wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

神奈川宿の大綱金刀比羅神社~東横線跡地トンネル~サカタのタネ跡

2024-12-28 08:11:42 | 遺跡・寺社

日曜日の午後、横浜駅西口に行った帰りに、旧東海道神奈川宿の大綱金刀比羅神社から、東横線跡地トンネル、サカタのタネ跡と歩いてきました(2024年12月15日)。

 

横浜駅西口のとあるビルで用事をすませたあと、横浜駅~旧東海道の神奈川宿~反町~東神奈川のウォーキング経路を頭に思い描き、まだ見てなかったところを周ってきました。最初に立ち寄ったのが、旧東海道神奈川宿にある大綱金刀比羅神社(おおつなことひらじんじゃ、俗名・こんぴらさん)。階段を登って、俗から聖の世界に入ります。

 

こちらが社殿。右にいる怖い人が気になります。

 

天狗ですね。

 

裏山の岩盤が彫られて、奥に何か祀られています。ちょっと怖い感じもします。それにしてもこの岩盤、玄武岩のようなかなり硬そうな岩のように見えます。鎌倉で見られる凝灰岩とは違いますね。

 

社務所もあって、今でもしっかり営まれているようです。もともとこの下には袖が浦神奈川港があり、そこを出入りする船がここで海上安全を祈願して出港したと言われています。他にも様々なご利益があるとされています。源頼朝が伊豆国石橋山から海を小舟で安房国へ逃れようとしたとき、夢うつつに大権現の神霊が現れて守護してくれたことを覚えていて、勝軍飯綱大権現とあがめ奉り、この地に社を建てたのが由来だそうです。

 

金刀比羅神社のすぐ近くには、旧東海道を横切って旧東横線が通っていました。みなとみらい線が開通するときに、東横線は地下に移りましたが、旧東横線跡はこのように游歩道として整備されています。写真は旧東海道から横浜駅方向を見ています。

 

こちらは、旧東海道から反町駅方向を見ています。ここを歩くのは初めてです。

 

高島山トンネルがあります。

 

500mくらいの長さだと思います。トンネルの断面は、電車が複線で通るのには少し狭い感じがします。トンネルの補修工事がされていて、電車が通っていた頃より断面が狭くなっているそうです。

トンネルを出て、振り返って見た写真。

 

この遊歩道は東白楽駅まで続きますが、私はその手前の反町駅のところで右のほうに向かいます。

 

サカタのタネ店舗跡です。更地になって、これから集合住宅が作られるようです。

国道1号線のバス停があるところ。サカタのタネで苗を買って、よくここでバスに乗って帰ったものです。規模の大きな園芸ショップだったので、何も買わなくても、見るだけで癒されたものです。閉店になって1年くらい経つのでしょうか。規模を小さくしてもいいので継続してもらいたかったものです。こうなってしまって、残念です。


三井オーシャンフジとパシフィック・ワールド

2024-12-21 07:47:50 | その他クルーズ客船

また、クルーズ船が2隻来ていたので見てきました(2024年12月8日)。

横浜駅からみなとみらいへ歩きます。

 

まだ一部休館中の横浜美術館とマークイスの間のグランモール公園というのですね、そこを歩いていたらちょっとしたイベントをやっていました。

 

ルイ・ヴィトンのメリーゴーランド。並べば乗れるらしいです。

 

メタセコイアでしょうか、赤茶の紅葉が映えています。

 

1隻目は、新港ふ頭に停泊している三井オーシャンフジ。日本初のラグジュアリークラスのクルーズ客船として12月1日にデビューしました。客船のデータは、全長198m、総トン数32,477tだから小型船カテゴリー、定員458名、商船三井クルーズ所属、全客室がスイート・ルームということです。元の船名はシーボーン・オデッセイで、それが移籍したものです。

 

この船もラグジュアリークラスらしく、前方にキャビンが集中しています。9割のキャビンがバルコニー付ということです。この日の朝、東京から入港し、夕方、神宮に向けて出港するそうです。

 

後部に、レストラン、シアターや、遊興施設類が集まっているかんじです。

 

タラップで入船していたり、クレーン車で屋上のほうを洗浄?点検?している様子が見えます。

 

このあたりはプールがあるデッキですね。

 

2隻目は、大さん橋に停泊しているパシフィック・ワールド。客船のデータは、全長261m、総トン数77,441tだから中型船カテゴリー、定員1,950名、ピースボート・クルーズ所属です。元の船名はサン・プリンセスで、2020年にピースボートに移籍したものです。安価に世界一周したかったら、これに乗るといいかもしれません。

 

上の写真がパシフィック・ワールドで、下の写真がサン・プリンセス(2011年10月22日撮影)。ほぼ同じなのがわかると思います。

 

日本大通でもイベント中で、路上演奏などをやっていました。


僕の読書ノート「サピエンス前史 脊椎動物の進化から人類に至る5億年の物語(土屋健)」

2024-12-14 08:21:33 | 書評(進化学とその周辺)

 

生物の進化は、系統樹で表されるようにどんどん枝分かれして多様性が拡大していくが、本書では、現生人類(ホモ・サピエンス)が脊椎動物初期の魚類からどのように進化してきたか、その一本道をていねいにたどって描いている。著者の専門である古生物学の知見を主としながら、分子進化学の知見も取り入れて、人類進化史の現在の知見の到達点をわかりやすく概説した好著である。本書では、人類に至るまでの道程において獲得してきた特徴を、70の道標として注目している。また、一本道を辿るうえで人類への道から「わかれた動物」にも注目している。このように、初期魚類から辿る人類史の見取り図(ガイド)として役立ちそうだ。

章ごとに気になったポイントを記録しておきたい。

【黎明の章】

・有羊膜類から竜弓類と単弓類が分かれた。竜弓類は爬虫類とその近縁のグループ、単弓類は哺乳類とその近縁のグループである。ひと昔前は、哺乳類は爬虫類から進化したことになっていたが、現在の理解では、どちらのグループもその根幹に近い段階で、袂を分かっていた。

【雌状の章】

・広い意味での哺乳類である「哺乳形類」は、その初期において、二生歯性(生涯に1度だけ歯が生えかわる特徴)、二次口蓋の形成(口腔と鼻腔の分離)とそれによる嗅覚の鋭敏化、耳の骨の複雑化とそれによる聴覚の発達などの特徴を獲得した。

・初期の哺乳形類として化石が見つかっているモルガヌコドンは、大きい眼窩を備えていた。そのことから眼球も大きかった可能性が高く、集光能力が高いことから、夜行性だったとの見方が有力だ。この三畳紀後期からジュラ紀中期は恐竜類が世界を支配していた。そんな世界で、小型ですばしっこいモルガヌコドンは、単弓類後の獣弓類、そして哺乳形類の命脈をしっかり残すことにつながった。

・哺乳形類を構成するグループの1つとして、「哺乳類」が登場したのは、ジュラ紀から白亜紀の”どこか”だ。耳の骨と下顎の骨が離れ、哺乳類が生まれた。ただし、初期の哺乳類の耳の骨と下顎の骨は完全には分かれておらず、「メッケル軟骨」という軟骨を介して、互いに接していた。そして、哺乳形類の中でも「単孔類」以降に登場したものたちが「哺乳類」と定義づけられている。

・2010年、ディーキン大学(オーストラリア)のクリストフ・M・ルフェーヴルたちが、子に乳を与える現生哺乳類の3グループー単孔類、有胎盤類、有袋類のミルク成分を分析し、ある種のタンパク質がこの3グループに共通していることを見出した。このことは、単孔類、有胎盤類、有袋類の共通祖先の段階で、そのタンパク質を含むミルクが獲得されていたことを示唆している。つまり、この時点で、乳腺が発達し、哺乳を開始していた可能性が高い。

・中生代にも胴長80センチメートルとやや大型で動物食の哺乳類、レベノマムスがいた。レベノマムスの化石の胃があったとみられる場所からは、植物食恐竜の幼体の化石が発見されている。また、植物食恐竜を襲ったその瞬間のポーズのまま、植物食恐竜とともに化石となった標本も報告された。中生代の哺乳類が「恐竜類から逃げるだけの存在」ではなかったことを物語っている。

・白亜紀後期の地層から発見されたフィリコミスは、「社会性をもつ哺乳類」として、知られている限り最も古い存在だ。フィリコミスは、亜成体数匹と成体数匹の化石が同じ場所で発見される。このことから、フィリコミスの例は、「異なる世代が集まった哺乳類集団」の最古の例であり、哺乳類の集団営巣の最古の例であり、哺乳類における地中の巣の最古の例であるという。

・白亜紀前期の地層から発見されたオリゴレステスという小型の哺乳類は、耳の骨と下顎の骨が完全に分かれていた。この骨の変化は単純に骨だけの変化に限定されるものではなく、筋肉も伴っていたという。すなわち、かつて、咀嚼に用いられていた筋肉が「中耳」と呼ばれる空間を作り出すことで、外から入ってくる音を減衰させ、蝸牛、前庭、三半規管といった重要器官の並ぶ「内耳」を保護する役割を担うことになったという。

【躍進の章】

・有胎盤類は、アフリカ獣類、異節類、ローラシア獣類へと分かれた。これらは、”理屈”上では(分子進化学ではという意味だろう)、白亜紀(中生代)までに”ヒトに至る系譜”(新主齧類のことだろう)と分かれていた可能性が高いとみられているが、決定的な証拠となる化石は発見されていない。

・オナガザル類が”ヒトに至る系譜”と分かれた。ともにアフリカ大陸を故郷とし、ユーラシア大陸へと拡散していった。オナガザル類の中には、現在まで子孫を残すグループ「コロブス類」がいる。彼らは生息域を広げていく中で、日本にも約300万年前に到達していた。神奈川県愛川町から「カナガワピテクス」というコロブス類の頭骨化石が報告されている。オナガザル類の中でもコロブス類とは別の系譜として進化を重ねた”狭い意味のオナガザル類”もある。マカクやヒヒなどが属している。現代日本で私たちとともに生きるニホンザルもこれに属している。

【人類の章】

・交雑することで、ホモ・サピエンスの中にはホモ・ネアンデルターレンシスやデニソワ人の遺伝子が残っている。デイヴィッド・ライクは著書「交雑する人類」の中で、ホモ・ネアンデルターレンシスから継承された遺伝子の中で、生殖能力に関する部分が自然選択によって強力に排除されていったことに言及している。そもそも動物全般に通じる現象として、本来、交雑で生まれた子孫は繁殖能力が低くなる。しかし、ホモ・サピエンスでは、そうはならなかった。篠田謙一の「人類の起源」の中で、ホモ・サピエンスがホモ・ネアンデルターレンシスやデニソワ人から継承しなかった”生殖に関する遺伝子”に注目し、「案外、私たちが残ったのは、単により子孫を残しやすかったためなのかもしれません」と綴っている。(様々な人類種が生まれた中でホモ・サピエンスだけが生き残った理由として、社会性や言語能力などが様々に議論されているが、これは興味深い視点だと思った)


新治市民の森に行く

2024-12-07 08:01:43 | 遊園地・公園・遊び場

新治市民の森に行ってきました(2024年12月1日)。

横浜市緑区にある新治市民の森は、70ヘクタール(東京ディズニーランド1.4個分)と市内で最大面積の「奇跡の森」とも言われる樹林です。平成12年開園なので比較的最近になって整備・公開がされた公園のようです。横浜線十日市場駅から歩いて20分の距離にあります。もともとこのあたりは森林が多かったので緑区と名前が付けられたということですが、広大だった森林は現在、宅地開発によって、新治市民の森、美保市民の森、県立四季の森、ズーラシア、横浜動物の森公園などに分断されています。

私の実家のある茨城県筑西市には新治(にいはり)という地名が古くからあり、新治(にいはり)駅を使い、新治(にいはり)小学校に通っていましたが、横浜のここは新治(にいはる)と呼ぶそうで、その呼び方になかなか慣れないです。

 

横浜線十日市場駅を出て南口商店街を歩いていきます。日曜日の13:30くらいですが、人通りが少ないです。

 

やがて、集合住宅地となり、

 

分岐点から森へと向かう道に入ります。

 

左の森と右の住宅街が、細い道とフェンスで区切られているところを歩いていきます。

 

車道に出て歩いていくと、右側に横浜創英大学というのがありました。横浜創英中学・高校はうちの近くにあるのですが、大学もあったとははじめて知りました。このあたりには、他にも大学や学校がたくさんあるようです。

 

市民の森の駐車場。ここから森に入ります。駅から歩いて30分くらいかかったでしょうか。

 

にいはる森工房というところで、おそらく森の木を伐採して作った工芸品的なものが展示販売されていました。

 

新治市民の森の地図。アフリカ大陸?心臓?のような形。この日は、左のほうに赤く示された現在地から右上のほうの新治小学校に向かって歩きました。森のほんの一部です。

 

丹沢なんかにもありそうな、いい感じの山道です。原生林というより、里山の林です。

 

照葉樹林。手入れがされているのでしょうね。下草にもあるていど光が届いています。

 

紅葉もきれい。

 

池ぶち公園近くの、池というか湿地帯。

 

くぬぎ広場。

 

紅葉が日にあたっていっそう映えています。温かくなったら、ここで簡易テントとか開けそうかな。

 

くぬぎ広場のあたりから、民家が増えてきました。森と私有地がモザイク状になっているのです。

 

田んぼがあるのも珍しいです。

 

横浜市立新治(にいはる)小学校に着きました。私が卒業したのは筑西市立(旧協和町立)新治(にいはり)小学校です。

今回私が歩いたのは、池ぶちルートといって、森のほんの一部です。他にも様々なルートがあるようなので、今後歩いてみようと思います。丹沢や鎌倉アルプスまで行かなくてもお手軽に森林浴ができる、いい場所が見つかりました。