊泉で汗を流すことにしました。
十分に温まったあとは川沿いを散歩です。古湯温泉は斉藤茂吉が療養した場所でもあるそうです。該当する旅館の裏庭が自由に出入りできるようになっていました。こちらがその歌碑です。
四半世紀ぶりの古湯温泉を楽しんだ後、再びバスで佐賀駅に戻りました。翌5日は、さが桜マラソンが開催されるようでした。コンコースにインフォメーションセンターが設置されていました。佐賀からはこの日の宿泊先、柳川を目指します。これまで意識しなかったのですが、佐賀と柳川は結構近く、西鉄バスが行き来しています。
前日一緒に飲んだメンバーの一人と、今度は柳川にて夕飯をとりました。うなぎのせいろ蒸しという選択もあったのですが、郷土料理店を紹介いただきました。大学、学科が同じその友人は、某一流自動車メーカーを辞めて家の事業を継いでいます。結構な社員さんもいるようでした。九州は何といっても魚介類がおいしいです。喜多屋という福岡のお酒と一緒にいただきました。
翌日の日曜日、Philewebのみなさんと交流する前、柳川の中心部を散歩しました。柳川は水路が入り組んでいて、ストレートに中心部に進めません。落とすのが難しかったお城の名残ですね。雨が時折降る状況でしたが、その分人も少なく柳川の風情を楽しむことができました。柳と水郷の相性は抜群です。雨の日は意外に写真に向いていることがわかります。
柳川城址付近の散歩道です。この道路の右側がテニスや野球で有名な柳川高校です。ちょうどグランド脇を通りかかったら、野球部員さんから気持ちよく挨拶をいただきました。観光客も多いので部員さんへの躾もしっかりしているのでしょう。
残念ながら柳川の桜はもう終盤でした。その分、桜の絨毯となりましたが、やはり咲いていて欲しかったです。紅葉も新緑がかなり出ていましたから、東京や横浜との季節差も感じました。
有名な雛祭りがちょうど終わったタイミングでしたので、何となく祭りの後の寂しさが町に漂っていました。ここは北原白秋の生家も近く、観光では一番賑わうところです。
その北原白秋の生家です。茂吉、白秋と来ましたので、昔習った詩歌でも復習してみるのもいいかも知れません。2時間ほどの散歩の途中、銘菓「越山もち」をお土産に買ってホテルに戻りました。九州滞在の最終日は、はやぶさんさんに段取りいただき、九州オーディオファン(Philewebメンバー)との交流です。肝臓の負担が気になるところですが、長い1日になりそうです。
九州は6年ぶりの上陸となります。関門トンネルをくぐり北九州に入ると妙な懐かしさを覚えるのは、小さい頃、夏休みに何度も帰省したからです。新幹線が博多開通してからもう40年になります。光陰矢如しです。初対面の人と会うのは当然緊張しますが、20、30年ぶりの再開も微妙に緊張しますね。広島あたりからそんな感覚がありました。
博多の駅ビルで軽く0次会の後、1次会のお店のある大濠公園へ。遅い日没に九州に来たことを実感します。そう、横浜よりずっと明るいのです。ここで女性4名、男性3名全員集合です。ブランクが長くても、すぐに当時の間合いに戻れることは、何度も経験済みです。
結局、深夜12時までの7時間、あっという間でした。日常の中に、交差点のような時間を持てることにまず感謝せねばなりません。散会後、天神から博多駅まで酔いざましに歩いてみました。懐かしさと楽しさの余り、飲みすぎたようです。ホテルでは、バタンキューでした。
翌日は天候が良ければ脊振山か天山に登るつもりでしたが、悲観的な天気予報を見て登山道具は兵庫に置いてきました。この日のメインは佐賀の古湯温泉です。特急みどり号に乗るホームです。鶏肉を「かしわ」と表現するのは九州に限られないようですが、私の中ではかしわめし、かしわうどんと相まって九州を連想する言葉になっています。
古湯温泉は佐賀からバスで天山方面に向かって1時間弱でした。学生時代に祖母を訪ねた際、レンタカーで訪れたことがあるのですが、当時と現在の姿が一致しません。記憶の薄れだけでなく温泉側の変化もあるのでしょう。ぬる湯であったことだけは憶えていました。選択肢はいろいろとあったのですが、鶴霊泉で汗を流すことにしました。
十分に温まったあとは川沿いを散歩です。古湯温泉は斉藤茂吉が療養した場所でもあるそうです。該当する旅館の裏庭が自由に出入りできるようになっていました。こちらがその歌碑です。
四半世紀ぶりの古湯温泉を楽しんだ後、再びバスで佐賀駅に戻りました。翌5日は、さが桜マラソンが開催されるようでした。コンコースにインフォメーションセンターが設置されていました。佐賀からはこの日の宿泊先、柳川を目指します。これまで意識しなかったのですが、佐賀と柳川は結構近く、西鉄バスが行き来しています。
前日一緒に飲んだメンバーの一人と、今度は柳川にて夕飯をとりました。うなぎのせいろ蒸しという選択もあったのですが、郷土料理店を紹介いただきました。大学、学科が同じその友人は、某一流自動車メーカーを辞めて家の事業を継いでいます。結構な社員さんもいるようでした。九州は何といっても魚介類がおいしいです。喜多屋という福岡のお酒と一緒にいただきました。
翌日の日曜日、Philewebのみなさんと交流する前、柳川の中心部を散歩しました。柳川は水路が入り組んでいて、ストレートに中心部に進めません。落とすのが難しかったお城の名残ですね。雨が時折降る状況でしたが、その分人も少なく柳川の風情を楽しむことができました。柳と水郷の相性は抜群です。雨の日は意外に写真に向いていることがわかります。
柳川城址付近の散歩道です。この道路の右側がテニスや野球で有名な柳川高校です。ちょうどグランド脇を通りかかったら、野球部員さんから気持ちよく挨拶をいただきました。観光客も多いので部員さんへの躾もしっかりしているのでしょう。
残念ながら柳川の桜はもう終盤でした。その分、桜の絨毯となりましたが、やはり咲いていて欲しかったです。紅葉も新緑がかなり出ていましたから、東京や横浜との季節差も感じました。
有名な雛祭りがちょうど終わったタイミングでしたので、何となく祭りの後の寂しさが町に漂っていました。ここは北原白秋の生家も近く、観光では一番賑わうところです。
その北原白秋の生家です。茂吉、白秋と来ましたので、昔習った詩歌でも復習してみるのもいいかも知れません。2時間ほどの散歩の途中、銘菓「越山もち」をお土産に買ってホテルに戻りました。九州滞在の最終日は、はやぶさんさんに段取りいただき、九州オーディオファン(Philewebメンバー)との交流です。肝臓の負担が気になるところですが、長い1日になりそうです。