wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

2017夏休みは河口湖方面へ・1日目(河口湖カチカチ山、忍野八海)

2017-08-27 19:09:52 | 長野・山梨・静岡
今年の夏休みは河口湖方面へ行ってきました(2017年8月18-19日)。その1日目のご紹介です。

この日は、富士急行線で終点の河口湖駅まで行き、カチカチ山こと天上山にロープウェイで登り、富士急行線で富士山駅に移動、そこからバスで忍野八海に行き、忍野温泉旅館で泊るという行程でした。


ロープウェイでカチカチ山に登ります。河口湖の眺めがすばらしい。


湖畔の風景を見ると、まるでアルプスのふもとのイタリア湖沼地方かと見紛うような景色です。


ロープウェイの終着地は、展望台のある天上山公園になっています。
標高は、河口湖が833m、天上山展望台が1075mです。頂上まで登ると1104mあるそうです。


なぜここがカチカチ山とよばれるようになったのか、その由来が書かれています。昔話の「カチカチ山」はこのあたりの山が舞台だったと、太宰治が書いたことからきているようです。


展望台からは富士急ハイランドも見下ろすことができます。
残念ながら曇っていて富士山は見えません。


さて、ロープウェイで下に降ります。このホームがなかなかこわい感じでした。


ロープウェイがやってきました。屋上にタヌキが乗っています。「カチカチ山」の物語にちなんでいるのでしょうか。


少し青空が見えてきました。雲がきれいです。


富士急行線河口湖駅から富士山駅まで移動です。こんなヨーロピアンなデザインの列車です。


忍野八海に着きました。これはお土産物屋などが並ぶ人造池。


涌池。
道にはたくさんの人が歩いています。


藻がはえてます。伏流水なのでとうぜん水の透明度は高いです。


濁池。


カモが泳いでいます。


お土産物屋街の休憩所に行きました。9割以上が中国人のようです。どこか違う国に来てしまったような異様な感覚がありました。
ツアーバスの集合時間だったようで、このあとこの人たちはみんないなくなってしまいました。


銚子池。中国人観光客がみんなひけてしまったので、うって変わったように静寂につつまれる忍野八海。


忍野八海から流れ下って桂川に合流し、相模川となる流れ。


お釜池。
このあたりで夕食をと考えたのですが、食堂はみな昼しか営業していないんです。けっこう不便な土地です。


コンビニで夕食を買い込んで、15分ほど歩いて忍野温泉旅館に到着。
今日の宿です。温泉はさらっとしたお湯でした。

Antonio Loureiro - Só - 01 - Pelas águas(水を想う)





ヨコハマ恐竜展2017

2017-08-20 14:33:10 | 博物館・科学館・図書館
ヨコハマ恐竜展2017に行ってきました(2017年8月11日)。

2015年の夏も娘とダイノワールド2015ヨコハマ恐竜博に行ったのですが、その時3歳だった娘は動く恐竜模型がこわくて泣きだしてしまい、30分で出てきたということがありました。そして、今回5歳(9月で6歳)になった娘は動く恐竜も含めてぜんぜんよゆうで恐竜展を見てまわることができました。この年頃の2年間というのはびっくりするくらい変化が早くて、脳の発達のドラスティックさを実感したのでした。


パシフィコ横浜展示ホールAの会場入口。


始祖鳥。


トリケラトプス「レイモンド」。右半身だけ残った化石。


ティラノサウルス・レックス「スタン」。世界的にもよい状態で残っていたといわれている化石。


トリケラトプス「ケルシー」。これもよい状態の化石。みんな化石には愛称がついています。


エコロフィシス。ここからは「恐竜の森」コーナー、動く恐竜模型たちです。


パラサウロロフス。よゆうで笑顔です。


アマルガサウルス。


ブラキオサウルス。


ディメトロドン。これでも哺乳類だそうです。


ディロフォサウルス。


オルニトミムス。


ディノニクス。


ティラノサウルス。


近くにはティラノサウルスの子どもたちも。


展示コーナーを出て、恐竜FUNランドで小さいトリケラトプスに乗る。


恐竜発掘ひろば。
最近は、化石の発掘体験や発掘おもちゃがはやりのようで。


発掘恐竜DXという、石膏の中に恐竜化石(ミニレプリカ版)が埋もれているおもちゃを買ってきて家で発掘遊びをしています。

Dinosaur Jr - Whatever's Cool With Me (US)


リュウタとの最期の日々

2017-08-06 17:53:42 | 猫・犬

2017年7月9日にうちのネコ、リュウタが亡くなって今日で28日になりました。ここでリュウタとの最期の日々を振り返りたいと思います。

リュウタは利口なネコで、呼びかけるとちゃんと声を出して返事するし、よく声を出したり自己主張が強く、飼い主との遊びや触れ合いがとても好きな子でした。
もともと消化器系が弱くて便秘になりやすく、ときどき病院に行って薬をもらうことがありました。それでもとても元気だったのですが、5月後半に、吐いて食事をしなくなりました。感染性胃腸炎かと思っていたのですが、外のネコと交流する機会もないので外部から病原体をもらってくる可能性も低いわけです。動物病院で診察してもらったら膵炎と診断され、投薬治療が始まりました。
ずっと吐き気があるため自分から食事をしないので、吐き気止めの薬を飲ませて流動食を注射筒で口から注入するというお世話を妻が毎日やりました。急性で直る場合もあるし、慢性で直らない場合もあるとのことで、とにかくよくなってくれることを願って、できることをやってあげるしかありません。


発病後、体調が良くなった時もあって、このままよくなってくれたらと思ったものでした(5月28日)。


体調がいいときは、以前みたいに寝転がっている私の上に乗っかってきて甘えてくれました(5月28日)。


しかし、その後は衰弱していく一方でした(6月18日)。
臨済宗で病人を救うために読まれる延命十句観音経というお経を、妻と娘に毎日唱えてもらいました。しかしネコは言葉の内容がわかるわけではなく、娘の声音が強すぎて嫌がっていたようです。リュウタが元気なときは、どちらかというとオラオラと強気なネコだったのですが、人間の子どもはうるさくて苦手でした。

7月6日木曜日、私が仕事から帰ってくると、リュウタは洗面所で私のほうを見ています。このころはほとんど体を横に休めているだけになっていたのですが、私に対しても妻に対しても近くにいるといっしょうけんめいこちらを見ようとしていました。何かを伝えようとしている雰囲気が伝わってきました。この日、私がシャワーを浴びようとバスルームに入って、外にいるリュウタが気になってドアを開けたらリュウタが入ってきました。水に濡れるのが嫌いなので、バスルームを使っているときに入ろうとすることはこれまで一度もなかったので、こんなことは初めてです。できるだけ水がかからないように気を付けましたが、それでも少しはかかります。しかしいやがって出ていくことはありませんでした。とにかく少しでもそばにいたかったのでしょうか。妻は、「死に場所としてバスルームを意識しているせいか、よくそこにいる」と言っていましたが、今回の行動の意味はなんだったのでしょうか。


7月7日金曜日。明日と明後日は札幌へ出張です。前のネコ、シルバーも私がローマ出張中に亡くなったので、今回もいやな予感はありました。この日、家へ帰るとリュウタは玄関に寝ていました。トイレがうまく使えなくて、玄関で排尿してしまったようです。しかし、どうやら私を待っていたらしく、私が玄関わきの寝室に入ると、いっしょに入ってきました。歩くのもたいへんで、力をふり絞ってなんとか少しだけ歩くのです。もうこのころは、いつ死んでもおかしくないくらいの容態だったのですが、気力だけで生きていたように思います。とにかく生きなきゃ生きなきゃという気迫みたいなものがすさまじかったです。この写真は、このときテーブルの下で横になっているリュウタですが、目はしかっと開いています。上の写真は、生前最後の写真です。

この日の夜、リュウタは私と添い寝してくれました。私は布団で寝ているのですが、リュウタは最初は私の右側、私の足先を周って左側、そして頭を周って右側の顔の側と、一晩かけて一周しました。ときどき体が触れました。私はリュウタを撫でてあげました。まるでなにかの儀式のようでした。あまりよく眠れない苦しい夜でした。

7月8日土曜日、朝起きた私は、リュウタに向かって般若心経を唱えました。静かに聞いてくれました。そして、慈愛の瞑想をして、リュウタに慈しみの気持を向けました。このときの私はまだ、ほんの少しでも奇跡的に回復してくれる可能性を信じて祈っていました。慈愛の瞑想とは、ジョン・カバットジンのマインドフルネス瞑想法ではオプションとして勧められているものですが、密教系仏教では一般的に行われているようです。擬人的になってしまいますが、この夜のリュウタの行動は、今生のお別れのあいさつ、あるいは最後のお礼だったのではないかと思っています。人間は自分がいつ死ぬかなんてわかっていませんが、動物は死というものをちゃんと認識していて、自分がいつ死ぬかまでわかっているのかもしれません。妻によれば、リュウタはええカッコしいだったからと言いますが、それもとても擬人的な表現です。

慈愛の瞑想をしている最中、リュウタは突然鳴いて訴えてきました。昨日トイレができなかったと聞いていたので、抱えてトイレに押し込みましたが、中でへたばってしまいました。トイレではないようです。私は仕事で家を出ないといけないので、リュウタを妻に託して、家を出ました。あとから考えると、リュウタは私へのあいさつはできたので、今度は妻へのあいさつをしなければならないと考えたのかもしれません。

その日の昼間は妻は忙しく、夜になって時間ができて(それまでリュウタは妻が来てくれるまで死なないで待っていたのです)、7月9日日曜日1時半ごろ、妻がリュウタと添い寝して撫でているうちに、かすかにニャと言って、息を引き取ったそうです。まったく苦しむこともなく、安心したような死に際だったそうです。


7月10日月曜日夕方、ペットの葬儀屋さんに頼んで、焼骨してもらいました。


そして、お骨を頂きました。仮に魂があったとしてもここにはありません。だけど、リュウタという輝やく命が宿っていたことを考えれば、私たちにとっては大切なよすがです。

7月7日夜のリュウタの行動は、いったいなんだったのでしょうか。動物行動学ではこのような動物の行動を説明できるのでしょうか。利己的遺伝子?利他的行動?そんな生物学的理論でとうてい解釈できるとは思えません。