wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

菊名川(暗渠)を上流から下流までたどる・後半

2024-07-06 08:10:12 | 横浜

わが町の菊名池を源流とする菊名川(ほぼ暗渠)について、2週にわたって上流から下流までたどってみました(2024年6月9・16日)。

前半では、菊名川を源流の菊名池から新横浜の東海道新幹線架線下のあたりまでたどりました。今回、後半では、東海道新幹線架線横で合流する烏山川の傍流を見てから、鶴見川への合流ポイントまでをたどります。

 

横浜線新横浜駅の南口である篠原口から初めて降りました。開発の進んだ北口とはまったく趣の異なるいなかの駅というかんじです。篠原口から横浜線下をくぐって新幹線脇に出ると、駐輪場があり、その向こうに川が流れています。

水はきれいなので下水は流れ込んでなさそうです。鶴見川の支流である烏山川の傍流だろうと地図を見て思っているのですが、この川がほんとうに烏山川から分かれてきているのか、自分の目で確かめたわけではないので確信はありません。

 

この烏山川の傍流とおぼしき川はしばらく新幹線脇を流れていきます。

 

前半のラストに出てきたセブンイレブン十字路の近くで、菊名川に合流します。

で、新幹線下を横切って、

 

二股に分かれます。一方は、写真左の横浜アリーナ脇を流れ、

 

もう一方は、うなぎ大黒屋前の道路、太尾(ふとお)新道沿いを流れていきます。

 

そして、太尾堤緑道となります。鶴見川に並行して100~300m離れたところを通るとても長い緑道で、この下を川が流れているのですが、太尾堤排水路と呼ばれています。菊名川はここで太尾堤排水路に合流して終わりともいえますが、太尾堤排水路を下流に向かって行けるところまで行ってみます。

 

近くの駐車場にかっこいいスポーツカーが停まっているとつい見てしまいます。メルセデスAMG SL。

 

水鳥の飾りをぶら下げたゲートには、

ハトが2羽、仲よく並んでいます。

 

このような緑道が延々と続きます。

 

港北水再生センター。このあたりの下水を集めて浄化して鶴見川に流しています。太尾堤排水路がその下水の通り道です。しかしながら、太尾堤排水路のある場所には、この上流で鶴見川に合流している烏山川が昔は通っていて農業用水路として使用されていたようです。

 

水再生センターの南側には太尾南公園が、

北側には太尾公園があります。公園は水再生センターの浄化槽の屋上に作られています。

 

水再生センターを越えても太尾堤排水路は続きます。大雨の時に処理しきれない水がこの流路に流れるという話もあります。次のゲートを越えると、

 

横浜市立太尾小学校が見えます。

このブロンズ像は、「プリーズ・リクエスト(黒川晃彦、1989)」と書かれています。

 

さらに次のゲートを越えると、

緑道はあまり手入れがされていないかんじになってきました。

 

道路を越えます。しっかり橋のような跡が残っています。

 

道はさらに野原化していきます。

 

ここで立ち入り禁止となりました。

 

立ち入り禁止の先にあるのが太尾ポンプ場。古い排水処理場のようで、港北水再生センターで水処理が間に合わないときは現在もこちらが稼働している可能性があります。

 

太尾ポンプ場から鶴見川への水門。

鶴見川の土手に登って見てみます。

水門を、鶴見川から太尾ポンプ場に向かって見る。

鶴見川への排水路。太尾堤排水路の終点と言ってもいいかもしれません。

 

鶴見川土手を下流に少し歩くと、空き地にビニールシートがかけられた場所があります。遺跡のにおいがぷんぷんします。

太尾河岸跡 舟運(しゅううん)と書かれた石碑が立っていました。このあたりが、鶴見川を利用した河川交通の船着場があった跡です。おそらく、ここから旧烏山川(太尾堤排水路)にも繋がっていたのでしょう。

ビニールシートの下には、船着場の遺跡があって、発掘・保全とかがまだ進んでいないような様子に見えます。江戸時代の頃に使われていたのでしょうか。

 

太尾河岸跡から、鶴見川河岸に下りて、Uターンして新横浜に戻ります。

 

太尾ポンプ場からの排水路の水は動きがありませんので、現在は稼働していないことがわかります。

 

しばらく歩くと、鶴見川にかかった水道橋があります。対岸から港北水再生センターに下水が流れているものと思われます。

 

新横浜プリンスホテルが見えてきました。この建物が新横浜のランドマークになっていて、これが見えると新横浜駅が近いことがわかります。

 

港北水再生センターの排水口。フェノール系の薬品臭がします。鶴見川のもっと下流に、北部第一水再生センターというのがあるのですが、そこの排水口より下流も同じにおいがします。下水の処理は、物理的、生物的、化学的な方法を組み合わせて行われますが、病原性大腸菌やノロウイルスなどを完全に死滅させなければいけないので、薬品の力は必要なのでしょう。

 

水再生センターの施設。

 

鶴見川の対岸には、横浜市営地下鉄の新羽車両基地が見えます。

 

水再生センターの排水口がもう一つあります。

 

鶴見川はここで分岐していて、右が鶴見川の本流で、左の烏山川(川面が見えませんが)と合流しています。奥に見えるのは、日産スタジアム。

 

すこし上流の橋の上から烏山川が見えます。

2週にわたって菊名川と下流の太尾堤排水路(旧烏山川)を見てきました。その流路はほぼ暗渠となり、現在は横浜市の下水処理行政に取り込まれてしまい、昔の姿がわかりにくくなっていますが、八杉神社の神橋や太尾河岸跡なども残り、川の痕跡は消えることがないのでした。


菊名川(暗渠)を上流から下流までたどる・前半

2024-06-29 07:17:08 | 横浜

わが町の菊名池を源流とする菊名川(ほぼ暗渠)について、2週にわたって上流から下流までたどってみました(2024年6月9・16日)。

かつて広大だった菊名池(菊名池の南半分は現在、菊名プールとなっている)を源流として南方向に流れている川、足洗川について先日レポートしました。今回は、菊名池から北方向に流れている川・菊名川を、上流から下流までたどってみましたのでレポートします。菊名池には流れ込む川はなく、池に水が湧いていると言われています。菊名池のどこにその湧いている場所があるのかはわかりませんが、おそらく人が入れないようになっている西側斜面のあたりに湧水ポイントがあるのではと想像します。今回も、書籍「横浜・川崎・鎌倉凸凹地図」という強力な資料を頼りに、菊名川の川跡を追跡しました。長いので、前半と後半に分けて、前半を今回紹介します。

 

この日(6月9日)の菊名池には、カルガモが2羽だけいます。うまくいっていれば、今が抱卵の時期で、7月前半にヒナが見れるでしょう。ときどき誤解がありますが、菊名池は町としては菊名ではなく妙蓮寺にあります。

 

菊名池の北側の片隅に柵で囲われた場所があり、おそらくそこに出水口があるものと思われます。

 

菊名池から道を隔てたところに階段があって、5mほど下ったところから菊名川の暗渠が始まります。こんな高低差があるということは、昔は滝になってたんでしょうか。

 

菊名駅のある北に向かって歩いていきます。

 

暗渠を少し歩くと、もう一度階段を上ります。階段はこれが最後で、あとはずっと平坦です。

 

暗渠脇によくある花壇と自動車進入禁止のポールがあります。

 

東横線のそばに来ました。

菊名駅方向に向かって、東横線わきを暗渠が流れます。

 

ここで、線路下を越えます。

 

菊名駅方向に向かって続きます。

二股になっていて、横浜線の架線下をくぐるか、左に行くかですが、地図上では暗渠は二股に分かれるようです。とりあえず左に行きます。

 

暗渠近くで見ることの多い、戦後建てられたような古い建物がありました。アパートには、今も住まわれているかもしれません。

 

ここで横浜線下をくぐります。

 

菊名駅東口前の旧綱島街道。

このあたりで暗渠は東口から西口へと東横線を横切りますが、正確な場所は判然としません。ここに歩行者用横断橋があるのですが、工事中のため、

菊名駅の東西通路を経由します。こういうアングルで写真を撮っていると捕まるんじゃないかと、ちょっとビクビクでした。

 

工事中の歩行者用横断橋の反対側。

 

方角は北西に向かいます。この二股は左に行きます。

 

次の二股も左に行きます。

 

すると、暗渠でよく見る石(レンガ)造りの花壇が始まりました。

 

で、ここに橋があるわけです。八杉神社の神橋で、菊名川の上に架けられていたのですが、菊名川が暗渠化して歩道となったので、じゃまにならないように横に移動させたそうです。写真左のほうには八杉神社のほか、本乗寺、小田原北条氏の家臣が居城とした小豆戸城跡がある丘になっています。このあたりはいずれ散策してみようと思います。

 

八杉神社の由緒書きを撮影しましたが、スマホのカメラがバグって、写真が縦横4分割されて位置が入れ替わっています。じつはこういうことが、神社や寺を撮影するとときどき起こります。原因はわかりません。今回、そういう写真を初めて公開しました。

 

菊名川暗渠は続きます。

セブンイレブン十字路の前で、90度右に折れ曲がります。

 

そして、東海道新幹線の架線下をくぐって鶴見川方向に進みます。新幹線の手前では、別の川である烏山川の傍流とおぼしき川と合流します。それも含めて、続きは後半でご紹介します。


足洗川を下流から上流までたどってみた

2024-04-06 07:37:56 | 横浜

横浜市神奈川区を流れる足洗川(すべて暗渠)を下流から上流までたどってみました(2024年3月24日)。

先日の散歩途中、大口1番街でたまたま見つけた足洗川。神奈川区には浦島太郎伝説が残っていて、浦島という地名もありますが、この足洗川は浦島太郎が足を洗ったという言い伝えから付けられた名前らしいです。菊名プールあたりから出ている謎の暗渠の存在には前から気がついていたのですが、最近「横浜・川崎・鎌倉凸凹地図」という強力な資料を入手して、この暗渠が足洗川であることが判明しました。それで「横浜・川崎・鎌倉凸凹地図」をガイドにして、足洗川を下流から上流までたどってみました。書籍「横浜・川崎・鎌倉凸凹地図」については、そのうちレビューします。

 

入江川の下流部です。足洗川は入江川の支流になります。

 

入江川近くにある一之宮神社。奥にあるけっこう長い階段を上っていくと社にたどり着く、俗から聖へと世界が変わる感覚を味わえる、おもむきのある神社です。

 

一之宮神社のあるあたりに足洗川の入江川への合流口があります。それは、こんな下水管の出口だったので、ちょっとがっかりでした。浦島太郎の由緒ある川なのに。

 

足洗川の出口の上は子供の遊び場になっています。

 

そこから上流にたどっていきます。完全に暗渠化していますが、昔の川筋のままなんでしょうね、このように蛇行しています。

 

JR横浜線の線路下を通るところが、ゴミ収集場所となっています。近づくとガサゴソ音がするので、おそらくラット(ドブネズミ)がいるのでしょう。ドブネズミとはよく付けた名前です。下水道などに生息しているのですね。

ゴミ収集場所の裏側には、このように水路のトンネルが確認できます。

 

横浜線の反対側はこうなっていて、大口1番街のところに石碑が立っているわけです(2024年1月7日撮影)。

 

大口1番街を横切って上流側に進みます。

 

ガイドを見ると、奉斎殿という相議場の下か左あたりを通っていることになっていますが、目印になるものはありません。

 

国道1号線を横切って、この路地を入っていきます。

このあたりは大口商店街の裏になります。

ここで、右に曲がります。

 

まっすぐ進むと、聖徳保育園の下を通ることになります。

 

大口商店街から少し路地を入ったところからの撮影です。写真では左の保育園のほうから曲がって、写真の前方に進むようです。この写真を撮っていたら、「てんだあ」という喫茶店の前にいた男性に「なんですか?ここは私有地なんだけど」と怒られてしまいました。俺の縄張りで何やってんだ?的な威圧を感じたので、謝って早々に退散しました。

 

ここが堀の跡のようになっていますが、ものすごく荒れています。

下流側。土が入って、木も生えています。この地中に川があるのではと想像します。

 

上流側。堀の上に民家が建ち、ゴミ捨て場のようになっています。このあたりはやばい感じです。

 

先ほどの荒れ地から出て、おそらくこの小道を通って、

 

この通りの、歩道の下を通り、

左折すると、小さな橋の欄干のようなものが残っています。ここを川が流れていたことの明確な証拠ですね。

なぜか、工事中の柵に囲まれていて、立ち入り禁止になっています。この民家の並びをぐるりと周って、

非常に古い家屋が残っていて、そこのひさしの下を暗渠が通っています。

 

ここから住宅街の道路がずっと続きます。ここは、以前から暗渠だろうと目を付けていたところです。右側が車道で、左側が暗渠で、上に植物が植えられています。おそらく、暗渠の上は構造的に弱いので、車を通さないようにするため、このような形になっているのではないかと想像しました。

綱島街道を越えます。

東京電力の子安変電所。

 

道路を越えて、暗渠は道の左側から、右側に変わります。

ここの家は少し暗渠の上にはみ出していますね。

 

通りにぶつかって、暗渠は右方向に、

そして、左の小道に入っていきます。

 

左は白幡小学校。右側が暗渠で、左側が元からある歩道のようです。間をコンクリートの壁がさえぎっているところを見ると、もともと川べりの壁であったようすが目に浮かびます。

 

また、道路を越えて、

 

東横線のところまで来ました。

暗渠は線路下を通って、反対側に出てきます。

 

旧綱島街道を越えて、左斜めに入っていきます。

 

仲手原二丁目公園の中をつっきっていきます。

左に港北保育園があります。

 

ここは小さな側溝みないなのが外から見えます。

足洗川と確認できる跡はここで最後です。この北側は少しずつ高くなっていて、その先に行くと、

 

菊名池弁財天があります。小さな神社ですが、1000年以上の歴史があるそうなので、平安時代頃の創建でしょうか。そして1964年(私の生まれ年)に再建されたといいます。

その北側は、菊名池公園プールとなっていますが、昔は今より大きかった菊名池の南半分がありました。そういうことで、足洗川は旧菊名池から流れ出ていたのではないかと想像されます。プールにかかる赤い橋は、竜宮城を連想させました。

51枚の写真で、足洗川の下流から上流までを追ってみました。


2024年プリツカー賞・山本理顕の作品ー子安小学校

2024-03-23 07:36:09 | 横浜

建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞の2024年度受章者は、日本人の山本理顕(やまもとりけん)氏に決まったとの報道がありました。山本理顕さんのことは知らなかったのですが、以前見に行った横須賀美術館の設計者でもありました。山本さんの事務所が私の住む神奈川区にあるそうで(駅でいうと東横線反町駅から近いようです)、その関係からか、うちからも近い子安小学校の設計をしているということで、さっそく見に行ってきました。なお山本さんは、行政や権力者による理不尽な仕打ちに対して闘う建築家という側面も持っているようです。

 

子安小学校の場所は、JR新子安駅に近いところです。周囲にはマンションが多く立ち、1200名という多人数の生徒を収容するために2018年に作られた校舎です。

 

四角い校舎の周囲を外廊下が取り囲んでいる形です。これによって、校内の移動通路と、教室内に直射日光が入るのを防ぐひさしのような役割を果たしていると思われます。それを全体に巡らせることで、デザイン的にもシンプルでスタイリッシュな雰囲気を作っています。

 

門が開いていたので少し中に入ってみます。運動会のときには、校庭側のこの外廊下の3階まで、父兄の観覧席として使われるということです。スタンド席みたいなもんです。

教職員用の玄関奥には、しゃれたステンドグラスが据え付けられていました。

 

校庭の反対側。左側と奥が校舎で、右側が体育館ですね。

 

体育館の屋上はプールのようです。

 

モダンな学び舎というかんじです。この学区の子はラッキーです。高名な建築家がなぜ公立小学校の設計を引き受けたのかはわかりませんが、仕事に対する対価を巡っては、市と山本氏の間で対立があったようです。ケチる行政と建築家としてのまっとうな報酬の主張の争いです。

 

小学校を見たあと、新子安駅近くで昼食をとり、さらにウォーキングを続けます。これは、駅近くの「LIVE & CAFE しえりる」というお店。調べたらライブハウスをやっているようです。

お店の窓ガラスの向こうでネコたちがひなたぼっこをしています。右の子は、場所が狭いので座って寝ているようなけなげなネコです。

 

浅野高校ではちょうど卒業式が終わったところで、生徒や父兄が門から出てきていました。今年の東大合格者は45名だとか。写真は門の反対のグラウンド側から撮ったもの。

 

大口駅東側にある、○○屋敷。家の前に生えた木が、家全体を覆ってしまっています。今は木の根元が切られているので枯れていますが。なんともいえないインパクトがあります。アバンギャルドといったらいいのか。


コットンハーバーと臨港パークに行く

2023-07-01 08:03:10 | 横浜

この日は暑かったので、海でも見に行こうと思って、JR東神奈川駅からコットンハーバーと臨港パークまでを、ウォーキングで往復してきました(2023年6月18日)。

 

東神奈川駅から15号線を越えて海の方に歩いていくと、運河を2つ渡ります。

 

貨物線の線路を渡ります。この線、今でも使われているんだろうか?と思いますが、使われていることが後でわかります。

 

突き当りに橋があって、立入禁止と出ています。この先には、米軍基地である横浜ノースドックがあるのです。ここは兵器類が装備されているというより、おもに物資類の供給拠点として使用されているらしいです。

 

橋の手前には、有名なバー・スターダストがあります。戦後に米軍関係者向けに作られましたが、日本人によって様々なロケ等の撮影で使われてきました。そして、今でも営業しているのがすごいです。私はまだ入ったことがありませんが、いつか入ってみたいものです。隣りのバー・ポールスターは貸し切り専用のようです。

 

このあたりの運河には、古い三井の倉庫なんかもあります。

 

横浜ノースドック手前の交差点を右折して、瑞穂大橋を渡るとコットンハーバーの高層マンション群が見えてきました。

 

コットンハーバーには、ボートヤードがあって、クルーザーが保管されています。

 

対岸には、横浜ノースドックの軍用船が見られます。

 

昔のふ頭跡に、引き込まれていた線路が残っています。

 

上を通っているコットン大橋は自動車専用道路。

 

浅野造船所浅野ドック跡。

 

横浜市中央卸売市場。

 

みなとみらいのビル群が見えてきました。

 

みなとみらい橋を渡ります。左に見える独特な形状のビルは最近開業したザ・カハラ・ホテル。

 

臨港パーク。

レジャー・テントを張っている人たちが多いです。

 

昼寝もできます。

 

アーチ橋。

 

海は少し波が立っています。さて、海を見たので、ここで来た道を引き返します。

 

来るときも通った貨物線を帰りにまた通ると、列車(電気機関車)が走っていました。この路線が今でも使われていることがわかりました。