円覚寺の土曜坐禅会に参加してきました(2014年11月22日)。
円覚寺への参禅としてはこれで9回目。紅葉も始まり、塔頭の佛日庵では假屋崎省吾展も開かれていたので、円覚寺にはたくさん人が来ていました。
総門の前は赤いモミジが鮮やかです。
坐禅会のある居士林の前も紅葉がきれいな場所です。
居士林の前に、坐禅会の参加者が並び始めました。
私も並ぶこととします。
そして坐禅会が終わると、みな一列に並んで座布団を一箇所に戻したり、順番に玄関で靴を履いて出るわけですが、その列に途中で割り込んでくるおじいさんがいたりするんですよ。そうするとイラッとして、なんでこんな人が坐禅会に来るんだろうと思ったりするわけです。でも、そう感じるということは、私の中に利他の心が足りないからだなあ、と思うわけです。割り込んでくる人には快くお先にどうぞという気持ちになれたらいいんですが。感じ方や考え方は、脳に深く刻印されているから、それを変えるのは相当に難しい。利他心はたいへんなことですよ。
ここ佛日庵で、華道展「假屋崎省吾の世界~百花繚乱~」を見ました。販売コーナーで假屋崎さんから言葉をかけられました。
芸術家と商売人の両方の才能を兼ね合わせた人とお見受けしました。
夕日が紅葉の境内や山を照らし出してきれいでした。
円覚寺への参禅としてはこれで9回目。紅葉も始まり、塔頭の佛日庵では假屋崎省吾展も開かれていたので、円覚寺にはたくさん人が来ていました。
総門の前は赤いモミジが鮮やかです。
坐禅会のある居士林の前も紅葉がきれいな場所です。
居士林の前に、坐禅会の参加者が並び始めました。
私も並ぶこととします。
そして坐禅会が終わると、みな一列に並んで座布団を一箇所に戻したり、順番に玄関で靴を履いて出るわけですが、その列に途中で割り込んでくるおじいさんがいたりするんですよ。そうするとイラッとして、なんでこんな人が坐禅会に来るんだろうと思ったりするわけです。でも、そう感じるということは、私の中に利他の心が足りないからだなあ、と思うわけです。割り込んでくる人には快くお先にどうぞという気持ちになれたらいいんですが。感じ方や考え方は、脳に深く刻印されているから、それを変えるのは相当に難しい。利他心はたいへんなことですよ。
ここ佛日庵で、華道展「假屋崎省吾の世界~百花繚乱~」を見ました。販売コーナーで假屋崎さんから言葉をかけられました。
芸術家と商売人の両方の才能を兼ね合わせた人とお見受けしました。
夕日が紅葉の境内や山を照らし出してきれいでした。