wakabyの物見遊山

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菊名池のカルガモの子育て2023年版

2023-07-29 08:03:23 | バイオフィリア(身近な生き物たち)

地元の菊名池でのカルガモの子育てを3年間見てきました。今年2023年はどうなっているでしょうか?まず、過去を振り返ってから、今年の状況をレポートしたいと思います。

 

2021年7月。このときは、4羽のヒナが母鳥のそばにいるのが確認できました。ただし、このあと何羽が無事成長できたかはわかりません。

 

2022年7月。1羽だけヒナを確認できました。

 

そして今年、2023年。5月21日はカルガモが1羽も見られません。この時点では、母鳥が茂みにかくれて営巣していた可能性はあります。

 

6月11日。この日もカルガモがいません。

 

7月9日、とうとういました、カルガモの子どもちゃんが。ヒナと成鳥の中間くらいの大きさの幼鳥が1羽いました。

親鳥も寄ったり離れたりして、子を気にかけているようです。

 

あと1羽、幼鳥が一瞬だけこの茂みから出てきて、すぐ戻ってしまいました。なので、幼鳥は少なくとも2羽いるようです。3年連続、カルガモは子育てができたようです。最終的に、成鳥にまで成長できたかどうかは確認できていませんが。カルガモは、10数個の卵を産むと言われていますが、その中から大人にまで育つのは、1、2羽程度というかんじです。たくさん産んで少なく育つという生殖戦略をとっていると言えるでしょう。

 

7月23日。おそらくカルガモの子がいますね。

 

この日は、成鳥も多くいて、幼鳥も合わせると5羽のカルガモを見ました。一時期いなくなっていたのですが、どこからか戻ってきたようです。


神奈川県立歴史博物館に行く

2023-07-22 07:43:25 | 博物館・科学館・図書館

神奈川県立歴史博物館に行ってきました(2023年7月2日)。ここは、縄文の遺物が見れるということで、ブログつながりのおちゃさんに教えてもらった場所です。おちゃさんの前勤務先の銀行の前身である横浜正金銀行の建物ということで、現在は国の重要文化財・史跡に指定されています。

馬車道駅から近いですが、横浜駅から栄本町線の道路を通ってウォーキングで往復しました。鉄道のみなとみらい線だと横浜駅→新高島駅→みなとみらい駅→馬車道駅の区間に対応します。

 

日産本社の前の歩道橋から見る栄本町線の東方面。しばらく前は空き地が多かった通り沿いですが、今やビルがどんどん建っています。

ランドマークタワーの前まで来ました。

 

今日は日本丸に帆がかかっています。

 

横浜エアーキャビンというロープウェイ。片道1,000円かかります。私はまだ乗っていません。

 

左がザ・タワー横浜北仲という高層マンション、右が横浜市役所。

 

市役所の先の、神奈川県立歴史博物館に着きました。こちら、正面玄関から中に入ります。

 

常設展が見れます。入場料はたったの300円。しっかり地方税を納めているので、こういう自治体が運営する施設をどんどん活用したいものです。

 

磯子区で発掘された縄文初期の土器。縄目模様はなくサラッとした表面をしていたようです。暗い館内で、スマホカメラで撮影しているので、画像がイマイチなのはご容赦ください。

 

これも縄文初期の土器ですが、表面に模様が入るようになっています。意外と厚みが薄くて繊細なかんじもします。いずれも底が丸くて、自立できません。下から火で温めるのに向いた形状かもしれません。

 

磯子区の三殿台遺跡を参考に作られた、弥生時代の集落と水田の模型。大きくなったムラどうしで戦いが起こっていたようで、農業の出現は人間にむしろ困難をもたらしたというユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」の説とも矛盾していません。

 

これも磯子区の三殿台遺跡で発見された竪穴式住居の模型。

 

奈良時代にあった相模国分寺の模型。今の海老名駅の近くに、こんな立派な寺院があったとは驚きです。塔は七重の塔です。

 

円覚寺舎利殿のレプリカが館内に作られています。鎌倉時代に建てられたこのお堂は、現在国宝に指定されていて、現物は年に1、2回近くから見ることができます。私も見たことがありますが、お堂の中には入ることができません。ここでは、中まで入れます。

この箱の中に仏舎利(釈迦の歯と言い伝えられているもの)が入っているのでしょうか。

 

鎌倉の武士の館。

 

江戸時代の鎌倉の上層農民の住宅。ずっと見てきましたが、この博物館は模型の展示が充実していると感じました。ただ、照明が暗いな。あと、農民や武家が歴史の中心に描かれていますが、海民はどうしてたのか、あまり目につきませんでした。海民が、縄文の狩猟採集民の精神的末裔であるというのが私の説です。

 

本博物館の元の建物である旧横浜正金銀行本店の説明書き。

 

帰りは、馬車道玄関から出ます。赤い絨毯の敷かれた階段がなんともクラシックで重厚な感じを残しています。

 

これが、馬車道玄関の外観。建築用語でファサードというんでしょうか。大切に残していってほしい歴史的建築物です。


僕の読書ノート「人間の由来・下(チャールズ・ダーウィン)」

2023-07-15 08:04:33 | 書評(進化学とその周辺)

 

チャールズ・ダーウィンによる1871年の著、「The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex」の下巻である。上下巻を合わせた「第Ⅰ部 人間の由来または起源」の約300ページと「第Ⅱ部 性淘汰」の約700ページのうち、性淘汰の後半部分約500ページが下巻に入っている。最後に「全体のまとめと結論」の章があって、訳者の長谷川眞理子氏による解説が付いている。性淘汰は、自然淘汰とともにダーウィンが初めて提唱した概念であり、進化の理論であるが、今もって研究は継続されており、まだ解明されていないことがたくさん残っているということだ。

下巻の構成と、章ごとに気になった内容を下記に列記した。

 

第Ⅱ部 性淘汰(続き)

第12章 魚類、両生類、爬虫類における第二次性徴

第13章 鳥類の第二次性徴

第14章 鳥類(続き)

・鳥類など動物たちの眼玉模様に注目して、種間で比較することで、単純な紋様から目玉模様にどのように進化してきたかが熱心に考察されている。「さまざまな鳥類の羽や哺乳類の毛、爬虫類や魚類の鱗、両生類の皮膚、多くの鱗翅目の翅、その他さまざまな昆虫などにおいて、目玉模様ほど美しい装飾はないので、それらについては特別に扱うべきだろう。」

・ダーウィンの時代のイギリスでは、人種差別は当然のこと、動物に対してもずいぶんと残酷なことがされていた。「(原注)狩猟管理人が、今年ここで、中に5羽のひなのいるワシの巣を見つけた。彼は、そのうち4羽を獲って殺したが、1羽は、親鳥を殺すためのおとりにするように、羽を切って残しておいた。次の日、このひなに給餌している間に親鳥は両方とも撃ち殺されたので、彼は、これで仕事は片づいたと考えた。翌日来てみると、思いやりのある2羽のワシが巣におり、みなしごを引き取るつもりでいた。この2羽も彼は殺して、巣を離れた。あとで戻ってみると、さらに別の2羽が同じような思いやりを見せて座っているのが発見された。彼は、その一方を殺し、もう一方も撃ったが発見できなかった。それ以上は、実りのない試みをしようとする鳥は来なかった。」

第15章 鳥類(続き)

第16章 鳥類(続き)

・性淘汰はどうやってはたらくのか。「新しい色調やその他の違いが生じ、そこに性淘汰がはたらいて、そのような変異が蓄積されていくことになるだろう。性淘汰とは、雌の好みや賞賛という、とりわけ変動しやすい要素に依存しているからである。そして、性淘汰は常にはたらいているので、...異なる地域に住んでおり、交雑することがなく、したがって新たに獲得された形質を交換しあうこともないような動物たちが、十分に長い時間を経たあとにも異なったものに変わらなかったとしたら、驚くべきことであろう。これらの指摘は、雄だけに限られているものも両性に共通のものも含めて、婚姻羽や夏羽にも同様に当てはまるものである。」

第17章 哺乳類の第二次性徴

第18章 哺乳類の第二次性徴(続き)

第19章 人間の第二次性徴

・人種間のひげの多さの違いを考察している。日本人にも言及しているが、ひげをそる習慣を考慮していないようだ。「ユーラシア大陸では、インドを越すあたりまでは毛深いひげが見られる。ただし、古代にディオドロスが指摘しているように、セイロンの原住民にはしばしばひげがない。インドの先では、シャム人、マレー人、カルマック人、中国人、日本人にひげは見られないが、日本列島の北の端の島に住んでいるアイヌ人は、世界でも最も毛深い人種の一つである。」

・ダーウィンの時代は、知的能力が女性より男性の方が高いと考えられていた。「男性と女性の間の知的能力の主な違いは、深い思考、理性、想像力を必要とするものであれ、単なる感覚と手の動きを必要とするものであれ、どんな仕事においても、男性の方がすぐれた業績を上げることに現れている。詩、絵画、彫刻、作曲と演奏の両方における音楽、歴史、科学、そして哲学の各分野において、最もすぐれた男性と女性の2つのリストをつくり、それぞれ5、6人の名前をあげようとしても、比較にならないだろう。」

第20章 人間の第二次性徴(続き)

第21章 全体のまとめと結論

・ダーウィンは、人間の精神や心の能力は他の動物と明確に区別されるものではないという論調で議論しているが、道徳については区別しているようだ。「道徳的存在とは、自分の過去と将来の行動とその動機を比較して、あるものを良しとし、他のものを悪いとすることのできる存在である。そして、人間は確実にそのようにつくられているという事実は、人間と下等動物とを分ける区別のなかで最も大きいものである。」

・社会性、良心、共感について...「援助を与えようとする動機も、人間ではある程度、(下等動物から)変容している。それはもはや、盲目的な本能的衝動のみからなるのではなく、自分の同胞からの賞賛や非難に大きく影響されている。賞賛や非難を評価することと、それを与えることとは、ともに共感に依存しており、この感情は、すでに見た通り、社会的本能のなかでも最も重要な要素の一つである。共感は、一つの本能として備わっているものではあるが、習慣や練習によって大いに向上させることができる。」

・神は初めから存在していたのではなく、人間の精神が一定まで高まったときに初めて心に存在するようになったという見解である。「神に対する本能的な信仰心があるということが、神の存在そのものを証明していると、多くの人々が論じているのを私は知っている。しかし、これは早まった議論である。もしそうなら、我々は、人間よりもわずかばかり強い力を持っているだけの、多くの残酷で悪意に満ちた精霊の存在をも信じなけらばならなくなるだろう。そのような存在に対する信仰は、恩恵に満ちた神への信仰よりもずっと広く世界中に広まっている。宇宙全体の創造者としての、普遍的で慈愛に満ちた神という概念は、長く続いた文化によって人間の精神が高められるまでは、人の心の中には存在しなかったのだろう。」

・性淘汰についてあらためて定義している。「性淘汰は、ある個体が繁殖に関連して同性の他の個体よりも成功することによって生じるが、自然淘汰は、両性のあらゆる年齢の個体が、一般的な生活条件に対してどれほど成功するかによって生じる。性的な闘争には二つの種類がある。一つは同性の個体間で、競争者を追い出したり殺したりする闘争であり、たいていは雄どうしの間で闘われる。これに関して、雌は受動的にとどまっている。もう一方の闘いは、これも同性の個体間で闘われるものだが、異性、たいていは雌を、興奮させたり魅了したりするための闘争である。ここでは雌は、もはや受動的にとどまってはおらず。よりよい配偶相手を積極的にエ選ぶ。」

・人間が崇高な精神や知性を持つようになってからもずっと残り続ける祖先の生物学的性質にふれて、本書は締められている。「人間は、最も見下げ果てた人間に対しても感じる同情や、他人に対してのみならず、最も下等な生物に対しても適用される慈愛の感情や、太陽系の運動や構成に対してまで向けられた神のような知性など、そのすべての高貴な性質にもかかわらず、これらすべての素晴らしい力にもかかわらず、そのからだには、依然として、消すことのできない下等な起源の印を残していることを認めないわけにはいかないだろうと、私には思われるのである。」

【訳者解説】

・性選択についての現代の見解は...「雌による選り好みというプロセスの提唱者であるダーウィン自身、雌が選り好みをするには、それなりの高度な能力が必要だと考えていた。しかし、実はその必要はないのである。高度な認知能力などなくても、ある程度の刺激に対する感覚のバイアスがあれば、そのような求愛ディスプレイをする雄を選ぶことはできる。そして、そのような感覚のバイアスに意味があれば、雌の選り好みと雄のディスプレイは一緒になって進化するだろう。ダーウィンは、自然界で動物の雌が実際に選り好みをしていることを示すことはできなかった。それが最初に立証されたのは、実に1989年である。その後、選り好みの研究は飛躍的に進展しているが、今でも未解決の問題は多々あり、興味深い研究領域であり続けている。」


小机城址に行く

2023-07-08 07:45:13 | 遺跡・寺社

小机城址に行ってきました(2023年6月25日)。前から一度行ってみたいと思っていた小机城址に、ここのところ日曜日のルーチンにしている1万歩ウォーキングの行先として選びました。しかし、家からだと往復2万歩以上歩きそうできついので、新横浜駅から歩きました。小机城址は、「続日本100名城」に選定されていますが、きれいな天守閣があるような城ではありません。戦争のための基地です。「小机城址市民の森」として、保存・整備されています。

 

新横浜駅から北西を目指して歩きます。鶴見川の支流の鳥山川。

 

日産スタジアムにつながる歩道。

 

日産スタジアムは、とにかく大きい。

 

広場には、子供たちが水遊びできる噴水があります。

 

さらに歩いていくと、小机城址のある小山が見えてきました。

 

住宅街を抜けて、ここから山に登ります。

 

城のすそ野に根古谷というところがあり、城の地図が出ています。このあたりに家臣たちの屋敷があったそうです。室町時代に上杉氏が築城、太田道灌によって一度攻め落とされたのち、小田原北条氏が代々支配したとされています。しかし、第三京浜が城の西側を分断してしまっています。なんでこういうところに道路なんか作るんでしょうね。

 

さらに上がっていくと、一面が孟宗竹の竹林となっています。

 

本丸と二の丸の分かれ道で、本丸の方に行きます。

 

空堀という水を張っていない堀と、逆に土を積み上げた土塁があちこちに作られています。これらは、敵兵から城を護る障壁となっていました。

 

本丸に入ります。この門「虎口(こぐち)」は後世に作られたそうです。

 

本丸はけっこう広い広場になっています。ここは、西郭(にしくるわ)とも呼ばれ、本丸であったかどうかは定かではなく、仮の名称のようです。

 

本丸を出ると、空堀と土塁がくねっているところを下りていきます。

みごとな竹林ですが、後世になって作られたそうです。

 

東郭(ひがしくるわ)とも呼ばれる、二の丸の広場。

このあたりは、広葉樹林となっています。

 

別の広場。

 

矢倉、櫓(やぐら)、または井楼(せいろう)という見張り台の跡が、高い土塁の上にあります。

 

だいたい一回りしたので、城を下ります。とてもよく整備されている城跡でした。山になっているので、住宅が建てられることもなく、歴史的な土地が保全されてきたのですね。第三京浜のところ以外は。

 

帰りは、日産スタジアムに近い、小机駅から電車に乗りました。


コットンハーバーと臨港パークに行く

2023-07-01 08:03:10 | 横浜

この日は暑かったので、海でも見に行こうと思って、JR東神奈川駅からコットンハーバーと臨港パークまでを、ウォーキングで往復してきました(2023年6月18日)。

 

東神奈川駅から15号線を越えて海の方に歩いていくと、運河を2つ渡ります。

 

貨物線の線路を渡ります。この線、今でも使われているんだろうか?と思いますが、使われていることが後でわかります。

 

突き当りに橋があって、立入禁止と出ています。この先には、米軍基地である横浜ノースドックがあるのです。ここは兵器類が装備されているというより、おもに物資類の供給拠点として使用されているらしいです。

 

橋の手前には、有名なバー・スターダストがあります。戦後に米軍関係者向けに作られましたが、日本人によって様々なロケ等の撮影で使われてきました。そして、今でも営業しているのがすごいです。私はまだ入ったことがありませんが、いつか入ってみたいものです。隣りのバー・ポールスターは貸し切り専用のようです。

 

このあたりの運河には、古い三井の倉庫なんかもあります。

 

横浜ノースドック手前の交差点を右折して、瑞穂大橋を渡るとコットンハーバーの高層マンション群が見えてきました。

 

コットンハーバーには、ボートヤードがあって、クルーザーが保管されています。

 

対岸には、横浜ノースドックの軍用船が見られます。

 

昔のふ頭跡に、引き込まれていた線路が残っています。

 

上を通っているコットン大橋は自動車専用道路。

 

浅野造船所浅野ドック跡。

 

横浜市中央卸売市場。

 

みなとみらいのビル群が見えてきました。

 

みなとみらい橋を渡ります。左に見える独特な形状のビルは最近開業したザ・カハラ・ホテル。

 

臨港パーク。

レジャー・テントを張っている人たちが多いです。

 

昼寝もできます。

 

アーチ橋。

 

海は少し波が立っています。さて、海を見たので、ここで来た道を引き返します。

 

来るときも通った貨物線を帰りにまた通ると、列車(電気機関車)が走っていました。この路線が今でも使われていることがわかりました。