wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

2025正月の帰省②ー田園の散策

2025-01-18 07:54:07 | 茨城・栃木・埼玉

今年の正月、茨城へ帰省したとき(2025年1月3日~1月4日)のレポート第二弾は、田園の散策です。

 

冬らしい、ブルーベルズの曲をどうぞ。ギターの人がフィル・スペクターに似ている。

The Bluebells--I'm Falling (Music Video)

 

新治廃寺跡。このあたりの遺跡公園化計画があるはずですが、何も変わっていません。奈良時代のけっこう規模の大きかった寺院というだけでは、このド田舎では集客も難しいのかもしれません。何かストーリー性とか話題性が必要なんですよね。

 

この日はいつもより遠出して、筑西市から東隣りの桜川市まで越境しました。今まで見たことのなかったいろいろに遭遇しました。

 

ゴルフ場が見えます。アジア下館カントリー倶楽部です。私はゴルフはやりませんが。

 

畑の中で何かを燃やしている焼却場のようなところがあります。ものすごい黒煙です。今どき、こんな有毒そうな煙って見なくなりましたが、ここはいったい?

 

林の中には、すたれたバンガロー風の建物群が見えてきました。

 

敷地内の建物の一つに入ると、弓矢があるので、これは弓道場のようです。

 

向こう側が、矢を当てるところですね。一体ここは何なんでしょう。

 

林の中をさらに進むと、突然、厩舎(馬舎)があらわれました。ここはプライベートな施設のようなので、元に引き返して、林を出ました。

 

向うに乗馬している人たちの列が並んでいるのがわかるでしょうか。右のほうに茶色の馬4頭、左に白の馬が2頭見えます。ここに、乗馬クラブ的なものがあるのだと想像されます。

 

ここがその施設ですね。

 

施設のほうに行くと、看板が出ていました。大和ホースパークと書かれています。下のほうに、バーベキュー、キャンプと書かれているので、先ほど見たバンガロー風の施設は以前、キャンプ場として使われていたのでしょう。大和ホースパークのホームページが出ていました。流鏑馬(やぶさめ)体験もできるようなので、さっき見た弓道場のようなところがそれに使われるのでしょうね。

 

この標識が気に入りました。米国西部にありそうです、エリア51の近くとか。

 

わが筑西市に戻ってきました。冬枯れになると観音川の姿がわかりやすくなります。かつては(江戸時代?)、霞ケ浦から船が往復できるくらいの川幅と流量がありました。

 

田んぼの中で、どんど焼きの準備がされていました。

私がここに住んでいた子どもの頃は見たことがないです。いつから始めたのか?


2025正月の帰省①ーネコ屋敷はついにカオス状態へ

2025-01-11 07:53:40 | 茨城・栃木・埼玉

今年の正月、茨城へ帰省してきました(2025年1月3日~1月4日)。そのときのようすのレポート第一弾は、ネコ屋敷問題です。

実家では、2021年7月頃からネコを飼い始めました。それから3年半が経ち、とうとう限界を突破しました。言い換えると、カオス状態に突入したということです。現在は、家の中で8~15匹(うち約7匹は家を出入している)のネコたちが駆け回り、家の中は便や尿から発生したアンモニア、アミン、酪酸等の匂いで充満し、服を置いておくと小便をかけられ(マーキング行動)、人にとってだけでなく、おそらくネコにとっても悪辣な環境になってしまいました。

 

昨年8月に生まれた5匹の茶黒ネコたちは外へ出すと言っていた言葉は守られず、家で飼われたままです。また、ふだんは外にいる白黒ネコ約5匹を、エサを食べさせるため家に出入させています。

 

以前からいたNo.1(シロ、凶暴ネコ)は、御覧のとおりあいかわらず私に対して敵意むき出し。

 

右のNo.4(シャム似ネコ)は、以前より落ち着きましたが、人懐っこさは変わらず。No.2は失踪したまま。No.3は臆病で家の中に隠れています。左の、昨年生まれた茶黒ネコの1匹は人懐っこくて私の膝の上に寝ています。もちろん、人懐っこいネコはかわいいのですが、この状況下ではネコたちが可哀そうだし、将来が心配です。

 

昨年、茶黒ネコを生んだ左の母ネコや、白黒ネコたちはこの窓から出入りしています。

 

さらに、玄関の外には、エサや水をもらって寝床も作ってもらって、隙あらば家に入ろうとしているネコたちが数匹(写真では7匹)います。

私が何を言っても聞き入れられず、悪い方向に進んでいます。動物福祉的にも問題のある、無責任な多頭飼育がおこなわれており、調べてみるとアニマル・ホーダーという精神疾患が関与している可能性が浮かび上がり、家族1名がそれによってモンスター化している構造が見えてきました。私としてはもうお手上げでしたが、妻の協力が得られて動き始めたところです。


總持寺に行った2024年末と2025年始

2025-01-04 23:14:56 | 遺跡・寺社

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

2024年末に2025年始と2回、總持寺に行ってきました(2024年12月29日、2025年1月2日)。

 

2024年12月29日(日曜日)のウォーキング先は、鶴見の總持寺と花月園跡に決めました。この日の總持寺は、まだ参拝者が少なく、落ち着いて散歩することができました。 

 

總持寺に隣接する鶴見大学歯学部には歯塚があります。以前、ここの教授の方に教えてもらいました。抜けた歯、抜いた歯、こういうものにも命を見る禅宗(仏教)。


總持寺に車で来た人用の通路。

 

大きな駐車場がありますが、このときは使用禁止中。

 

三松閣(さんしょうかく)。巨大な研修センター的な施設。

 

百間廊下(ひゃっけんろうか)。雑巾がけの修業が行われる場所。

 

大祖堂(だいそどう)に参拝しました。入口脇では、初詣のお店の準備が始まっています。

 

アントニオ猪木のお墓があり、今回はじめて寄りました。猪木は、鶴見区生麦の出身なのです。「元気があればなんでもできる」はその通りだけれど、私は「なにかをやれば元気が出る」と考えたい。

 

参道では、屋台の準備がされています。

 

そのあと寄ったのが、花月園跡。なにやら工事が始まっていました。

 

花月園とは、大正から昭和の時代、東洋一と言われた遊園地でした。谷崎潤一郎の「痴人の愛」には、ここにあったダンスホールが出てきます。古い地図を見るとけっこう広大な敷地があったようです。

 

跡地の一部は公園として整備もされていますが、

大部分が宅地として再開発されるそうです。サカタのタネ跡もそうでしたが、なんかつまらない土地利用法だなと思います。

 

そして年が明けて、2025年1月2日(木曜日)、家族の今年の初詣は總持寺に行くことになりました。私ははからずも連続していくことになりました。

 

屋台の前はそれなりに活気がありますが、お寺全体としてそれほど混雑していなかったので安心しました。敷地が広大だということもあるのでしょう。

 

順路が決まっているので人の流れがよどむこともありません。これは向唐門(むかいからもん)。

 

釈迦牟尼如来を祀る仏殿。いつもは、扉が閉じていたり、工事中だったりで、中をちゃんと見れたのは初めてかもしれません。ここで参拝しました。

 

祀られている太祖瑩山(けいざん)禅師から大祖堂の手前へとヒモが出ていて、

 

こちらの柱を伝って、

 

五色の布に繋がっています。これに触れることで、太祖さまに繋がれるという仕掛けですが、参拝に来られた皆さんは知らないようで、だれも触れていきません。家族に教えて触ってもらいました。

 

おみくじやお守り売り場。かなりいろんな種類のお守りが売られていました。けっこう、商売上手か?

 

帰ります。それにしてもあまり混雑していないのがよかった。最近では、明治神宮や伊勢山皇大神宮に行っていますが、混み過ぎで疲れましたよ。