考え方の歪みがうつなどの精神疾患の原因であることがわかってきて、その歪みを矯正する心理療法として認知行動療法が生まれた。その認知行動療法はなにも病院へ行ってカウンセリングを受けなくても、本を読んで自分でもできるという。それじゃ、どんな本が出ているのかとずいぶん探した。何件もの本屋で立ち読みしたし、amazonのレビューやgoogle検索でいろいろ調べてみた。その結果、たどりついたのがこの本である。認知行動療法の自学自習本は日本人の著になるものも多数出ているが、この本はそれらの本家本元と言えるものだろう。著者のデヴィッド・バーンズは、認知療法の創始者であるアーロン・ベックに学び、自らも診療を実践しながら認知療法のメソッドを作り上げそれを一般に広めた立役者のような人である。
この2005年刊(英語版1999年刊)の第2版は824ページもあり、分厚くてほとんど辞書のようだ。あまりに大きくて通勤用かばんに入らないので、かばんを買い替えたくらいである。本の中で勧められているワークを試したり、部分的に二度読みしたり、ていねいに読み進めたからというのもあるが、全部読むのに4ヶ月くらいかかった。そんな大著であるが、英語版は300万部以上売れ、うつ病のバイブルと言われている。さらにこの本のすごいところは、あたかも医薬品のように臨床試験によってその効果が証明されていることである。この本を4週間で読む(4週間で読み切るのはかなりの努力がいると思われるが)読書療法に参加した患者の約70%において、うつ病テストのスコアが平均して中程度だったのが4週間で正常域まで低下したのである。その研究結果については序章で述べられている。
この本は7部から構成されている。
「第一部 理論と研究」
認知療法の原理と有効性が述べられる。うつ病の治療には抗うつ薬を用いるのが一般的だが、認知療法を単独で、あるいは抗うつ薬療法と併用することでより効果的に治療でき、また再発しにくくなるという。さらに、抗うつ薬のような副作用も考えられない。ベックうつ病調査表というのが提供されていて、自分で簡単にうつ状態のレベルを判定できるので便利である。得点が高いほどうつレベルは高くなる。ちなみに私がこの本を読み始めたときに測定した得点は6点で、1―10点の「この程度の落ち込みは正常範囲」であり問題ない範囲であった。しかし5点以下になると気分がよくて幸せを感じるレベルであり、認知療法はそこまで行くことを目標としている。この本を4ヶ月かけて読んだ後の得点も6点であったので(点が付いた箇所は変化しているが)、5点以下になることが私にとっては壁になっているようだ。そして「全か無か思考」から始まる10種類の認知の歪みが定義される。自分の思考における認知の歪みに気づいて、より合理的な考え方をすることを身につけるのが認知療法の根幹である。
「第二部 応用」
「認知の歪み」=「自己批判的な考え」を払しょくするための様々な技法が提案される。とくに中心となる技法がトリプルカラム法で、悪い気分が起きた時に使う。ノートを3列に区切って、左に自己批判的な自動思考、まん中に認知の歪みの種類、右に自己擁護的な合理的な反応を書く。これによって、ネガティブな思考をしてしまったときに、よりポジティブな合理的な考え方ができることを練習する。これを毎日15分、1~2ヶ月続けるという。まん中を抜いてダブルカラムでやってもいい。もう少し詳しく分析して6列のカラムで書いていく、アーロン・ベックの「歪んだ考えの日常記録」という方法もあるのでやりやすいほうを選べばいい。私は自分でアレンジして4カラムでやるのがやりやすかった。そして、虚無主義(やる気が起きないこと)、怒り、罪悪感の克服法が示される。フロイトは内向する怒りがうつ病の原因と考えていたが、証明されていない。また、怒ることは健康に必要だと考える人もいる。しかし、認知療法ではそもそも怒る必要さえないとしている。また、他人から批判をされた時の対応法が示される。批判された時の対応の仕方は3つある。批判をそのまま受け取ってしまう「憂うつ」、相手に反対する「怒り」、相手の主張をまずは聞き入れる「喜び」の道である。この3番目の方法が最も自己肯定的で合理的な反応であるとして、共感―批判の武装解除―フィードバックと交渉、という対応法が示されていて、私自身これは役に立つと感じている。
「第三部 現実的なうつ病」
愛する人との別離や病気などによる哀しみは当たり前の感情であり、うつ病とははっきり区別される。愛する人の死などで感じる罪の意識は、歪んだ認知であるとする。
「第四部 予防と人間的成長」
憂うつの原因となる、心の中にある自分では気がつかない「暗黙の仮定」があり、それをあぶりだして対抗できる考え方を身につける方法を学んでいく部である。暗黙の仮定を確認する2つの方法が示される。一つは「矢印法」といい、ダブルカラム法で左列に書く自動思考を矢印でどんどん掘り下げていき、問題を引き起こしている暗黙の仮定へたどりつく方法である。もう一つは「態度の歪み発見スケール」(DAS)という方法で、35の質問に答えるだけで簡単にできる。これによって、承認依存度、愛情依存度、業績依存度、完全主義依存度、報酬依存度、全能感、自律性のどこに弱点があるか、個人的人生観が見えてくる。そしてそれぞれの弱点に対する対処法が示される。個人的なことで恐縮だが私は、報酬依存、承認依存、愛情依存が弱点であることが判明した。これは他人に自分の価値判断をゆだねてしまっているということにほかならない。他人から承認される、愛情を与えられる、高い報酬を受けることが当然であるという考え方になってしまっているのだ。それらを十分受けられないことは生きていけば当然起きてくるので、そうなると怒りが生まれたり、自己評価が低くなったりして、気分の落ち込みにつながってくる。この本では認知の歪みがいつどのようにして生じたのかについては問わないが、唯一、承認依存は子供のときに過度に批判的だったり、神経質であった両親の影響によって生じるのだろうと言っている。しかし、このような思考傾向を克服するために努力することは大人になったら自分の責任だとしている。他人に褒めてもらうのを待つのではなく、自分自身を褒めることが大事で、毎日自分の良い点を思い出したときや良いことをしたとき、外部から良い反応を受けたかどうかにかかわらず、腕のカウンターでカウントして日記に記録する方法が提案されている。仏教に「自灯明法灯明」という言葉があって、他人ではなく自分と法(教え)を生きていくための拠り所にしなさいという意味だが、それとも通じるところがある。生きる主体を他人にではなく、自分に取り戻しなさいという考え方は、単なる心理療法を越えて哲学だとも思える。そして、完全主義の克服法についての章の最後に書かれている次の言葉にも感銘を受けた。「あなたの不完全さや愚かな面も、あなたの良い面の一つであるとさえ言うことができるのです。...悪い面も受け入れる力を諦めないでください。そうでないと、前へ進む能力までも失ってしまいますよ。努力することによって得られる満足感も、この先変化する可能性もないのです。...完全無欠で何もかも知っている人間に対しては、誰も愛情を感じることはできません。」
「第五部 絶望感と自殺に打ち勝つ」
自殺衝動に対する対応法が書かれている。
「第六部 日々のストレスに打ち勝つには」
医師としての自分の患者に対する日々の格闘が述べられている。
「第七部 感情の化学」
ここだけで328ページを費やしている。うつのメカニズムの生化学的な説明と抗うつ薬の生化学的な作用の仕方の仮説が書かれていて、私自身そういうことに興味があったので読んでみた。抗うつ薬は決しておそれるものではなくちゃんと有効性があるのだが、副作用もずいぶん多いようで、とくに多剤を併用すると危険性が増してくるようだ。ここの箇所は文系の人が訳しているせいか、日本語訳にアラが目立つ。そして、あまりに副作用の説明が長いので、読んでいると気が滅入ってくる。薬を使わない人は読まなくてもいいかもしれない。第七部を省略した「コンパクト版」も出ているので、そちらもお勧めである。
多くの芸術家にとっては不安定な精神が創造性につながっていることがあるだろう。ここでは、躁病や躁うつ病の薬であるリチウムについて説明していて、それを服用することで創造性が低下するということは少なく、逆に向上するケースすらあると述べている。では、認知療法を行うことは創造性にどう影響するのだろうか、興味のあるところだ。
全体として、非常に様々な技法が提案されているので、その中から自分に向いていると思うものを選んで実践してみればいいし、自分なりにアレンジしてやってみてもいいのではないかと思う。そして、抑うつの克服だけでなく、気分よく、前向きに、楽に生きていくためのコツが書かれた本として、困ったことがあったらいつでも読み返してみる人生の哲学書としてそばに置いておきたいと思っている。