2014/02/10
「十四首の歌でおかしいルビのもの九首を選び正しくせよと(『ルビの使い方』)」
「本により『総ルビ』のものありたるが一般的には『ぱらルビ』をふる()」
「漱石の小説なども当て字ありルビ見てはたと膝を叩けり()」
「漢字フェチ日夏は硬い漢字にてルビで示せりその読み方を(日夏愀之介)」
「池波も会話の自然さ保つため漢字にルビをふりたるという()」
「短歌では音数あわせで強引なルビを見るけど行き過ぎの感()」
「いいルビは適切なルビと創意あるルビがよかれと著者はいいたり()」
「例:同宿アイヤドに窪田通治の歌めでて泣く人みたり浪速江の秋(与謝野鉄幹)」
「例:生アるることなくて腐クえなん鴨卵カリノコの無言の白のほの明かりかも(馬場あき子)」
「例:失踪の結末と言うな脱ぎ捨ててあるスリッパの緋の人魚印マーメイド(永田和宏)」
2014/02/09
DVDのデータベースを作成し終わった。全部で339枚になった。今回整理していて、今後見ないようなものまでDVD化していることに気づく。断捨離が叫ばれるなか、本や資料などと同様、あとで見よう、いつか見るだろうという類いは、置いておく価値はないのかもしれない。TSUTAYAに行けば借りられるようなものは置いておく必要はない。
ともかくドラマ・映画などは成り行きで観賞し、ドキュメンタリとか教養番組は見直そうと思っている。今回整理したデータベースが役に立ちそうだ。
クラシックは、モーツァルト関係だけで34枚(34=307-274+1)あった。モーツァルトの生没年は1756-1791年だから、モーツァルトにめざめて1991年の没後200年と2006年の生誕250年を経験した。1991年の時はビデオテープで番組を録画し、2006年のときはハードディスクでの録画であった。以前のビデオ番組は2006年の段階でDVDに落としておいた。
2006年の録画を中心に気合いをいれて観賞するつもりである。2006年はNHKも毎日モーツァルトという番組を放送しておりその映像が残っている。毎回、モーツァルト好きが出てきて、その日のテーマ曲についてコメントを残し、ナレーターが曲の説明をする。以前、この『毎日モーツァルト』のコメントなどを百回までまとめてHPに載せていた。今回、続きの百一回目以降をまとめていこうと考えている。あとはオペラやアーノンクールの演奏などを楽しむとともに、いろんな曲の聴き比べもしてみたい。
あとLPのデジタル化の予定がある。これはジャズがメインであるがモーツァルトのLPもあるので、デジタル化していこうと考えている。CDではあるが、モーツァルトのライブラリに加えていくつもりである。
2014/02/08
今日の読売新聞の『五郎ワールド』に<永遠の「哲学の巫女」>と題してコラムが載った。内容は哲学者の池田晶子のことを取り上げている。池田さんは哲学をしているわりには滅法な美人である。その美人がうつむきながら目線だけ上目使いの写真が載っていた。 美人のことはともかく、五郎さんの文章は、池田晶子さんのことを「生涯を賭して自分で考えることの大切さ、言葉の重要さを説き続けました」と説明しています。
さらに一度だけ会っていて、政治部長時代に「21世紀に向けて政治を問う」というテーマでインタビューをしたときのこと。当の池田さんから「わたしの寝言を正確に読み取ってくれた」と誉めていただいたことを紹介。
最後は大峯顕(大阪大学名誉教授)さんと池田さんの交流を紹介している。池田さんの口癖が「自分にはいのち根性がない」、「私、死ぬのを怖いと思ったことがない」に関わることで、『いのち根性がない』についてである。池田さんは亡くなる4カ月前に、大峯さんに手紙を書いており、その内容に大峯さんはおおいに喜んだらしい。いのち根性がない、ことに回答を見出だした池田の報告が書かれていた。「池田晶子の長い旋回はついにその最終的な局面に入っていたに違いない」と思ったそうだ。
五郎さんは、最後は仙崖義梵という禅坊主の辞世の色紙に「死にとうない」というエピソードでしめくくっている。
******池田さんからの大嶺さんへの手紙の一部*********
相変わらず厄介な病気を抱えておりまして、日々、剣が峰を歩いております。が、それは本来の人間の在りようなのだから、ちょうどいい修行だと腹をくくっております。
ひとつ気がついたのは、例の"いのち根性がない"ということ、生きようとするのは執着なのだと私はずっと思っていたのですが、どうもそうではないようですね。人が生きようとするのは意志、生命本来の意志として肯定さるべきことのようなのです。
2014/02/07
住所欄にホームレスとあるのは異様である。路上生活者が短歌投稿をし、驚異的な率で選歌される。
修行中の身には羨ましい限りである。以前単行本を図書館で借りて読んだが、公田探しは消息がわからないままの結論になっていた。
著者三山の探索であそこまで、探したのならきっとわかっていたのではないかという疑問が残る。
最近文藝春秋から文庫本が出たので買っていささか深読みをしようとした。
以下は、公田の歌を中心に語呂合わせでまとめてみた。
「#01<柔らかい時計>を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ(公田の2008/12/8最初の採用歌P.24)」
「世の中がリーマンショックで不景気に両刃の剣か家なき身へは()」
「炊き出しに並ぶ歌あり住所欄とありて寒き日(豊中・武富)」
「『炊き出し』の歌のあとにも入選を重ねる公田皆注目す()」
「#02鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか(P.29)」
「#03パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる(P.29)」
「#04日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る(P.29)」
「#04親不孝通りと言へど親にもなれずただ立ち尽くす(P.30)」
「八つめの入選作は皮肉なる町名読めり哀しさもちて()」
「#05哀しきは寿町と言ふ地名長者町さへ隣りにはあり(P.30)」
「#06百均の<赤いきつね>と迷ひつつ月曜だけ買ふ朝日新聞(P.31選外作)」
「#07美しき星空の下眠りゆくグレコの唄を聴くは幻(P.31選外作)」
「#08ホームレス歌人の記事を他人事のやうに読めども涙零コボしぬ()」
「#09胸を病み医療保護受けドヤ街の棺のやうな一室に居る()」
「#10後ろから呼び掛けられた嬉しさ先週来の風邪も和らぐ()」
「#11名も知らぬブラジル人のその後を想ひて今朝の寒さに耐へる()」
「#12体調を崩しこのまま寝込みたき日でも六時に起きねばならぬ()」
「#14我が上は語らぬ汝の上訊かぬ梅の香に充つ夜の公園()」
「囚人の己が[公田]想いつつ食むHOTMEALを(郷隼人2009/3/30)」
「#15温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜る()」
「生きていれば詠める ペンあれば書けること教えてくれるホームレス公田氏(甲斐みどり)」
「彗星のごとく現れ緒を引いて闇に消え行くホームレス歌人は()」
「#16瓢箪の鉢植ゑを売る店先に軽い風立てば瓢箪揺れる(この歌を最後に去っていくP.40)」
「寒くないかい淋しくないかい花壇でしか会えぬあなたの不在(2009/11/16井村浩司)」
「次の歌こころ待ちたる人増えど謎を残して彼は去りたり()」
「写楽なら蔦谷が裏で演出も公田は誰の演出もなし
(『ホームレス歌人のいた冬』では、わからないという結論だが、多分判っていても何らかの事情で不明にしたのではないか)」
「カップ麺買わずに朝刊買ひしとふ歌にて我の投稿始まる(湯田摩耶)」
「#17一週に二首の投稿心懸け 雨恋うて咲くあぢさゐ三球ミタマ()」
「ホームレスの肩書きつければ載るだろうか毎回ボツのわたしの歌は(土門久美子)」
「#18一日を歩きて暮らすわが身には雨はしたたか無援にも降る(P.67)」
「#19野毛山を下れば汗の吹き出してドン・キホーテへ涼みに入る(P.67)」
2014/02/06
「現代のベートーベンなどと称えらる佐村河内氏は人欺けり()」
「ゴーストとなって作曲続けたる新垣隆はカミングアウト(ソチ五輪でスケートの高橋が曲を使うことにこのタイミングで告白)」
「ビジュアルで佐村河内と新垣氏感性などの違いを感ず()」
「『広島』というシンフォニー新垣の仕事としても価値はないのか()」
「作品の価値はともかく聴覚が零でないはずこれも暴露す()」