wakabyの物見遊山

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書評「NHK100分de名著 ブッダ 最期のことば(佐々木閑)」

2015-04-29 14:25:02 | 書評(仏教)


NHKの番組100分de名著、2015年4月のテーマ「ブッダ 最期のことば」のテキストである。著者は前回「般若心経」も担当していた佐々木閑。「般若心経」のときの理路整然とした解説に惹かれていたので、また読んで(テレビを見て)みることにした。

今回題材としている書物は、原始仏教(未熟なという意味にならないように、著者は「釈迦の仏教」と呼ぶ)の経典の一つ「涅槃経(ねはんぎょう、マハーパリニッバーナ・スッタンタ)」である。釈迦の仏教には数多くの経典があるが、「涅槃経」は80歳でこの世を去ることになったブッダの最後の旅の様子がストーリー仕立てで描かれたものである。また、このお経の特徴は、ブッダ亡き後の仏教僧団「サンガ」をどうやって維持・管理していけばよいか基本理念が説かれていることだという。私は普段、禅宗のお坊さんの書いた本を読むことが多いが、おおもとの釈迦の仏教とはどのようなものだったのか、知っておきたいと思う。大乗仏教は外界の神秘的なパワーで助けてもらう宗教であるが、釈迦の仏教は「自己鍛錬システム」だと著者はいう。大乗仏教にもずいぶんバリエーションがあるが、禅宗なんかは比較的「自己鍛錬システム」、言い換えると自力本願のための宗教だと思える。

古代インドでは輪廻することが当然のことと信じられていて、それを抜け出した場所が涅槃であるとブッダは説いた。しかし、現代人の我々が考えると輪廻という概念自体目に見えるものではなく、神秘的に思えるのだがどうだろうか。涅槃とは、悟りを開いた者だけが到達できる特別な死であり、二度とこの世に生まれ変わることのない完全なる消滅を意味するという。永遠に再生を繰り返す苦しみから抜け出して、真の安楽の状態に入ることだという。ブッダの死についての言説として私の覚えているところでは、死んだらどうなるのかという弟子の問いに対して、ブッダは「無記(ノー・コメント?)」と述べたという話(茂木健一郎、玄侑宗久)や、死んでどうなるかは瞑想で到達できる以上のものではないと言ったという話(玄侑宗久)、ブッダが一般人に対して善い行いをすれば天国に行けると言ったこと(ひろさちや)がある。これらブッダの死についての説明と涅槃に行くということとの整合性はどうなっているのだろうか。そのへんがまだよくわからない。それはともかく、「涅槃経」の中でブッダは、人が死んで涅槃に入るための条件「法の鏡」を説いた。そこでは、自ら顧みて仏・法・僧(サンガ)という三宝を信頼しながら、規律正しい生活を送っていると確信できるなら必ず涅槃に向かうことができると言っている。

他に重要な教えとしては次のようなものがあげられるかもしれない。

ブッダは「自分自身を島(洲)とし、自分自身を拠り所として生きよ。それ以外のものを拠り所にしてはならない。ブッダの教え(法)を島(洲)とし、ブッダの教えを拠り所として生きよ。それ以外のものを拠り所にしてはならない。」と語り、「自洲法洲」、日本では「自灯明法灯明」と呼ばれている。ここからも「釈迦の仏教」は信仰ではなく、自己鍛錬の道だとされる。

「四念処(しねんじょ)」というのは、基本中の基本の修行法だという。「身(我々の肉体)」が素敵で好ましく見えること、「受(外界からの刺激に対する感受作用)」によってこの世には楽しいことがたくさんあると思うこと、「心(我々の心)」によって一人の人間に同じ一つの心がずっと続いていると思うこと、「法(この世のすべての構成要素)」の中に確固たる我=自分が含まれていると思うこと、これらはすべて間違った見方であり、そうした見方を正しく矯正する修行法が「四念処」である。

「釈迦の仏教」においては、在家信者と出家者の二重構造になっていて、在家信者は一切仕事をしないでサンガで修行に専念し、涅槃を目指す。一方、在家信者はそういう出家者に対して食べ物や建物を布施することで世俗での幸福が得られるのだという。ブッダの葬儀も在家信者が行った。出家者は葬儀などするより修行せよ、とブッダに言われていたのである。著者によれば、大乗仏教は在家者でも悟りの道を歩むことが可能であるとされていることが、「釈迦の仏教」と違っているところだという。

ブッダ亡き後のサンガにはリーダーもいないし、能力主義による昇進制度もなく、完全な年功序列で早く出家した先輩が敬われる。そこが現代の様々な組織と違う点である。最後に著者は、ブッダの教えは現代の科学的世界観と調和するものであると主張している。つまり、神や外界の超越的存在を信仰するのではなく、「心」のあり方を変えていく方法であるからである。それは現代の脳科学や心理学などの到達点とも通じるものであり、2500年も前に一人の人間によってそのような世界観と自己鍛錬の体系が作られていたことは驚異的なことに思えるのである。

八景島シーパラダイス・アクアミュージアムに行く

2015-04-25 10:24:50 | 動物園・水族館
八景島シーパラダイスのアクアミュージアムに行ってきました(2015年4月19日)。

八景島シーパラダイスの園内を廻ってみましたが、ここは遊園地なんですね。だから、アクアミュージアムという水族館も遊園地の一部なので、「学ぶ」とか「ためになる」という要素はあまりないところでした。関連施設として、「うみファーム」「ふれあいラグーン」「ドルフィンファンタジー」というのもありますが、今回見てないのでそちらの様子はわかりません。アクアミュージアムの遊園地としての方向性は、園内のショップにも通じていて、ショップを何件も見て回りましたが、お菓子とぬいぐるみなどのお土産ばかりしかありません。知育玩具や「学び」につながるようなもの、大人もほしくなるような気の効いたグッズが全く置かれてないのです。ちょっとがっかりでした。
アクアミュージアムは、展示している水生動物の種類も数も豊富だし、ショーが行われるアクアスタジアムも大きくて、立派な水族館ではあります。チケットは高くて3,000円です。娘と二人で行ってきました。


シーサイドラインの八景島駅で下りると、そこは海の公園で、ちょうど潮干狩りのためたくさんの人が集まっていました。


三角屋根の建物がアクアミュージアム。


アクアミュージアムに入るとまず、アクアスタジアムのショーが下から覗けます。


シロクマのいる水族館は珍しい。


アクアチューブの魚の大群。


イカも珍しい。


うちの子がサメにツンツンされる。


フグ。


ウミガメ。


アクアスタジアムは、大きくて立派です。


アクアスタジアムの最上階からは、八景島シーパラダイスを一望できます。


アクアスタジアムのステージ。


席がお客さんで埋まりました。


ショーの始まり。


シロイルカ。


ジンベエザメはマイペースで回遊を続けます。


イルカのジャンプ。


ペリカンが飛ぶ。


そして、アクアミュージアムを出て、寄ったアイスクリーム屋さん「リトルダーリン」は、120種類という品数の多さ。


シートレインに乗って、園内を廻ります。


ブルーフォール。
上から落ちてくるやつ。こういうのには、一生乗りません。


メリーゴーラウンドに乗って、帰りました。

大橋さんから頂いた船写真5

2015-04-19 08:04:14 | 客船関連情報
クルーズ知り合いの大橋さんが、4月1日から1週間行かれたギリシャ・クルーズのときの船写真を送ってくれましたので、ご紹介させて頂きます。


ピレウス港のフェリーたち1。


ピレウス港のフェリーたち2。


クシャダス港にて。
右が大橋さんの乗られたセレスティアル・オリンピア。ブログ繋がりのサマンサどら猫さんも最近乗られていましたね。
セレスティアル・オリンピアは前船名ルイス・オリンピア、ルイス・クルーズ所有、1982年竣工、総トン数37,584t、全長214m、カテゴリー・スタンダードの船です。
左はハンブルグ。


ハンブルグは、プランツアーズ・クロイツファールテン所有、1997年竣工、総トン数15,067t、全長145m、カテゴリー・スタンダードの船です。


おそらくクレタ島に停泊中のフェリー。

大橋さんはこれが最後のクルーズになるかもしれないとのことです。
ちょっと寂しい気がしますが、これからもお元気で旅行等を楽しんでください。

娘の入園式

2015-04-11 21:30:01 | お知らせ・出来事
娘が幼稚園に入園しました(2015年4月8日)。
この日はお釈迦様の誕生日でもあります。
そんな特別な日に、娘にとって初めての社会生活がスタートしました。


今年満4歳になる、年少組からの入園です。
ここまで来るのにずいぶん長かったなという思いにとらわれます。


自分の下駄箱を見つけて上履きを置きます。

家では元気いっぱいの娘ですが、たくさんの見知らぬ園児たちの中でうまくやっていけるかな?
父親にできるのは、たっぷりの愛情をこめてはげましてあげることぐらいです。

書評「門(夏目漱石)」

2015-04-05 09:32:04 | 書評(文学)


夏目漱石が鎌倉の円覚寺に参禅した経験を元に書かれたと言われているのが「門」である。
しかし、参禅についてのことが出てくるのはほとんど終わり近くになってからであって、それまでは日々の暮らしや出来事がずっと述べられていく。そのストーリーはざっと下記のようなものである。

家計は楽ではないが、主人公の宗助と妻の御米とはお互いに気遣いあう仲のよい夫婦である。宗助は役所に務めている。休みの日曜日には街中を散歩したりして息抜きをするが、どこか落ち着いた満ち足りた気分にはなれない。叔父の所に預かってもらっていた弟の小六の面倒を見てやらなければならなくなったのも気が重い。宗助はふと、歯医者の待合室にある雑誌「成効」の中にある「風碧落を吹いて浮雲尽き、月東山に上って玉一団(風が大空の浮雲を吹きはらうように迷いが晴れ、山の端を照らすわやかな月のように心が澄みわたるの意で、悟りの境地を表現した語)」と書いてあるのを読み、こんな心持とは最近無縁であるが、そうなれたら人間もさぞ嬉しかろうと思った(第五章)。いつも気持ちがどんよりと重いが、すっきりとしたらいいだろうなという希求があるのである。後半で禅に救いを求めることになる伏線である。
御米は自分に子供ができないことを苦にしていて、その原因は過去のある出来事にあると思っている(第十三章)。その過去の出来事とは、宗助が親友の安井を裏切って御米を奪って結婚したという事実である。そして二人でひっそりと暮らしてきたのだが、安井が近くにやってくることを宗助は聞く(第十六章)。そのことで宗助は大いに心を乱し、居ても立っても居られなくなる。それで心を楽にすることを求めて、鎌倉の禅寺に行く(第十八章)。しかし悟ることなどとてもできそうにないし、心がちっとも楽にならない。老師から言い渡された公案「父母未生以前本来の面目は何か」の答えを考えているとさらに心が苦しくなる。そして10日ほどで家へ帰ることを決める(第二十一章)。「自分は門を開けて貰いに来た。けれでも門番は扉の向側にいて、敲いても遂に顔さえ出してくれなかった。ただ、「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」という声が聞こえただけであった。(中略)けれどもそれを実地に開ける力は、少しも養成する事が出来なかった。」と宗助は思う。こうしてタイトルの「門」の意味するところが示される。家に帰ったら、安井はもういなくなったという。禅寺で心を楽にすることもできなかったが、心を苦しめていた原因もなくなった。しかし、このような心を乱すことはこれからもまた起きるかもしれないと宗助は思って、「門」は終わる。

最後の解説で柄谷行人は、「門」を三角関係を中心に分析していて、奪い取った相手を今度は憎むようになるという心理学的な解釈を述べているが、そういうフロイト的な要素もこの本にはあるのかもしれないが、それは本質ではないと思う。漱石はおそらく三角関係にこだわりがあったので、それを取り上げて書いているのだが、三角関係のみならず様々な事柄によって、過去に罪悪感を感じたり後悔の念を持ったり、将来に不安を抱いたりするものである。そうした心の中の苦しみを解消するために禅に行きついたのだが、やってみたら到底歯が立たなかったという話である。しかし、漱石は「門」の中で禅について相当深く理解しているような記述をしていると思った。「門」を突破できなかったにしても、ずいぶんその近くまで来ていたように思う。病弱で50歳で亡くなった漱石にとって、門を突破するためには、健康ともう少し長い寿命が必要だったのかもしれない。ちなみに、宗助は禅寺で「剽軽な羅漢の様な顔をしている気楽そうな」居士(在家修行者)に会うが、これは鈴木大拙のことだという。