小田原城に行ってきたレポートの2回目です(2024年9月22日)。
階段を上って天守閣に入ります。天守閣は1960年に再建されました。さっき通ってきた3つの門もその後に再建されたものです。
城内には様々な展示がされています。これは江戸時代初期の小田原城地図。小田原北条氏時代の面影を残しているとされています。だいぶ外側を取り囲むように総溝が築かれたのは小田原合戦の前だったといいます。
小田原城は15世紀に大森氏が築き、北条早雲に始まる小田原北条氏の本拠となって関東支配の拠点となり、豊臣秀吉との小田原合戦で北条氏は滅亡、その後は徳川家康の家臣である大久保氏や稲葉氏が城主を務めてきたということです。
二の丸の建物にあったというしゃちほこ瓦。
1821年の天守閣の瓦。徳川家の家紋、三つ葉葵。
かつて城内には小田原動物園があったそうです。昭和25年に開園、令和5年に閉園。哺乳類・鳥類約70種が展示され、繁殖や野生動物の保護といった種の保全活動も行われていたそうです。
保護されてここで飼育・繁殖された日本の動物たちもいます。ホンドギツネ。
ハクビシン。
ニッポンアナグマ。
最上階の5Fの外側には展望デッキがあり、360度一周することができます。これは箱根方面。
伊豆半島と海。
すこしかすんでいますが、大島も見えます。
城下の本丸を見るとここがそうとう高いところにあることを実感します。
小田原駅と遠くに丹沢山地が見えます。右から、大山、三ノ塔、塔ノ岳という並びです。
江戸時代に天守にまつられていたという摩利支天像が再現されています。
外に出て天守閣をのぞんでみると、なかなかの美しさと豪壮さがあります。
帰りは学橋(まなびばし)から出ます。手前の二の丸に小学校があったため、そういう橋の名になったそう。昔は城跡にいろいろな施設を作っていましたね、小田原城だけでなく。今は、そういう施設は除いて、城のあったころの状態を再現しようという流れになっています。
堀のほとりにはジャズ喫茶がありました。
帰り道で、天守閣の最上階が見えました。新幹線に乗っていても小田原駅の近くで天守閣が見えますね。
帰りの東海道線の車窓から見える空は、夏の終わりを感じさせるものでした。もう9月の後半なんですけどね。次の日は秋らしく涼しくなりましたが、その後また夏日が戻ってきたりと季節がおかしいです。
相模川の河口近く。
というわけで、小田原城はけっこう立派でした。これからさらに城跡が整備されていくんでしょうね。