wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

神奈川県立三ッ池公園

2021-09-25 08:53:31 | バイオフィリア(身近な生き物たち)

昨年夏に受けた手術の後の経過観察検査の結果確認に、鶴見区の病院に行きました。その帰りにウォーキングがてら、近くの神奈川県立三ッ池公園に寄ってきました(2021年9月14日)。

 

行く途中に、宝泉寺というきれいなお寺がありました。曹洞宗大本山の總持寺から近く、ここも曹洞宗です。

 

三ッ池公園に着きました。公園の地図を見ると、三つの池を中心に作られていることがわかります。鶴見川からも近いので、流域にできた池なのかなと思いましたが、江戸時代に作られた農業用灌漑池とされているようです。

 

公園正門近くのパークセンターには、ここの池に生息する生物として、ドジョウとモツゴが水槽で展示されていました。

 

池が見えてきました。ここは「下の池」です。

 

水辺にはガマの穂が生えています。3つの池をぐるっと一周してみます。

 

森に囲まれたきれいな池です。この公園は、日本の桜名所100選に選ばれていて、数十種類の桜が植えられ、昔から行楽地として人気があったそうです。また、かながわの探鳥池50選にも選ばれていて、秋になると様々なカモの仲間が越冬のために訪れるそうです。

 

「中の池」にやってきました。ここではじめて鳥を見ました。カルガモのようです。菊名池もそうですが、このあたりの池ではカルガモが年間を通じて生息しているようです。まだ渡り鳥は来ていません。

 

池の向う側には、テレビ神奈川通信所の鉄塔が見えます。

コイが集まってくる場所があります。

 

「上の池」に来ました。

 

ヒガンバナ。

 

「上の池」に流れ込む「水の広場」。夏にはもっときれいになっていて、水遊びができます。娘が小さかったときに遊びに来たことがあります。

 

「上の池」には水草が多いです。

カルガモたちが食事をしているようです。エサは植物の葉・種子、昆虫などです。

 

一周して、「下の池」に戻ってきました。

 

水辺広場。

 

ワークスペースというところで、稲が栽培されていました。

今度は、渡り鳥の越冬、桜の季節に来てみたいです。


僕の読書ノート「取材・執筆・推敲 書く人の教科書(古賀史健)」

2021-09-18 08:04:32 | 書評(その他)

プロフェッショナルな文章の書き方を勉強したいと思って購入した、最近話題の書である。著者は「嫌われる勇気」の共著者だ。著者がそうとう気合を入れて3年かかって書いた本で、476ページあって内容は盛りだくさんであるが、文章は平易で読みやすかった。どれだけ頭に入るだろうかという不安はあるが、記憶をサポートするために、ここにこうしてノートとしてまとめておきたい。

 

[ガイダンス]

・著者は、書く人(ライター)である以前に、つくる人(クリエイター)であるとの自己認識を持っている。ライターは、ただ文章を書いているのではない。書くことを通じで、コンテンツをつくっている。コンテンツとは、「エンターテイン(お客さんをたのしませること)を目的につくられたもの」としている。

・本を作るうえで、編集者がいる。「誰が、なにを、どう語るか」を編集するのが編集者である。一方、原稿そのものを編集していくのは、作家であり、ライターである。ライターは、編集という武器を手に入れ、「書く人」から「つくる人」にならなければならない。

・価値あるコンテンツを生まれるのは、「情報の希少性」「課題の鏡面性(自分ごととして感じられること)」「構造の頑強性(精緻なロジックによる構成力)」の3つが揃ったときである。

 

[取材]

・悪文とは、技術的に未熟な文章を指すのではないし、そこに投じられた時間も関係ない。ただただ「雑に書かれた文章」はすべて悪文である。悪文に厳しい読者になれば、自分の書く文章に対しても厳しくなれる。

・悪文と同じく、「嫌いな文章」も大切に読んでほしい。ある文章について、自分が抱いた嫌悪感をことばにしていく。自分の「嫌い」に向き合い、掘り進めていくと、私という人間が見えてくる。わたしがどうありたいのかが、理解できる。

・取材で能動的に聴くことができるのは、①相手の話がおもしろい、②相手のことが大好きである、③自分にとってものすごく大切な話をしている、の条件の2つ以上を満たしているときである。①はこちらでコントロールできない。一方、②③は、自分次第でどうにでもコントロール可能な要素だ。そのために、取材前に入念に下調べをする。

・質問力をつけるのには、接続詞「つなぎことば」を使うことだ。接続詞を置くと、「でも、○○じゃないですか」「ということは、○○なのですか?」と質問が出てくる。ほかにも、「そうすると」「だとしたら」「とはいえ」「それにしても」などと言うと、いい質問につながっていく。

・プロのライターでも筆が乗っていないと、わかりにくい文章を書くことがある。わかりにくい文章とは、書き手自身が「わかっていない」文章である。

・優秀なライターたちはみな、「ほんとうに言いたいことなど、なにもない」と語る。なにかを書くことは好きかもしれないが、自己表現欲や創作欲、自己顕示欲はほとんど持っていない。ではなぜライターは書くのかというと、「言いたいこと」を持たなかったのに、取材を通じて「どうしても伝えたいこと」を手にしてしまうからだという。

 

[執筆]

・ライターの職業的役割、機能は、「録音機」「拡声器」「翻訳機」である。世のなかには、声のおおきな人と、声のちいさな人がいる。研究者、経営者、社会活動家、アスリート、政治家、アーティスト、そして市井の人びと。それぞれの専門領域ではすばらしい活動を続けながらも、ただ「声がちいさい=発信力に乏しい」というだけで世間に知られていなかったり、誤解されていたりする人びとがいる。もしも遠くにまで届けられれば、世界を変えるかもしれない大事な声が、そこにとどまっている。ライターは、そんな声に寄り添う「拡声器」だ。

・論理的文章は、上から主張、理由、事実の三層構造になっていて、下が上を支えている。この事実のパートは、データ、数値、実例、類例を論拠とする。誰もが膝を打つような類例ー見事な「たとえ」ーを論拠にできてこそ、ライターである。

・日本人に馴染み深い作文構造は起承転結で、展開のおもしろさがある。一方、アメリカの教育現場で叩き込まれる小論文の構造は、「序論」「本論」「結論」の三部構成で、論理的である。著者が提案するのは、それぞれのいいとこ取りである、起転承結である。価値あるコンテンツの条件として「課題の鏡面性」=「課題共有」があった。読者との「課題共有」のために、「起転承結」の「転」が使える。世間で常識とされていること(起)を、いきなりひっくり返してみずからの主張を述べる(転)。驚いた読者は、「どういうことか、説明してみろ」と身を乗り出して聴く姿勢ができる。課題はここで、共有される。

・原稿の構成を考えるにあたって指針になるのが、ガイダンスで述べられたコンテンツの三角形「情報の希少性」「課題の鏡面性」「構造の頑強性」である。それによって、集められた素材から原稿の構成を選択できる。

・本の構成において、章立てを設計するにあたって著者が提案しているのが、百貨店の設計である。百貨店の各フロアには「コンテンツ」が配置されている。本とはおおきな建造物であり、コンテンツの百貨店である。具体的に並べていく。1F(化粧品、ハイブランド)=世界観の提示=はじめに・第1章。2F(レディース)=本論=第2章。3F(カジュアル、ユニセックス)=具体の展開=第3章。4F(メンズ、フォーマル)=視点の転換=第4章。5F(専門店、インテリア)=専門的議論=第5章。6F(レストラン)=反芻と達成=第6章。屋上=絶景の提供=あとがき。

・本は、立ち読みを入口とするメディアだ。導入で「おもしろくない」と判定されれば、そこで試合終了である。だから、何かを論じる本は、導入ー上記の第1章から第2章までーが勝負である。

・本は雑誌と違って、賞味期限の長い、この先何年、何十年と読まれる、普遍的なコンテンツをつくらなければならない。多くの人は、これから先、10年後の読者をイメージして、どんなコンテンツをつくるべきかを考える。しかし、未来のことなんてわかるわけがないのだ。見るべきは「未来」ではなく「過去」である。古典とされる作品群は、先駆的だったわけでも進歩的だったわけでもなく、ただただ「普遍的」だったのだ。著者は、2013年に上梓した「嫌われる勇気」の執筆にあたって、これを古典にしたいと考えた。具体的にどうしたかというと、100年前の読者をイメージしたのだ。だからこの本には、コンピューターもインターネットもテレビでさえも登場しない。そして、世界中で読まれることを想定して、日本社会特有の悩み、受験や就活、儒教的な価値観などはあえて避けた。その結果というわけではないものの、同書は現在、世界数十ヵ国で翻訳されて読まれている。人間の根源的な悩みを探った、普遍性を意識したコンテンツだったのである。

・どのような文章が、原稿のエンターテインを生み出し、読者の満足につながるのかという文章表現レベルに特化して考えると、ポイントは文章の「リズム」「レトリック(とくに比喩)」「ストーリー」である。

・文章の「リズム」を自習するのに、音読するのはいちばんの自学習慣であるが、自分の書いた文章については客観性が保ちにくい。そこで、筆写が推奨される。「自分が気持ちいいと思う文章」を読むだけでなく、ひと文字ずつ正確に筆写していく。書き写すことで、読点の位置に驚いたり、語尾や文末表現のゆたかさに驚くだろう。

・小説や映画の世界であれば、「起伏」も重要であるが、論文的ストーリーの鍵は、導入から結末までの「距離」である。その展開の妙にこそ、論文的ストーリーのおもしろさが宿る。結末からなるべく遠いところ、本論とはおよそ無関係に思えるようなところから、語りはじめるのである。

 

[推敲]

・他人が書いた文章については、客観的に読むことができる。しかし、自分が書いた文章は「客観」がむずかしい。自分の原稿を読み返すとき、大切なのは距離の置き方である。距離のつくり方には、「時間的な距離」「物理的な距離」「精神的な距離」の3つがある。

・時間的な距離の取り方は、書き終えた原稿をひと晩寝かせて、翌日にフレッシュな目とあたまでもう一度読み返す。物理的な距離の取り方は、原稿の見た目を変えることだ。たとえば著者は、原稿をスクリブナーというワープロソフトを使って「横書き」の「明朝体」で書いている。そして、ざっと読み返す際には、ワードに書き出して「縦書き」の「ゴシック体」で表示させる。そして最終的には紙にプリントアウトし、赤ペンでチェックする。精神的な距離の取り方は、推敲前の原稿を、編集者や家族、友だちに送って読んでもらい、もう自分ひとりのものじゃないという既成事実をつくることで、精神的な距離を生んでいく。

・原稿について迷ったら捨てる。あんなに苦労して書いたのに、あれだけ調べてまわったのに、あんなに時間をかけて考えたのに、と考えてしまうが、読者はあなたの「苦労」を読むのではない。読者はただ「おもしろいコンテンツ」を読みたいのだ。

・立ち位置として、実際に書くことをしない編集者はロマンチストであり、それを書くライターリアリストであるべきだ。編集者とは無責任な大ボラ吹きであり、ライターは嘘を禁じられた人間だ。そんな両者が手を結ぶからこそ、いいコンテンツが生まれるのだ。

・推敲は、どこまで行けば終わるのか。それは、原稿から「わたし」の跡が消えたとき、「最初からこのかたちで存在していたとしか思えない文章」になったときだ。苦しんで書いた跡、迷いながら書いた跡、自信のないまま書いた跡、強引につないだ跡、いかにも自分っぽい手癖の跡などがすべて消え、むしろ「これ、ほんとにおれが書いたんだっけ?」と思える姿になったとき、ようやく推敲は終わる。


僕の読書ノート「カモノハシの博物誌(浅原正和)」

2021-09-11 07:50:53 | 書評(進化学とその周辺)

本書は現役の若手研究者による執筆である。著者の人柄を反映してか、とてもまじめな書きぶりで、単孔類カモノハシの生理・生態・進化・ヒトとの関わりの歴史がなんでもわかる本になっている。少し物足りなく感じたので、何が足りないのか考えてみたら、遺伝子について触れられていないことに気がついた。カモノハシの独特な性染色体について触れられている程度である。書名が「博物誌」だから仕方ないか。ともかく、単孔類の進化を中心に私なりにピックアップしたポイントを下記に書き出してみた。

・カモノハシの母乳の特徴として、とくに鉄分が多く含まれていることが挙げられていた。これは、別の単孔類であるハリモグラや有袋類にも見られる特徴であり、胎児のうちにお母さんから胎盤を通して供給された鉄分を十分に蓄える前に、未熟な状態で生まれてきて、そのあと大きく成長するためだという。

・カモノハシの繁殖に成功した動物園は、オーストラリアにしかなく、ヒールズビルサンクチュアリは数少ないそのうちの一つである。ここで1944年、動物学者デビッド・フレイの指揮の下、世界で初めて繁殖に成功した。次に成功するのには、1999年、そして2001年までかかった。生きたカモノハシは戦前と戦後に米国に渡ったことがある。戦後に日本に送る計画もあったが、立ち消えになっている。現在では、神経質なカモノハシの海外移送は難しいということで、行われていない。

・陸上脊椎動物である四足動物の進化の過程をおさらいできる。両生類と卵が乾燥に強い有羊膜類に分かれた。有羊膜類は、顎に穴が2つある双弓類と顎に穴が1つある単弓類に分かれた。双弓類は、爬虫類、恐竜、鳥類に分かれた。単弓類は、盤竜類、獣弓類、哺乳類に分かれた。

・単弓類の進化の過程で、異形歯性(歯がいくつかの種類に分かれていること)、子育て、体温調節のための汗腺や体毛など、哺乳類の特徴である形質が少しずつ獲得されてきた。

・カモノハシやハリモグラを含む単孔類は原始的な哺乳類であるが、単孔類よりもさらに原始的な哺乳類のなかまを含めた大きなグループを哺乳形類とよぶ。最古の哺乳形類アデロバシレウスは2億2500万年前に生息、その後1000万年ほどで、モルガヌコドン、メガゾストロドン、シノコドン、カストロカウダが出現している。2億1000万年前~1億6000万年前にオーストラロフェニダが生息し、単孔類につながる系統となった。この時代は、超大陸パンゲアの分裂が起きたときで、オーストラロフェニダや単孔類は南方のゴンドワナ大陸で誕生、有胎盤類や有袋類は北方のローラシア大陸で誕生した。

・授乳の起源はいちおう単孔類にあるとされているが、その前のことはよく分かっていなかった。しかし、乳腺の元となった汗腺は獣弓類の段階で獲得されていた可能性がある。単孔類には、口に母乳を吸い込むための構造があるという説が提示されているが、2019年には、化石に残された舌骨の形態から、単孔類以前の哺乳形類の段階から液体(ミルクを含む)を飲むのに適したのどの構造があったことが明らかになっている。授乳の起源を考える上で興味深い知見である。

・子育ての戦略は大きく2つに分かれる。たくさん子どもを産む一方で、子ども1人1人にはあまり資源を配分しない戦略「r戦略」と、子どもを少数だけ産み、その1人1人に多くの資源を配分する戦略「K戦略」である。カモノハシは一度に産む卵は多くの場合2つなので、K戦略的である。魚類などは何百何千という卵を産むものもいてr戦略的である。哺乳形類に近いキノドン類、トリティロドンのなかまは、母親が一度に産んだと思われる幼体が38個体もあったという。このように、哺乳類になりかけの段階では、今の哺乳類ほどのK戦略はとっていなかったと考えられる。

・哺乳類の胎生は、単孔類と有袋類のあいだのどこで進化したのかは、いまだに謎である。中生代に栄えた哺乳類の多臼歯類は、胎生であったとする説もあり、そうだとすると単孔類が分かれてからすぐに胎生が進化したことになる。

・哺乳形類と哺乳類とを区別するのに、下顎と中耳の骨の関係が使われる。哺乳形類では、下顎に中耳骨(関節骨)が完全に付着した状態である。哺乳類では、メッケル軟骨で接続しながらも中耳骨の成分が下顎から分かれた状態である。哺乳類はこうして中耳が複雑化し、聴覚が発達していった。

・研究者として生きていくことのたいへんさが書かれている。研究者の仕事はなんでもやらなければならなくて多忙を極め、ポスト競争が激烈であり、過労死の危険を常に背負っている。著者自身も危なかったことがあるし、身近で命を失った人の話を聞くこともある。この本は、こういった環境の中で死んでも残せるものを、と思って書いている側面もあるという。

・生物の多様性を研究することは、天地創造の秘密を解き明かす学問、「自然神学」として奨励されるようになった。つまり、キリスト教の神学と近いところで初期の生物学が発展した。生物の分類体系を完成させたリンネも、そのような背景から研究を進めた。


ベランダガーデンー8月のようす

2021-09-04 07:58:48 | バイオフィリア(身近な生き物たち)

ガーデニングを始めてみるとけっこう難しくて、なかなか順調にはいきません。8月のようすのご紹介です。

 

6月のころはこんなに元気だったサンパチェンスですが、

7月の梅雨の最後のころ突然病気になってしまいました。葉や花に白い毛のようなものが生えたり、葉が茶色く変色したりして、ひどい状態の葉や花は除去しました。それでもこのような状態で、病原体が全身に廻ってしまったようで、しばらく様子を見ましたが回復する気配がないので、この後しかたなく処分しました。日当たりに強いというキャッチフレーズで、サカタのタネいちおしの品種でしたが、感染症には弱かったようです。

 

夏に咲くといわれているゼフィランサスは未だ咲きません。もう今年は無理なのでしょうか。

 

はなかたばみラッキークローバーは真夏の半休眠状態です。

 

7月に導入したのがハーブです。

スペアミント。デザートに少し使ってみました。今度、ハーブティーを作ってみよう。

そして、スウィートバジル。ときどき料理にも使っています。ミントもバジルも、たっぷり水やりをすれば元気のようです。水が足りないとすぐ枯れてきます。

 

夏になって花ものが全くなくなってしまい淋しいので、8月に導入したのが、

ジニア・プロフュージョンの色違いの2株。以前は百日草とよばれていた種類。ちょっとヒマワリに似ていて夏らしいと思って選んだのですが、娘にはたいへん不評でした。

そして、ニチニチソウ。

そんな、8月のベランダガーデンでした。