wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

横浜美術館・子どものアトリエに参加

2016-03-27 21:42:15 | 美術館・展覧会
横浜美術館の子どものアトリエ「親子のフリーゾーン」に家族で参加してきました(2016年3月20日)。

「親子のフリーゾーン」は、月に3回、日曜日に開催されている美術工作で遊ぶ親子で参加する教室で、受付で並んで先着500名まで入場できるというシステムです。10時から11時半まで、ねんどコーナー、えのぐコーナー、かみコーナーでそこに準備されている素材を使ってフリーで造形を楽しむ場です。とくにインストラクターから指導を受けるということはありません。ボランティアのような人がたくさんいて、いろいろと会場内を整備してくれていました。小学生以下の子どもとその保護者が対象ですが、とくに未就学児とその親が多かったようです。


横浜美術館の正面より右のほうにあるアトリエと書いてある入口から入ります。


最初は、ねんどコーナーから。
すごい人の多さです。




一家族でこのくらいのねんどをもらいます。焼き物用の粘土だそうです。だから、だんだん土が乾いてきます。手早く形を作っていくのがコツのようです。


家族で作ったものを並べてみました。


次は、えのぐコーナー。
バケツに数種類の色の絵具と筆が準備されています。


壁に模造紙が貼られていて、そこに好きな絵を描いていきます。


色を変えます。


さらに違う色で描きます。


手形も付けたりします。


完成。


しまいには興に乗って、自分の足でボディーペインティングを始めてしまいました。


でも、水がはられていて足についた絵具を洗うことができます。
しかし、服に付いた絵具は洗濯しても取れにくかったようです。
水彩絵具じゃなくて、アクリル絵具だったのかな。


壁には、奈良美智氏のイラストとメッセージが掲げられていました。


奈良美智氏の手形。私より少し小さい手でした。
先日横浜美術館で展覧会を開いた蔡國強(さいこっきょう)氏と奈良美智氏が今年のAsia Arts Awardsを受賞したそうです。 おめでとうございます。


最後に、かみコーナーです。
いろんな紙とともに、ハサミ、カッター、糊、テープ、ホチキス、色サインペンなどが準備されていて、好き勝手に形を作ったり色を塗ったりしていきます。


家でもこういう遊びはしているので、ちゅうちょなく手が動いていきます。


親も作るのを手伝って出来上がりました。展覧会のチラシなども使ったコラージュとなりました。
作品は持ち帰りも自由です。

これでこの日のコースは終了。
ちょっと人が多すぎるのがつらかったけど、親も楽しめるし、本格的なところがあるので子どもの体験にもいい、よい企画でした。

アクセス数10万達成お礼

2016-03-22 21:23:40 | お知らせ・出来事
gooブログ「wakabyの物見遊山」のアクセス数(トータル閲覧数)が昨日の2016年3月21日をもちまして、10万に達しました。
いつもご覧いただきましてありがとうございます。

本ブログの内容は、前のブローチブログのときから、クルーズ客船、山歩き、観光・子どもとのお出かけ、坐禅、読書、脳科学、とトピックスが変遷しながらいろいろなことを扱うようになってきました。考えてみると、ポリシーは仕事と最大の趣味である音楽には触れないことくらいでしょうか。音楽には触れないとはいっても、毎年9月に行く京都音楽博覧会のことだけは例外的に紹介しています。観光の一部だからということもあります。

これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。


幸福感に関係する脳部位が発見された

2016-03-19 21:54:00 | 脳科学・心理学
京都大学医学研究科の研究グループが「幸福の神経基盤を解明」したと発表されました。

主観的幸福、つまり幸福感の強弱と大きさが相関する脳部位が発見されたというのです。楔前部(けつぜんぶ)という聞きなれない脳部位に主観的幸福の基盤が存在しているらしいのです。それも右脳の楔前部にです。主観的幸福という非常に高度な哲学的概念の主体が脳のある部位に存在しているということ、つまり純粋に生物学的、物質的な存在であるということがまず驚きです。そして、高度な分子生物学的な脳研究が行われているこの時代に、心理アンケートと、我々も脳ドックなどでよく検査を受けるMRIで、ある脳部位の大きさを測るだけという、いたって簡単な方法でこのような重大な発見がなされたことも面白いところです。

エレーヌ・フォックス「脳科学は人格を変えられるか?」によると、楽観脳(サニーブレイン)は側坐核と前頭前野からなるユニットが中心的な役割を果たしている、また楽観的な人では左脳の活動度が高いということですが、これらの脳部位と今回報告された右楔前部は別の場所にあります。楔前部は大脳の内側面にあり、大脳辺縁系の一部とされる場合もあるそうです。

瞑想トレーニングが楔前部の体積を変えることはすでに知られていたそうですが、楔前部とはいったいなんだろうと、ネットで検索してみるといろいろ出ていました。プロ棋士ではアマチュアと比べてここの活動度が高いため直観力に関係しているらしいです。時間の感覚がなくなるほどに何かに集中して作業に没頭している状態は「フロー」と呼ばれています。楔前部はこのフローに関係していて、意識的に考えなくてもアクティブに動いているシステムのハブであって、創造性を発揮する瞬間に非常に活発になるともいわれています。また面白いことに、かゆみを認知する部位でもあるそうです。かゆいところを掻くときに快感に近い感覚を覚えますが、それと主観的幸福とのあいだにまさか関係があるとは思えませんが。

瞑想することで右楔前部が大きくなり、それにともなって幸福感も高まるのだとしたら非常にわかりやすい話ではありますが、そんなに単純なことなの?とも思ってしまいます。この分野の研究が進んでさらに脳における幸福感というもののあり方がいろいろとわかってくるのが楽しみです。

本研究成果は、2015年11月20日に英国科学誌「Scientific Reports(サイエンティフィックリポーツ)」誌のウェブサイトに掲載されました。その概要は、京都大学のウェブサイトに下記の通り報告されているので引用します。

『幸福は、人にとって究極の目的となる主観的経験です。心理学研究は、主観的幸福が、質問紙で安定して計測できること、感情成分と認知成分から構成されていることを示してきました。しかし、主観的幸福が脳内のどこにどのように表現されているのかという神経基盤は不明でした。神経基盤を理解することで、この主観的な現象を客観的に調べることができ、また幸福が生み出されるメカニズムについての手がかりも得られます。

この問題を、佐藤特定准教授、魚野翔太 医学研究科特定助教、澤田玲子 医学研究科研究員、義村さや香 同特定助教、十一元三 同教授、河内山隆紀 ATR脳活動イメージングセンター研究員、久保田泰考 滋賀大学保健管理センター准教授のグループは、成人を対象として、脳の構造を計測する磁気共鳴画像(MRI)と幸福度などを調べる質問紙で調べました。

その結果、右半球の楔前部(頭頂葉の内側面にある領域)の灰白質体積と主観的幸福の間に、正の関係があることが示されました。つまり、より強く幸福を感じる人は、この領域が大きいことを意味します。また、同じ右楔前部の領域が、快感情強度・不快感情強度・人生の目的の統合指標と関係することが示されました。つまり、ポジティブな感情を強く感じ、ネガティブな感情を弱く感じ、人生の意味を見出しやすい人は、この領域が大きいことを意味します。こうした結果をまとめると、幸福は、楔前部で感情的・認知的な情報が統合され生み出される主観的経験であることが示唆されます。主観的幸福の構造的神経基盤を、世界で初めて明らかにする知見です。


右楔前部と主観的幸福の間に示された正の関係。左図は脳の領域を指す。右図は体積と主観的幸福の関係を示す散布図

今回の結果は、幸福という主観的な経験を、客観的・科学的に調べることができることを示します。今後、瞑想トレーニングが楔前部の体積を変えるといった知見と併せることで、科学的データに裏打ちされた幸福増進プログラムを作るといった展開が期待されます。』

いちご狩り

2016-03-13 07:50:10 | 横浜
いちご狩りに行ってきました(2016年3月5日)。

横浜市泉区の相鉄いずみ野線ゆめが丘駅近くにあるゆめが丘農園にいちご狩りに行ってきました。近所のお友達家族といっしょです。いちご狩りのあとは、近くを流れる和泉川沿いの原っぱで昼食を摂り子どもたちを遊ばせました。このあたりは横浜とはいっても畑や自然がたくさん残っていて田園風景が広がっています。子どもたちはほんとうに楽しそうに遊んでいました。


ゆめが丘駅は関東の駅百選に選出されているそうです。なかなかかっこいい駅の造りです。でも改札から外に出るとそこには店などまったくありません。あるのは畑や農家くらいのものです。


駅から5分ほど歩いたところにあるゆめが丘農園。


ビニールハウスのいちご畑。30分食べ放題です。



こんなふうにいちごが摘みやすくなっているので、熟しているのを見つけて摘んで、洗わずどんどん食べていきます。練乳も使えます。土や肥料が付いているせいでしょうか、ときどき味のわるいものもありますが、だいたいはみずみずしくて甘くておいしいです。品種は、栃おとめ、紅ほっぺ、あきひめがありましたけれど、紅ほっぺがとくにおいしかったです。


こんな大きいのも見つかります。
30分食べ続けてだいぶ満足しました。


つぎに行ったのが和泉川。このように川原が広くなっているところがあって子どもの遊び場としては最適です。


川にはコイや、


マガモや、


コサギなんかもいます。



子どもが集まれば、河原にはえているアシや木の枝を使ったり、枯草の中にもぐったり、あたりを走り回ったりいろんな遊べができます。都会暮らしの子どもたちを、ときどきはこういうところに連れてきて遊ばせてあげたいものです。

書評「100分de名著 アドラー 人生の意味の心理学(岸見一郎)」

2016-03-05 22:08:43 | 書評(脳科学・心理学)


100万部を突破した「嫌われる勇気」の著者、岸見一郎によるNHK100de名著シリーズの一冊である。2年くらい前に「嫌われる勇気」を読んでアドラー心理学を知ったが、わかりやすいようでよくわからないアドラー心理学を復習して、すこし頭の中を整理してみようという気持ちで読んで(テレビも見て)みた。そして、子育ての仕方へのヒントにしたいというのがもう一つの動機である。岸見氏も子育てで悩んでいたときにアドラーの本に出会ったという。

アドラー心理学を学ぶ上で一つ前提として頭にとどめておくべきことは、アドラー自身、晩年は幸福ではなかったということだ。娘の失踪に心を痛めて不眠が続き67歳で心筋梗塞で亡くなっている。現代の認知行動療法ならこういうときどうすればいいか答えを出してくれるように思えるが、アドラー自らが作り上げた心理学でこの非常事態に心のバランスを保つことはできなかったようだ。歴史的には認知行動療法が出てくる前の理論だからそういう限界はあるにしても、役に立つところは参考にしたいと思う。内容は次の4回に分かれている。

第1回:人生を変える「逆転の発想」
普通われわれが考える「原因論」では、幼い時の境遇や過去の経験が今の自分の生き方を規定していると考えるが、アドラーの「目的論」では今の生き方は自分が選び取ったものだとする。その自分の人生の意味づけの仕方を「ライフスタイル」と呼び自分で決めているが、変えるのは簡単ではない。親の価値観や文化や賞罰教育が影響している。しかし、「ライフスタイル」は自分で選んだものなので、いつでも選び直せる。

第2回:自分を苦しめているものの正体
劣等感を何かができない言い訳に使うことを「劣等コンプレックス」という。その裏返しとして、自分を実際よりも優れているように見せようとするのを「優越コンプレックス」という。上司が部下に対して、教師が生徒に対して理不尽にしかりつけたりすること、さらにいじめや差別は「優越コンプレックス」のある人が引き起こす。健全な優越性の追求の仕方は、他人との競争ではなく、自分の中でマイナスからプラスを目指して前進することである。そして真に人生の課題を克服できる人は、ただ自分のためだけに優越性を追求するのではなく、他者への貢献を意識できる。

第3回:対人関係を転換する
対人関係の問題は、他者を自分の行く手を遮る「敵」と見なすことから生まれる。それは、親子関係、夫婦関係、友人関係、職場の対人関係すべてにいえる。それゆえに、他者との関係の中に入っていきたくないと考えてしまう。しかし、他者がいつもそんなに危険なわけではないし、生きる喜びや幸せも対人関係の中でしか得ることはできない。他者を敵ではなく「仲間」と考えられれば人生は大きく変わる。幼いころに親に甘やかされて育つと、他者が自分に何をしてくれるか、ほめられるかにしか関心を示さない、「承認欲求」を持った大人になる。例えば、子育てや認知症の親の介護などは、相手から「ありがとう」という言葉をかけてもらえないので承認欲求のある人にはつらいものとなる。相手からの「ありがとう」を期待するのではなく、その相手と一緒に過ごせたことに対して「ありがとう」と思えればそれで十分である。生きることは「ギブ&テイク」ではなく、「ギブ&ギブ」である。貢献感を持てれば、承認欲求は消える。承認欲求から脱却する3つの方法がある。1つ目は、他者に関心を持ち、相手の立場に立って理解するよう努めること。2つ目は、他者は自分の期待を満たすために生きているのではないし、自分も他者の期待を満たすために生きているわけではないことを知ること。3つ目は、重要なキーワード「課題の分離」である。自分の課題と相手の課題を分けて考えること。例えば、子どもが勉強しないとしても、それは子どもの課題なので、親は子どもに勉強しなさいとは言えない。勉強しなさいと言われることは、子どもにとっては自分の課題に土足で踏み込まれることを意味するので当然反発する。親が子どもに対してイライラしたり不安になるとしたら、それとどう向き合うかは子供ではなく親の課題である。岸見氏はそんな親には仕事や趣味に力を注ぐよう助言するという。一方で、子どもや他者から協力を求められたときは、「共同の課題にする」ことで協力することができる。

第4回:「自分」と「他者」を勇気づける
他者と結びついている、貢献しているという感覚が「共同体感覚」であり、それを持つことがアドラー心理学の目標である。共同体感覚とはどんな感覚なのか3つの観点から述べられる。1つ目は、ありのままの自分を受け入れる「自己受容」。自分を受け入れる方法の一つは自分の短所を長所に置き換えてみること。例えば、「集中力がない」は「散漫力がある」に、「飽きっぽい」は「決断力がある」に、「性格が暗い」は「優しい」に、言い換えるといい。自分に価値があると思えれば対人関係に中に入っていく勇気を持てるという。2つ目は、自分の存在や行動が共同体に役に立っていると思える「他者貢献」。「他者貢献」を自覚できれば「自己受容」にもつながる。3つ目は、他者を無条件で信じる「他者信頼」。「他者信頼」があれば「他者貢献」ができる。アドラーの教育論の基本は「勇気づけ」であり、親や教師が子どもに対して共同体感覚を持ち、対人関係の中に入っていく勇気を持てるように援助することである。そのために、「叱ること」と「ほめること」を認めていない。そういった行為は上下の対人関係を前提としているからである。対等な関係で貢献感を持つよう援助するために、親は子に「ありがとう」「助かった」ということが大切である。しかし、他の人から「ありがとう」といわれることを期待はしないこと、それを期待すれば承認欲求があることになる。

こうして見るとアドラー心理学には、仏教における自らは他人に支配されないとする「自灯明法灯明」、そして見返りを求めず他人に貢献する「利他の心」という2つの精神との共通点が感じられる。
さて、アドラー心理学の勧める教育法をどこまで実行できるだろうか。子どもを上から目線で叱ったりほめたりすることを減らすことはできたとしても、完全にやめることはできないだろう。子どもの能力ではなくがんばりをほめることはその子のやる気や成果の向上につながると、近年の研究で実証されているのだ。しかし、子どもに対して一人の人間として尊敬し感謝する気持ちは持てるし、意識して「ありがとう」と言葉をかけることはできるはずだ。