チャールズ・ダーウィンによる1871年の著、「The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex」の下巻である。上下巻を合わせた「第Ⅰ部 人間の由来または起源」の約300ページと「第Ⅱ部 性淘汰」の約700ページのうち、性淘汰の後半部分約500ページが下巻に入っている。最後に「全体のまとめと結論」の章があって、訳者の長谷川眞理子氏による解説が付いている。性淘汰は、自然淘汰とともにダーウィンが初めて提唱した概念であり、進化の理論であるが、今もって研究は継続されており、まだ解明されていないことがたくさん残っているということだ。
下巻の構成と、章ごとに気になった内容を下記に列記した。
第Ⅱ部 性淘汰(続き)
第12章 魚類、両生類、爬虫類における第二次性徴
第13章 鳥類の第二次性徴
第14章 鳥類(続き)
・鳥類など動物たちの眼玉模様に注目して、種間で比較することで、単純な紋様から目玉模様にどのように進化してきたかが熱心に考察されている。「さまざまな鳥類の羽や哺乳類の毛、爬虫類や魚類の鱗、両生類の皮膚、多くの鱗翅目の翅、その他さまざまな昆虫などにおいて、目玉模様ほど美しい装飾はないので、それらについては特別に扱うべきだろう。」
・ダーウィンの時代のイギリスでは、人種差別は当然のこと、動物に対してもずいぶんと残酷なことがされていた。「(原注)狩猟管理人が、今年ここで、中に5羽のひなのいるワシの巣を見つけた。彼は、そのうち4羽を獲って殺したが、1羽は、親鳥を殺すためのおとりにするように、羽を切って残しておいた。次の日、このひなに給餌している間に親鳥は両方とも撃ち殺されたので、彼は、これで仕事は片づいたと考えた。翌日来てみると、思いやりのある2羽のワシが巣におり、みなしごを引き取るつもりでいた。この2羽も彼は殺して、巣を離れた。あとで戻ってみると、さらに別の2羽が同じような思いやりを見せて座っているのが発見された。彼は、その一方を殺し、もう一方も撃ったが発見できなかった。それ以上は、実りのない試みをしようとする鳥は来なかった。」
第15章 鳥類(続き)
第16章 鳥類(続き)
・性淘汰はどうやってはたらくのか。「新しい色調やその他の違いが生じ、そこに性淘汰がはたらいて、そのような変異が蓄積されていくことになるだろう。性淘汰とは、雌の好みや賞賛という、とりわけ変動しやすい要素に依存しているからである。そして、性淘汰は常にはたらいているので、...異なる地域に住んでおり、交雑することがなく、したがって新たに獲得された形質を交換しあうこともないような動物たちが、十分に長い時間を経たあとにも異なったものに変わらなかったとしたら、驚くべきことであろう。これらの指摘は、雄だけに限られているものも両性に共通のものも含めて、婚姻羽や夏羽にも同様に当てはまるものである。」
第17章 哺乳類の第二次性徴
第18章 哺乳類の第二次性徴(続き)
第19章 人間の第二次性徴
・人種間のひげの多さの違いを考察している。日本人にも言及しているが、ひげをそる習慣を考慮していないようだ。「ユーラシア大陸では、インドを越すあたりまでは毛深いひげが見られる。ただし、古代にディオドロスが指摘しているように、セイロンの原住民にはしばしばひげがない。インドの先では、シャム人、マレー人、カルマック人、中国人、日本人にひげは見られないが、日本列島の北の端の島に住んでいるアイヌ人は、世界でも最も毛深い人種の一つである。」
・ダーウィンの時代は、知的能力が女性より男性の方が高いと考えられていた。「男性と女性の間の知的能力の主な違いは、深い思考、理性、想像力を必要とするものであれ、単なる感覚と手の動きを必要とするものであれ、どんな仕事においても、男性の方がすぐれた業績を上げることに現れている。詩、絵画、彫刻、作曲と演奏の両方における音楽、歴史、科学、そして哲学の各分野において、最もすぐれた男性と女性の2つのリストをつくり、それぞれ5、6人の名前をあげようとしても、比較にならないだろう。」
第20章 人間の第二次性徴(続き)
第21章 全体のまとめと結論
・ダーウィンは、人間の精神や心の能力は他の動物と明確に区別されるものではないという論調で議論しているが、道徳については区別しているようだ。「道徳的存在とは、自分の過去と将来の行動とその動機を比較して、あるものを良しとし、他のものを悪いとすることのできる存在である。そして、人間は確実にそのようにつくられているという事実は、人間と下等動物とを分ける区別のなかで最も大きいものである。」
・社会性、良心、共感について...「援助を与えようとする動機も、人間ではある程度、(下等動物から)変容している。それはもはや、盲目的な本能的衝動のみからなるのではなく、自分の同胞からの賞賛や非難に大きく影響されている。賞賛や非難を評価することと、それを与えることとは、ともに共感に依存しており、この感情は、すでに見た通り、社会的本能のなかでも最も重要な要素の一つである。共感は、一つの本能として備わっているものではあるが、習慣や練習によって大いに向上させることができる。」
・神は初めから存在していたのではなく、人間の精神が一定まで高まったときに初めて心に存在するようになったという見解である。「神に対する本能的な信仰心があるということが、神の存在そのものを証明していると、多くの人々が論じているのを私は知っている。しかし、これは早まった議論である。もしそうなら、我々は、人間よりもわずかばかり強い力を持っているだけの、多くの残酷で悪意に満ちた精霊の存在をも信じなけらばならなくなるだろう。そのような存在に対する信仰は、恩恵に満ちた神への信仰よりもずっと広く世界中に広まっている。宇宙全体の創造者としての、普遍的で慈愛に満ちた神という概念は、長く続いた文化によって人間の精神が高められるまでは、人の心の中には存在しなかったのだろう。」
・性淘汰についてあらためて定義している。「性淘汰は、ある個体が繁殖に関連して同性の他の個体よりも成功することによって生じるが、自然淘汰は、両性のあらゆる年齢の個体が、一般的な生活条件に対してどれほど成功するかによって生じる。性的な闘争には二つの種類がある。一つは同性の個体間で、競争者を追い出したり殺したりする闘争であり、たいていは雄どうしの間で闘われる。これに関して、雌は受動的にとどまっている。もう一方の闘いは、これも同性の個体間で闘われるものだが、異性、たいていは雌を、興奮させたり魅了したりするための闘争である。ここでは雌は、もはや受動的にとどまってはおらず。よりよい配偶相手を積極的にエ選ぶ。」
・人間が崇高な精神や知性を持つようになってからもずっと残り続ける祖先の生物学的性質にふれて、本書は締められている。「人間は、最も見下げ果てた人間に対しても感じる同情や、他人に対してのみならず、最も下等な生物に対しても適用される慈愛の感情や、太陽系の運動や構成に対してまで向けられた神のような知性など、そのすべての高貴な性質にもかかわらず、これらすべての素晴らしい力にもかかわらず、そのからだには、依然として、消すことのできない下等な起源の印を残していることを認めないわけにはいかないだろうと、私には思われるのである。」
【訳者解説】
・性選択についての現代の見解は...「雌による選り好みというプロセスの提唱者であるダーウィン自身、雌が選り好みをするには、それなりの高度な能力が必要だと考えていた。しかし、実はその必要はないのである。高度な認知能力などなくても、ある程度の刺激に対する感覚のバイアスがあれば、そのような求愛ディスプレイをする雄を選ぶことはできる。そして、そのような感覚のバイアスに意味があれば、雌の選り好みと雄のディスプレイは一緒になって進化するだろう。ダーウィンは、自然界で動物の雌が実際に選り好みをしていることを示すことはできなかった。それが最初に立証されたのは、実に1989年である。その後、選り好みの研究は飛躍的に進展しているが、今でも未解決の問題は多々あり、興味深い研究領域であり続けている。」