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僕の読書ノート「サピエンス前史 脊椎動物の進化から人類に至る5億年の物語(土屋健)」

2024-12-14 08:21:33 | 書評(進化学とその周辺)

 

生物の進化は、系統樹で表されるようにどんどん枝分かれして多様性が拡大していくが、本書では、現生人類(ホモ・サピエンス)が脊椎動物初期の魚類からどのように進化してきたか、その一本道をていねいにたどって描いている。著者の専門である古生物学の知見を主としながら、分子進化学の知見も取り入れて、人類進化史の現在の知見の到達点をわかりやすく概説した好著である。本書では、人類に至るまでの道程において獲得してきた特徴を、70の道標として注目している。また、一本道を辿るうえで人類への道から「わかれた動物」にも注目している。このように、初期魚類から辿る人類史の見取り図(ガイド)として役立ちそうだ。

章ごとに気になったポイントを記録しておきたい。

【黎明の章】

・有羊膜類から竜弓類と単弓類が分かれた。竜弓類は爬虫類とその近縁のグループ、単弓類は哺乳類とその近縁のグループである。ひと昔前は、哺乳類は爬虫類から進化したことになっていたが、現在の理解では、どちらのグループもその根幹に近い段階で、袂を分かっていた。

【雌状の章】

・広い意味での哺乳類である「哺乳形類」は、その初期において、二生歯性(生涯に1度だけ歯が生えかわる特徴)、二次口蓋の形成(口腔と鼻腔の分離)とそれによる嗅覚の鋭敏化、耳の骨の複雑化とそれによる聴覚の発達などの特徴を獲得した。

・初期の哺乳形類として化石が見つかっているモルガヌコドンは、大きい眼窩を備えていた。そのことから眼球も大きかった可能性が高く、集光能力が高いことから、夜行性だったとの見方が有力だ。この三畳紀後期からジュラ紀中期は恐竜類が世界を支配していた。そんな世界で、小型ですばしっこいモルガヌコドンは、単弓類後の獣弓類、そして哺乳形類の命脈をしっかり残すことにつながった。

・哺乳形類を構成するグループの1つとして、「哺乳類」が登場したのは、ジュラ紀から白亜紀の”どこか”だ。耳の骨と下顎の骨が離れ、哺乳類が生まれた。ただし、初期の哺乳類の耳の骨と下顎の骨は完全には分かれておらず、「メッケル軟骨」という軟骨を介して、互いに接していた。そして、哺乳形類の中でも「単孔類」以降に登場したものたちが「哺乳類」と定義づけられている。

・2010年、ディーキン大学(オーストラリア)のクリストフ・M・ルフェーヴルたちが、子に乳を与える現生哺乳類の3グループー単孔類、有胎盤類、有袋類のミルク成分を分析し、ある種のタンパク質がこの3グループに共通していることを見出した。このことは、単孔類、有胎盤類、有袋類の共通祖先の段階で、そのタンパク質を含むミルクが獲得されていたことを示唆している。つまり、この時点で、乳腺が発達し、哺乳を開始していた可能性が高い。

・中生代にも胴長80センチメートルとやや大型で動物食の哺乳類、レベノマムスがいた。レベノマムスの化石の胃があったとみられる場所からは、植物食恐竜の幼体の化石が発見されている。また、植物食恐竜を襲ったその瞬間のポーズのまま、植物食恐竜とともに化石となった標本も報告された。中生代の哺乳類が「恐竜類から逃げるだけの存在」ではなかったことを物語っている。

・白亜紀後期の地層から発見されたフィリコミスは、「社会性をもつ哺乳類」として、知られている限り最も古い存在だ。フィリコミスは、亜成体数匹と成体数匹の化石が同じ場所で発見される。このことから、フィリコミスの例は、「異なる世代が集まった哺乳類集団」の最古の例であり、哺乳類の集団営巣の最古の例であり、哺乳類における地中の巣の最古の例であるという。

・白亜紀前期の地層から発見されたオリゴレステスという小型の哺乳類は、耳の骨と下顎の骨が完全に分かれていた。この骨の変化は単純に骨だけの変化に限定されるものではなく、筋肉も伴っていたという。すなわち、かつて、咀嚼に用いられていた筋肉が「中耳」と呼ばれる空間を作り出すことで、外から入ってくる音を減衰させ、蝸牛、前庭、三半規管といった重要器官の並ぶ「内耳」を保護する役割を担うことになったという。

【躍進の章】

・有胎盤類は、アフリカ獣類、異節類、ローラシア獣類へと分かれた。これらは、”理屈”上では(分子進化学ではという意味だろう)、白亜紀(中生代)までに”ヒトに至る系譜”(新主齧類のことだろう)と分かれていた可能性が高いとみられているが、決定的な証拠となる化石は発見されていない。

・オナガザル類が”ヒトに至る系譜”と分かれた。ともにアフリカ大陸を故郷とし、ユーラシア大陸へと拡散していった。オナガザル類の中には、現在まで子孫を残すグループ「コロブス類」がいる。彼らは生息域を広げていく中で、日本にも約300万年前に到達していた。神奈川県愛川町から「カナガワピテクス」というコロブス類の頭骨化石が報告されている。オナガザル類の中でもコロブス類とは別の系譜として進化を重ねた”狭い意味のオナガザル類”もある。マカクやヒヒなどが属している。現代日本で私たちとともに生きるニホンザルもこれに属している。

【人類の章】

・交雑することで、ホモ・サピエンスの中にはホモ・ネアンデルターレンシスやデニソワ人の遺伝子が残っている。デイヴィッド・ライクは著書「交雑する人類」の中で、ホモ・ネアンデルターレンシスから継承された遺伝子の中で、生殖能力に関する部分が自然選択によって強力に排除されていったことに言及している。そもそも動物全般に通じる現象として、本来、交雑で生まれた子孫は繁殖能力が低くなる。しかし、ホモ・サピエンスでは、そうはならなかった。篠田謙一の「人類の起源」の中で、ホモ・サピエンスがホモ・ネアンデルターレンシスやデニソワ人から継承しなかった”生殖に関する遺伝子”に注目し、「案外、私たちが残ったのは、単により子孫を残しやすかったためなのかもしれません」と綴っている。(様々な人類種が生まれた中でホモ・サピエンスだけが生き残った理由として、社会性や言語能力などが様々に議論されているが、これは興味深い視点だと思った)


僕の読書ノート「ペットが死について知っていること(ジェフリー・M・マッソン)」

2024-10-19 08:35:29 | 書評(進化学とその周辺)

 

本のタイトルが間違っていた。以前から、動物が死を認識しているのかどうかについて興味を持っていたので、タイトルに魅かれてあまり調べもしないで買ってしまったのだが、読んでみたら内容がタイトルとは違っていた。「ペットが死について知っていること」については、ある程度は取り上げられてはいるものの、そういうことを主題とした本ではなかった。また、副題の「伴侶動物との別れをめぐる心の科学」も間違っていた。本書では「科学」については、ほとんど触れられていなかった。だから、そういう興味を持って本書を読むと物足りなさを感じてしまうことになる。

本書の英文タイトルは「Lost Companions: Reflections on the Death of Pets」である。そのまま訳せば「失われた伴侶:ペットの死における反応」であり、それが正しくこの本の主題をあらわしている。本書の内容は、取材にもとづく多くのエピソードや自らの経験を元に考察した、ヒトと伴侶であるペットの間の深い愛情と、そのペットが死んだときのヒトの深い悲しみやその時どうすればいいかについての提案である。「ペットが死について知っていること」や「心の科学」の本ではない。

とても良識的な内容であるし、私も動物との深い愛情や辛い死を経験しているので、おおむね書いてあることには同意できるので、日本の出版社のミスがとても残念である。あと1点、欧米で安楽死の安易な利用が多いのはいかがなものかと思う。

動物が自らや他者の死を認識しているのかどうかについて、科学ではないが、エピソードや著者なりの考察については多少書かれていたのでそれを引用しておきたい。

・犬や猫には、死という概念がないとされてきた。はたして本当にそうだろうか。推測の域を出ない話だという声はもっともだが、私が聞いたり読んだりしてきた話の多くが、実際には犬や猫が死の瞬間に、独特の表情で人間を見つめてくることを伝えている。まるで最期の別れであることを悟り、深刻な場面であることに気づいているかのようだ。いつもの「さよなら」とは明らかに違うということ。私は、犬にはそれがわかると確信している。おそらく、動物にとっての死も人間にとってのそれと同じように大きな意味を持っている。

・ここで、明確な答えが存在しない問いに向き合っておきたい。それは「犬は自らの死について考えるのか」ということだ。彼らには死という概念があるのだろうか。・・・私が確信しているのは、・・・彼らは死後の人生(それにしてもおかしな言い方だ)について思い巡らしたりもしないはずだ。言い方を変えれば、彼らには来世があるのかどうか、死んだあとに何が起こるのかどうか、などは考えないということだ。

・2007年、米医学誌『ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』は、”猫オスカーのある1日”と題する前面記事を掲載した。記事では、・・・2歳の猫オスカーについてのエピソードを紹介している。オスカーは子猫のころに、・・・認知症患者やアルツハイマー病患者が暮らす・・・センターに引き取られた。世界中が注目したのは、オスカーがある不思議な才能—こう呼んだほうがよければだが—を持っているという「事実」だった。オスカーは患者の部屋にふらりと入り、患者の枕元で添い寝をしてゴロゴロとのどを鳴らしながら待つ。いったい何を待つのかというと、数時間後に決まって訪れる患者の「死」だ。オスカーは毎日さまざまな患者の部屋に出入りするのだが、長く居座るのは、もうすぐ死を迎える患者の部屋だけだという。(日本でも似た例が犬で報告されている「看取り犬・文福(若山三千彦)」)

・どうやってオスカーは死をかぎつけるのか。・・・この件について見解を述べる医師のほとんどが、オスカーは病室に入るときに空気をかいだのだろう、と指摘している。オスカーは人間が気づかないレベルの臭い—死んでいく細胞から発生するものと思われる—を感知できたのではないか、というのが彼らの見立てだ。

・猫について、そして死について考えるなかで、わかってきたことがある。それはほかの動物たちが「死」をどうとらえているのかについて、私たちがいかに無知かということだ(人間の死についてさえ、あまり理解できていないのかもしれない)。もしかしたら動物たちは、これまで私たちが考えてきたことよりも、死をよく理解しているのかもしれない。私は猫と暮らし、猫のことを考えるなかで、人間の領域を超えた彼らの知識について、私たちがいかに無知であるかを教えてもらった。あの猫のオスカーは、誰も知らない、あるいは知り得ない何かをたしかに知っていたのだ。オスカーだけが特別なのか、猫が秘密を隠しているのかはわからない。いずれにしても、光栄にも一緒に暮らしてくれる、あの小さなトラたちのことを、私たちはつぶさに観察していくべきだろう。

・野生動物は互いに悲しみ合ったりするのだろうか。答えは間違いなくイエスだ。・・・ゾウが互いの死を悲しむのであれば、人間の死に対しても悲しみの感情を抱くはず、そうは考えられないだろうか。私は、『象にささやく男』を著した故ローレンス・アンソニーが残してくれた事例に、そのヒントがあるような気がしている。・・・2012年のことだった。彼が61歳で心臓発作のために息を引き取ると、(何年も前に彼に命を救われていた)ゾウの2つの群れ、合せて31頭が約180キロの道のりを歩いて彼の家まで行き—1年半ぶりの訪問だ—2日2晩にわたり何も食べず、その場にずっと立ち続けたのだ。きっと亡くなった友人に敬意を表し、その死を悼んでいたのだろう。

・この本を書き終えたいま、私はこう確信している。犬たちは最期が近づいていることを、たしかにわかっている。彼らには死の概念があり、死について考えている。というより、死を感じている、と。そして、犬たちが死をどう思っているのか、それを私たちが正確に知ることはできないということも、あらためて実感している。


僕の読書ノート「動物の進化生態学入門(冨山清升)」

2024-09-14 07:59:23 | 書評(進化学とその周辺)

 

進化生物学は細分化されているが、ゲノム解析中心のバイオインフォマティクスと、フィールド生物学中心の進化生態学と、おおざっぱに2つに分けると、本書は後者の教科書になる。著者の冨山氏は、本書を大学の基礎教育課程において教養教育を学ぶ学生を第一の読者として想定しているが、そこにとどまらない網羅的で十分な内容が含まれている。B5サイズで、索引まで入れると376ページもある大著である。それにも関わらず、たった1名で書かれている。そうなってしまった事情は最後の謝辞において明かされている。最後まで通読するのはけっこうたいへんだったが、とても勉強になったと思う。これで定価2500円はかなりコスパがいい。そして、他に類書がないので貴重な本である。

一方、文字のフォントが細い(老眼にはつらい)、誤字脱字が多い、写真のコントラストが低くてわかりにくいものが多い(写真の著作権の問題があることは「おわりに」で書かれている)といった、進化学用語でいうところのトレードオフの関係にあるような面もある。第2版を出されるときは、そのあたりを考慮して頂けるとありがたい。

本書の構成は、下記のような序章+4部構成+終章となっている。それぞれについて、特記しておきたい点を下記にまとめる。

序章 進化生態学を解説にあたっての前書き

・動物の行動進化を研究するための方法論であり命題である「ティンバーゲンの4つの何故」をあげている。①ある動物のその行動を引き起こしている直接のメカニズムは何なのだろうか(至近要因、機構)。②その行動は、どのような機能的有利性があるから進化してきたのだろうか(究極要因、適応)。③その行動は、ある動物が受精卵から成長し死亡にいたるまでの一生の間にどのような発達過程を経て完成されたのだろうか(個体発生要因、発生)。④その行動は、ある動物が進化してきた過程で、祖先型からどのような道筋をたどって現在の行動に至ったのだろうか(系統発生要因、進化)。「フィールド生物学」では、②の追求が主要テーマとなっている。

第Ⅰ部 生物の進化学

・時代を問わず、民族主義的な知識人(木村資生など)が、「民族浄化のために劣性遺伝子病の遺伝子保持者は子供を作るべきでない。潜性(劣性)遺伝子は取り除かれねばならない」等の主張を繰り返している。これは集団遺伝学の観点からはトンチンカンで誤った発言であるという。現在、潜性(劣性)遺伝子病は、その遺伝子がホモ接合体となって、表現型として発現した場合、日常生活に支障が出る程度に症状が重い遺伝子病(例:先天性聾、フェニルケトン尿症、全色盲、真性小頭症)だけでも数100種類が登録されている。これらの保因者(ホモとヘテロ合わせて)は、100~200人に1人程度いる。これらの遺伝子頻度から逆算すると、誰でも10~20個程度の潜性(劣性)遺伝子病の遺伝子保因者である。確率から言って、潜性(劣性)遺伝子病の遺伝子を持っていないヒトは存在しない。したがって、「潜性(劣性)遺伝子病の遺伝子を社会から取り除く」という主張がいかに的外れであるかがよくわかる。

第Ⅱ部 進化から見た動物生態学

第Ⅲ部 行動生態学

・動物行動学(ethology / behavioral ecology)は、日本においては、動物生態学(animal ecology)の1分野としての扱いが定着しており、動物の個体群生態学(population ecology)や農業分野の応用生態学(applied ecology)の研究者が「行動学研究者」を名乗っている事例も多い。しかし、ヨーロッパにおいては、行動学(ethology)は、心理学分野にその発祥の起源が求められる学問体系と考えられており、生態学(ecology)とは明確に異なった研究分野と見なされている。

・ローレンツ&ティンバーゲン流の動物行動学は一定の功績を残したが、本来の野外観察主義から外れていった。「面白くない」学問分野に変容していき、科学への動機づけが弱体化していった。このため、新たな若手人材の参入が減ってしまった。(部外者である私が外から見ていると、鈴木俊貴さんの鳥の言語研究や高木佐保さんのネコの認知能力研究といった若手のアクティブな研究は今でも目立っているが、昔のような日高敏隆先生が作り出した盛り上がりには欠けているかもしれない)

・結果として、旧心理学からのパラダイム転換(思考の転換)の結果として登場した動物行動学Ethologyは、さらなる新たなパラダイム転換を構築できず、研究分野としては、発展的解消を遂げてしまった。(日本動物行動学会は今でも活動しているが、そこまで低迷しているのか部外者にはわからない。進化心理学はそこそこ注目されていると思うが、興味の対象はまたヒトへと戻っていったということだろうか)

第Ⅳ部 環境と保全の生物学

・外来種の根絶が試みられているが、いったん定着してしまった植物や昆虫類の根絶事業はあまり芳しくない。そのような状況を受け、定着し、その生物群集に組み込まれてしまった外来種は、無理に根絶を目指すのではなく、外来種と固有生態系の共存を目指すべきではないかという世界的な潮流に変わりつつある。特殊病害虫の事例のような外来種ではなく、なおかつ、現状において生態系や産業に著しい影響を与えていない外来種は、正確なモニタリングを行った上で、無理に排除対象とする必要はないと思われる。

終章 日本の進化学や生態学周辺の話

・8ページにわたる終章は、当事者でないと知りえないような興味深いことがたくさん書かれている。「生態学者・伊藤嘉昭伝 もっとも基礎的なことがもっとも役に立つ(辻宜行編)」や「利己的遺伝子の小革命 1970-90年代 日本生態学事情(岸由二)」などに書かれている内容とかぶるかもしれないが、冨山氏にこのあたりのことを書いて新書版くらいで出していただけたら読んでみたい。

いろいろな人が書いているが、日本の進化生態学に遅れがあったとしたら、それはルイセンコ生物学と今西進化論のせいであることは間違いないようだ。


僕の読書ノート「銃・病原菌・鉄 下巻(ジャレド・ダイアモンド)」

2024-08-03 07:35:05 | 書評(進化学とその周辺)

 

世界には、裕福な先進国と貧困状態にある発展途上国がある。もともと同じホモ・サピエンスどうしなのに、地域によってそのような大きな経済的格差ができたのはどうしてなのか?本書は、その理由として、それぞれの地域に住む人たちの生物学的(遺伝的)な違いによるものではなく、地理的、環境的な影響でそうなったのだという説を、多くの証拠を元に検証していく。上巻では、農耕牧畜、つまり食料生産の開始が地域で大きく違っていたことを論じてきた。下巻では、その先の文字、技術、社会制度の起源、そして、オーストラリアとニューギニア、中国、太平洋の島々、アメリカ、アフリカといった各地域の特性について述べている。

章ごとに、気になったポイントを下記にメモしておきたい。

【第12章】文字をつくった人と借りた人

・食料生産をおこなわない狩猟採集民たちは、農耕民たちのように余剰食料というものを持たず、文字の読み書きを専門とする書記を養うゆとりが社会的になかった。文字が誕生するには、数千年にわたる食料生産の歴史が必要だった。ちょうど、集団感染症の病原菌が登場するのに食料を生産する社会が必要であったように、最初の文字が、肥沃三日月地帯、メキシコ、中国で登場したのは、それらの地域が食料生産の起源とされる地域だったからである。文字は、いったん発明されると、交易を通じて急速に広がっていった。勢力の拡大や宗教の流布活動を通じて、経済的および社会的に似た社会へと浸透していった。

【第13章】発明は必要の母である

・技術は、非凡な天才がいたおかげで突如出現するものではなく、累積的に進歩し完成するものである。また、技術は、必要に応じて発明されるのではなく、発明されたあとに用途が見いだされることが多い。この二つの結論が、記録が残っていない古代の技術に、もっとよく当てはまることはたしかである。

・土器の考案は、自然界に広く存在する粘土の、乾燥したり熱を加えたりすると固くなるという性質に注目した結果と思われる。そのため、土器は、日本では約1万4000年前に、肥沃三日月地帯と中国では約1万年前に登場している。さらに、これらの地域につづいて、アマゾン川流域、アフリカ大陸のサヘル地域(サハラ砂漠の南縁)、アメリカ合衆国東部、そしてメキシコでそれぞれ登場している。ーーこの記述によれば、土器は世界で最も早く日本で生み出されたことになる。

【第14章】平等な社会から集権的な社会へ

・社会は、小規模血縁集団(食料生産なし)、部族社会(食料生産なし→あり)、首長社会(食料生産あり→集約的)、国家(食料生産集約的)の順に、発展していった。

・小規模血縁集団や部族社会を長期にわたって、詳しく観察した調査では、殺人が主な死因の一つであることが明らかになっている。女を取る取られた、のような個人的な恨みで男たちの殺人が起きていた可能性がある。争いの解決は、小規模血縁集団や部族社会では非公式だった一方で、首長社会では首長が、国家では法律・裁判が行っていた。ーーということは、小規模血縁集団や部族社会では、戦争はなかったとはいえ、殺人が野放しで放置されていた怖い社会だったのかもしれない。

・集団が大きくなるにつれ、他人同士の紛争が天文学的に増大することになる。1対1の人間関係は、人口20人の集団では、20×19÷2で190通りしかない。しかし人口2000人の集団では、199万9000通りある。こうした1対1の人間関係は、諍いがときには殺人にまで発展しうる関係である。そして小規模血縁集団や部族社会では、1つの殺人が、それに対する復讐を呼び、その復讐に対する復讐がさらなる復讐を呼ぶというように、人びとを社会不安に陥れるような復讐殺人がつぎつぎに起こることがよくある。

【第15章】オーストラリアとニューギニアのミステリー

【第16章】中国はいかにして中国になったのか

・食料生産の副産物である感染症については、旧世界の主な病気の誕生血を旧世界のどこと特定することはできない。しかし、ローマ時代と中世以降に書かれたヨーロッパの記録には、腺ペストが東方からやってきたとはっきり書かれているし、天然痘も東方からやってきたらしいと書かれているので、中国または東アジアがそれらの病原菌の発祥地であったとも考えられる。インフルエンザは、豚の持つ病原菌が人間に感染した病気であることから、豚が非常に早い時期に家畜化され、重要な動物として飼育されるようになった中国が発祥地である可能性がかなり高い。ーー近年では、SARSや新型コロナウイルスが中国から発生し世界を混乱に巻き込んだ。本書では、他の地域にない感染症とそれに対する免疫を持っていることが、他の地域を侵略するに当たって強い影響力を持つということが主張されている。恐るべき中国である。

【第17章】太平洋に広がっていった人びと

・オーストロネシア人(オーストロネシア語族の人びと)の拡散は、過去5000年間に起こった、人類史上最大の人口移動の1つである。オーストロネシア人で、太平洋を東進し、もっとも孤絶した島々に住みついてポリネシア人となった人びとは、新石器時代のもっとも卓越した船乗りであった。今日においてオーストロネシア語を母国語とする範囲は、マダガスカル島からイースター島までの、地表の半分以上をカバーする地域に広がっている。オーストロネシア人は、もともと中国本土から移動しはじめ、ジャワをはじめとするインドネシア島嶼部に入植している。

【第18章】旧世界と新世界の遭遇

・人が密集して暮らす社会ではやる感染症の大半は、人びとが食料生産を開始し、家畜と日常的に接するようになった約1万年前頃に、もともと家畜がかかる病気から変化するかたちで現れた。したがって、多くの種類の家畜が飼われていたユーラシア大陸において、これらの感染症が多く見られたのである。それに反して、南北アメリカ大陸では、わずかな種類の家畜しか飼われていなかったので、動物の病原菌から変化して人間い感染するようになった病原菌は少なかった。

【第19章】アフリカはいかにして黒人の世界になったか

【エピローグ】科学としての人類史

・世界の食料生産の発祥地の一つである肥沃三日月地帯と中国は、現代においても世界を支配している。この二つの地域は、そこにいまでも存在する(現代中国のような)国々を通じて、それらの周辺に位置していて古くから影響を受けていた(日本、朝鮮半島、マレーシア、ヨーロッパのような)地域を通じて、あるいは、それらの地域から移住していった人びとが作った(アメリカ合衆国、オーストラリア、ブラジルのような)国々を通じて、世界を傘下に収めている。この先、サヘル地域(サハラ砂漠南端)の人びと、オーストラリアのアボリジニたち、そしてアメリカ先住民たちが世界を支配することは望み薄である。紀元前8000年前の歴史の御手は、いまもなおわれわれの頭上に大きくかざされている。


僕の読書ノート「銃・病原菌・鉄 上巻(ジャレド・ダイアモンド)」

2024-06-08 08:07:44 | 書評(進化学とその周辺)

 

世界には、裕福な先進国と貧困状態にある発展途上国がある。もともと同じホモ・サピエンスどうしなのに、地域によってそのような大きな経済的格差ができたのはどうしてなのか?本書は、その理由として、それぞれの地域に住む人たちの生物学的(遺伝的)な違いによるものではなく、地理的、環境的な影響でそうなったのだという説を、多くの証拠を元に証明していく論考である。英語原著は1997年、日本語訳は2000年に出版されており、人類化石の分子生物学的研究が現在のようにさかんになる前だったため、若干古くなっている内容もある。

章ごとに、気になったポイントを下記にメモしておきたい。

 

【プロローグ】ニューギニア人ヤリの問いかけるもの

・著者が鳥類の進化のフィールドワークを行っているニューギニアで、あるニューギニア人ヤリが著者に質問してきた。「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」この会話から、著者は人類の進化、歴史、言語などについて研究し、その成果を発表してきた。ヤリの疑問に対する25年後の答えを書いたのが本書である。

・本書を一文で要約するとつぎのようになる。「歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない」

【第1章】1万3000年前のスタートライン

・ネアンデルタール人はクロマニヨン人がヨーロッパにやってくるまでの数十万年間、ヨーロッパで唯一の先住民であった。約4万年前にクロマニヨン人がヨーロッパにやってきて、数千年のうちに、ネアンデルタール人は一人残らず姿を消してしまっている。これは、クロマニヨン人が自分たちの優れた技術や言語能力、頭脳を使って、ネアンデルタール人を侵略し、殺戮したことを示唆している。ネアンデルタール人とクロマニヨン人とが混血したという痕跡は、まったくといっていいほど残されていない。ーーこれについては近年の研究によって、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが混血していて、我々の遺伝子の数%はネアンデルタール人に由来していることが明らかになっている。

【第2章】平和の民と戦う民の分かれ道

・ポリネシアの種族間の争いを振り返ってみる。小さな孤立した狩猟採集民のグループであるモリオリ族は、彼らの祖先でもある人工の稠密なニュージーランドに住んでいた農耕民マオリ族によって滅ぼされた。

・熱帯気候に適したマオリ族の農作物はモリオリ族が移り住んだチャタム諸島の寒冷な気候ではうまく育たなかったかもしれない。それで、彼らは狩猟採集生活に戻らざるをえなかった。そこで狩猟採集民となった彼らは、再分配したり貯蔵したりする余剰作物を持たなかったので、狩猟に従事しない物作りが専門の職人、軍人・兵士、役人、族長などを養うことができなかった。結局、強力な統率力や組織力に欠ける非好戦的な少数部族となったのである。

・それとは対照的に、農業に適していたニュージーランドに残ったマオリ族は10万人を超えるまでに増えている。自分たちで作物を育てて貯蔵することができた彼らは、物作りを専門とする職人や、族長や、平時は農耕に従事する兵士たちを養うことができた。彼らは、農耕に必要な種々の道具や、さまざまな武器や工芸品を発達させた。手の込んだ祭祀用の建物や、おびただしい数の砦も建造している。つまり、地理的要因によって導かれた狩猟採集生活か農耕生活かという違いが、彼らの戦いにおける優劣の原因となっている。

【第3章】スペイン人とインカ帝国の衝突

・少数兵を率いるスペイン人のピサロは、膨大なインカ帝国の兵に囲まれながら皇帝アタワルバを捕虜にできた。その要因こそ、まさにヨーロッパ人が新世界を植民地化できた直接の要因である。ピサロを成功に導いた直接の要因は、銃器・鉄製の武器、そして騎馬などにもとづく軍事技術、ユーラシアの風土病、伝染病に対する免疫、ヨーロッパの航海技術、ヨーロッパ国家の集権的な政治機構、そして文字を持っていたことである。本書のタイトルの「銃・病原菌・鉄」は、ヨーロッパ人が他の大陸を征服できた直接の要因を凝縮して表現したものである。

【第4章】食料生産と征服戦争

・中規模な農耕社会では首長が支配する集団が形成されるようになるが、王国が形成されるまでにはいたらない。王国が形成されるのは大規模な農耕社会だけである。農耕社会に見られる複雑な政治組織は、構成員の平等を基本とする狩猟採集民の社会よりも征服戦争を継続させることができる。豊かな環境に居住する狩猟採集民が定住型の社会を発達させ、食料の貯蔵・蓄積を可能にし、初期の形態の族長支配を形成したが、そこからさらに進んで王国を作り出すまでにはいたっていない。ーー日本の縄文時代がこれに近いのかもしれない。

【第5章】持てるものと持たざるものの歴史

【第6章】農耕を始めた人と始めなかった人

・移動しながら狩猟採集生活を営む人たちと、定住して食料生産に従事する人たちとははっきりと区別されるものだという間違った思い込みがある。自然の恵みが豊かな地域の狩猟採集民のなかには、定住生活には入ったものの、食料を生産する民とはならなかった人びともいる。北アメリカの太平洋岸北西部の狩猟採集民などはその例であるし、おそらくオーストラリア南西部の狩猟採集民もそうだろう。パレスチナ、ペルー沿岸、そして日本に居住していた狩猟採集民も、食料を生産するようになったのは、定住生活をはじめてから相当の時間がたってからのことである。

・穀類やマメ類の栽培や家畜の飼育は、紀元前5000年までの数世紀を通じて、ヨーロッパ中央部全体にも急速に広がっていった。ヨーロッパ中央部と南東部に居住していた狩猟採集民のあいだに食料生産が広がっていったのは、食料生産を実践する生活と競合できるほど、この地における狩猟採集生活の生産性が高くなかったからである。ところが、南フランス、スペイン、イタリアなどの南西ヨーロッパでは、羊が伝えられてから穀物が伝えられたということもあって、食料を生産する生活様式はゆっくりと時間をかけて徐々に広まっていった。日本もまた、集約的食料生産をアジア大陸からゆっくりと時間をかけて少しずつ取り入れているが、それはおそらく、海産物や土着の植物が豊富であったため、狩猟採集生活の生産性が非常に高かったからであろう。

・食料生産への移行をうながした要因はおもに5つある。1つ目は、この1万3000年のあいだに、入手可能な自然資源(とくに動物資源)が徐々に減少したこと。2つ目は、栽培化可能な野生種が増えたことで作物の栽培がより見返りのあるものになったこと。3つ目は、食料生産に必要な技術、つまり自然の実りを刈り入れ、加工し、貯蔵する技術がしだいに発達し、食料生産のノウハウとして蓄積されていったこと。4つ目は、人口密度の増加と食料生産の増加との関係である。5つ目は、食料生産者は狩猟採集民より数のうえで圧倒的に多かったため、それを武器に狩猟採集民を追い払ったり殺すことができたことである。

【第7章】毒のないアーモンドのつくり方

【第8章】リンゴのせいか、インディアンのせいか

・肥沃三日月地帯と呼ばれるメソポタミア地方が、人類の歴史において中心的な役割を果たしたことはよく知られている。地理学者マーク・ブルーマーは、人間にとって作物化することのできる植物の種類の豊富さが重要であることを示した。世界中に数千種ある野生種のイネ科植物のなかから、大きな種子を持つ56種を「大自然のあたえた最優良種中の最優良種」とした。これらの56種は、穀粒の重さが中央値より少なくとも10倍は重く、そのほとんどが地中海性気候か、乾期のある地域に自生している。しかもその圧倒的多数の32種が、肥沃三日月地帯か西ユーラシアの地中海性気候地帯に集中している。この事実は、肥沃三日月地帯の初期の農民にとってイネ科植物を栽培化するうえで選択の余地が大きかったことを意味している。これに対して、チリの地中海性気候地域にはたった2種が自生しているだけであり、カリフォルニアと南アフリカにはそれぞれ1種が自生しているだけである。この事実だけをとっても、人類の歴史において、肥沃三日月地帯と他の地域の果たした役割のちがいを説明することができる。

【第9章】なぜシマウマは家畜にならなかったのか

【第10章】大地の広がる方向と住民の運命

・農作物や家畜は、南北ではなく東西に広まった。そのほうが適応しやすかったからである。肥沃三日月地帯で栽培化された農作物が東西方向に素早く広がった理由のひとつはここにある。そうした農作物は、伝播先の土地の気候にすでに順応していた。キリストが誕生する頃までには、肥沃三日月地帯を起源とする農作物は、ユーラシア大陸の西端であるアイルランドから東端の日本まで、じつに東西8000マイル(約1万2800キロ)にまたがる地域で栽培されていた。

・最初に中国南部で栽培化されたり家畜化されたあと、熱帯の東南アジアやフィリピン、インドネシア、ニューギニアなどで新たな品種が栽培化・家畜化されるようになった亜熱帯性作物や家畜類は、肥沃三日月地帯の作物に比肩する速度で東方に広がっている。その結果、バナナ、タロイモ、ヤムイモといった農作物や、鶏、豚、犬といった家畜類は、1600年たたないうちに中国南部から5000マイル(約8000キロ)以上離れたポリネシアの島々にまで伝わった。

【第11章】家畜がくれた死の贈り物

・非ヨーロッパ人を征服したヨーロッパ人が、より優れた武器を持っていたことは事実である。より進歩した技術や、より発達した政治機構を持っていたことも間違いない。しかし、このことだけでは、少数のヨーロッパ人が、圧倒的な数の先住民が暮らしていた南北アメリカ大陸やその他の地域に進出していき、彼らにとってかわった事実は説明できない。そのような結果になったのは、ヨーロッパ人が、家畜との長い親交から免疫を持つようになった病原菌を、とんでもない贈り物として、進出地域の先住民に渡したからだった。