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僕の読書ノート「心の病気はどう治す?(佐藤光展)」

2024-06-22 07:42:53 | 書評(脳科学・心理学)

 

精神疾患の6分野の最新の治療法について、それぞれの専門家が分担執筆した本だと思っていたが、読んだら違っていた。読売新聞などで記事を書いていた医療ジャーナリストである佐藤光展氏が、これらの専門家に取材しつつ持論を展開する内容であった。期待の持てる最新の治療法を取り入れようとしてきた専門家たちの努力が紹介されているのだが、そうした治療法についての医学的な解説というよりは、それらの日本への導入が遅れていることや、日本の精神医療全体の問題について、日本の制度に原因があることを明らかにしている。社会問題を追及するジャーナリスト的な著作である。

それぞれの精神疾患などが、7章に分けて取り上げられている。各章のあとには、コラムも付いている。備忘録として、下記にポイントを引用しておきたい。

第1章 依存症「ヒトは生きるために依存する」(松本俊彦)

・薬物依存症の人たちが、刑罰によってますます追い込まれていく負の連鎖が日本にはあるが、松本医師は、海外で成果を上げるハームリダクション(薬物を止めさせることよりも、使用による悪影響の緩和を優先する支援)と似た取り組みとして、薬物を再使用しても、打ち明けられるような関係づくりを行うことで回復していくSMARPPというプログラムを実施している。

・日本では薬物療法偏重の精神医療が行われてきた。その理由は、国が精神科に薄利多売を押しつけてきたため、クリニックが外来患者の面接に長い時間をかけると経営が厳しくなる。それで、診療報酬上もっとも効率が良い5分で診察を回して、面接よりも薬一辺倒の診療になっているからである。

第2章 発達障害「精神疾患の見方が根底から変わる」(原田剛志)

・発達障害は統合失調症と誤診されることが多かった。統合失調症と診断されて薬物治療を受け続ける人の中には、子どもの頃に継続的ないじめを受けたり、親からの虐待を受け続けたりした経験のある人が多い。彼らに生じた「幻聴」や「妄想」の多くは、聴覚性フラッシュバックや被害関係念慮であり、誤診だった可能性がある。しかし、抗精神病薬を長く飲み続けると、脳機能の一部が変化して「ドパミン過感受性精神病」という医原病が生じることがある。薬を減らすと統合失調症のような症状が表れるので誤診が覆い隠されてしまう。

・自閉スペクトラム症や「薄い自閉」がある人は、傍目から見るとそこまで重くないように思えるストレス体験の積み重ねでも、複雑性PTSDのような状態になりやすいと考える専門家は多くいる。聴覚性フラッシュバックはその症状のひとつとみることもできる。

・自閉スペクトラム症の人に多い過敏症に対しては、特定の薬の少量使用が有効だという。原田医師は、「過敏症は脳の神経の問題なので、適切に使えば薬は有効です。・・・カウンセリングや認知行動療法をいくら受けても知性では処理できません。薬を使わなければ過敏さは取れないのです。この場合、抗精神病薬エピリファイが効きます。ほぼ一択で、量は3ミリまでしか使いません。・・・ところが、使い方を間違っている医者が多くて、12ミリとか24ミリとか入れていることもあります。副作用が出るからダメです。4ミリや5ミリになると、じっとしていられずに動き回るアカンジア(静座不能症)が出ます」と言う。

・子どもへエピリファイの処方をすることで、子どもが失敗を経て学び、成長する機会を摘み取ることにはならないのか?「自閉スペクトラム症が濃い目の子どもは、なぜ自分が怒られているのか理解できないので失敗から学べません。例えば、癇癪を起こした子どもがAちゃんを叩き、叩き返されると、こういう子どもはAちゃんが叩いたと騒ぎます。自分が最初に叩いたからAちゃんが怒って叩き返したという流れを理解できないのです。・・・トラブルを減らすには薬が有効です。子どもの場合は特に量を少なくして、止めることも視野に入れた使い方をしていきます」

第3章 統合失調症「開かれた対話の劇的効果」(斉藤環)

・精神科専門医たちが「一生治らない」「生涯服薬」と決めつけたがる統合失調症(苦しい幻聴や妄想などが続いて生活に支障が出る精神障害)が、丁寧な対話の繰り返しで治るケースが次々と報告されている。統合失調症などの精神症状を、対話の力で消失(寛解)させたり、治癒させたりするこの手法は、フィンランドで生まれた「オープンダイアローグ」(開かれた対話)と呼ばれている。

・オープンダイアローグは例えば次のように進められる。急激に悪化した幻聴や妄想に苦しみ、混乱の只中にある急性期の患者の家に、オープンダイアローグの治療チーム(心理士、看護師、ソーシャルワーカー、精神科医の2人か3人で構成)は24時間以内に駆けつける。そして、家族、友人、会社の同僚らを交えたオープンな対話を、ほぼ毎日60分から90分程度、最大2週間を目途に繰りかえしていく。この対話の最中に治療チームのメンバー同士が、患者の話を聞いてこころを動かされたことや、浮かんできたイメージ、アイデアなどを話し合い、それを患者が間近で聞く機会(リフレクティング)も設ける。こうした「開かれた対話」から生まれる相互作用によって、患者の症状は短期間で劇的に改善していく。

第4章 うつ病・不安症「砂粒を真珠に変える力」(大野裕)

・「アントニオ猪木さんがよく、『元気があれば何でもできる』と言っていました。でも、認知行動療法では逆の見方をします。『元気があるからやれる』のではなく、『やるから元気が出る』のだと。元気が出るまで待っていては、いつまでも元気が出ないかもしれません。興味を持ったことは、考え過ぎずにやってみる。すると、やっているうちにどんどん面白くなって、元気が湧いてきます」

・「考え方を整理する、現実をみる、行動を変える、気分転換をする、日記をつける、などの認知行動療法で使うスキルは、私たちの日常の知恵とあまり変わりません。・・・10年以上前に私費で立ち上げたのが、幅広い層を対象にしたWebサイト『認知行動療法活用サイト~こころのスキルアップトレーニング』です。」このサイトは年会費1500円(税別)で、認知行動療法の考え方や基礎を実践的に学べる。

・大野医師はさらに、進化するAI技術を活用したチャットボット開発にも取り組んでいる。筆者は無料公開版(2023年夏時点)を試した。チャット画面に進むと、「今回はどんなことをしてみたいか、教えてもらえますか?」の質問と共に、解答につき3つの選択肢が示され、一つを選んで進んでいく。こうした対話を進めていくと、5秒間の深呼吸の提案などの”気遣い”もあり、視野を広げるコツなどをリラックスした状態で学べる。ーーーウェブ検索したら「こころコンディショナー」というサイトが見つかった。

第5章 ひきこもり「病的から新たなライフスタイルへ」(加藤隆弘)

・加藤医師が始めた家族向け支援プログラムが成果をあげている。「ひきこもり研究ラボ@九州大学」のWebサイトで学ぶことができる。肝になるのが「声かけ」の方法を身につけることである。「親御さんはどうしても、『みんなはもう働いている』『先のことを考えなさい』などと否定的なことを言ってしまいがちです。そこで私たちの家族教室では、肯定的なコミュニケーションを学びます。『私を主語にして話す』『具体的に話す』『自分の感情に名前をつける』などの練習をおこないます。『みんな』ではなく、『私』を主語にすると、言葉が柔らかくなります。・・・『(私が)心配だ』という気持ちを伝えるようにします。こうした言葉かけのちょっとした変化で、ひきこもりの人の様子は柔らかくなります」

・「ひきこもりは病的なものだけでなく、ライフスタイルのひとつでもあると私は考えています。小説家、研究者、ネットトレーダー、修行僧など、ひきこもらないとできない仕事はたくさんあります」「病的ひきこもりの支援でも、大事なのはポジティブな面にまず目を向けることです。物理的にひきこもらざるをえない心境に共感を示し、心の中に安心してひきこもれる場所を作ってあげることが治療の要です」

・(コラム・田邊友也)精神病院では、負の連鎖が頻繫に起こっている。田邊氏によると「精神疾患を発症する人の多くは、過去に深刻なトラウマ体験があります。その人たちを強制入院させて雑な扱いをすると、トラウマ体験の再演となるので情動がますます乱れていきます。大抵の医師や看護師は、これを病状の悪化だと単純に捉えるので、薬を更に増やしたり、隔離や身体拘束をしたりして、患者さんをますます追い込んでいきます」

第6章 自殺「なぜ自ら死を選ぶのか」(張賢徳)

・(コラム・樋口輝彦、野村総一郎)国立精神・神経医療研究センターの理事長・総長を長く務めた精神科医の樋口輝彦氏は、防衛医科大学校病院院長などを務めた精神科医の野村総一郎氏らと共に、東京・四谷に六番町メンタルクリニックを2015年に開設した。他にも経験豊富な精神科医が多数在籍し、外来を担当している。精神科は診療報酬が低く、精神科医が患者の話に15分、20分と耳を傾けても報酬は増えない。5分以上、30分未満の精神保健指定医診察は一律3300円と決められているからだ。このため、外来診療は5分程度の短時間面接が普通なのだが、六番町メンタルクリニックでは、必要に応じて医師に話をしっかり聞いてもらえる。野村氏は語る。「病院で時間に追われていた頃に比べると、薬を使う患者さんの割合がだいぶ減りました。精神疾患には生物学的な要素があるので、薬を否定しているわけではなく、むしろ私は薬を積極的に使う方です。それでも、面接時間が長くなると患者さんの回復度が上がり、薬が減っていくのです。今、私の外来で薬を使っている患者さんは3割くらいです」

・樋口氏によると、「日本の精神科医療は非常に低い医療費で行われており、それゆえの困難な現実に直面してきました。長らく精神科特例というものがあって、医師1人が入院患者さん48人を担当するという、現実にはありえない状況に置かれてきたのです。これに対して一般診療科では、例えば内科では16人に1人、というふうに精神科とは全然違います。それに伴って、診療報酬も精神科は一般診療科の半分以下や3分の1に抑えられています」

第7章 入院医療「新時代を切り拓く民間病院」(堀川公平、渡邉博幸)

・堀川医師は、久留米市内の精神科病院「野添病院」を買い取って、1994年に理事長に就任した。この病院も長期入院の患者が大半を占め、理事長就任時の平均在院日数は2156日、入院期間の平均は12年半にも及んでいた。患者を社会復帰に導く意欲に乏しいスタッフばかりだったが、妻で精神科医の百合子さんとの二人三脚で、すぐに改革に着手した。「日本の精神科病院は社会に認知されていません。こっそり隠れていることで、はじめて存在が許されている。だからスタッフの自己評価が低く、その結果、病院自体が病気になっていると感じたのです。病院から治さなければ、入院している患者さんを治せるはずがない」「まず、組織や体制、経営面などを抜本的に見直しました。その上でスタッフたちに、『社会で傷つき、こころを病んだ人たちは安心して過ごせる場所を求めている。快適な入院環境と良好な人間関係の提供が我々の役目』という意識を植え付けていきました」


僕の読書ノート「わたしが「わたし」を助けに行こう―自分を救う心理学―(橋本翔太)」

2024-06-15 08:07:09 | 書評(脳科学・心理学)

 

中学生の子どもに読んでもらうのによさそうと思って買ったのだが、まずは私が読んでみてチェックすることにした。本書を簡単にまとめてみる。私たちはいろいろな問題行動を起こしてしまうが、それは、私自身とは別の存在が、私が傷つくことから守ってくれているからである。その別の存在をナイトと呼ぶことにしよう。そのナイトの存在に気がついて対話をし、いたわってあげることで、問題行動は減っていくという趣旨である。大人に向けた内容になっているが、文章がとても平易なので、半分大人の中学生ならおおむね理解できるだろう。

フォーカシングという一種の心理療法をベースに著者のアレンジがされている。フォーカシングを考案したユージン・ジェンドリンは、調べてみると来談者中心療法を開発したカール・ロジャースの弟子である。来談者中心療法は、来談者(患者)の全体を受け入れる、受容する療法であり、フォーカシングを展開する本書も、私やナイトを優しく受容するトーンで貫かれている。現代の心理療法の主流である認知行動療法でも、自動思考、デフォルドモードネットワークや、マインドなどとよぶ、私の意志とは無関係に自動的に動いている心のはたらきが様々な問題を起こしていると考え、これらを矯正、俯瞰視、相対化していくことを行う。フォーカシングも認知行動療法も、心の中の私とは別の存在を相手にするところは似ているが、そのアプロ―チの仕方が違うところがおもしろい。本書が紹介している心理療法の有効性の科学的エビデンスのレベルは不明ではあるが、心がそうとう弱っている人、愛着障害の人、未成年者にとっては、とっつきやすいし取り組んでみてもいいのではないだろうか。

 

本書の具体的な内容から、ポイントをピックアップしてみよう。

【1章 その「困った問題」はあなたを守っていた】

・人間は常に自分のメリットのために行動を選びます...それはずるいことではありません。そうやって生き延びてきた祖先たちの生き残りが私たち。進化の過程でDNAに組み込まれたプログラムのひとつだと思ってください。ーーー「困った行動」は本来、生きていくのに役に立つ性質であり、遺伝的に残されてきたのだという進化学的な目配せもされているところは、信頼できる。

・ナイトの大きな特徴は、1・不器用である、2・極端である、3・心配性である。

・ナイトくんの働きの一部をシンプルに表現すると、「認知の歪み」のひとつと言い換えることもできます。ーーー過剰に心配して悪いほうへ悪いほうへと考えてしまう心のはたらき、まさに認知行動療法が対象としているところとの共通点にも言及している。

【2章 あなたを守るために生まれたもうひとりの「あなた」】

・ナイトくんは、毒親、ネグレクト、機能不全家族などから生まれることが多い。しかし、そのような極端な状況の家庭や両親の元で育った人だけではなく、家庭内のなんらかの問題や、学校でのいじめ、友人関係の悩み、自身の闘病の経験などからもナイトくんは誕生する。つらい状況に寄り添ってくれる大人、わかってくれる大人がいなかった場合に、あなたが傷つかないように、ナイトくんが誕生する。

・外界からの刺激をキャッチして、「あなたが傷つけられてしまう!」とナイトくんが判断した瞬間に、自動的にスイッチが起こって、ナイトくんが前面に出てきてくれる。

・ナイトくんに入れ替わって起こることは、例えば次のようなことがある。「カーッと怒りが湧いてきて怒鳴る」「予定をドタキャンしてしまう」「不安で何もできなくなってしまう」「お酒が止まらない」「過食してしまう」「部屋が片づけられなくなる」「何もかもイヤになってしまう」「やる気が出ない」「不安で仕方なくなる」「SNSなどのインターネットをついダラダラと見てしまう」

【3章 あなたの問題を解決する方法「ナイトくんワーク」】

・ナイトくんとコミュニケーションを取ることが、問題を解決することにつながる。その「ナイトくんワーク」の7ステップは次のようになる。ステップ1「ナイトくんを見つける」、ステップ2「ナイトくんに名前をつける」、ステップ3「質問を通して対話をする」、ステップ4「ナイトくんを労い、もうひとりではないことを伝える」、ステップ5「ナイトくんに自分が大人になったことを伝える」、ステップ6「これからも、隣にいてもらうように伝える」、ステップ7「またお話をしようね、と伝えて対話を終了する」。


僕の読書ノート「メリットの法則 行動分析学・実践編(奥田健次)」

2023-02-04 07:48:16 | 書評(脳科学・心理学)

ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)という、第3世代とよばれる認知行動療法の一つがあり、その原典ともいうべきスティーブン・C・ヘイズらの本を先に読んでいたのだが、なかなか内容が難しい。そこで、ACTのルーツである行動療法の一つ行動分析学について知れば、ACTの理解も深まるかもしれないというのと、複雑なACTよりもシンプルな行動分析学のほうが、子どもの問題行動などに対してはむしろ利用しやすいのではと思い、類書をあたったところ本書がよさそうだったので読んでみた。

行動分析学は、いくつかの用語を覚えれば基本的なことが理解できるようだ。ある行動には、その行動の直前と直後の状況がある。そのつながりを「行動随伴性」と呼ぶ。そうした、行動や状況(環境)のつながりで、ある行動が起きる理由を理解していくのが行動分析学である。だから、問題行動の原因を個人の内側に求めない。個人の内側に求めると、「精神が幼い」、「甘え」などといった「個人攻撃の罠」に陥り、解決できるどころか悲劇を生むことすらある。

行動分析学では、行動の前に生じた刺激によって引き起こされるものが「レスポンデント行動」と呼び、反射と呼ばれる種類の行動である。一方、行動の前ではなく、後に続く結果に行動の原因があるのが「オペラント行動」であり、行動分析学的なユニークな行動観である。行動の直後に生じた結果次第で、その行動が強まったり、弱まったりする。そうした原理は、アメリカの心理学者、B・F・スキナー博士らによる動物の行動についての膨大な実験から見出されたものだ。行動直後に生じた結果が好ましいものであれば「好子」、嫌なものであれば「嫌子」と呼ぶ。それらの「出現」や「消失」によって、行動が強化されたり弱化されたりする。つまり、4つの行動原理(好子出現の強化、好子消失の弱化、嫌子出現の弱化、嫌子消失の強化)で、あらゆる行動が説明される。こうした行動として具体的にはどういうものがあるのかは、長くなるのでここには書かない。とにかく、こうした原理を利用して、問題行動を変えていくことができる。

しかし、注意すべきは、「嫌子出現の弱化」は、罰的であり、多用することによる次のような副作用もあるということだ。①行動自体を減らしてしまう。②何も新しいことを教えたことにならない。③一時的に効果があるが持続しない。④弱化を使う側は罰的な関りがエスカレートしがちになる。⑤弱化を受けた側にネガティブな情緒反応を引き起こす。⑥力関係次第で他人に同じことをしてしまう可能性を高める。したがって、弱化は原則的に使用しないほうがいい。

さらに、「好子」や「嫌子」の、「出現」や「消失」が阻止されることによっても行動は強化されたり弱化されたりする。この阻止の随伴性も4つ(好子出現阻止の弱化、好子消失阻止の強化、嫌子出現阻止の強化、嫌子消失阻止の弱化)に分けられる。しかし、阻止の強化については、利点だけでなく、強迫性障害などの精神疾患を引き起こす要因となる可能性もあるという。

強迫性障害とは、たとえば、手を洗うことをやめられない、玄関の鍵やガス栓を閉めたかどうか何度も確認する、ほんのわずかな失敗によって大ごとになるのではないかと考え続けて不安になるなどの症状が強い場合である。この強迫行為のプロセスは次のようになる。たとえば、「公衆トイレのドアの取っ手を触る」ことが先行刺激であり、強迫観念として「大腸菌が自分の手に付着した」と考えてしまうと不安になり、念入りに手を洗うという強迫行為をしてしまう。すると、一時的に不安が下がる。しかし、もしこの強迫行為をするのをやめると不安を感じてしまう。そして、また同じような場面で不安が高まり、結局、手を洗わずにはいられなくなる。こうした悪循環を繰り返すことで、強迫観念はますます強くなる。さらに厄介なことに、強迫観念は容易に拡大していく特徴がある。「大腸菌は自分の手を経由してテーブルにも付着している」「服にも」となる。

強迫性障害には、エクスポージャーと呼ばれる明確な治療法が確立されている(若干ニュアンスが違うが、ACTのアクセプタンスに近い考え方だ)。不安を引き起こす刺激を与え続けることで、その刺激によって引き起こされる反射が次第に弱くなる、「馴化」を誘導するのである。たとえば、嫌子出現阻止の強化になっていた行動随伴性(直前「やがて手が汚れる」→行動「何度も手を洗う」→直後「手が汚れない」)を、介入によって嫌子消失の強化(直前「手を汚してみる」→行動「水道で手を洗う代わりに同じタオルで拭う」→直後「タオルで拭った分だけ汚れが落ちる」)に置き換える。ここで、「手を汚してみる」はエクスポージャーであり、「水道で手を洗う代わりに同じタオルで拭う」は行動を少し変えてもらう「反応妨害」であり、このような行動随伴性を繰り返し行うことで、「馴化」を生じさせるのである。不安を下げようと考えるのではなく、不安を感じる状況から逃げずに別の行動をし続けることで、結果として不安は下がると考える。

いわゆる「困った行動」の解決に、機能分析は役立つ。たとえば、子どもの不登校という問題がある。不登校の子どもの要求に大人が従うというケースが多い。たとえば、不登校の子どもが親によって、ファミリーレストランに連れて行ってもらって食事をする、ゲームをさせてもらえる、うるさい親のいない別室でマンガを読むなどを、許されたりさせたりすることで、好子出現の強化や嫌子消失の強化など、学校に行かずに家庭で過ごす行動を強化するような状況になっている。そのような場合は、自宅で自由にアクセスさせている好子をすべて親の管理下に置き、学校に行く行動の結果に応じて、少しずつ与えていくのだ。なお、学校に行くことで嫌子出現があるのなら、それを撤去する方法ももちろんあるが、学校が協力的である必要がある。

応用行動分析学の技法の一つに「トークンエコノミー法」がある。トークンとは、貨幣の代用という意味である。たとえば、子どもに毎月無条件であげている小遣い5000円をやめて、宿題を毎日やって、皿洗いを2日に1回程度やると、月に合計6000円から7000円の小遣いをあげるようにする、もっとやれば8000円から9000円にする。そうすると、実際に行動が変わるという。ここでは、課題や金額の決め方など「さじ加減」が大切だという。こういうシステムにした最初は、子どもは文句を言ったが、そのうち生き生きとした姿に変わった。

FTスケジュールという方法がある。FT(fixed time)とは「時間を固定させて提示する」という意味で、行動に随伴させるのではなく、時間ごとに好子や嫌子を提示するのである。つまり、行動に無関係に好子を提示するのであり、たとえば5秒ごとに好子を提示する(チョコレートを1粒渡すなど)とか、1分ごとに好子を提示する。その好子が出現する直前のタイミングで、特定の行動をしていると偶発的にその行動を強化することになる。

あとがきに著者自身の歩みが書かれている。大学教員をしていたが、生活の安定と引き換えに元気が出なくなることが多かった。そんな生活を捨てて、「したいからやる」行動随伴性の生活を取り戻して、元気に生きていると述べている。


僕の読書ノート「アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT) 第2版(スティーブン・C・ヘイズ 、他)」

2022-11-19 07:49:56 | 書評(脳科学・心理学)

第3世代の認知行動療法の一つと言われている、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)の原典の第2版(米国刊2012年、日本版刊2014年)である。アーロン・ベックの認知療法とも、ジョン・カバットジンのマインドフルネスとも、認知行動療法ではないがマーチン・セリグマンのポジティブ心理学とも似ても似つかない。初めて知る者にとってはきわめて独特で特殊な心理療法という印象である。

バラス・スキナーの行動主義心理学の発展形であり、徹底的に行動に働きかける行動療法である。その中に、マインドフルネスの概念や、ポジティブ心理学にも通じる価値の概念が取り込まれている。読んでみて非常に難しかった。そして、セラピスト向けに書かれたセラピー法の本であるが、自分や他人のよりよい人生に役立てられそうなインパクトを感じた。本書を何度も読んだり、関連書を読んで理解の助けにしないと身につかないかもしれない。第Ⅰ部が理論編、第Ⅱ・Ⅲ部が実践編、第Ⅳ部が将来展望編という構成になっている。自分の勉強のために、私なりに重要と思ったポイントを列記していくが、私的なノートなので興味のある方にだけ読んでいただければいいと思う。

 

第Ⅰ部 さまざまな基盤とそのモデル

第1章 人間の苦悩をめぐるジレンマ

・人間は誰もが痛みを抱えている。ある人は他の人よりも多く痛みを抱えているというように、単にその程度に差があるだけのことなのだ。苦悩が人間社会に普遍的にみられるという事実は、そうした苦悩が人間の進化のプロセスに由来していることを示唆する。つまり、人間という種が環境への適応力を高めていくなかで必然的にそうした苦悩をも獲得していったものと考えられる。「損なわれている状態こそがノーマル」とする前提において、これは核となる発想である。

・人類の歴史のたった数千年前でも、一般の人々は、内省的な自己対話を、神または見えない他者の発言として経験していた可能性がある。そして、記述された最も古い物語のなかでも「自分で考えること」は危険な行為とみなされていた。

・苦悩は、人々がマインド(言語的または認知的能力)の字義通りの内容を強く信じ込むあまり、自分自身の認知とフュージョンするときに生じる。人は、フュージョンしている状態では、一つひとつの思考とそれに関連する事柄をあまりに強く結びつけているため、意識を認知的な物語から区別できなくなってしまう。

・ACTの狙いのひとつは、人々を彼ら自身のマインドから解放することであるが、それは簡単なことではない。新たな装置を開発したり、ビジネスプランを構築したり、日々のスケジュールをまとめたりする場合には、マインドはすばらしい働きをする。しかし、現在にとどまることを学んだり、愛することを学んだり、その人の抱える歴史の複雑さを受け止めるのにベストな方法を見つけ出したりすることについては、マインド単独では有用性がずっと小さくなる。前者は、問題解決モード(分析的・評価的スキル)であり、後者は記述的に従事するモードであり、そういった知識の使い分けができるようにして、より機能的な人生を送れるようにすることがACTの最終ゴールである。

・苦悩のサイクルのなかで重要な役割を果たすもうひとつのプロセスは体験の回避である。望まない私的出来事を回避、抑制、または除去しようとする試みには、本質的なパラドックスが伴っており、それらを試みることで、避けようとしている当の体験の頻度と強さをむしろ急激に高めることになる。結果、その人は現在の瞬間にしっかりと入り込んで人生を楽しむ力を次第に失っていく。

・フュージョンと体験の回避に代わる建設的で好ましいプロセスは、それぞれ脱フュージョンアクセプタンスである。脱フュージョンでは、思考が生じるままにそれを意識し続けることを学ぶ。また、アクセプタンスでは、自らの深く豊かな感情とつながり、ときにはそれをさらに高めさえするような能動的なプロセスを通じて、心理的にオープンな姿勢、学習、自分や他者への慈しみなどを促そうとする。

第2章 ACTの基盤―機能的文脈主義からのアプローチ

・ACTは、機能的文脈主義と呼ばれるプラグマティックな科学哲学に基づいている。文脈主義で中心となるのは、「コモンセンスに基づく状況のなかで有機体がとる行為」であり、歴史的および状況的文脈のなかで、今まさにおこなわれている行動であり、たとえば狩りをしたり、ショッピングをしたり、愛し合ったりといったことである。機能的文脈主義は、心理的な出来事に対する、正確性、範囲、そして深度を持った「予測と影響」を分析的ゴールとしている(クライエントが予測可能で、かつ影響を与えうる、つまりしっかり機能するという意味か?)。

・ここで行動は、誰かが観察可能で、予測可能で、影響を与えられるものなら、どのようなものもすべて含まれる。考える、感情を抱く、感じる、記憶するなどは行動に含まれる。一方で、「魂の旅」といったものは行動には含まれない(概念や架空のもののことか?)。

・ACTはゴールを重視する。そうした考え方は、進化論的科学の土俵上に位置づけられる。人間は進化し続ける行動システムであるとして、一個人の生涯の一時期または全般を通じたエピジェネティクスのプロセス、行動プロセス、またシンボル活動プロセスに当てはめている。

・ACTでは、関係フレーム理論(RFT)で認知を捉える。関係フレームづけは、学習を通じて獲得される行動である。RFTに基づくと、言語と高次の認知の本質は、人間の持つ「関係フレーム」を学習し、それを適用できる能力にあるといえる。

・文脈には、関係的文脈と機能的文脈の2つがあり、これらが関係フレームを調節している。関係的文脈は、出来事同士が、いつ、どのように関係づけれるかを決定する。機能的文脈は、関係ネットワークのなかでどの機能が変換されるかを決定する。ACTではこの2つが巧みに使い分けられる。

第3章 人間の機能の統合モデルとしての「心理的柔軟性」

・心理的柔軟性の6つのコア・プロセスがあり、それらはさらに3つの反応プロセスとしてまとめられる。「アクセプタンス」と「脱フュージョン」は「オープンな」に、「今、この瞬間の認識」と「文脈としての自己」は「集中した」に、「価値」と「コミットされた行為」は「従事した」にまとめられ、いずれも欠かすことができないプロセスであるとされている。

アクセプタンス脱フュージョンは、直接的な体験に対してオープンな姿勢でいるための重要なスキルである。脱フュージョンは、人が苦痛で望まないような私的出来事や体験に不必要に没入するのをやめ、批判的ではない見方を通じて、それらを単に進行中の精神的な活動として眺められるようにする。また、アクセプタンスは、そのとき体験している事柄に関心を持ちながら、より全面的に踏み込み、そこから学び、そしてそうした豊かな体験が起こるための場を作れるようにする。

・マインドは「いいねえ、今日は我ながらとても上手に瞑想できている」などとささやいてくる。こうした思考が起きたときに、それに気づくことで再び注意を呼吸へと戻すことができる。しかし、もしもそれに続く反応が、「この調子でどんどん上手くなりたいなぁ」などというようなものになったとしたら、その人の注意は、「今、この瞬間」そして「今、この瞬間」に起こる思考の流れからすでに離れて、フュージョンされた言語の流れに向けられてしまっている。この難問への解決策は実践を重ねること、つまり、注意が逸れたことに気づいて、そっと注意を戻し続けることに尽きる。それをきめ細かく繰り返していくことで、体験の内容を越え、その先へと応用できる汎用性ある注意のスキルが学習される。

直示的関係を扱う能力は、他の人には他の人の心があって、自分自身の視点は他の人の視点とは違うのだと理解するために重要である。直自的フレームは「心の理論」のスキルで中心的な役割を果たすことが示されている。たとえば、ごまかしを理解したり、他者が嘘の信念を持つかもしれないことを理解したりするといった場合である。また、直自的関係を扱う能力は、セラピーの対象となる集団のなかで、自閉症スペクトラム障害を含めて自己の感覚に問題を抱える人々では弱いことが知られている。とはいえ、直自的フレームづけは教えることができるし、それが学習されたときには視点取得と心の理論のスキルが向上することも知られている。

・他者への慈しみと自己のアクセプタンスは、理論上関連し合っている。そのため、自分自身が、批判的な自己関連の思考から脱フュージョンする習慣を身につけることは、他人に対しての批判的な思考から脱フュージョンする実践なしでは、決してなしえない。

・ある人が自分の行動が価値から逸れていると気がついて、行動を価値に沿うように方向づけし直そうと選んだ瞬間に、その人はコミットされた行為に従事しているといえる。ここで行為や行動という場合、必ずしも物理的な行為を意味するとは限らない。コミットメントが、完全に私的で精神的な活動を意味することも十分にありうる。

・ACTのアプローチは、人間の適応と苦しみを機能的文脈主義の観点に基づいて捉えるもので、関係フレーム理論によって拡張された行動の原理から引き出される。ACTは、科学に基づいた種々の技法を含んではいるものの、それはただの技術の集合ではない。機能的な定義に基づくなら、心理的柔軟性を確実に生み出すものであれば、ACTは何の技法で構成されていてもかまわない。

 

第Ⅱ部 機能分析と介入へのアプローチ

第4章 ケース・フォーミュレーション―ACTの耳で聞いて、ACTの目で見る

・図4.1.として「柔軟性評価シート」が2ページにわたって掲載されているので、コピーして記入できる。ここでは、心理的柔軟性の6つのコア・プロセスの変化について、数量的に、また時系列でモニターすることができる。それぞれのプロセスの領域に含まれる主要な反応ディメンションの一つひとつについて、その起こりやすさ、文脈的柔軟性、および行動的柔軟性に注目する方法である。10段階評価にした場合、0(非常にまれにしか起きない、または、まったく起きない)から10(柔軟に、また機能的な意味での必要に応じて起きる)までに数値をとる。セッション中やその後に、それぞれのディメンションの数値を見積もって、領域ごとの数値を平均すると、心理的柔軟性のプロセスの全体的な評価点が得られる。このようにして得られた評価点は、次に、ケース・フォーミュレーションに組み入れることができる。

・ケース・フォーミュレーションで、プロセス群のなかから、最も弱点となっているのはどれで、要となっていそうなのがどれで、そして他のプロセスに変化を起こすために利用できそうな強みとなっているプロセスはどれか、を見極める。

第5章 ACTにおけるセラピー関係

・セラピストは、自分自身にとって苦痛な状況に直面するとき、クライエントとまさに同じ立場にいるといえる。そうした状況はセラピストにとっての成長のための機会となるが、それにとどまらない。それはクライエントにとっても成長の機会となりうるのである。クライエントは、苦痛な出来事にオープンに向き合おうとするセラピストを見て、そうした姿勢で苦痛な出来事に挑むことは自分にとってもやはりそうした努力を要するのだと理解するだろう。

第6章 変化の文脈を創造する―マインド vs. 体験

(内容略)

 

第Ⅲ部 中心となる臨床プロセス

第7章 「今、この瞬間」の認識

・「今、この瞬間」のプロセスの機能不全には、2つのカテゴリーがよく見られる。1つ目のカテゴリーは、注意を焦点づけるスキル不足の結果である。この障害は、若いクライエントや、単純に能動的な反応の範囲を自然に発達させるような人生経験を積んでこなかったクライエントに特によくみられる。たとえば、発達障害(自閉症とアスペルガー症候群を含む)の人たちは、今の瞬間に注意を向け続けるのに必要なスキルを欠くことが多い。2つ目のカテゴリーは、より広く見られるもので、固まってしまった注意のコントロールの結果である。たとえば、うつ病の患者で過去の挫折について過剰に反すうする人や、不安を抱える患者で、将来起きるかもしれない何かの大惨事を知らぬ間に反すうしている人である。

第8章 自己のディメンション

・RFTがもたらす深い洞察からは、「私」が現れるのは「あなた」が現れるのと同じ瞬間で、視点取得の際の柔軟性が重要だと示唆される。ACTのなかでおこなわれるエクササイズの多くが、クライエントに対してさまざまな視点を採用するように求めるのは、まさにそのためである。たとえば、クライエントは、イメージのなかで「より賢くなった」未来まで行って今の自分を振り返って眺めるように、そしてときには、今の状況にどのように従事するのが健全かについて、未来の自分の視点から自分自身に手紙を書くように、とさえ言われるかもしれない。

・ACTセラピストはクライエントに、「自分自身を毎日殺しなさい」とよく提案する。つまり、ここで(ふたたび殺されるためにだけよみがえっては)殺され続けなければならないのは、視点としての自己ではなく、概念としての自己のほうである。

第9章 脱フュージョン

・言語を脱フュージョンするには、思考をモノや人とみなして客観視する方法もある。私たちは、外部のものや他の人々については日ごろからごく自然にそれを自分自身とは別なものとして眺めているので、物理的なメタファーを用いて思考も客観視できれば、効果は絶大となる。

・セッションのなかで、クライエントが、自分の問題の原因を説明しようとしたり、ものごとがなぜ変われないのかの理由として個人的な経歴を挙げはじめたりすることがよくある。こうした物語については、その不正確さを直接指摘したり、もっとよい人生の物語にしようとして今の物語に反する人生の出来事を指摘してみせたりしても、あまり意味がない。代わりに、行為の真偽よりも機能へとクライエントの注意を向け変えることで、セラピストはこうした行動をいちばん効果的に弱められる。

第10章 アクセプタンス

・アルコール依存症克服のための組織が作った「12のステップ」プログラムにある、広く知られる祈りの言葉「平静の祈り」は次の通りである。「神よ、与えたまえ、変えられないものを受け入れる心の平静を、変えられるものを変える勇気を、そして違いを知るための知恵を。」活き活きとした人生を生きるには、知恵と勇気の両方が必要だということがわかる。ところが、それをどのように実践するかについては、私たちの文化はほとんど何の指針も示さない。

・アクセプタンスは、ただ単に現状を耐え忍ぶことではない。耐えることは、体験そのものに本当に開かれずに、特定の量の苦痛を一定期間許容されることによって多くの場合はその他に価値のある他のものと引き換えるという条件的な姿勢である。ほとんどの人が、歯を治療してもらうときにこの種の忍耐を実践している。アクセプタンスは、もっと能動的な姿勢で、受動的ではない。それは、何であれそこにある感情を感じることには意味がある、と示唆している。

第11章 価値とつながる

・クライエントに「心理的苦痛から解放されたとしたら、あなたは何をしますか?」と尋ねると、家族、キャリア、社会参加、自己実現などに関する答えが返ってくることが多い。ところが、マインドの問題解決モードは、「そういうことは心理的苦痛を克服するまでは手に入らない」と私たちに語るのである。マインドが語るこの仮定によって、必然的にプロセス・ゴール(すなわち、抑うつ気分や、不安、フラッシュバック、飲酒や薬物への衝動などを減らすこと。自信を増やすこと)に過剰に注意が向くようになり、長期的な結果として、クライエントはより重要な人生のミッションとのつながりを失ってしまう。

価値づけが起こるためには、価値と判断とを混同しないことが重要である。価値は、むしろ選択でなければならない。選択とは、選択肢から(理由がある場合は)理由とともに選ぶことであり、理由のために選ぶことではない。選択は、言語的な評価や判断によって説明したり、正当化したり、関係づけたり、導いたりするものではない。このように定義すると、動物は判断はできないが選択することはできる。人間がただ追加的に言語行動を持っているからといって、動物がごく自然にできることができないとは考えにくい(人間に進化することによって獲得した言語能力の有害な面を捨てるスキルを育むという、先祖返りのように見えて、実はむしろ新たな進化の獲得のようにも思える)。

価値のアセスメント・ワークシート価値に関する語りフォーム価値に基づく生活調査票-2が掲載されているので、クライエントがコピーに記入してセラピストが評価できる。価値は次の領域に分けられている。1.家族関係、2.結婚/恋人/親密な対人関係、3.子育て、4.友人/社会的対人関係、5.キャリア/職業、6.教育/訓練/個人的な成長と進歩、7.レクリエーション/レジャー、8.スピリチュアリティ、9.市民生活、10.健康/身体のセルフケア、11.地球環境/持続可能性、12.芸術/美学

・価値に基づく生活調査票‐2では、クライエントは、多くの人生の領域にわたって、回答を生み出すよう求められる。クライエントは、空欄の領域がある用紙を持ってくることが多い。さらに機能不全のクライエントでは、すべての領域の欄が空白か、とても表面的な答えだけのこともある。そのとき、セラピストは、クライエントから反応を引き出すために、根気よく一つひとつの領域を検討する必要がある。

第12章 コミットされた行為

・「登山の道」のメタファーがある。それを用いると、「危険なのは、プロセスとしての価値づけとつながることではなく、具体的なゴールへの当面の進捗状況ばかりチェックし続けることなのだ」とクライエントが理解できるようになる。それだけでなく、「人生の苦痛に満ちた曲面やトラウマとなる局面でさえ、私たちがそこから何かを学ぶなら、ポジティブな全体の道筋に統合することができる」ということをこのメタファーは示している。

・結婚は、選択することと判断することとの違いを、とてもわかりやすく示す。結婚はコミットメントである。それにもかかわらず、結婚したカップル全体の半分が離婚に至る。なぜこんなことになるのだろうか?ひとつには、人々がコミットメントの仕方を知らないからである。人々は、コミットメントを、(ACTの意味での)心からの「選択」としてではなく、「判断」や「理由」に基づいて行おうとする。そうするとき、人々は、自らのコミットメントを大きな危険にさらしている。たとえば、ある男性がある女性と結婚するのが「彼女が美しいから」だとしよう。もしも、その後、女性が容姿を大きく損なう事故にあったとしたら、彼女を愛して一緒にいたいと願う「理由」はもはや通用しない。

・著者は3人とも、子どもの親であり、他にも多くの親を知っている。しかし、子育てが、少なくとも一時でも、人生で最も痛みを伴う経験のひとつであったことがない、という人をまったく知らない。親になることは心を身体の外に置くようなもの、と言われてきた。これには幾ばくかの真実がある。重要な意味で、コミットメントをおこなうことは、心を身体の外に置いたままの状態で、進んで生きることである。価値のためなら心理的に苦しむことにウィリングネスでいる能力が育まれて初めて、コミットメントが可能になるのである。

・クライエントが、コミットメントへの注目を失って敗北主義に陥ることはめずらしくない。通常、クライエントの価値はどれも変化していない。基本的な価値は、変化するよりむしろ洗練されていくものである。これは、価値が変化することはない、という意味ではない。価値は選択であり、選択は変わりうるし、実際に変わる。ただし、価値が変わるのはその人の明らかな選択によってであり、単に一時的に再発したかもしれないと評価することによってではないのである。

・セラピストが、クライエントをより強く押せば押すほど(これは、セラピストの側の非アクセプタンスの行為である)、通常は、クライエントもより抵抗的になる。ある計画に沿って行動しないことを選択するのも、それが実際に選択になっている限り、正真正銘の選択である。そのような状況にあるクライエントと一緒に取り組むとき、最も優しく誠実な方法は、クライエントそのものと、その人が直面しているジレンマを、ともに全面的に承認することである。

 

第Ⅳ部 前進し続ける科学的アプローチを構築する

第13章 文脈的行動科学、そして、ACTの未来

(内容略)


僕の読書ノート「娘のトリセツ(黒川伊保子)」

2020-12-19 13:14:10 | 書評(脳科学・心理学)

反抗的になってきた9歳の娘の父親である私は、だんだん娘が手に負えなくなってきた。そんなときに、「妻のトリセツ」や「夫のトリセツ」で有名な黒川伊保子さんが書いた本書が出版されたので、すぐに購入した。父親が娘にどう接すればいいかが説かれた本である。娘は一時期、父親を嫌うようになるが、大人になると父が好きになるのだという。(ほんとうにそうなら、なんとかがんばってみようと思う)この本には、「今の娘」とあまり断絶しない方法と、「未来の娘」に愛を残すためのコツが書かれている。

まず、「今の娘」とあまり断絶しない方法としてあげられていることは、まず5W1H系の質問をしてはいけないということだ。娘だけでなく、妻も、いきなり5W1H系(いつ、どこ、なに、なぜ、どのように)の質問を受けると、脳が戦闘モードに入るのだという。つまり、責められていると感じるらしい。(私もコミュニケーションのきっかけと思って5W1Hの聞き方をしていたが、そういうことだとは知らなかった)対話には、「心の対話」と「問題解決の対話」の2種類があって、5W1H型の質問は「問題解決の対話」だという。家族の絆は、「心の対話」でないと紡げない。心の対話は、相手のことを尋ねるのではなく、こちらの話、つまり「話の呼び水」から始める。さらに、「話の呼び水」には、「相手の変化に気づいて、ことばにする」「自分に起こった出来事を話す」「相談する」の3種類がある。そして、「相手の変化に気づいて、ことばにする」には、4つのテクニックがあって、「褒める」「気遣う」「ねぎらう」「感謝する」を使う。しかし、「相手の変化に気づいて、ことばにする」は11歳ごろまではいいが、思春期以降は控えたほうがいいという。変化に気づかれるのも嫌らしい。(うちの娘は9歳だが、もうこの領域に入りつつあるように思う)「話の呼び水」として、弱音を吐くや、極めている趣味をやっている姿を見せるや、理系が得意な父さんなら物理学や数学のような壮大な話をすることでもいいという。さて、娘の扱いがこんなに大変になるのは、生殖ホルモンのせいであり、思春期とはそういうものだと呑み込むしかない。また、父親が臭がられるのは、免疫で重要なHLA遺伝子の型が異なる男性と結ばれたほうが、多様な遺伝子を持った適応の可能性の高い子どもを持てるようになるからであって、生物学的には理にかなったことだ。(ほんとうにHLA遺伝子の違いが嗅ぎ分けられるのか、まだ異論のあるところではあるが)

次に、「未来の娘」に愛を残すためのコツである。今の日本の母さんは、娘を理想像に押し込めたがる傾向が強いように見受けられるという。娘が自分らしさを素直に愛せるようになるのには、父親の助けが必要だと言っている。そのために父親は何をすればいいのか。父親は十分に娘を愛すればいい。何か特別なことがなくても、彼女を見つめて、嬉しそうにしてあげればいい。彼女のことばに耳を傾け、共感してやり、カワイイ、愛してるよと告げたらいい、ということだ。無条件の愛を、ことばや態度にするのだという。(ちょっとはやっているつもりだが、もう少しがんばってみるか)自我をコントロールできなくなると、完璧主義でコンプレックスに捉われるようになる。そうすると「夫源病」といって、夫のちょっとした言動が皮肉やマウンティングに聞こえてしまって、うつ症状を呈することもあるという。そうならないためにも、父親の責任は重いという。そして、身の程を知らせるために、自我のリストラのために、妻ファーストを貫くことを勧めている。それは、娘が将来、夫に全幅の信頼を持つためにも大切なのだという。

黒川伊保子さんのこれらの説がどれだけ普遍的なものなのかはわからないが、意識にとどめるようにしたいと思う。