wakabyの物見遊山

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小田原城に行く-2

2024-10-05 08:13:23 | 遺跡・寺社

小田原城に行ってきたレポートの2回目です(2024年9月22日)。

 

階段を上って天守閣に入ります。天守閣は1960年に再建されました。さっき通ってきた3つの門もその後に再建されたものです。

 

城内には様々な展示がされています。これは江戸時代初期の小田原城地図。小田原北条氏時代の面影を残しているとされています。だいぶ外側を取り囲むように総溝が築かれたのは小田原合戦の前だったといいます。

小田原城は15世紀に大森氏が築き、北条早雲に始まる小田原北条氏の本拠となって関東支配の拠点となり、豊臣秀吉との小田原合戦で北条氏は滅亡、その後は徳川家康の家臣である大久保氏や稲葉氏が城主を務めてきたということです。

 

二の丸の建物にあったというしゃちほこ瓦。

 

1821年の天守閣の瓦。徳川家の家紋、三つ葉葵。

 

かつて城内には小田原動物園があったそうです。昭和25年に開園、令和5年に閉園。哺乳類・鳥類約70種が展示され、繁殖や野生動物の保護といった種の保全活動も行われていたそうです。

 

保護されてここで飼育・繁殖された日本の動物たちもいます。ホンドギツネ。

 

ハクビシン。

 

ニッポンアナグマ。

 

最上階の5Fの外側には展望デッキがあり、360度一周することができます。これは箱根方面。

 

伊豆半島と海。

 

すこしかすんでいますが、大島も見えます。

 

城下の本丸を見るとここがそうとう高いところにあることを実感します。

 

小田原駅と遠くに丹沢山地が見えます。右から、大山、三ノ塔、塔ノ岳という並びです。

 

江戸時代に天守にまつられていたという摩利支天像が再現されています。

 

外に出て天守閣をのぞんでみると、なかなかの美しさと豪壮さがあります。

 

帰りは学橋(まなびばし)から出ます。手前の二の丸に小学校があったため、そういう橋の名になったそう。昔は城跡にいろいろな施設を作っていましたね、小田原城だけでなく。今は、そういう施設は除いて、城のあったころの状態を再現しようという流れになっています。

 

堀のほとりにはジャズ喫茶がありました。

 

帰り道で、天守閣の最上階が見えました。新幹線に乗っていても小田原駅の近くで天守閣が見えますね。

 

帰りの東海道線の車窓から見える空は、夏の終わりを感じさせるものでした。もう9月の後半なんですけどね。次の日は秋らしく涼しくなりましたが、その後また夏日が戻ってきたりと季節がおかしいです。

 

相模川の河口近く。

というわけで、小田原城はけっこう立派でした。これからさらに城跡が整備されていくんでしょうね。


小田原城に行く-1

2024-09-28 07:53:10 | 遺跡・寺社

小田原城に行ってきました(2024年9月22日)。

ほんとうは「神奈川県立 生命の星・地球博物館」に行くつもりで東海道線で小田原駅まで来たのですが、箱根登山鉄道が停電のため不通になり復帰の見込みがわかりません。博物館に行くためには、箱根登山鉄道で3駅目の入生田(いりうだ)駅まで行かなければなりません。バスでも行けそうですが、なんだか混んでいます。それで、博物館に行くのは断念。

代わりに小田原城に行ってみることにしました。昔、小田原城のお堀のあたりを歩いたような記憶はありますが、まともにお城を見学するのは今回が初です。先に感想を述べると、小田原城は意外にりっぱなお城でした。2回に分けて紹介します。今回は1回目。

 

小田原駅から歩いて約10分で、城の堀に着きました。

 

堀に架けられた学橋。帰りはここを渡って出ました。

 

正規登城ルートだという馬出(うまだし)門土橋を渡って城内に入ります。

 

通りを隔てた向こうには三の丸ホールという建物があります。三の丸ということは、ここも城の敷地だったようです。

 

馬出門から入城します。

 

この小田原城案内図に書かれた赤線の通りに歩いて行きます。

 

住吉橋。

住吉橋を渡って小さな門をくぐると、

 

銅(あかがね)門。

銅門をくぐると、門の上で展示が見れるようです。

小田原評定(おだわらひょうじょう)の様子が展示されています。小田原評定とは、聞いたことのある言葉ですが、いまいちよくわかっていないので調べてみたら、ネット上で下のように説明されていました。

「「長引くだけで、いつになっても結論の出ない会議や議論」という意味で、慣用句として使われている。 天正18年(1590)、豊臣秀吉が北条氏の小田原城を攻めたとき、城内で和戦の評定が長引き、ついに決定を見ないまま滅ぼされたことから出た言葉。」

ひと昔前の会社の会議のようです。しかし、仮に会議が短時間で結論まで出ていたとしても、滅ぼされることは変えようがなかったのかもしれませんが。

銅門からは二の丸を隔てて、天守閣がちら見えしてきました。

 

二の丸から、小さな堀と石垣を越えて、常盤木門に向かいます。

常盤木門に入ります。

 

本丸に到達し、ついに天守閣が現れました。(つづく)


旧神奈川宿を歩くーその2

2024-02-24 07:00:00 | 遺跡・寺社

先日は、旧東海道神奈川宿の京急神奈川駅の周辺を見て廻りましたが、今回はもう少し長く、神奈川宿の東端から西端のあたりまで歩いてみました(2024年2月4日)。神奈川宿の東端であるJR東神奈川駅を下りて西に向かって歩きました。江戸時代からの寺社が多いので寺社巡りみたいになっていますが。

 

金蔵院(こんぞういん)。

 

熊野神社。江戸時代には金蔵院の境内にあったものが、明治の神仏分離令によって分かれたそうです。

 

神奈川地区センター。広場左の床面の紋様は、「神奈川宿歴史の道」シンボルマークの「青海波」だそう。

神奈川地区センターの前にあるのが、高札場(こうさつば)。元は滝の橋のたもとにあったものが、ここで復元されたもの。幕府の法度や掟などを庶民に知らせるための情報伝達の場。

 

成仏寺。開港当時、アメリカ人宣教師の宿舎として使われました。

 

浄瀧寺。開港時にはイギリス領事館に充てられました。

浄瀧寺のわきには滝の川があります。川面に迫り出して建築されている古い建物があります。ここは暗渠ではありませんが、これも公共の土地の不法占拠の一種でしょうか。そうとう劣化して崩れてきている建物もあります。

 

旧東海道(現国道15号線)が滝の川を越えるところが滝の橋。橋の両側は本陣跡といって、大名や公家が宿泊する宿があったそうです。この滝の川については、そのうち探索してみたいと思います。

 

権現山跡。ここはけっこう高い山だったのが削られて台場や鉄道用地の埋め立てに使われたそうです。山の跡は、幸ヶ谷公園となっています。これは南東側からのながめ。

これは北西側からのながめ。

権現山は戦国時代に、上杉方と北条勢の上田蔵人方が戦った古戦場だそうです。

幸ヶ谷公園からは眺めがよく、鉄道線路と閉店したサカタのタネが見えます。

こちらは、京急神奈川駅のホーム、鉄道をまたいだ青木橋、先日見た三宝寺が見えます。

 

旧街道の宮前商店街は、商店はあまり見られずマンションやオフィスビルばかりになっています。

 

甚行寺(じんぎょうじ)。開港当時、フランス公使館に充てられていました。

 

青木橋。

 

京急神奈川駅は鉄道線路の上に浮いたように作られていますが、もとはこの高さが地面だったのでしょう。

 

青木橋を渡って旧街道をさらに西に向かうと、東急東横線の線路跡遊歩道をまたぎます。

 

大綱金刀比羅神社。

 

このあたりに、台町の茶屋街がありました。

昔の茶屋として唯一、「さくらや」が現在の料亭田中屋として残っています。ここには、坂本龍馬の未亡人のおりょうさんが仲居として働いていたと言われています。

 

滝川という料亭もありますが、昭和になってから作られたお店です。

 

神奈川台の関門跡。関所みたいなのがあったようです。

今日はここまで。旧東海道神奈川宿の歴史散歩でした。


旧神奈川宿を歩くーサカタのタネ閉店にショック

2024-01-20 22:40:32 | 遺跡・寺社

先日のウォーキングで、大口から東神奈川を経由して、旧神奈川宿(京急神奈川駅のあたり)まで歩きました。途中で、サカタのタネの「ガーデンセンター横浜」を通ったのですが、閉店していたのでびっくりしました(2024年1月7日)。

 

大口駅西口を南に進むと大口通商店街があって、国道1号線を越えると大口1番街があります。大口1番街には居酒屋がけっこうありますが、商店は少ないのであまり来ることがありません。それで、今回たまたま見つけたのが、

 

旧蹟足洗川。

暗渠になっています。

このJR横浜線の線路下のトンネルを通って入江川に合流するのか、直接運河につながっているのか。しかし、どこから流れてきているのでしょうか。場所的には白幡池あたりからかもしれません。気になります。

 

そのまま、国道1号線に出て歩き続け、横浜線の東神奈川駅を越えて、さらに歩くと、

なぬ?サカタのタネの横浜ガーデンセンターが閉店だと?

2023年12月24日に閉店していたそうです。

ここは、園芸好きにとっては聖地のような場所。あらゆる種類の園芸植物から野菜まで、種・球根・苗、園芸用品、と非常に品ぞろえが多くてなんでもそろっている園芸のデパートのようなところで、他に同じような店はないと思います。買わなくても、癒されるために見に来ることもよくあったので、ショックです。なぜ閉店してしまうのだ?コロナ禍が終わったら人々の園芸熱は冷めてしまったのか?2027横浜国際園芸博覧会に向けて、横浜市民の園芸熱は盛り上がっていくはずではなかったのか?真相はよくわかりません。

 

気を取り直して、国道1号線をさらに進みます。旧神奈川宿までたどり着きました。鉄道用地埋め立てなど、このあたりの開発に尽力した高島嘉右衛門が高島山というこの高台に住んでいたということで、碑が残っています。

右のほうに見えるのが、望欣台の碑。

北は住宅地。

 

南は横浜駅。

 

高島山の中腹に、浄土宗三宝寺があります。なんでこんな中空に建築されているのか不思議です。

 

京急神奈川駅の前に、神奈川宿全体の説明板がありました。昔はこのあたりまで海が迫っていたのですが、埋め立てられて、海岸線はずっと南に移動しています。下の絵は有名な、歌川広重の「東海道五十三次 神奈川」。

神奈川 台ノ景

 

神奈川駅から国道15号線に出ると、滝の川という川がありました。ここを歩いたことがなかったので、この川の存在も初めて知りました。この川も、少し上流に行くと暗渠になっているようで、どこから流れ出ているのかなぞです。

 

ビックモーターがありました。

道沿いの植樹は枯れていませんでした。ここにこういう店があることも初めて知りました。


鎌倉五山第五位の浄妙寺に行く

2023-11-25 07:39:18 | 遺跡・寺社

鎌倉の浄妙寺に行ってきました(2023年11月12日)。

毎週日曜日、1万歩以上のウォーキングをこなしています。しかし、ただ歩くだけではつまらないので、毎回テーマを決めて行っています。今回は、鎌倉にとびました。鎌倉五山のうち、第一位の建長寺、何度も坐禅に行った第二位円覚寺第三位の寿福寺、第四位の浄智寺(ブログ記事はなし)には行ったことがありますが、第五位の浄妙寺には行ったことがないので、ずっと気にはなっていました。それで、今回の行先は浄妙寺にしました。

 

鎌倉駅を出ます。久しぶりの鎌倉。

 

若宮大路を来て、鶴岡八幡宮の前で右に曲がり金沢街道をひたすら歩きます。

 

浄妙寺に到着。

説明板に寺の歴史が書かれています。室町時代には23の塔頭をかかえた大寺院だったとのこと。今では国指定史跡になっています。

 

境内の庭園。

 

本堂。

 

右側が庫裏。

 

茶室の喜泉庵。だれでも抹茶がいただけるようです。

 

喜泉庵と枯山水の庭園。

 

寺の裏側は墓地になっていて、手前右の方に足利貞氏の墓がありますが、そこは見ていません。足利貞氏は足利尊氏の父です。足利尊氏は室町幕府を開いた大人物ですが、あまり時代劇とかで見た記憶がありません。なぜでしょうか。

 

寺の左奥には石窯ガーデンテラスという英国式レストランがあります。

豪華なアフタヌーンティーのセット。普通にランチもやっているようです。

 

鎌倉街道をへだてたむこう側に衣張山が望めます。

 

境内には紅葉の進んでいる木もあります。このお寺で見た人は10人くらいかな。こじんまりとしていますが、静かで綺麗な寺院でした。

 

金沢街道を戻ります。これは滑川。

 

鶴岡八幡宮のところまで戻りました。ここはいつ見ても賑わっていますね。