wakabyの物見遊山

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僕の読書ノート「進化生物学者、身近な生きものの起源をたどる(長谷川政美)」

2024-03-30 08:53:24 | 書評(進化学とその周辺)

 

イヌやネコはどんな動物から進化してペットになったのか、他にも身近に見られる生物たちが何から進化してきたのか、そうした生きものたちの起源を現代の進化生物学の知見からわかりやすく解説している本である。そのような本はこれまで意外と少なかった。近年は、古代種のDNA解析がヒトにとどまらず様々な動物で行われているので、そうした知見がどんどんたまってきているのだ。しかし、研究の難しい深いところには入っていかないので、とても読みやすく、スラスラと一気に最後まで読める。また、著者の長谷川政美氏は、「系統樹マンダラ」という新しい系統樹の書き方を考案した方でもある。これまでの系統樹では、生物の進化の流れが左から右へや、上から下へと一方向に向かって書かれていたが、系統樹マンダラでは、進化の流れが円の中心から周囲に放射状に広がっていく書き方をしている。そのため、生物の写真が円周に沿ってたくさん並べられるというメリットがある。私は、哺乳類の中の真獣類の系統樹マンダラのポスターを部屋に貼っている。その系統樹マンダラが本書ではふんだんに使われている。

では、私がとくに注目したところを下記に記しておきたい。

[イヌ]

・イヌはハイイロオオカミと同じ種である。だから学名は、どちらもCanis lupusであるが、イヌはハイイロオオカミの亜種なので、Canis lupus familitarisとよぶ。柴犬やゴールデンレトリバーなど「犬種」は違っても、学名は同じCanis lupus familitarisとなる。

・ハイイロオオカミはユーラシア大陸全域から北アメリカまで広く分布する。その分布域のなかのどこで犬は進化したのだろうか。現在日本にはハイイロオオカミは分布しないが、かつてはハイイロオオカミの2つの亜種がいた。本州、九州、四国に分布していたニホンオオカミ(Canis lupus hodophilax)と北海道のエゾオオカミ(Canis lupus hatari)である。ニホンオオカミは1905年、エゾオオカミは1899年に絶滅したとされている。総合研究大学院大学の五條堀淳と寺井洋平らのグループは、ニホンオオカミの古代DNA解析から思いがけないことを発見した。彼らは19世紀から20世紀初頭に生きていたニホンオオカミ9個体の全ゲノム解析を行ない、世界中のハイイロオオカミのなかで、ニホンオオカミがイヌにもっとも遺伝的に近いことを明らかにしたのである。この結果は、イヌの起源が日本だったということを示すわけではない。たぶん東アジアにいたハイイロオオカミの集団からイヌ系統が生まれ、この集団あるいは近縁な集団が日本に渡ってニホンオオカミになったのだろう。東アジアの大陸にいた祖先集団はその後に絶滅したと考えられる。

・イヌと判定できる初期の化石は、東ユーラシアのロシア・アルタイ地方で見つかったおよそ3万3000年前のもので、イヌの起源が東アジアであるという説と符合する。ヒトが農耕を始めたのは、最終氷期が終わった1万2000年前以降とされているが、イヌの家畜化が起こったのは、農耕が始まる以前の狩猟採集の時代だったのだ。現在のイヌの品種の多くは、デンプンを分解するアミラーゼという酵素の遺伝子数がハイイロオオカミに比べて多くなっているが、これは農耕が始まって、ヒトの出す残飯を処理するようになってからの適応進化の結果だと思われる。

[ネコ]

・ネコ(Felis silvestris catus)は野生のヨーロッパヤマネコ(Felis silvestris)の一亜種であるリビアヤマネコ(Felis silvestris lybica)が家畜化されたものである。

・ヨーロッパ、アジア、アフリカなどの各地で発見された、およそ1万年前以降のさまざまな年代にわたる352個のネコのサンプル(骨、歯、皮、体毛など。エジプトのミイラも含む)についての古代DNA解析が行われた。8500年前以前は、リビヤヤマネコ由来の遺伝子をもつネコは、メソポタミアやエジプトを含む「肥沃な三日月地帯」でしか見つからないが、この時代以降になると、アジアの広い地域やヨーロッパでも見られるようになる。また、2800年前以降にはアフリカの広い地域でも見られる。肥沃な三日月地帯は、野生のリビアヤマネコの分布域であり、最初に農耕が始まったところでもある。このようなところで、ネコの家畜化が始まり、その後、世界中に広まったのである。

[ウマ]

・ウマはヒトの移動や物資の輸送に大きな役割を果たし、さらに軍事的にも重要なものであった。ウマは人類の歴史がグローバル化するきっかけを与えたともいえる。家畜のウマ(Equus ferus caballus)は、タルバン(Equus ferus ferus)が家畜化された亜種である。

・フランス・ボールサバチエ大学のルードヴィック・オルランドらのグループは、ユーラシア各地の古代遺跡で見つかった273個体のウマの骨について、ゲノム規模の古代DNA解析を行なった。中央アジアのステップで栄えたボタイで生まれた家畜ウマは、その後、西ユーラシアステップのヴォルガ川とドン川に挟まれた地域(現在ロシア)で紀元前2700~2000に生まれた新しいタイプの家畜ウマに置き換えられてしまったことが明らかになった。オルランドらはこの新しいタイプのウマを「DOM2(Modern domesticates 2)」と呼んでいる。他の地域でもDOM2への置き換わりが進み、現在のウマはすべてDOM2になっている。

・オルランドらのグループは、DOM2のウマのGSDMCとZFPM1という2つの遺伝子が、強い人為選択を受けていることを明らかにした。GSDMCに対する選択圧は、強靭な体力のウマをつくり上げるこちに貢献したと考えられる。ZFPM1のほうは、感情の制御に関与する遺伝子と考えられており、乗馬などを可能にする形質として重要だったと思われる。ボタイ文化のウマなど古いタイプの家畜ウマに比べてDOM2は、これら2つの点で家畜として優れていたために、置き換わったのであろう。

[スズメ目]

・鳥類はおよそ1万種を擁する大きなグループであるが、スズメ目はその半分以上の6200種を擁する。スズメ目だけで哺乳類全体の種数を超えるのである。鳥類の目のあいだの分岐は、非鳥恐竜が絶滅した6600万年よりも少し後だった。スズメ目は、オウム目とおよそ6200万年前に分岐したと推定される。このことは、非鳥恐竜や翼竜の絶滅に伴って空席になったニッチを埋め合わせるように、鳥類の急速な種分化が起こったことを示している。同様のことは、哺乳類の進化でも見られる。

・スズメ目やオウム目も含む新顎類の多くのグループの共通祖先は、およそ7000万年前に南アメリカにいたと考えられている。この頃の南アメリカは、ゴンドワナ超大陸の分裂が進んでいたが、まだ南極を通じてオーストラリアとも陸続きになっていた。その頃の南極は温暖な気候で緑の植物に覆われていた大陸であり、鳥類が分布を広げる回廊の役割を果たしていた。スズメ目とオウム目の共通祖先は、この回廊を通って、オーストラリア区に到達したと考えられる。有袋類もその頃同じルートを通って、共通祖先が南アメリカからオーストラリアに到達したのである。

[ハラタケと酸素]

・石炭紀には枯れた木はそのまま地中に埋もれて石炭になったが、次のペルム紀(2億9900万~2億5200万年前)になると、リグニンの分解により枯れた巨木の分解が次第に進むようになり、分解された物質を次の世代の生き物が利用できるようになった。物質循環が起きるようになったのである。リグニン分解能を進化させたのが食用キノコや毒キノコを含むハラタケである。

・ところが酸素の欠乏という大きな問題が起こった。木の分解は酸素を消費して二酸化炭素を生み出す。そのために、ペルム紀の後半から、地球大気の酸素濃度は減少し始めた。古生代はペルム紀で終わるが、酸素分圧の割合は、ペルム紀の前半の30パーセントから、次の中生代三畳紀には15パーセント、さらに続くジュラ紀には12パーセントにまで極端に減少してしまった。われわれ哺乳類の祖先である単弓類は、まだ酸素が豊富だったペルム紀の前半に繫栄した。その後、酸素濃度が減少すると、高酸素濃度に適応した単弓類にとって行きにくい時代になり、単弓類は次第に絶滅していった。代わって登場したのが恐竜であった。恐竜やその子孫である鳥類は、独自の呼吸法を進化させたのである。彼らは気嚢による呼吸法を進化させて酸素と二酸化炭素の交換を効率的に行えるようになった。恐竜の繁栄の期間、単弓類は夜行性の小さな動物として過ごすことになる。

[性選択説]

・ダーウィンの「自然選択説」は次第に受け入れられるようになったが、最後までなかなか受け入れられなかったのが「性選択説」であった。メスの選り好みが進化の原動力になったという考えには、多くの抵抗があったのだ。ところが1915年になって、集団遺伝学者で統計学者でもあったロナルド・エイマー・フィッシャーが、ダーウィンの考えが理論的に成り立つことを示した。

・フィッシャーによると、クジャクの長い飾り羽根は二段階で進化したという。第一段階では、オスの健康度の証として、少しでも立派な長い飾り羽根がメスに好まれるようになる。そのようなメスの選り好みは、健康な子供を残す傾向を生むので、自然選択の結果として進化する。このようなメスの好みがいったん進化すると、自然選択では制御できない第二段階に入るのだ。長い飾り羽根のオスとそれを好むメスのあいだに生まれた子供の中には、オスに長い飾り羽根を与える遺伝子と、メスに長い飾り羽根の配偶者を選択する遺伝子の両方が存在する傾向がある。オスとメスのこれら2つの形質は独立ではなく、相関をもつようになるのである。いったんそのような相関が生じると、正のフィードバックが生まれる。長いオスの飾り羽根を好むメスが増えると、長い飾り羽根のオスが増えるとともに、それを好むメスもさらに増えるのだ。こうなると、そのような選り好みをしないメスの産むオスの子供は、次第に繁殖相手として選ばれないようになる。最初は健康度を測る指標だったオスの長い飾り羽根は、自然選択の対象である適応度とは関係なく、どんどん進化するのだ。

[浮島に乗った漂着]

・海流は、生き物が分布を広げるうえで重要な役割を果たす。しかし、植物と違って泳げない動物の場合は、浮島に乗った漂着という方法がある。浮島の中には幅数十メートル、長さ数百メートルもあって、それに乗った動物の食料となる果実を実らせるような気が生えているものもある。日本ではそんな大きな浮島が海に流出できるような川はないが、大陸ならば実際にあるのだ。例えば10年に一度の大雨で、動物を乗せた大きな浮島が海に流出したとする。このようなことが100万年にわたって繰り返されたとすると、10万回の漂流があったことになる。このようなたくさんの試行の中の1回でも新天地への漂着に成功したならば、その後の進化の歴史は大きく変わることになる。例えば、およそ3500万年前に起こったと考えられる、アフリカから南アメリカへの新世界ザルの祖先の移住は、そのような方法が想像される。

[進化論と進化学]

・生き物たちの進化を捉えるには多面的な見方が必要である。進化の研究は「進化論」ではなく「進化学」でなくてはならない、という考えがある。確かに証拠こそ科学の基礎であり、これにもとづかない思弁的な議論は無益だが、証拠の羅列だけでは進化を理解したことにはならない。証拠を統合する「議論」や「解釈」が重要である。


2024年プリツカー賞・山本理顕の作品ー子安小学校

2024-03-23 07:36:09 | 横浜

建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞の2024年度受章者は、日本人の山本理顕(やまもとりけん)氏に決まったとの報道がありました。山本理顕さんのことは知らなかったのですが、以前見に行った横須賀美術館の設計者でもありました。山本さんの事務所が私の住む神奈川区にあるそうで(駅でいうと東横線反町駅から近いようです)、その関係からか、うちからも近い子安小学校の設計をしているということで、さっそく見に行ってきました。なお山本さんは、行政や権力者による理不尽な仕打ちに対して闘う建築家という側面も持っているようです。

 

子安小学校の場所は、JR新子安駅に近いところです。周囲にはマンションが多く立ち、1200名という多人数の生徒を収容するために2018年に作られた校舎です。

 

四角い校舎の周囲を外廊下が取り囲んでいる形です。これによって、校内の移動通路と、教室内に直射日光が入るのを防ぐひさしのような役割を果たしていると思われます。それを全体に巡らせることで、デザイン的にもシンプルでスタイリッシュな雰囲気を作っています。

 

門が開いていたので少し中に入ってみます。運動会のときには、校庭側のこの外廊下の3階まで、父兄の観覧席として使われるということです。スタンド席みたいなもんです。

教職員用の玄関奥には、しゃれたステンドグラスが据え付けられていました。

 

校庭の反対側。左側と奥が校舎で、右側が体育館ですね。

 

体育館の屋上はプールのようです。

 

モダンな学び舎というかんじです。この学区の子はラッキーです。高名な建築家がなぜ公立小学校の設計を引き受けたのかはわかりませんが、仕事に対する対価を巡っては、市と山本氏の間で対立があったようです。ケチる行政と建築家としてのまっとうな報酬の主張の争いです。

 

小学校を見たあと、新子安駅近くで昼食をとり、さらにウォーキングを続けます。これは、駅近くの「LIVE & CAFE しえりる」というお店。調べたらライブハウスをやっているようです。

お店の窓ガラスの向こうでネコたちがひなたぼっこをしています。右の子は、場所が狭いので座って寝ているようなけなげなネコです。

 

浅野高校ではちょうど卒業式が終わったところで、生徒や父兄が門から出てきていました。今年の東大合格者は45名だとか。写真は門の反対のグラウンド側から撮ったもの。

 

大口駅東側にある、○○屋敷。家の前に生えた木が、家全体を覆ってしまっています。今は木の根元が切られているので枯れていますが。なんともいえないインパクトがあります。アバンギャルドといったらいいのか。


僕の読書ノート「哺乳類学(小池伸介,佐藤淳,佐々木基樹,江成広斗)」

2024-03-16 08:17:51 | 書評(進化学とその周辺)

 

哺乳類学の日本語の教科書としては約20年ぶりの著書になるらしい。内容は、いい意味でもそうでない意味でも、「日本の」哺乳類(学)の教科書である。日本の哺乳類についてどういうことが知られているのか、どういう研究が行われているのかということが中心に書かれているので、世界的な研究動向といった視点での記載ももちろんあるが、比較的少ない印象である。構成は、進化、形態、生態、保全の4部に分かれていて、それぞれがその分野の専門家によって執筆されている。進化と生態はそれなりに興味深く読めたが、形態と保全は読むのに苦労した。こうした分野はどうしても、事実や概念の記載や整理にとどまり、実例などの紹介が少ないため、どうしても無味乾燥に感じられてしまうが、教科書なのだから仕方ないといえばそれまでである。

それぞれの分野ごとに、私なりのポイントを以下に記録しておく。

[序章]

・「哺乳類とはなにか」という問いに対しては、「大きな脳を持つことで賢く生き、移動可能で、多くの食物を摂取する、親などからの愛のなかで成長する生物」とまとめている。

[Ⅰ 進化]

・哺乳類の分子進化、あるいは分子退化を理解するうえで重要なメカニズムは、自然選択、中立進化、偽遺伝子化(もともと機能していた遺伝子が機能を失い、そのような突然変異が多く見られるようになった遺伝子のことを偽遺伝子と呼ぶ)である。

・ニッチとは、時間・空間・栄養などの資源に関する生物の要求のことである。資源の有限性のなかにおいて同所性を達成するためには、ニッチ分割が必要になる。そのようなニッチの違いは、基本的には2種の歩んだ進化の道のりが長くなればなるほど大きくなる。逆にいうと、近縁な種間ではニッチが類似することで競争が起こり、どちらか1種が排除されるか(競争排除)、生物学的特徴を変化させること(形質置換)により共存に至るかのどちらかであろう。

・生態的に分化した種間でニッチが分割されることにより、日本列島において共存している事例も存在する。これは、ニッチの重複しない種が選別されて新天地で受け入れられる種選別というメカニズムが働いたとみることができる。たとえばリス科で見ると、同所的に生息する種は別種に分類され(系統的に遠縁)、移動様式(ニッチ)も異なる。つまり、北海道では、滑空性のタイリクモモンガ、樹上性のキタリス、地上性のシマリスが生息し、本州以南では、滑空性の二ホンモモンガとムササビ、そして樹上性の二ホンリスが生息する。これらの属には漸新世から中期中新世という約1500万年から3000万年の進化史が反映されている。

・地史(例えば日本列島の大陸からの分離や列島内の分断)は上記の競争排除の2つのメカニズムで説明できない不在(そのニッチに生息する種がいない)はどのように説明すべきであろうか。気候帯に代表される物理・化学環境への不適合の可能性、「非生物的環境が適合しないから生息していないのだろう」という解釈は、どの不在にも適用可能ないわばワイルドカードである。

・ゲノムの海のなかから、自然選択に関わる表現型の原因となる遺伝子変異をあぶりだすことができる時代になった。具体的には、中立説での予想から説明することができないことを指標として自然選択を検出する。

・集団サイズが小さいと中立突然変異が集団に固定されるまでの時間が短くなるため、次々と新しい変異が集団内に固定される。その結果、合祖(2つのアリルが過去にさかのぼり1つの祖先にたどり着くこと)間の時間間隔は短くなる。反対に、集団サイズが大きいと合祖間の時間間隔は長くなる。このような理論のもとで、1個体のゲノムから多くの合祖時間をサンプリングすることができるため、時間の経過にともなう過去の集団サイズの変動を推定することができる。この手法のことを、PSMC(pairwise sequentially markovian coalesent)法と呼ぶ。

・あらゆる環境中には、生物の傷ついた組織、皮膚、毛、唾液、粘膜、糞など、生物の痕跡が存在するため、環境サンプル中に含まれる生物のDNAを分析することで、生物を実際に手にすることなしに在不在を知ることができる。このような手法のことを環境DNA分析という。とくに、次世代シークエンサ―の登場により、環境サンプル中の複数の生物由来のDNAを同時に分析することのできるDNAメタバーコーディング法が開発されたことで、調査地の生物相や生態系における食物網をはじめとした生物間相互作用に関する研究がさかんに行われている。

[Ⅱ 形態]

・鯨類の頸椎の数はほかの一般的な哺乳類と同様に7個であるが、多くは頸椎が癒合しており、頸部の運動性は抑制されている。魚類には頸椎は認められず、両生類になって初めて1つの頸椎(環椎)が出現する。陸上生活では頸部の可動性は獲物の捕食や天敵からの回避などに重要な働きを持つが、水中では可動性を持った長い頸椎(頸部)は、水の抵抗を増大させ、その結果、体幹前部の安定性を失わせる結果となる。魚類に頸椎がないことを考えれば頸部を短くし、癒合によって体幹前部の可動性を制限することは、二次的水生適応として効率的な遊泳を追求するためには理にかなったことかもしれない。

[Ⅲ 生態]

・ほかの生物種に対してではなく、環境を物理的に改変することによって、非生物的環境にも影響する生物種のことを生態系エンジニアと呼ぶ。ニホンジカの採食によって、林床食性の衰退が進み、植生や落葉落枝による土壌表面の被覆が失われると、土壌養分の変化や雨滴衝撃・土壌移動などを通じて表層土壌が流出するとともに、植生衰退がさらに加速するという悪循環が生じる。このようなニホンジカの採食行動により環境が変化していく過程は、シカが生態系エンジニアであることを示している。

・景観とはさまざまな種類の生態系など、異質な要素によって構成される土地の広がりである。景観における空間の単位には、比較的均質な環境が、異質な環境に囲まれた点または島状の広がりであるパッチ、線あるいは帯状の広がりであるコリドー、これらを取り囲む広がりであるマトリクスがある。パッチを好んで生息する種において、パッチどうしが、その種が生息はできなくても移動に利用することができる植生などの要素でつながっている場合、その要素はコリドーとして機能する。コリドーは都市のように動物の生息地パッチが孤立しているような景観に生息する種や、長距離移動を行う種にとっては重要な景観要素となる。

[Ⅳ 保全]

・以前は、種や生息地の保存が叫ばれてきたが、近年は保存から保全へと変化していった。保存と保全には思想的背景に大きな違いがある。保存は対象そのものに内在的価値を認め、その価値のために対象を保護することである一方で、保全は「人のため」に対象を保護することと定義される。また、対象を保護する手段として、人為介入や利用を許容しないものを保存、許容するものを保全と区別することもできる。こうした理解にもとづくと、哺乳類学における保全とは、「人のために哺乳類をよりよい状態に調整すること」と定義できる。

・ある保全に対する「最適解」を一般的に設定することはできない。たとえば、農家から害獣として認知され、地域からの排除が保全の目的とされる現場でも、個体数の維持・回復を保全の目的と考える市民もいる。「正しい」目的を1つに絞ることは容易ではない。そのため、多様な目的が提示された現場では、保全をめぐり対立の構図が顕在化する。

・日本で問題化しているニホンジカは、海外でも外来種として被害を生んでいるようだ。すでに定着した外来種が、後に導入される外来種の定着や拡散を手助けする相互作用を持ち、在来種からなる群集が外来種からなる群集へと加速度的に変化する現象を、侵入メルトダウンとよぶ。その例として、アイルランドにおけるニホンジカとセイヨウシャクナゲの外来種間相互作用があげられている。アイルランドでは、地中海沿岸から観賞植物としてセイヨウシャクナゲを1763年に導入した結果、在来の低木植物が大幅に減少していった。一方で、1860年に日本から導入されたニホンジカは、在来のアカシカを追いやっていくだけでなく、その高い採食圧により在来植生を次々と消失させていく。ニホンジカに改変された環境はセイヨウシャクナゲの発芽場所として適しているだけでなく、繫茂したセイヨウシャクナゲはニホンジカの排除を困難にする隠れ場として機能するという相利共生が確認されている。

・外来種もパートナーとして許容する新奇生態系という新たな選択肢もある。外来種の導入などにより、生態系レジリエンスを超える攪乱が生じた場合、人為的な管理努力によっても、攪乱以前の生態系の平衡状態を復元することは容易ではない。新奇生態系は、新たな平衡状態を持ち、人による干渉なしで自律できる系である。こうした新たな系を社会が許容することで、生物多様性保全のための実装可能なオプションを増やすことができるとされている。


高尾山に登った

2024-03-09 07:40:03 | 東京・川崎

高尾山には過去、2011年2014年に行っていますが、ちゃんと自らの足で登山路を登ったのは今回はじめてなので「高尾山に登った」のタイトルにしました。雨の多い3連休の、貴重な晴れの中日に行ったら、前日に降った雪が残っていてきれいでした(2024年2月24日)。

 

京王線高尾山口駅は改装されてこんなふうになっていました。あとで写真を見て気づきました。この木材をたくさん平行に並べる建築モチーフと言えば、あの人じゃないですか?クマさんですよ。そう、隈研吾の設計でした。

 

駅から高尾山方向に歩いていくと、案内川沿いが工事中でした。

 

右に行くと1号路、左に行くと6号路。今回は、6号路を上り、1号路を下ることにしました。

 

ケーブルカーの清滝駅の左側を抜けていきます。

 

ケーブルカーが下りてきました。

 

しばらく、清流脇の道を上っていくことになります。

 

案内板を見ると、高尾山にはケーブルカー、リフト、複数の歩行路と、たくさんの経路があるのがわかります。

 

道はぬかるんでいて、川のほうが崖になっているので、気を付けてていねいに登ることが大事です。

 

琵琶滝と社です。冬でも修験者が滝行をするそうです。このときは誰もいませんでした。

 

私の嫌いなものがありました。花粉のついた杉の花が垂れ下がっていました。でもこの日は湿度が高いせいか、そんなに花粉の影響はありませんでした。

 

道のがけ下にはずっと清流が並走しています。

 

このあたりから、木に残る雪が見えてきました。

 

8合目、9合目あたりはけっこうな雪が残っています。

 

6号路は最後に階段があります。385段あるそうです。

 

ちょっとした広場に出ました。

 

山頂付近のアンテナ塔が見えました。

 

目の前の1号路と合流します。建物はトイレです。

 

1号路からは人がたくさん来ています。

 

頂上(599m)の広場です。

 

ここは、大見晴園地という展望台がいいのです。方角としては、丹沢、富士山、秩父のほうを向いています。

 

秩父方面。天気がよければ富士山も見えると言われていますが、3回ここに来てまだ見たことはありません。

 

1年前に来た、「さがみ湖リゾート・プレジャーフォレスト」の観覧車が見えます。

 

そのとき途中まで登った石老山は中ほどの山並み。その奥は丹沢ですね。

 

北へ向かうと、さらに城山、景信山、陣馬山と山並みが続きます。

頂上の広場に座って、おにぎり、フィッシュソーセージ、ペットボトル茶の昼食を摂ります。

 

高尾ビジターセンターに入ります。高尾山の生き物たちが紹介されています。

哺乳類には、イノシシ、テン、ニホンリス、アズマモグラ、タヌキ、ムササビがいるそうです。

最近、シカによる害が高尾山でも懸念されはじめているそうです。

 

ムササビのはく製。意外と大きくて、頭から尾の先までで70㎝くらいありそうです。

 

1号路を下山します。

 

途中、薬王院の境内を通ります。薬王院は真言宗智山派に属する仏教寺院ですが、写真の御本社のように境内に神社もある神仏習合の状態にあるようです。

 

御本堂。

 

ながめのよいところを通り、

 

山門の横を通って、

 

参道を通って、

 

右側の女坂を下りてきました。左は男坂。

 

途中、子どもの菩薩様のような像がたくさん立っていて、

この子は苦しそうな顔をしているので、とても気になりました。

 

この子も、刀のようなものをもって険しい顔をしていますが、どうしたのでしょうか。

 

また、見晴らし台のようなところがあって、ここでゆっくりコーヒーでも飲みたいです。見晴らし最高のカフェ。

写真を拡大してみました。武蔵小杉のほうでしょうか?

 

ケーブルカーの高尾山駅です。

この北側は、ユーミン風に言えば中央フリーウェイ、そして奥多摩に続く山並みが見えます。

 

1号路はずっと舗装道路です。このあたりは雪もなく、ホカホカ日だまりハイキングです。

 

ケーブルカー清滝駅前の広場に着きました。高尾山口駅はすぐ近くです。

ひさしぶりに気持ちのいい山歩きができました。低山ハイクで、このくらいが楽ですね。今回の山登りは、上りが1時間20分、下りが1時間25分かかりました。弱点の右膝を守るようにゆっくり下りてきたので、膝痛になる手前で終わることができました。冬春秋と年3回くらいは山歩きをしたいなあ、そして膝をもっと強くしたいなあ、と思うのでした。


僕の読書ノート「高校数学の基礎が150分でわかる本(米田優峻)」

2024-03-02 07:53:59 | 書評(生物医学、サイエンス)

 

中学や高校の科目の学び直し系の本がたくさん出ている。私にとって40年以上前に勉強した高校数学は、不完全燃焼感というか敗北感のような感覚がいまだに強く残っていて、ずっとやり直ししてみたいと思っていた。高校数学のやり直しができる本をいろいろ探す中で、本書は最初のとっかかりとしてすぐれているように思えたので、購入してやってみた。全210ページある本書は、タイトルのように150分ではさすがに終わらなかったが、10時間以上かけてじっくり読み、問題を解くことで、よく理解できた。公式などはしばらくするとすぐ忘れてしまうのではあるが、とにかくやり直したという感覚が得られた。本当は、1回読んでから1か月後くらいに30分でいいから復習するのを繰り返していると身に着くのだろうな。

高校数学の基礎が、カラーで見やすく、平易でわかりやすい説明がされている。難しくなる手前で止められていて、途中で挫折しないための上手な構成になっている。数学の分野は、一次・二次・指数・対数関数、確率統計、微分、積分、2進法、数列、三角関数等である。ベクトルや行列は入っていない。実は、本書のプロトタイプのような資料「150分で学ぶ高校数学の基礎」のPDFが、著者の米田優峻氏によってネット上で公開されているので、検索すればすぐ見つかる。こちらは259ページあり、本書の要点をより凝縮したような内容になっている。私は、そちらのPDFを一度読んでから、本書に取り組んだ。そのような読み方もおすすめである。