円覚寺の土曜坐禅会に参加してきました(2014年6月28日)。
4月から月一の頻度で参禅していて、トータルで6回目になります。
坐禅中に、指導の僧侶が廻ってきて、合掌して待つと警策で肩を叩いてくれるのですが、
私はいつもこれをやってもらっています。せっかく遠くの坐禅会まできたのに、やらないともったいない
気がするのです。カツを入れてもらうような気分です。坐禅は、どんどん我を減らしていく練習なので、
自我(エゴ)の強い人はたいへんかもしれません。私も自我は強いのですが、坐禅の時ぐらいは
坐禅会というシステムの中に自分を投げ出すよう努力しています。
横尾忠則の「坐禅は心の安楽死」という本を読むと、この人は非常に自我の強い人なので、
警策で叩かれると思うと気が散って集中できないと僧侶に食ってかかる場面があったり、
相当苦闘している様子が書かれていておもしろいです。
アジサイの季節です。
明月院目当てでしょうか、北鎌倉界隈は混雑しています。
円覚寺のアジサイ。
一般公開されている大方丈から見る正伝庵のほう。
修行道場から出てきたお坊さんの列。
4月から月一の頻度で参禅していて、トータルで6回目になります。
坐禅中に、指導の僧侶が廻ってきて、合掌して待つと警策で肩を叩いてくれるのですが、
私はいつもこれをやってもらっています。せっかく遠くの坐禅会まできたのに、やらないともったいない
気がするのです。カツを入れてもらうような気分です。坐禅は、どんどん我を減らしていく練習なので、
自我(エゴ)の強い人はたいへんかもしれません。私も自我は強いのですが、坐禅の時ぐらいは
坐禅会というシステムの中に自分を投げ出すよう努力しています。
横尾忠則の「坐禅は心の安楽死」という本を読むと、この人は非常に自我の強い人なので、
警策で叩かれると思うと気が散って集中できないと僧侶に食ってかかる場面があったり、
相当苦闘している様子が書かれていておもしろいです。
アジサイの季節です。
明月院目当てでしょうか、北鎌倉界隈は混雑しています。
円覚寺のアジサイ。
一般公開されている大方丈から見る正伝庵のほう。
修行道場から出てきたお坊さんの列。