ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

171210 ハナミズキの「最後の一葉」、ドラマチックにどう撮るか!? 大谷エンジェルス!!

2017年12月10日 | 趣味と交遊

 夕刻、和室から庭先をながめると西陽にハナミズキの最後の一葉が照らされているのが見えた。オーヘンリーの短編小説「最後の一葉」を想起し、作品にならないかなとインスピレーション。早速、カメラを持ち出して撮影。どう撮るか?

カメラはペンタックスのK3とパナソニックのコンデジ、FZ200。葉っぱの手前の小枝が邪魔だが仕方ない。部屋から狙う。

全体の構図はこんな具合になっている。来春にむけ芽がいっぱい出てきている。バックは道路沿いの法面。西日が照射している。

絞りをマイナス1くらい補正してアンダー気味に撮る。

葉っぱにズーミングして立て構図で撮る。バックの西陽を強調したのが1枚目の写真。

 O・ヘンリーの小説の「最後の一葉」の概要は以下の通り。

 ・・・芸術家が集まる古びたアパートに暮らす画家のジョンジーと同じく画家のスー。貧しいながら暖かい生活を送っていた中、ある日ジョンジーは重い肺炎を患ってしまう。スーは、医者から「このままでは彼女が助かる可能性は十のうち一」と告げられる。心身ともに疲れ切り、人生に半ば投げやりになっていたジョンジーは、窓の外に見える壁を這う、枯れかけた葉を数え、「あの葉がすべて落ちたら、自分も死ぬ」とスーに言いだす。

 階下に住む老画家のベアマンは、いつか傑作を描いてみせると豪語しつつも、酒を飲んでは他人を嘲笑う日々を過ごしていた。ジョンジーが「葉が落ちたら死ぬ」と思い込んでいることを伝え聞いたベアマンは「馬鹿げてる」と罵った。その夜、一晩中激しい風雨が吹き荒れ、朝には蔦の葉は最後の一枚になっていた。その次の夜にも激しい風雨が吹きつけるが、しかし翌朝になっても最後の一枚となった葉が壁にとどまっているのを見て、ジョンジーは自分の思いを改め、生きる気力を取り戻す。

 最後に残った葉はベアマンが嵐の中、煉瓦の壁に絵筆で精緻に描いたものだった。ジョンジーは奇跡的に全快を果たすが、冷たい風雨に打たれつつ夜を徹して壁に葉を描いたベアマンは、その2日後に肺炎で亡くなる。真相を悟ったスーは物語の締めくくりで、あの最後の一葉こそ、ベアマンがいつか描いてみせると言い続けていた傑作であったのだと評する。・・・・

この小説のように我が家のハナミズキの最後の一葉はまだ落ちていない。

 時は師走、大雪。日本全土に寒波が押し寄せてる。24節気では「そらさむくふゆとなる」・・天地の陽気が塞がり真冬が訪れる頃。重たい灰色の雲に覆われた空は雪曇りという・・とある。ふろふき大根、ぶり、ダイサギ、雪吊りなどがキーワードの頃。明日に希望なきところには生きる意欲は湧いてこない。

 大谷翔平のメジャー挑戦はロサンゼルス・エンジェルスに決まった。身長193cm、体重97Kg、恵まれた体に測り知れない能力、23歳の若さで世界の晴れ舞台に立つ。幸せな男だ。一般市民は彼に夢を託しながら、かろうじて自らの生きる元気をもらう。まあネバーギブアップだね!!!

 

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171207 「私達、生まれは武蔵寺、0.1歳です」 お陰さま! アオバズクの入選作を進呈させていただいた!!

2017年12月07日 | 趣味と交遊

 タイトルは「私達、生まれは武蔵寺、0.1歳です! この秋のある市の総合美術展に入選した写真作品。

 先日、武蔵寺にこの作品を進呈させていただいた。毎月初め、写経会に出席させていただいているがその縁を作ってくれたのがフクロウ種のアオバズクである。どこからの情報かわすれたが武蔵寺の大楠にアオバズクがきているというということでカメラ片手に境内をうろついていて住職とお会いした。話の中で写経会をされていることをしり、爾来月1で通い始めた。

 県展や市美展で入選している野鳥の作品はカワセミやミサゴが水中にダイビング漁をしてくちばしに小魚やでかい魚をくわえて水しぶきをあげながら飛び上がっている作品がほとんど。じっとたたずんでいる動きのない写真が入選しているのはあまりなかった。

 今回審査員が選んでくれたのは毎年5月にやってきて6月に抱卵、7月に巣立つ動物界の生命の営みを生まれて1か月ばかりの2羽の幼鳥ではあるが鋭い眼光のなかに見出してくれたのかもしれない。人間の命も累々とつながる先祖の縁の連鎖のたまもの。

 般若心経との出会い、武蔵寺との出会い、井上住職老師との出会い、出会い感謝の意をこめて、この作品を進呈させていただいた。あり難きかなである。人生の真髄は「邂逅と謝念」である!!

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171205 九博、環境部会館外研修その2、武雄物産館から筑紫野の福岡共同公文書館へ!

2017年12月05日 | ボランティア

 昼食会場の武雄温泉物産館へのバス移動の途中、車中から武雄図書館、歴史資料館の外観をみて、12時前、武雄温泉物産館に到着。

 2Fの食事会場へ移動、着席。他の団体さん3~4か所、広い食堂。メニューは豆乳豆腐や釜飯など。談笑しながらの食事、その後は物産館での買い物。しょうがのお菓子や茎わかめ、シイタケの煮物などわが妻への安上がりのお土産。レジのおばさんに「旦那さん、一桁うえのお土産はこちらにありますよ」と言われてしまう。今までお土産を買って妻に喜ばれたという経験が少ないし、あまり買い物が上手とは言えないのでほどほどにしておく。

 13時10分、筑紫野にむけ出発。武雄北方ICに入って筑紫野ICへ。途中金立SAでトイレ休憩。

代表のUさんの提案で座席の席替え。往路とは違うメンバーと談笑、情報交換しながら15時前、筑紫野市の福岡共同公文書館に到着。とりあえず記念撮影、午前中欠席だったTさんも合流。ここでの集合写真は35名、ばっちりでした。

 

 筑紫野市図書館や生涯学習センターなどはよくでかけるが市警察に隣接する公文書館は敷居が高いというか普段から意識外の存在だった。

 今、国会でモリカケ問題で与野党の大論戦中だが、9億円の国有土地がどういうプロセスで8億円も値引きして1億円の払い下げ価格になってしまったのか。本来このプロセスがきっちり残ってないとダメ。いかなる論拠で誰が起案して誰が承認したかの行政のプロセスが公文書として残され、国民にも開示され、会計検査院の年度検査にも提供されなければならない。そんな重要な公文書が財務省の一担当レベルで廃棄されるなど考えられない暴挙で首相夫妻の関与が疑わても仕方がない。

 2Fの大会議室で副館長から公文書とはどういうものか、公文書館とは、開館して5年になる福岡共同公文書館がどんな経緯でどんな目的をもって作られたのかなどをパワーポイントの資料をつかって説明いただく。

 公文書には保管期限が決まっているが保存期間満了の公文書を評価選別基準に従って重要とされるものをこちらの共同公文書館で預かり永久保存するとのこと。1964年のオリンピック東京大会関連の公文書など、まさか半世紀後に2回目の東京オリンピックが開かれるなど行政担当者は思ってもみなかったらしい。とくにこちらでは昭和30年以前の公文書などを特に重要視して永久保存しているとのこと。

 開館5周年を記念して特別展「公文書で巡る鉄道の旅」が1月28日まで開催されている。明治から昭和初期の公文書や写真パネルでいかに鉄道網がひかれていったか興味深く展示されている。琴奨菊出身の柳川は昔はサンズイの河だったようだ。

 全体説明のあとバックヤードを案内いただく。3Fの建物中で書架延長は26Km、収蔵能力は約80万冊、30年分とか、すごいですね。歴史公文書などの有害生物対策は業者に委託して化学的な燻蒸(酸化エチレン)をしているとのこと。九博はIPM思想でやっているがここでは陣容的にも難しいようだ。

 17時、アンケートに記入して17時20分、朝出発したところで解散。今回は展示解説、英語案内、中国語案内、イベント、フィールド、サポート、教育普及など他の部会10名の参加を得て、充実した館外研修でありました。

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171204 九博ボランティアの館外研修で武雄の宇宙科学館と筑紫野の共同公文書館を視察、意義ある1日でした

2017年12月04日 | ボランティア

 時節ははや師走。今春からスタートした九博ボランティア活動。所属するIPO環境部会、30数名のメンバー。全員、何かを担当して傍観者にならないようにしようということで、そのうちの一つ年1回の館外研修が2日に行われた。数名のメンバーが3~4か月前から企画、準備を重ね、二日実施の運びとなった。館外の他施設を訪ね、新たな発想手法を学び今後のボランティア活動に活かそうという狙い。部内活動ではそれぞれの時間制約などで所属部内でさえコミュニケーションの濃淡があり、この機会を利用して親交をさらに深めようということ。

(佐賀県立宇宙科学館)

 34名のメンバーがわかれて西鉄、JRの両二日市駅から乗り込み、水道局前を8時40分、一つ目の視察先佐賀県立宇宙科学館にむけ出発。他部門から10名参加、皆、こころなしかうきうき気分。冒頭、環境部会代表のUさん、交流課のY課長、当研修企画のリーダーNさんらのあいさつの後各自自己紹介、皆ユーモアを交えて和気藹藹、天気も外はかなり冷えていたが車内は元気、やる気で満ち溢れている感じ。けっこう結構!予定よりちょっと早めに到着。早速、記念撮影。今回の写真担当は私とNさん。

 科学館入り口に向かう階段に集まってもらい撮影。前に大きな男性が立ってしまい、階段があったとはいえ女性が真ん中で顔が隠れてしまいそうだったが皆はやく入館したそうな気分が読み取れたのでさっと撮影。眼がうっとおしいというか大部視力が低下しているね。モニターを見ただけではすぐにはチェックできず。

入場料を支払い入館証を衣服に張り付けて入場。大会議室で館長から科学館の概要、狙いをうかがう。

 館長曰く、資源小国の日本は戦後づっと科学技術の振興を通じて経済大国になってきたが最近の科学技術の振興は勢いを失い技能オリンピックでも常勝金メダル国家だったのが直近では9位にまで陥落、トップの座を中国に明け渡してしまっている。

さらには最近の子供たちの理科嫌いは憂慮すべき状態。便利さがあたり前になり蛇口をひねれば湯がでてくる、その仕掛けを探ろうというWHYの精神がたりない。それをこの科学館で改革していこうというわけ。

 子供たちが親と一緒にやってきて体験型の興味深い仕掛けを親子で共有しながら学び、そして自ら探求してみようと自発心を呼び起こそうというわけだ。

(マイナス20度体験室)

そういう啓蒙活動の主役が館内のスタッフ、人が主役だという。

あちこちの子供が楽しんで体験でき学んで行ける仕掛けが網羅されている。九博の理念コンセプトも「学校より面白く、教科書よりわかりやすい」博物館をめざそうとなっているが、どこまでできているかだね?

 11時半駐車場にもどる。記念写真用の科学館をバックにしたひな壇があったので2回目の記念撮影。ここではばっちり一人一人の笑顔が撮ることができた。食事会場に向かうべくバスに戻る。なんと3人の女性がバスで休憩していました。撮り忘れ!! 集団ツアーはむつかしいですね、いやはや。後半はまた明日ご報告いたします。

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