第3世代の認知行動療法の一つと言われている、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)の原典の第2版(米国刊2012年、日本版刊2014年)である。アーロン・ベックの認知療法とも、ジョン・カバットジンのマインドフルネスとも、認知行動療法ではないがマーチン・セリグマンのポジティブ心理学とも似ても似つかない。初めて知る者にとってはきわめて独特で特殊な心理療法という印象である。
バラス・スキナーの行動主義心理学の発展形であり、徹底的に行動に働きかける行動療法である。その中に、マインドフルネスの概念や、ポジティブ心理学にも通じる価値の概念が取り込まれている。読んでみて非常に難しかった。そして、セラピスト向けに書かれたセラピー法の本であるが、自分や他人のよりよい人生に役立てられそうなインパクトを感じた。本書を何度も読んだり、関連書を読んで理解の助けにしないと身につかないかもしれない。第Ⅰ部が理論編、第Ⅱ・Ⅲ部が実践編、第Ⅳ部が将来展望編という構成になっている。自分の勉強のために、私なりに重要と思ったポイントを列記していくが、私的なノートなので興味のある方にだけ読んでいただければいいと思う。
第Ⅰ部 さまざまな基盤とそのモデル
第1章 人間の苦悩をめぐるジレンマ
・人間は誰もが痛みを抱えている。ある人は他の人よりも多く痛みを抱えているというように、単にその程度に差があるだけのことなのだ。苦悩が人間社会に普遍的にみられるという事実は、そうした苦悩が人間の進化のプロセスに由来していることを示唆する。つまり、人間という種が環境への適応力を高めていくなかで必然的にそうした苦悩をも獲得していったものと考えられる。「損なわれている状態こそがノーマル」とする前提において、これは核となる発想である。
・人類の歴史のたった数千年前でも、一般の人々は、内省的な自己対話を、神または見えない他者の発言として経験していた可能性がある。そして、記述された最も古い物語のなかでも「自分で考えること」は危険な行為とみなされていた。
・苦悩は、人々がマインド(言語的または認知的能力)の字義通りの内容を強く信じ込むあまり、自分自身の認知とフュージョンするときに生じる。人は、フュージョンしている状態では、一つひとつの思考とそれに関連する事柄をあまりに強く結びつけているため、意識を認知的な物語から区別できなくなってしまう。
・ACTの狙いのひとつは、人々を彼ら自身のマインドから解放することであるが、それは簡単なことではない。新たな装置を開発したり、ビジネスプランを構築したり、日々のスケジュールをまとめたりする場合には、マインドはすばらしい働きをする。しかし、現在にとどまることを学んだり、愛することを学んだり、その人の抱える歴史の複雑さを受け止めるのにベストな方法を見つけ出したりすることについては、マインド単独では有用性がずっと小さくなる。前者は、問題解決モード(分析的・評価的スキル)であり、後者は記述的に従事するモードであり、そういった知識の使い分けができるようにして、より機能的な人生を送れるようにすることがACTの最終ゴールである。
・苦悩のサイクルのなかで重要な役割を果たすもうひとつのプロセスは体験の回避である。望まない私的出来事を回避、抑制、または除去しようとする試みには、本質的なパラドックスが伴っており、それらを試みることで、避けようとしている当の体験の頻度と強さをむしろ急激に高めることになる。結果、その人は現在の瞬間にしっかりと入り込んで人生を楽しむ力を次第に失っていく。
・フュージョンと体験の回避に代わる建設的で好ましいプロセスは、それぞれ脱フュージョンとアクセプタンスである。脱フュージョンでは、思考が生じるままにそれを意識し続けることを学ぶ。また、アクセプタンスでは、自らの深く豊かな感情とつながり、ときにはそれをさらに高めさえするような能動的なプロセスを通じて、心理的にオープンな姿勢、学習、自分や他者への慈しみなどを促そうとする。
第2章 ACTの基盤―機能的文脈主義からのアプローチ
・ACTは、機能的文脈主義と呼ばれるプラグマティックな科学哲学に基づいている。文脈主義で中心となるのは、「コモンセンスに基づく状況のなかで有機体がとる行為」であり、歴史的および状況的文脈のなかで、今まさにおこなわれている行動であり、たとえば狩りをしたり、ショッピングをしたり、愛し合ったりといったことである。機能的文脈主義は、心理的な出来事に対する、正確性、範囲、そして深度を持った「予測と影響」を分析的ゴールとしている(クライエントが予測可能で、かつ影響を与えうる、つまりしっかり機能するという意味か?)。
・ここで行動は、誰かが観察可能で、予測可能で、影響を与えられるものなら、どのようなものもすべて含まれる。考える、感情を抱く、感じる、記憶するなどは行動に含まれる。一方で、「魂の旅」といったものは行動には含まれない(概念や架空のもののことか?)。
・ACTはゴールを重視する。そうした考え方は、進化論的科学の土俵上に位置づけられる。人間は進化し続ける行動システムであるとして、一個人の生涯の一時期または全般を通じたエピジェネティクスのプロセス、行動プロセス、またシンボル活動プロセスに当てはめている。
・ACTでは、関係フレーム理論(RFT)で認知を捉える。関係フレームづけは、学習を通じて獲得される行動である。RFTに基づくと、言語と高次の認知の本質は、人間の持つ「関係フレーム」を学習し、それを適用できる能力にあるといえる。
・文脈には、関係的文脈と機能的文脈の2つがあり、これらが関係フレームを調節している。関係的文脈は、出来事同士が、いつ、どのように関係づけれるかを決定する。機能的文脈は、関係ネットワークのなかでどの機能が変換されるかを決定する。ACTではこの2つが巧みに使い分けられる。
第3章 人間の機能の統合モデルとしての「心理的柔軟性」
・心理的柔軟性の6つのコア・プロセスがあり、それらはさらに3つの反応プロセスとしてまとめられる。「アクセプタンス」と「脱フュージョン」は「オープンな」に、「今、この瞬間の認識」と「文脈としての自己」は「集中した」に、「価値」と「コミットされた行為」は「従事した」にまとめられ、いずれも欠かすことができないプロセスであるとされている。
・アクセプタンスと脱フュージョンは、直接的な体験に対してオープンな姿勢でいるための重要なスキルである。脱フュージョンは、人が苦痛で望まないような私的出来事や体験に不必要に没入するのをやめ、批判的ではない見方を通じて、それらを単に進行中の精神的な活動として眺められるようにする。また、アクセプタンスは、そのとき体験している事柄に関心を持ちながら、より全面的に踏み込み、そこから学び、そしてそうした豊かな体験が起こるための場を作れるようにする。
・マインドは「いいねえ、今日は我ながらとても上手に瞑想できている」などとささやいてくる。こうした思考が起きたときに、それに気づくことで再び注意を呼吸へと戻すことができる。しかし、もしもそれに続く反応が、「この調子でどんどん上手くなりたいなぁ」などというようなものになったとしたら、その人の注意は、「今、この瞬間」そして「今、この瞬間」に起こる思考の流れからすでに離れて、フュージョンされた言語の流れに向けられてしまっている。この難問への解決策は実践を重ねること、つまり、注意が逸れたことに気づいて、そっと注意を戻し続けることに尽きる。それをきめ細かく繰り返していくことで、体験の内容を越え、その先へと応用できる汎用性ある注意のスキルが学習される。
・直示的関係を扱う能力は、他の人には他の人の心があって、自分自身の視点は他の人の視点とは違うのだと理解するために重要である。直自的フレームは「心の理論」のスキルで中心的な役割を果たすことが示されている。たとえば、ごまかしを理解したり、他者が嘘の信念を持つかもしれないことを理解したりするといった場合である。また、直自的関係を扱う能力は、セラピーの対象となる集団のなかで、自閉症スペクトラム障害を含めて自己の感覚に問題を抱える人々では弱いことが知られている。とはいえ、直自的フレームづけは教えることができるし、それが学習されたときには視点取得と心の理論のスキルが向上することも知られている。
・他者への慈しみと自己のアクセプタンスは、理論上関連し合っている。そのため、自分自身が、批判的な自己関連の思考から脱フュージョンする習慣を身につけることは、他人に対しての批判的な思考から脱フュージョンする実践なしでは、決してなしえない。
・ある人が自分の行動が価値から逸れていると気がついて、行動を価値に沿うように方向づけし直そうと選んだ瞬間に、その人はコミットされた行為に従事しているといえる。ここで行為や行動という場合、必ずしも物理的な行為を意味するとは限らない。コミットメントが、完全に私的で精神的な活動を意味することも十分にありうる。
・ACTのアプローチは、人間の適応と苦しみを機能的文脈主義の観点に基づいて捉えるもので、関係フレーム理論によって拡張された行動の原理から引き出される。ACTは、科学に基づいた種々の技法を含んではいるものの、それはただの技術の集合ではない。機能的な定義に基づくなら、心理的柔軟性を確実に生み出すものであれば、ACTは何の技法で構成されていてもかまわない。
第Ⅱ部 機能分析と介入へのアプローチ
第4章 ケース・フォーミュレーション―ACTの耳で聞いて、ACTの目で見る
・図4.1.として「柔軟性評価シート」が2ページにわたって掲載されているので、コピーして記入できる。ここでは、心理的柔軟性の6つのコア・プロセスの変化について、数量的に、また時系列でモニターすることができる。それぞれのプロセスの領域に含まれる主要な反応ディメンションの一つひとつについて、その起こりやすさ、文脈的柔軟性、および行動的柔軟性に注目する方法である。10段階評価にした場合、0(非常にまれにしか起きない、または、まったく起きない)から10(柔軟に、また機能的な意味での必要に応じて起きる)までに数値をとる。セッション中やその後に、それぞれのディメンションの数値を見積もって、領域ごとの数値を平均すると、心理的柔軟性のプロセスの全体的な評価点が得られる。このようにして得られた評価点は、次に、ケース・フォーミュレーションに組み入れることができる。
・ケース・フォーミュレーションで、プロセス群のなかから、最も弱点となっているのはどれで、要となっていそうなのがどれで、そして他のプロセスに変化を起こすために利用できそうな強みとなっているプロセスはどれか、を見極める。
第5章 ACTにおけるセラピー関係
・セラピストは、自分自身にとって苦痛な状況に直面するとき、クライエントとまさに同じ立場にいるといえる。そうした状況はセラピストにとっての成長のための機会となるが、それにとどまらない。それはクライエントにとっても成長の機会となりうるのである。クライエントは、苦痛な出来事にオープンに向き合おうとするセラピストを見て、そうした姿勢で苦痛な出来事に挑むことは自分にとってもやはりそうした努力を要するのだと理解するだろう。
第6章 変化の文脈を創造する―マインド vs. 体験
(内容略)
第Ⅲ部 中心となる臨床プロセス
第7章 「今、この瞬間」の認識
・「今、この瞬間」のプロセスの機能不全には、2つのカテゴリーがよく見られる。1つ目のカテゴリーは、注意を焦点づけるスキル不足の結果である。この障害は、若いクライエントや、単純に能動的な反応の範囲を自然に発達させるような人生経験を積んでこなかったクライエントに特によくみられる。たとえば、発達障害(自閉症とアスペルガー症候群を含む)の人たちは、今の瞬間に注意を向け続けるのに必要なスキルを欠くことが多い。2つ目のカテゴリーは、より広く見られるもので、固まってしまった注意のコントロールの結果である。たとえば、うつ病の患者で過去の挫折について過剰に反すうする人や、不安を抱える患者で、将来起きるかもしれない何かの大惨事を知らぬ間に反すうしている人である。
第8章 自己のディメンション
・RFTがもたらす深い洞察からは、「私」が現れるのは「あなた」が現れるのと同じ瞬間で、視点取得の際の柔軟性が重要だと示唆される。ACTのなかでおこなわれるエクササイズの多くが、クライエントに対してさまざまな視点を採用するように求めるのは、まさにそのためである。たとえば、クライエントは、イメージのなかで「より賢くなった」未来まで行って今の自分を振り返って眺めるように、そしてときには、今の状況にどのように従事するのが健全かについて、未来の自分の視点から自分自身に手紙を書くように、とさえ言われるかもしれない。
・ACTセラピストはクライエントに、「自分自身を毎日殺しなさい」とよく提案する。つまり、ここで(ふたたび殺されるためにだけよみがえっては)殺され続けなければならないのは、視点としての自己ではなく、概念としての自己のほうである。
第9章 脱フュージョン
・言語を脱フュージョンするには、思考をモノや人とみなして客観視する方法もある。私たちは、外部のものや他の人々については日ごろからごく自然にそれを自分自身とは別なものとして眺めているので、物理的なメタファーを用いて思考も客観視できれば、効果は絶大となる。
・セッションのなかで、クライエントが、自分の問題の原因を説明しようとしたり、ものごとがなぜ変われないのかの理由として個人的な経歴を挙げはじめたりすることがよくある。こうした物語については、その不正確さを直接指摘したり、もっとよい人生の物語にしようとして今の物語に反する人生の出来事を指摘してみせたりしても、あまり意味がない。代わりに、行為の真偽よりも機能へとクライエントの注意を向け変えることで、セラピストはこうした行動をいちばん効果的に弱められる。
第10章 アクセプタンス
・アルコール依存症克服のための組織が作った「12のステップ」プログラムにある、広く知られる祈りの言葉「平静の祈り」は次の通りである。「神よ、与えたまえ、変えられないものを受け入れる心の平静を、変えられるものを変える勇気を、そして違いを知るための知恵を。」活き活きとした人生を生きるには、知恵と勇気の両方が必要だということがわかる。ところが、それをどのように実践するかについては、私たちの文化はほとんど何の指針も示さない。
・アクセプタンスは、ただ単に現状を耐え忍ぶことではない。耐えることは、体験そのものに本当に開かれずに、特定の量の苦痛を一定期間許容されることによって多くの場合はその他に価値のある他のものと引き換えるという条件的な姿勢である。ほとんどの人が、歯を治療してもらうときにこの種の忍耐を実践している。アクセプタンスは、もっと能動的な姿勢で、受動的ではない。それは、何であれそこにある感情を感じることには意味がある、と示唆している。
第11章 価値とつながる
・クライエントに「心理的苦痛から解放されたとしたら、あなたは何をしますか?」と尋ねると、家族、キャリア、社会参加、自己実現などに関する答えが返ってくることが多い。ところが、マインドの問題解決モードは、「そういうことは心理的苦痛を克服するまでは手に入らない」と私たちに語るのである。マインドが語るこの仮定によって、必然的にプロセス・ゴール(すなわち、抑うつ気分や、不安、フラッシュバック、飲酒や薬物への衝動などを減らすこと。自信を増やすこと)に過剰に注意が向くようになり、長期的な結果として、クライエントはより重要な人生のミッションとのつながりを失ってしまう。
・価値づけが起こるためには、価値と判断とを混同しないことが重要である。価値は、むしろ選択でなければならない。選択とは、選択肢から(理由がある場合は)理由とともに選ぶことであり、理由のために選ぶことではない。選択は、言語的な評価や判断によって説明したり、正当化したり、関係づけたり、導いたりするものではない。このように定義すると、動物は判断はできないが選択することはできる。人間がただ追加的に言語行動を持っているからといって、動物がごく自然にできることができないとは考えにくい(人間に進化することによって獲得した言語能力の有害な面を捨てるスキルを育むという、先祖返りのように見えて、実はむしろ新たな進化の獲得のようにも思える)。
・価値のアセスメント・ワークシート、価値に関する語りフォーム、価値に基づく生活調査票-2が掲載されているので、クライエントがコピーに記入してセラピストが評価できる。価値は次の領域に分けられている。1.家族関係、2.結婚/恋人/親密な対人関係、3.子育て、4.友人/社会的対人関係、5.キャリア/職業、6.教育/訓練/個人的な成長と進歩、7.レクリエーション/レジャー、8.スピリチュアリティ、9.市民生活、10.健康/身体のセルフケア、11.地球環境/持続可能性、12.芸術/美学
・価値に基づく生活調査票‐2では、クライエントは、多くの人生の領域にわたって、回答を生み出すよう求められる。クライエントは、空欄の領域がある用紙を持ってくることが多い。さらに機能不全のクライエントでは、すべての領域の欄が空白か、とても表面的な答えだけのこともある。そのとき、セラピストは、クライエントから反応を引き出すために、根気よく一つひとつの領域を検討する必要がある。
第12章 コミットされた行為
・「登山の道」のメタファーがある。それを用いると、「危険なのは、プロセスとしての価値づけとつながることではなく、具体的なゴールへの当面の進捗状況ばかりチェックし続けることなのだ」とクライエントが理解できるようになる。それだけでなく、「人生の苦痛に満ちた曲面やトラウマとなる局面でさえ、私たちがそこから何かを学ぶなら、ポジティブな全体の道筋に統合することができる」ということをこのメタファーは示している。
・結婚は、選択することと判断することとの違いを、とてもわかりやすく示す。結婚はコミットメントである。それにもかかわらず、結婚したカップル全体の半分が離婚に至る。なぜこんなことになるのだろうか?ひとつには、人々がコミットメントの仕方を知らないからである。人々は、コミットメントを、(ACTの意味での)心からの「選択」としてではなく、「判断」や「理由」に基づいて行おうとする。そうするとき、人々は、自らのコミットメントを大きな危険にさらしている。たとえば、ある男性がある女性と結婚するのが「彼女が美しいから」だとしよう。もしも、その後、女性が容姿を大きく損なう事故にあったとしたら、彼女を愛して一緒にいたいと願う「理由」はもはや通用しない。
・著者は3人とも、子どもの親であり、他にも多くの親を知っている。しかし、子育てが、少なくとも一時でも、人生で最も痛みを伴う経験のひとつであったことがない、という人をまったく知らない。親になることは心を身体の外に置くようなもの、と言われてきた。これには幾ばくかの真実がある。重要な意味で、コミットメントをおこなうことは、心を身体の外に置いたままの状態で、進んで生きることである。価値のためなら心理的に苦しむことにウィリングネスでいる能力が育まれて初めて、コミットメントが可能になるのである。
・クライエントが、コミットメントへの注目を失って敗北主義に陥ることはめずらしくない。通常、クライエントの価値はどれも変化していない。基本的な価値は、変化するよりむしろ洗練されていくものである。これは、価値が変化することはない、という意味ではない。価値は選択であり、選択は変わりうるし、実際に変わる。ただし、価値が変わるのはその人の明らかな選択によってであり、単に一時的に再発したかもしれないと評価することによってではないのである。
・セラピストが、クライエントをより強く押せば押すほど(これは、セラピストの側の非アクセプタンスの行為である)、通常は、クライエントもより抵抗的になる。ある計画に沿って行動しないことを選択するのも、それが実際に選択になっている限り、正真正銘の選択である。そのような状況にあるクライエントと一緒に取り組むとき、最も優しく誠実な方法は、クライエントそのものと、その人が直面しているジレンマを、ともに全面的に承認することである。
第Ⅳ部 前進し続ける科学的アプローチを構築する
第13章 文脈的行動科学、そして、ACTの未来
(内容略)