wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

僕の読書ノート「山と溪谷 2024年3月号」

2024-06-01 08:14:36 | 書評(その他)

 

特集の「歩いて治す膝痛」を読みたくて購入した。私は山に登って下山するとき、必ずと言っていいほど右膝が痛くなる。なんとか膝が痛くならないようにする方法はないものかと以前から考えていた。本書を読んでみると、痛みには、膝周りに外傷や病気がある「急性疼痛」、それ以外の「慢性疼痛」の2つに分類され、後者の中で普段の生活には支障がない場合は、筋力の向上や、負荷の軽減によって改善できるということである。

第1部の「歩いて体をつくる」では、膝痛に効くトレーニングの方法が提案されている。1つ目は山歩きトレーニングで、まずは「裏山トレーニング」で登り下りを繰り返す。例えば、標高差50m程度の山を4~5往復するのを週2~3回行うと、月に2000mの山を往復したのと同じ登下降量になる。それに慣れたら、「低山トレーニング」で、例えば標高差400mの山を月5回登り下りすることで、月間2000mの往復になる。そして、2段階のトレーニングの後に、憧れの山を登山するという流れだ。個人的には、こんなに頻繁にトレーニングはできそうにないので、「裏山トレーニング」を月2回程度行うことから始めてみるか。

2つ目には、日常トレーニング&ストレッチで、下半身の部位別に、週3回のトレーニングと毎日のストレッチの方法が提案されている。自分の弱いと思われる部位・筋肉から試してみたい。

3つ目には、登山時に行う膝痛予防&対処術で、登山の前に体を温めたり、登山の途中の歩き方や、登山の途中でできる手当てが説明されている。

第2部の「負荷を減らして歩く」では、膝への負荷を減らすための、「正しい歩き方」や「道具の活用法」が紹介されている。「正しい歩き方」では、登りも下りも、体軸や膝をまっすぐ伸ばすことが基本になっている。「膝痛予防・対策グッズ」としては、インソール、トレッキングポール、サポートタイツ、膝サポーター、キネシオテーピングテクニックの利用が提案されている。私もすでにトレッキングポールや膝サポーターは利用しているが、他のグッズも追々使ってみたい。


僕の読書ノート「横浜・川崎・鎌倉凸凹地図」

2024-04-13 07:51:28 | 書評(その他)

 

もともと、その土地を散歩して気晴らしするのが好きだったが、近年は土地の高低や、川の流れを意識して歩いている。土地の高低が気になるようになったのは、中沢新一氏による「アースダイバー」の影響であり、川の流れが気になるようになったのは、岸由二氏や柳瀬博一氏による「流域思考」の影響である。土地がどのような形をしているか、そのまとまり方によって、生物の生態系や、人の社会・文化や精神性が形づくられるということである。そして、人の手によって開発された後でも、その痕跡や影響は残り続けるのである。

本書は、土地の高低が緑色から黄色へと色分けされており、傾斜のきついところは黒い影のように塗られている。また、川については支流や暗渠も含めて詳細に書かれている。城跡・古墳などの旧蹟や寺社もしっかり書かれている。一方、現在の建築物などはその名称の記載がかなり省かれていて、地形や歴史的遺物を見せることに特化している。したがって、本書をガイドとすることで、今までよくわからなかった川筋(暗渠)をたどることができたし、これからの散歩がとても楽しくなりそうである。

一点、難点をあげるとしたら、文字のフォントが小さいことである。おそらく本書を利用するような読者層は、シニアの方が多いと思われ、そうした人たちは老眼が進んでいる場合が(私も含めて)多いだろう。もう少し文字が大きかったら見やすかったのに、というのが一つ残念な点である。


僕の読書ノート「上高地ハイキング案内(山と溪谷社 (編集))」

2022-10-08 06:58:58 | 書評(その他)

11年ぶりに家族で上高地に行くことになったので、買ってみた。山と渓谷社が出してるだけあって、山好き向けの作りになっている。よくある観光ガイドのような、食べ物、土産、おしゃれな店などの紹介は少なくて、上高地の土地、自然、歴史、歩き方などを中心にまとめられている。もちろん、旅に必要な、交通機関や宿泊等の情報もちゃんと載っている。

そしてキレイな写真が満載である。とくに上高地をとりまく山々を高いところから俯瞰して撮った写真は位置関係がよくわかって有用なうえ、美しい。写真が見開き2ページに掲載されていて、次の見開き2ページには写真に関連した解説文が書かれているという構成もいい。そんな、いいことづくめのガイドである。今私たちが見ている上高地の風景は、地球のダイナミックな物理的活動の間のつかの間の静寂だということがわかる。少しだけ、上高地のうんちくを下記に引用しておきたい。

1万2000年以上前、かつて飛騨(岐阜)側に流れ下っていたという古梓川が火山活動で堰き止められた。そこに誕生したのが、上高地湖という堰止湖。そして、5000年という歳月を通して、堆積が続き上高地の平坦な地形が生まれた。

大正池は、大正時代に起こった焼岳の噴火により梓川が堰き止められてできた。焼岳の山腹で目をひく大きな地溝(亀裂)は、噴火に伴う地震の3回目にできたらしい。焼岳の標高1800m地点に長さ270m、幅35mの大亀裂が生じ、大音響とともに噴煙と泥流が噴出。流れ出た泥流の勢いは、梓川を越えて霞沢岳の麓に衝突してはね返ったほどの勢いがあったという。

涸沢の紅葉シーズンは、国内の山岳紅葉を代表する風景だ。涸沢の紅葉を見た人は、「涸沢の紅葉を見ずして穂高を語ることなかれ」とか「冥土の土産に....」と口にするという。


僕の読書ノート「クロワッサン特別編集 終活読本」

2022-05-28 11:50:08 | 書評(その他)

両親や家族が亡くなったら何をすればいいのか、ふだんから何を準備しておけばいいのか、そして定年が近づいてきた自分の終活として何をやればいいのか、ざっと知識を得たかったので、書店でよさそうな本を探してみた。亡くなった後の手続き類が詳しく書かれた本や、記入式の終活ノートのような本は多く出ている。一方、本書は、終活について広く浅く、全体がつかめて、カジュアルな雰囲気でまとめられているので、こういったことを初めて知りたいという私のような読者に向いているよい本だと思った。両親にも見てもらいたいと思って、amazonで注文して贈った。まさに、両親とは終活の相談をしている最中なのだ。もちろん、お互いに安心して長生きしてもらうことが目的だ。

本書の全体監修をしているのは、終活カウンセラーの武藤頼胡(よりこ)さんである。構成は、1章:ものを残す・手放す、2章:財産の相続手続き、3章:葬儀・墓をどうする?、4章:心も整理する、の4つの章からなっている。どれも、着実に考えておかないといけないことばかりだ。

すぐにできそうなことを引用してみた。ものの整理として、「使う/使わない、好き/嫌いで置き場所を分ける。使っていないものは段ボールにまとめておいて、1年くらい経ったときに一度も使っていなければ捨てる。使っていないけれど好きなものは、目に留まるところに飾ってもよい

パソコンのファイルの整理として、「ダウンロードしてどこに保存したか忘れてしまったファイルは、ダウンロード・フォルダーに入っている可能性がある。ここを確認していらないファイルはゴミ箱に移す。ゴミ箱も空にする」

早めに知っておいたほうがいいことがある。認知症になってから書いた遺言書は無効になってしまう。そのため、両親のどちらかが認知症になったら、認知症でない親の遺言書を準備しておくことが大事である。


僕の読書ノート「100分de名著 ハイデガー(存在と時間)」

2022-04-29 08:19:11 | 書評(その他)

約40年前のこと、私が大学の教養課程にいたころ、理系の学生ではあったが哲学にも興味があったので、哲学のゼミを取ることにした。そこで行われていたのが、指導教官である助教授の指導下でのハイデガー「存在と時間」の輪読会であった。しかし、3大難解哲学書の1つと言われるくらい難しくて、私が文章の解説をすると、よく間違っていると指摘された記憶がある。それに本の分量がとても多くて、半年間のゼミでは全体の1/5くらいしか読み進められなかったように思う。そんなやり残し感のとても強い本だったし、人生でもう一度読むこともたぶんないだろうなと思っていたので、ずるいのだけれど、本書を読むことでけりを付けたいと思ったのである。そして、読んでみたら(テレビ放映も見て)、ありがたいことにかんたんに内容がわかってしまった。あの難解な哲学書がとてもわかりやすく説明されているのである。結論としては、語弊もあるかもしれないが、自分らしく生きようという人生論の本であった。存在や時間というこの宇宙を構成する重要な概念の意味に踏み込んだ本だとばかり思っていた。そういうことは後編で書く予定だったのかもしれないが、結局それが世に出ることはなく、人間の生き方の分析とあるべき姿=人生論を述べた前編だけで終わってしまったのだ。いわゆる未完の大著という本である。

そしてもう一つ、私があまり知らなかった重要なことがあった。本書の刊行後、ハイデガーはナチスに加担するようになったことである。ナチスを許容するような要素が、「存在と時間」の中に含まれているのかどうかも本書で議論されている。解説者の戸谷洋志氏は、「存在と時間」をいじめなどの世間同調主義にまみれた現代社会のカウンターになり得ると肯定的にとらえているが、どうだろうか?「存在と時間」は、自己の安心のために世間に同調するな、死の可能性に向き合うことを契機に自分自身に戻る決意性を持ち、責任ある生き方をせよと言っている。ハイデガーの弟子たちが、「存在と時間」とナチスとの関係についてそれぞれに解釈している。

弟子の一人、ハンナ・アーレントの主張によると、「存在と時間」のなかで論じられる孤独な人間、すなわち他者とのつながりから切り離された人間には、もはや親しい仲間と意見を交わしたり、連帯して活動したりすることができない。そうした人々は、もともと馴染みのないイデオロギーによって「機械的」に統治されてしまう。ハイデガーの主張は、むしろ全体主義の支配に対して極めて脆弱であるという考えである。一方、別の弟子のハンス・ヨナスは、ヒトラーを支持し、ナチスに加担するという決断さえも、人間の本来性として擁護されてしまうのだと解釈した。戸谷氏も、「存在と時間」で足りていないこととして、本来性を取り戻した人間が、世間に飲み込まれるのとは違った形で、どのように他者と関わるのかということだと指摘している。「存在と時間」は、人生論の書としても未完なのかもしれない。

ところで、ACT(アクセプタンス&コミットメント)という認知行動療法の一つがあるが、そこで目指されている、世間や文化とフュージョンしたマインドから離れて、自己本来の価値を見い出す生き方は、「存在と時間」が目指す本来的な自己のあり方と似ているところがあると感じたが、いかがだろうか。