2016/05/07
「朝靄のうごく底からあらわるる九輪草わが憂いをはらう(鳥海明子)」
「九輪草高原湿地に群生し茎の上下に花と葉を付ける
(花言葉:物思い)」
「田植え終え蛙が鳴くを聞きたるは稲が成長安心をせり(『蛙始めて鳴く』)」
「古池や蛙飛びこむ水のおと(芭蕉)」
「本当に蛙飛びこみ音聞くや()」
「およぐ時よるべなきさまの蛙かな(蕪村)」
「痩蛙まけるな一茶是にあり(一茶)」
「雨戸たてゝ遠くなりたる蛙かな(虚子)」
「葉っぱなきように咲きたる九輪草(隆夫)」
「葉と花が別のようなり九輪草(隆夫)」
「九輪草四五輪草でしまいけり(一茶)」
2016/05/07
「最近、俳句はまってつい短歌が疎かになっている。ふと、短歌ってなんだっけ、と思い至って答えようとするが、出てこない。俳句だと季語を含み、韻文定型で5・7・5の17音で吟う、となる。短歌だと和歌の流れを汲み、韻文定型で5・7・5・7・7の31音で詠む。短歌は三十一文字の叙情詩である、となるだろうか。俳句は、和歌>短歌>連歌>発句>俳句という流れで、ある意味和歌の持つ要素を研ぎ澄ましたと言えなくもない。連歌から俳句への変化の流れと同様、和歌の現代的な再定義が、短歌と言えるのではないか。ということで、和歌と短歌について少し考えることになる。()」
「和歌といっても万葉とそれ以外に分けられる。万葉が原初的で本来の姿をしているのだろうが、それ以外の和歌が勅撰和歌として発達したから、ある意味本音が入っていない着飾った形の和歌が主流になってきた。花鳥風月、言葉遊び等であるが、歴史は古く長い。貴族の時代が終わり、武家社会、江戸になってからは庶民も巻き込み、余技としての遊びが加わった。座が持たれ、連歌・徘徊を経て、俳句と短歌に繋がっていくのだが、短歌はやはり、正岡子規の『歌詠みに与うる書』により現代化されたといってもよい。子規以前にも武士、坊主や徘徊師たちは狂歌、道歌や辞世として歌を引き続いて詠んできた。子規はそれらを再定義し、歌詠みに一書を与えて自らは芭蕉の提唱した徘徊に移ったのである。したがって、子規の歌詠みに与えた一書に短歌は定義されていると推量しよう。()」
「ここで正岡子規の『歌よみに与ふる書』を見てみよう。子規はここで和歌の革新について書いたもので、写生を重んじて万葉調をとりいれると格調高い歌ができる論じている。明治三十一年[1898年]に何回かに分けて掲載され、後に質問に答えるという形でも『人々に答ふ』という記事を書いている。以下は前書の『歌よみに与ふる書』について触れていく()」
「その一[1898.02.12]
(01:万葉のほかは実朝しかおらず長生きすれば名歌残さん
,02:真淵さえ実朝ほめれどちほめたらず真淵の万葉理解は半ば
,03:長歌にも言葉及べど滅多切り端唄に劣ると快気炎あぐ
)」
「その二[1898.02.14]
(04:貫之を下手な歌詠みその編みし『古今集』等くだらぬ集と
,05:かって惚れ愛想がつきて憎々し貫之の和歌、歌であらずと
,06:新古今ややましながら名歌なし定家も下手上手ヘタウマよくわからない
,07:定家とは狩野探幽あい似たり下手で門閥興したところ
,08:歌人なる香川景樹の歌なるは玉石混淆いいとこ学べ
)」
「その三[1898.02.18]
(09:冒頭でバカで暢気と歌詠みを俳句・川柳・文学知らずと
,10:俳句とか詩や漢詩など各々にいいところあり歌人学ばず
,11:要カナメなる和歌の調べに無神経なんでもかでも長閑ノドカはいかん
,12:文句ありゃ吾にかかってきなさいと三日三晩も論じましょうと)」
「その四[1898.02.21]
(13:この章は実例示し論ずべくあげた歌など引いていかんか
,14:もののふの八十氏川の網代木にいざよふ波のゆくへ知らずも[人麿]
,15:『もののふ』は一気呵成の調べあり野卑にならずに字句しまりおり
,16:月見れば千々に物こそ悲しけれ我身一つの秋にはあらねど[大江千里]
,17:『月見れば』上三句では難なくも下二句は理屈をいえる
,18:歌なるは叙情詩なるを理屈いう言葉入るはご法度なりし
,19:芳野山霞の奥は知らねども見ゆる限りは桜なりけり[八田友紀]
,20:昔から名歌と言えど底知れて理屈まされる歌にてあらん()」
,21:うつせみの我世の限り見るべきは嵐の山の桜なりけり[八田友紀]
,22:この歌も理屈優りて殺風景理屈そのものおかしく思う
)」
「その五[1898.02.23]
(23:心あてに見し白雲は麓にて思はぬ空に晴るゝ不尽の嶺
,24:この歌も理屈がかちてつまらない姿弱くて不尽にそぐわず
,25:俳人に几董というが不尽をよむ余程まともに富士をよみたり
,26:晴るる日や雲を貫く雪の不尽[几董]
,27:もしほ焼く難波の浦の八重霞一重はあまのしわざなりけり[契沖]
,28:シンプルに詠めばいいのに俗に堕ち嫌味満載歌でありしか
,29:心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花[躬恒]
,30:この歌は嘘の含まれて初霜で菊見えないはあり得ないこと
,31:つまらない嘘は駄目だが上手なる嘘は歓迎例をあげたい
,32:鵲のわたせる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける[家持]
,33:嘘よむは全くなきを詠めるべしそうでないなら正直に詠め
,34:狸婆舌切り雀の嘘ならばおもしろしチマチマしたる嘘つまらない
,35:春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香は隠れるゝ
,36:『梅闇に匂う』と言えばことたれるこんな趣向はもう止めにせよ
)」
「その六[1898.02.24]
(37:和歌俳句短き韻文主観より客観の方に佳句は多し
,38:文学の見地で見れば勅撰は城壁として甚だ弱し
,39:余が望み日本文学その壁を今少しだけ強固にしたい
,40:余が写実絵描きの写生に異ならず神・妖怪の絵写生がもとに
)」
「その七[1898.02.28]
(41:患いし和歌はあたかも名医にて匙投げらるるありさまなりし
,42:腐敗した和歌の再生できますと子規はいいたりせねばならぬと
,43:まず始め使う言葉の幅広げ趣向を変えてありさまかえよ
,44:外国の言葉使えど操るが日本人なら日本製だと
)」
「その八[1898.03.01]
(45:善き歌の例を四、五例ここにあげ各々解いていってみたけれ
,46:まず始め『金槐和歌集』より引いて調べの善きを味わいてみん
,47:武士の矢並つくろふ小手の上に霰たばしる那須の篠原[実朝]
,48:時によりすぐれば民のなげきなり八大龍王雨やめたまへ[実朝]
,49:子規は好き『龍王』の歌手放しで上句・下句の考察のあり
,50:三句切れすれば下句で字余りが強さ増すのにしかたなきかな
,51:物いはぬ よものけだもの すらだにも あはれなるかなや 親の子を思オモふ
)」
「その九[1898.03.03]
(52:一々に論ずはうるさく金槐を四首挙げ置きほかに移らん
,53:山は裂け海はあせなん世なりとも君にふた心われあらめやも[実朝]
,54:箱根路をわが越え来れば伊豆の海やおきの小島に波のよる見ゆ[実朝]
,55:世の中はつねにもがもななぎさ漕ぐ海人の小舟の網手かなしも[実朝]
,56:大海のいそもとゞろによする波われてくだけてさけて散るかも[実朝]
,57:なごの海の霞のまよりながむれば入日を洗う冲つ白波[実定]
,58:この歌は客観的な景写すただ疵として『霞のま』あり
,59:ほのぼのと有明の月の月影に紅葉吹きおろす山おろしの風[信明]
,60:この歌の語を畳み掛け調子をとりたるところめずらしからん
,61:さびしさに堪へたる人のまたもあれな庵を並べん冬の山里[西行]
,62:西行のこころはここに現れて知られてなきが口惜しいこと
,63:閨ネヤの上にかたえさしおほい外面トノモなる葉広柏に霰ふるなり[能因]
,64:上三句少し混雑しているが下句のさまがおもしろきかな
,65:岡の辺りの里のあるじを尋ぬれば人は答へず山おろしの風[慈円]
,66:第四句『答へで』でなく『答へず』としたるところに工夫が見える
,67:さゞ波や比良山風の海吹けば釣りする蜑アマの袖かへる見ゆ[読人しらず]
,68:実景をそのまま写し遊ばないかえって興趣まされりと
,69:神風や玉串の葉をとりかざし内外の宮に君をこそ祈れ[俊恵]
,70:神祇なる歌も普通に歌いたり絞まり響きに客観もよし
,71:アノクタラサンミャクサンボダイの仏たちわが立つ杣に冥加あらせたまへ[最澄]
,72:めでたきか長句の用い未曾有なり上と下とでバランスをとる
)」
「その十[1898.03.04]
(73:最終章激昂押さえてまとめたり年功権威をまずは批判す
,74:明治には漢詩壇がふるえるは青年詩人活躍による
,75:俳壇も改められて月並みな連を捨て置き解き放たれし
,76:和歌の弊縁語用いて地口とか駄洒落いえるは下衆のすること
,77:縁語など労せず素直に詠みながし上品な歌作るがよろし
,78:自己が美と感じた趣味をわかるよう表現するが主意であるべし
,79:牡丹花を深見草等よびならい古いしきたり従わぬべし
,80:新奇なること詠むときは取合せ俯瞰で見るが善き歌になる
)」
以上が、正岡子規の『歌読みに与ふる書』のまとめである。明確にこう作れとは言っていないが、理屈に走らないで客観写生をして技巧など労せず、素直に詠めと言っている。ただ、一気呵成の勢いとか、上下のバランスとか、強い気持ちを詠め、と言っているようだ。