著者のフランス・ドゥ・ヴァールは、世界的な霊長類学者、進化認知学者である。日本の霊長類学者たちともつながりがある。著書も多いが、この「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」は動物の認知、「共感の時代へ」は動物の共感、「ママ、最後の抱擁――わたしたちに動物の情動がわかるのか」は動物の情動、とそれぞれテーマが分かれているようだ。
動物に心や意識などない、あるのは本能と学習による機械的な反応のみだと考えていた心理学に対抗して、動物にはそれぞれの環世界(ウンヴェルト、種ごとに異なる見たり感じている世界)や高い認知(思考)能力があるのだとする動物行動学の考え方が次第に正しいことがわかってきた。そうした著者を含めた世界の動物認知の研究の流れを解説した本である。章ごとに見ていこう。
[プロローグ]
・我々が動物に接する中で体験するような逸話も大切である。日常的な逸話からは認知能力がどのような目的に適うのかがわかり、実験から得た証拠によって他の説明が排除できる。著者はその両方に同じように価値があると考えている。
・動物は出会いの挨拶に加えて別れの挨拶もするのだろうか。つまり、先のこと、未来のことを考えているのか。チンバンジーを観察していると、ちゃんと短い別れの挨拶をするので、先を考えているように思われる。しかし以前は、動物は現在に囚われているとされていて、そうした将来について考える能力があることは懐疑的に思われていた。
[第1章 魔法の泉]
・人間と動物の類似性を指摘することが、「擬人観」だと言ってそしられることがある。しかし、擬人観が問題になるのは、私たちから遠く離れた種を対象とするなど、人間と動物との比較の範囲を広げ過ぎたときだけだ。たとえば、キッシング・グラミーという魚は、成魚どうしが争いを解決するために、突き出た口をしっかり合わせることがあるが、この習性を「キッシング(口づけ)」と呼べば誤解を招く。一方、類人猿は離れ離れになっていたあと、互に唇をそっとあてがって挨拶をするので、人間のキスと非常に似た状況でキスしていることになる。
・比較心理学という分野があるが、ここでは伝統的に動物を人間のただの代役と見なしてきた。人間を単純化したのがサル、サルを単純化したのがラット・・・という具合だ。連合学習によってあらゆる種の行動が説明できると考えられていた。この分野の創始者の一人であるB・F・スキナーは、どんな種類の動物を研究するかは関係ないと感じていた。これに対して、動物行動学者のローレンツは、比較心理学は比較とは無縁だとジョークを飛ばしていた。つまり動物個々の比較をするのでなく、「ヒトの行動の非ヒトモデル」として動物たちをいっしょくたにしているだけだと。
[第2章 二派物語]
・著者は、動物行動学こそ自分が進みたい分野だとはっきりしていたが、その前にその競争相手の学問分野である比較心理学、それを支配した行動主義の心理学教授の研究室で助手として働いた。
・逸話は、研究の出発点としては重要だが、けっして終着点ではない。逸話の集積はデータにはあらずである。
・動物に文化があるという最初の証拠は、芋を洗う日本の幸島のニホンザルから得られた。1952年、日本の霊長類学の父である今西錦司は、初めて次のように主張した。もし個体が互いの習慣を学び合い、その結果、さまざまな集団の間で行動の多様性が生まれるのなら、動物には文化があると言って差し支えない、と。この考え方は、当時はあまりに革新的だったので、西洋の科学界がそれに追い着くのに40年かかり、今ではかなり広く受け容れられている。
・今日の進化認知学は、比較心理学と動物行動学という二つの学派の良いとこ取りをした、両者の混合物になっている。比較心理学が開発した制御された実験の方法論と、動物行動学の豊かな進化的枠組みと観察技術を採用している。それに加えて、少なくともフィールドでの研究では、さらに第三の学派である日本の霊長類学が影響を及ぼしている。個々の動物に名前をつけ、何世代にもわたって彼らの社会的経歴を追跡することで、集団生活の核心にある血縁関係や交友関係が理解できる。第二次世界大戦直後に今西が始めたこの手法は、イルカからゾウや霊長類まで、長寿の哺乳動物の研究では標準的になった。今西は研究対象にしている種に共感するよう、私たちを強く促した。同じように、今の私たちなら、彼らのウンヴェルトに入ろうと努力するようにと言うだろう。
[第3章 認知の波紋]
・オマキザルは、人間や類人猿より遠縁の新世界ザルと分類されているが、石を使った木の実割りをする。4000年前の、チンパンジーの打撃石器遺跡も発掘されている。これらの動物たちは、私たちが経験してきた石器時代に暮らしていることになる。
・落とし穴付き筒課題という実験がある。この課題は意外と難しくて、人間の子供も4歳以上にならないと確実には解決できない。5頭のチンパンジーでこのテストをすると、2頭が解決できた。彼らは行動と道具と結果のつながりを頭の中で思い描いていたのだ。これは「表象による心的戦略」として知られており、行動する前に解決することが可能になる。類人猿は、他の霊長類とは一線を画すような認知能力を持っていると考えられる。
[第4章 私に話しかけて]
・近年は、鳥類も高い認知能力を持つことがわかってきている。アイリーン・ペパーバーグが30年にわたって飼育・研究したヨウムのアレックスが、鳥類の知能を調べるその後のあらゆる研究のために道を切り開いた。鳥類は哺乳類の大脳皮質に類すると思えるものをほとんど持たないので、学習は苦手で、思考など問題外だと以前は見なされていた。
・アレックスもそうだし、一部の鳥類は人間の言葉を話せる。しかし著者は、人間だけが言語を操る種だと思っている。人間という種以外に、私たちのものほど豊かで多機能の、記号によるコミュニケーションが存在するという証拠は皆無である。他の種も、情動や意図のような内的なプロセスを伝えたり、非言語的なシグナルで行動や計画を連携させたりすることが十分できるが、彼らのコミュニケーションは記号化されていないし、言語のように際限ない柔軟性を持っているわけでもない。
・人間の明瞭な発話と、鳥が鳴くときの微妙な運動制御の両方に影響を与える遺伝子としてFoxP2が知られている。鳴き鳥と人間は発声の学習にもっぱら関連した遺伝子を少なくとも50個共有している。言語の進化についての研究には、動物との比較は避けて通れない。
・私たちの情動や認知的プロセスについて、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)で脳をスキャンする研究が行われている。動物は動いてしまうためこの方法が使えなかったが、うまくしつけた犬を用いてできるようになった。人間でも犬でも、類似した認知的プロセスが類似した脳領域を稼働させることがわかってきているなど、神経科学的な研究法が進みつつある。
[第5章 あらゆるものの尺度]
・京都大学霊長類研究所にいるチンパンジーのアユムは、コンピューターのタッチスクリーンに映された1から9までの数字を思い出し、消えた数字とその場所を当てる作業で、人間以上の記憶力を示した。ある種の認知能力についていえば、チンパンジーは人間を超えている面もあるということになる。
・他者の心的表象や行動を理解するための認知的枠組みを示す「心の理論」という概念がある。この概念は霊長類の研究に由来する。それにもかかわらず、いつのまにか定義し直され、少なくともしばらくは、類人猿には無縁に見えた。しかし、心の理論は人間ならではのものであるという包括的な主張は、もっと含みのある段階主義的な見方に降格されなくてはならない。おそらく人間は互いの理解の程度が高いだろうが、他の動物との違いはそれほど明確ではない。
・人間の共感能力は決定的に重要な能力であり、それが社会全体を束ね、愛する人や大切な人と私たちを結びつけている。著者は、他者が何を知っているかを知ること(心の理論)よりも、共感能力のほうが生存にはあるかに重要な土台だと考えている。認知科学は共感を見下す傾向にある。しかし、経済学の父であるアダム・スミスによって、「想像力を働かせて、苦しんでいる者の立場になること」と定義された共感的な視点取得は、人間以外の種でも広く知られている。
[第6章 社会的技能]
・ヒヒやマカクの群れでは、メスの序列はそのメスの出身家族次第でほぼ完全に決まる(最近のサイエンス誌に、ブチハイエナの母親の社会的地位が子どもに継承されるという論文が出ていたが、そのような世襲の現象は霊長類では以前から知られていたのだ)。メスは友人や血縁者の緊密なネットワークのせいで、母系の序列にまつわる規則からけっして逃れられず、高位のメスの娘は高位になり、低位のメスの娘は低位に収まる。
・動物の協力はおもに血縁関係に基づくと、あたかも哺乳類が社会的昆虫であるかのように説明される。だがこの説は、フィールドワーカーたちが野生のチンパンジーの糞から抽出したDNAを分析したところ、誤りであることが立証された。分析結果から遺伝的関係を判定した結果、森の中で行われる助け合いの大部分は血縁関係のない類人猿間で生じていると結論された。飼育下での研究では、見知らぬ霊長類どうしでさえも、食べ物を分け合ったり恩恵を施し合ったりするように誘導できる。エドワード・O・ウィルソンは1975年の著書「社会生物学」で、協力行動の進化に関する優れた理論を概括し、人間の行動に対する進化的な取り組みが始まるのを助けた。しかしそのような取り組みは冷めてしまったようだ。
・チンパンジーは凶暴で好戦的である、「悪魔のよう」でさえあるという現在の悪評は、そのほぼすべてが野生の世界における近隣の群れの成員に対する振る舞いに基づいている。チンパンジーたちはときおり、縄張りを巡って残忍な攻撃を仕掛けることがあるが、命にかかわるほどの激しい闘いになることはきわめて稀である。
・チンパンジーは不公平に対して抗議するが、それは相棒よりも少ない報酬しかもらえないときだけではなく、多くもらったときにもする。これは明らかに人間の公平感に近いように思われる。
[第7章 時がたてばわかる]
・記憶のためにも未来志向のためにも脳の海馬が欠かせないことが、ずっと以前から知られている。海馬は脳の他の主要な領域と同様、人間特有のものではない。ラットにも同様の構造があり、迷路課題をこなしたら後のラットの脳波から調べたところ、海馬はラットの過去の経験の固定の他に、まだ通っていない迷路の道筋の探求にも携わっているらしいことあわかってきた。人間も将来を思い描いている間にやはり海馬の活動が見られる。かつては人間だけが心的時間旅行をすると考えられていたが、人間と動物の違いは程度の問題であって、質の問題ではないというダーウィンの主張した連続性という立場に私たちはますます近づいている。
・性的暴行で告発されたフランスのある政治家は「欲情したチンバンジーのように振る舞った」と言われたが、著者はチンパンジーに対する侮辱だと主張する。人間が衝動のままに行動するとすぐさま、私たちは躍起になってその人を動物になぞらえる。しかし、チンパンジーは性的欲望に身を委ねるのではなく、欲望を慎んだり、情動制御ができる。もし誰もが好き勝手に振る舞ったとしたら、どんな階層制度も破綻してしまう。社会的序列は魚やカエルからヒヒやニワトリに至るまで、さまざまな種に存在し、自制は動物社会に古くから見られる特徴である。
[第8章 鏡と瓶を巡って]
・自分自身の利益のために他者の真似をするのではなく、他の誰もと同じように行動したいと望むのを体制順応主義といい、人間の分化の基盤であるが、チンパンジーも体制順応主義者であることがわかってきた。子供が親の真似をするのにも体制順応主義が見られるが、性差があり、オマキザルでは娘には見られるが息子には見られなかった。チンパンジーでは、母親は娘のお手本の役割を果たすが、息子にとっては必ずしもお手本になるとはかぎらない(娘が父ではなく母の影響を受けやすいのは人間でも同じだ)。
・親切な行為は伝染するだろうか?喧嘩好きなアカゲザルと、温和なベニガオザルという2種類のマカクの幼い子どもをいっしょに5か月間生活させた。共同生活のあと、アカゲザルは寛大なベニガオザルと同程度まで、仲良くする技能を発達させた。ベニガオザルから引き離されてからでさえ、アカゲザルは喧嘩のあと、典型的なアカゲザルの4倍近く頻繫に仲直り行動を示した。気質が改善されて生まれ変わったアカゲザルは、体制順応主義だといえる。
[第9章 進化認知学]
・情動は、認知と同等に注目されてしかるべきテーマだ。そこには神経科学が大きく関与することも求められる。いずれ本書のような読み物には、神経科学の情報が大量に盛り込まれ、観察された行動が脳のどのメカニズムによるものかが説明されることだろう。
・私たちの課題は、もっと動物の身になって考えることであり、それによって各動物に特有の状況や目的に気づき、動物の立場から彼らを観察して理解することだ。私たちは自らの研究に生態学的な妥当性を求め、他の種を理解する手段として人間の共感能力を奨励したユクスキュル、ローレンツ、今西の助言に従っている。真の共感は、自己に焦点を合わせたものではなく他者志向だ。