wakabyの物見遊山

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茅ヶ崎城址に行く

2025-02-08 07:38:33 | 遺跡・寺社

茅ヶ崎城址に行ってきました(2025年1月19日)。

 

ドリーム・アカデミーのライフ・イン・ア・ノーザンタウンも冬にぴったりの曲。

Dream Academy - "Life In A Northern Town" (Official Music Video)

 

茅ヶ崎城という言葉はたまに聞くことがあるんだけれど、湘南の茅ヶ崎あたりにあった城だと思っていました。ところがそれは大間違いで、横浜市都筑区茅ケ崎というところにあるので、わりと内陸の城です。横浜市営地下鉄のセンター南駅に近く、センター北駅に近い大塚・歳勝土遺跡からも至近距離にあります。

鶴見川南岸には中世の城跡が多く残り、最近見て廻っているわけですが、茅ヶ崎城は鶴見川支流の早淵川の南側にあります。後北条氏による築城と考えられており、小机城の支城とも見られています。このあたりの城としては、小机城とならんで比較的よく整備され、市民への開放が進んでいる城跡でした。

 

センター南駅から東に歩くと、住宅街があり、その先にある茅ヶ崎城址の小高い森がすぐ見えてきます。

 

この階段から城跡に入ります。

 

ここは茅ヶ崎城址公園として整備されています。

 

今いるのが、赤く示した現在地。まずは、北郭(きたのくるわ)に入って、中郭、東郭、西郭と廻って、北郭を通って、左のほうの正門みたいなところから出ます。

 

このあたりの地図が出ていて、このあたりの町と遺跡群の位置関係がわかります。オレンジ色の茅ヶ崎城址公園があり、その北に先日行った横浜市歴史博物館や大塚・歳勝土遺跡があります。その間に早淵川が流れています。ずっと南のほうには、鶴見川南岸に小机城址があります。

 

これは北郭。平坦になっていて、子供や家族連れがボール遊びなどをしています。

 

中郭。ここが一番広い土地で、建築物の跡が発掘されています。

 

土塁というのは、防衛目的で作られた土手ですね。

 

建物があった跡がわかるように、石を並べて目印にしています。

建物の跡が発掘されたときのようす。穴が開いているところに柱やその土台があったわけですね。しかし説明を見ると、武士たちはふだんは城下に住み、ここは戦のための基地として使われていたということです。

 

このように、郭の間をつなぐ道が遊歩道のように整備されています。

 

これは東郭。

 

ここから、大塚・歳勝土遺跡の森が見えます。

 

ドングリがたくさん落ちています。縄文・弥生時代の食料ですが、アク抜きをすることで今でも食べることができるそうです。

 

西郭。一部は入れなくなっています。

 

空堀。水を入れない堀です。

 

ハトの羽が散乱していました。ネコかカラスに襲われたのか。そういえば、ハトを捕獲して虐待死させる動画をXに投稿していたという川崎のタクシー運転手が捕まりました。なんでも、ハトが自分になつかないから殺したとか。こういう例は、エスカレートして殺人を犯すに至る場合があるので要注意です。

 

ここが正門のようです。ここから出ます。

 

近くには、天台宗の正覚寺がありました。ちょっと鎌倉あたりにもありそうな、境内がよく整備されているお寺でした。

 

本堂は改築中のようで、この信徒会館みたいなところが、本堂代わりに使われていました。

 

センター南駅に戻るとき渡ったこの道は、歴博通りというのですね。もちろん、横浜市歴史博物館の横を通っているからでしょう。右奥には、大塚・歳勝土遺跡の森も見えています。そんなわけで、このあたりは遺跡と歴史の町なのです。


總持寺に行った2024年末と2025年始

2025-01-04 23:14:56 | 遺跡・寺社

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

2024年末に2025年始と2回、總持寺に行ってきました(2024年12月29日、2025年1月2日)。

 

2024年12月29日(日曜日)のウォーキング先は、鶴見の總持寺と花月園跡に決めました。この日の總持寺は、まだ参拝者が少なく、落ち着いて散歩することができました。 

 

總持寺に隣接する鶴見大学歯学部には歯塚があります。以前、ここの教授の方に教えてもらいました。抜けた歯、抜いた歯、こういうものにも命を見る禅宗(仏教)。


總持寺に車で来た人用の通路。

 

大きな駐車場がありますが、このときは使用禁止中。

 

三松閣(さんしょうかく)。巨大な研修センター的な施設。

 

百間廊下(ひゃっけんろうか)。雑巾がけの修業が行われる場所。

 

大祖堂(だいそどう)に参拝しました。入口脇では、初詣のお店の準備が始まっています。

 

アントニオ猪木のお墓があり、今回はじめて寄りました。猪木は、鶴見区生麦の出身なのです。「元気があればなんでもできる」はその通りだけれど、私は「なにかをやれば元気が出る」と考えたい。

 

参道では、屋台の準備がされています。

 

そのあと寄ったのが、花月園跡。なにやら工事が始まっていました。

 

花月園とは、大正から昭和の時代、東洋一と言われた遊園地でした。谷崎潤一郎の「痴人の愛」には、ここにあったダンスホールが出てきます。古い地図を見るとけっこう広大な敷地があったようです。

 

跡地の一部は公園として整備もされていますが、

大部分が宅地として再開発されるそうです。サカタのタネ跡もそうでしたが、なんかつまらない土地利用法だなと思います。

 

そして年が明けて、2025年1月2日(木曜日)、家族の今年の初詣は總持寺に行くことになりました。私ははからずも連続していくことになりました。

 

屋台の前はそれなりに活気がありますが、お寺全体としてそれほど混雑していなかったので安心しました。敷地が広大だということもあるのでしょう。

 

順路が決まっているので人の流れがよどむこともありません。これは向唐門(むかいからもん)。

 

釈迦牟尼如来を祀る仏殿。いつもは、扉が閉じていたり、工事中だったりで、中をちゃんと見れたのは初めてかもしれません。ここで参拝しました。

 

祀られている太祖瑩山(けいざん)禅師から大祖堂の手前へとヒモが出ていて、

 

こちらの柱を伝って、

 

五色の布に繋がっています。これに触れることで、太祖さまに繋がれるという仕掛けですが、参拝に来られた皆さんは知らないようで、だれも触れていきません。家族に教えて触ってもらいました。

 

おみくじやお守り売り場。かなりいろんな種類のお守りが売られていました。けっこう、商売上手か?

 

帰ります。それにしてもあまり混雑していないのがよかった。最近では、明治神宮や伊勢山皇大神宮に行っていますが、混み過ぎで疲れましたよ。


神奈川宿の大綱金刀比羅神社~東横線跡地トンネル~サカタのタネ跡

2024-12-28 08:11:42 | 遺跡・寺社

日曜日の午後、横浜駅西口に行った帰りに、旧東海道神奈川宿の大綱金刀比羅神社から、東横線跡地トンネル、サカタのタネ跡と歩いてきました(2024年12月15日)。

 

横浜駅西口のとあるビルで用事をすませたあと、横浜駅~旧東海道の神奈川宿~反町~東神奈川のウォーキング経路を頭に思い描き、まだ見てなかったところを周ってきました。最初に立ち寄ったのが、旧東海道神奈川宿にある大綱金刀比羅神社(おおつなことひらじんじゃ、俗名・こんぴらさん)。階段を登って、俗から聖の世界に入ります。

 

こちらが社殿。右にいる怖い人が気になります。

 

天狗ですね。

 

裏山の岩盤が彫られて、奥に何か祀られています。ちょっと怖い感じもします。それにしてもこの岩盤、玄武岩のようなかなり硬そうな岩のように見えます。鎌倉で見られる凝灰岩とは違いますね。

 

社務所もあって、今でもしっかり営まれているようです。もともとこの下には袖が浦神奈川港があり、そこを出入りする船がここで海上安全を祈願して出港したと言われています。他にも様々なご利益があるとされています。源頼朝が伊豆国石橋山から海を小舟で安房国へ逃れようとしたとき、夢うつつに大権現の神霊が現れて守護してくれたことを覚えていて、勝軍飯綱大権現とあがめ奉り、この地に社を建てたのが由来だそうです。

 

金刀比羅神社のすぐ近くには、旧東海道を横切って旧東横線が通っていました。みなとみらい線が開通するときに、東横線は地下に移りましたが、旧東横線跡はこのように游歩道として整備されています。写真は旧東海道から横浜駅方向を見ています。

 

こちらは、旧東海道から反町駅方向を見ています。ここを歩くのは初めてです。

 

高島山トンネルがあります。

 

500mくらいの長さだと思います。トンネルの断面は、電車が複線で通るのには少し狭い感じがします。トンネルの補修工事がされていて、電車が通っていた頃より断面が狭くなっているそうです。

トンネルを出て、振り返って見た写真。

 

この遊歩道は東白楽駅まで続きますが、私はその手前の反町駅のところで右のほうに向かいます。

 

サカタのタネ店舗跡です。更地になって、これから集合住宅が作られるようです。

国道1号線のバス停があるところ。サカタのタネで苗を買って、よくここでバスに乗って帰ったものです。規模の大きな園芸ショップだったので、何も買わなくても、見るだけで癒されたものです。閉店になって1年くらい経つのでしょうか。規模を小さくしてもいいので継続してもらいたかったものです。こうなってしまって、残念です。


篠原城と大豆戸城

2024-11-30 08:07:32 | 遺跡・寺社

横浜市港北区にある篠原城と大豆戸城の跡を見てきたレポートです。

鶴見川の南側にはいくつもの城跡があります。先日小田原城見てきました。小田原城の城主であった小田原北条氏が戦国時代に支配していた地域は私の住む横浜市も含んでいて、傘下の武将たちが城を拠点に守りを固めていました。それらの城のうち、小机城寺尾城は以前、ご紹介しています。横浜市北東部には他にも、小田原北条氏配下にあった篠原城と大豆戸城というのもあって、それぞれ見に行ってきましたので、まとめて紹介したいと思います。

 

2024年1月28日、篠原城を見に行きました。

妙蓮寺から新横浜方向に歩いていくと、途中にあるのが篠原八幡神社。新横浜駅の東口を篠原口と言い、このあたりの地名を篠原と呼びます。

 

ここはけっこうりっぱな神社です。

 

さらに新横浜駅に近づくと、小山があり、この上に篠原城があるはずです。小山を一周してみます。

 

周りが柵で囲まれていて、山に入れないようになっています。

 

正覚院(しょうがくいん)という曹洞宗の寺院が小山のふもとにあります。

 

正覚院の裏は墓地になっていて、その奥が城跡です。

 

墓地のあたりからは、左に新横浜駅、右に新横浜プリンスホテルが見えます。

 

1周して、小山の東側に戻ってきました。この道を入っていくと、

 

この地域の歴史の説明パネルが設置されていました。この地図は江戸時代の様子ですが、現在の新横浜駅と菊名駅の位置がわかります。地図の中ほどにある城山と書かれているところが、今いる場所、つまり篠原城跡となります。近くに正覚院も書かれています。

左のほうの菊名駅の北西にある安山と書かれているあたりが、このあと出てくる大豆戸城があった場所です。二つの城がこんなに近接してあったというのは不思議です。

 

城の本拠地内は立入禁止です。小田原北条氏家臣の金子氏が城主を務めていました。金子城とも呼ばれます。

こんな感じでどこからも入れません。ここは、発掘調査や保全作業がまだ進んでいないのでしょう。人が勝手に入って遺跡を荒らされたら困るので、仕方のない措置です。

 

2024年10月14日、大豆戸(まめど)城を見に行きました。

菊名駅の西口から横浜線沿いの道を西に歩くと、小山の上に向かう階段があり、そこを上っていきます。

 

小山の上は平坦な住宅地になっています。地名を大豆戸町といいます。

 

このあたりに大豆戸城があったらしいのですが、石碑さえ残っていません。完全に住宅地として開発されています。大豆戸城には、戦国時代に小田原北条氏の家臣の小幡氏が居城していました。

 

これは南側の眺めですが、ふもとがよく見えて城としての立地はよさそうだというのはわかります。

 

北側に下りていきます。

 

下りたところに八杉神社があります。

 

神社の入口には橋があって、菊名川に架けられていたものを、暗渠化による歩道化のために場所をずらしたものです。先日の菊名川暗渠巡りでもご紹介したところです。

 

さっきの八杉神社と趣きが似ていますが、こちらは隣にある日蓮宗の本乗寺です。大豆戸城の小幡氏が創建したということなので、城はなくなっても寺がかの時代の様子を伝えているということになります。

 

帰りに、通ったことのなかった菊名駅の南側を歩いてみたら、住宅街の中にこんなロータリーがありました。あとで調べたら、錦が丘ロータリーといって、昔このあたりに東横線菊名駅を作って駅前ロータリーにしようとしたんだけれど、駅はずっと北に作られたので、ロータリーだけが残ったという話です。知らないところを歩いていると、こんな不思議な風景に出会うこともあるので面白いですね。


小田原城に行く-2

2024-10-05 08:13:23 | 遺跡・寺社

小田原城に行ってきたレポートの2回目です(2024年9月22日)。

 

階段を上って天守閣に入ります。天守閣は1960年に再建されました。さっき通ってきた3つの門もその後に再建されたものです。

 

城内には様々な展示がされています。これは江戸時代初期の小田原城地図。小田原北条氏時代の面影を残しているとされています。だいぶ外側を取り囲むように総溝が築かれたのは小田原合戦の前だったといいます。

小田原城は15世紀に大森氏が築き、北条早雲に始まる小田原北条氏の本拠となって関東支配の拠点となり、豊臣秀吉との小田原合戦で北条氏は滅亡、その後は徳川家康の家臣である大久保氏や稲葉氏が城主を務めてきたということです。

 

二の丸の建物にあったというしゃちほこ瓦。

 

1821年の天守閣の瓦。徳川家の家紋、三つ葉葵。

 

かつて城内には小田原動物園があったそうです。昭和25年に開園、令和5年に閉園。哺乳類・鳥類約70種が展示され、繁殖や野生動物の保護といった種の保全活動も行われていたそうです。

 

保護されてここで飼育・繁殖された日本の動物たちもいます。ホンドギツネ。

 

ハクビシン。

 

ニッポンアナグマ。

 

最上階の5Fの外側には展望デッキがあり、360度一周することができます。これは箱根方面。

 

伊豆半島と海。

 

すこしかすんでいますが、大島も見えます。

 

城下の本丸を見るとここがそうとう高いところにあることを実感します。

 

小田原駅と遠くに丹沢山地が見えます。右から、大山、三ノ塔、塔ノ岳という並びです。

 

江戸時代に天守にまつられていたという摩利支天像が再現されています。

 

外に出て天守閣をのぞんでみると、なかなかの美しさと豪壮さがあります。

 

帰りは学橋(まなびばし)から出ます。手前の二の丸に小学校があったため、そういう橋の名になったそう。昔は城跡にいろいろな施設を作っていましたね、小田原城だけでなく。今は、そういう施設は除いて、城のあったころの状態を再現しようという流れになっています。

 

堀のほとりにはジャズ喫茶がありました。

 

帰り道で、天守閣の最上階が見えました。新幹線に乗っていても小田原駅の近くで天守閣が見えますね。

 

帰りの東海道線の車窓から見える空は、夏の終わりを感じさせるものでした。もう9月の後半なんですけどね。次の日は秋らしく涼しくなりましたが、その後また夏日が戻ってきたりと季節がおかしいです。

 

相模川の河口近く。

というわけで、小田原城はけっこう立派でした。これからさらに城跡が整備されていくんでしょうね。