著者のアビゲイル・タッカーは、米国のスミソニアン誌の記者である。子供のころからネコとともに暮らしてきた大のネコ好きなのだが、ネコへの偏愛とはほど遠いとてもクールな視点で、現代のネコの繁栄について分析している。
ネコの繁栄ぶりはたいへんなもので、世界のイエネコの個体数は6億を超え(英語版原著発行2016年の時点)、さらに増え続けている。全世界のイエネコの数は、ライバルのイヌの数の3倍に達しており、その差は広がっていくだろうとしている。米国でペットとして飼われているネコの数は1986年から2006年までのあいだに1.5倍になり、1億匹に近づいている。一方で、ネコに対する人間社会の対応は矛盾だらけだ。米国の一部の州では「ペット信託」によってイエネコが数百万ドルもの遺産を法的に相続できるが、別の場所では屋外に住むネコが害獣と分類されている。米国では毎年何百万匹という健康なネコが安楽死させられている一方、ニューヨーク市では最近、迷い込んだ2匹の子ネコを助けるために巨大地下鉄網の広大な部分で運転を止めたという。
人間とネコとの関係は昔からあった。昔は、人類はネコの食糧だった。ネコ科の動物たちは人類の祖先を洞窟に持ち込んだり、森のなかでガツガツ食べたり、内臓を抜いた死骸を巣穴に隠したりしていた。実際、ヒト属のものとされる世界最古の完全な形で残されていた頭蓋骨は、グルジアのドマニシにある洞窟から見つかったが、そこは絶滅した巨大チーターのピクニック場のような場所だったらしい。今でも、殺された霊長類全体の3分の1以上が、ネコ科の動物の犠牲になっていて、ヒョウの糞からローランドゴリラの足の指や、ライオンの糞からチンパンジーの歯が見つかっている。
イエネコの祖先となる野生のネコ科動物は、1種類なのか、それとも複数の種類なのかわかっていなかった。2000年代のはじめ、カルロス・ドリスコルは、10年をかけて世界中の1000匹のネコからDNAを回収して解析した結果、すべてのイエネコはたった1種のヤマネコ、それもリビアヤマネコという亜種の子孫であることがわかった。リビアヤマネコは、トルコ南部、イラク、イスラエルという中東を原産とし、今でもその地域に住んでいる。
(リビアヤマネコ、Wikipediaより)
では、どうやってリビアヤマネコはイエネコになったのだろうか。野生のネコ科動物はヤマネコも含めてほとんどすべて、たいてい人間をひどく恐れていて、野生のリビアヤマネコもほとんどは人間を避けているが、ときには変わり者がいて、人間を追いかけ、ペットのネコといちゃついて異種交配を繰り返している。そうした一部のリビアヤマネコの性格の変化=遺伝子の変化ー敵意のなさ、恐怖心のなさ、大胆さーが、ネコと人間のあいだに生まれる絆の源になったのだろうと考えられている。
飼いならされた動物の多くは、共通した特有の身体的特徴を持っていて、例えば斑点模様の被毛、小さい歯、幼く見える顔、垂れた耳、丸まった尻尾などがある。これらの特徴を「家畜化症候群」と呼ばれているが、進化生物学の難問の一つだともされている。ダーウィンもこの現象には気づいていて、垂れた耳は飼いならされたイヌ、ブタ、ウサギにはごく当たり前に見られるが、野生動物ではゾウを除いてまったくない。しかし、イエネコは必ずしもこのような外見を持っていないところが興味深い。家畜化症候群は神経堤細胞(多様な細胞・組織へと分化する細胞群)のわずかな欠損や機能低下で生じる可能性があると考えられている。神経堤細胞は、胎児の発達中に体のさまざまな部分に移動し、頭部形態、軟骨形成、毛色などたくさんの要因に影響し、この細胞のちょっとした欠損が、奇妙な色や垂れた耳、曲がった尻尾といった結果を導く。イエネコにおいて、家畜化症候群の特徴は一部だけに限定されてあらわれていることは、ネコの神経堤細胞がまだ欠落の途上にあり、飼いならしの過程がまだ進行中であることを意味しているということだ。
ネコは人間にとって実用的にはなんの役にも立たず、家畜化しても意味はなく、ネコは自ら進んで飼われるようになったが、目に見えるようなサービスはほとんど提供してこなかった。ある意味、ネコは人間に魔法をかけたらしい。ネコと人間の共通の祖先がいたのはもう9200万年も前のことだが、ネコは不思議なほど人間に似ている。とくにネコは人間の子どもに似ている。オーストリアの動物行動学者(本書では「民俗学者」と誤訳されている)コンラート・ローレンツはこれを「ベビー・リリーサー」と呼んだ。ベビー・リリーサーとは、私たちに人間の子どもを思い出させてホルモン分泌の連鎖反応、オキシトシンの幸福感を起こす、身体的特徴のことを言う。こうした特徴には、丸い顔、ぽっちゃりした頬、大きな額、丸い目、小さな鼻などがある。
さて、ネコの特徴はいいことばかりではない。悪いところは、地球の生物多様性の破壊者としての側面だ。つまり、ネコは生き物の絶滅に関与しているということだ。スペインの研究では、世界中の島で姿を消しつつあるすべての脊椎動物のうちきわめて控えめに見積もっても14%でネコが一因となっているとしている。また、オーストラリアの絶滅種、絶滅危惧種、近危急種(準絶滅危惧種)に該当する138の哺乳動物のうち、89種の運命にイエネコが関与しているとしている。それは、生息地の消失と地球温暖化よりも、はるかに切迫した問題だという。このため、一部の地域ではネコ駆除作戦が実行されている。ただし、ネコを殺してほしくないと思っている人たちは多い。ネコの命が大切か、絶滅危惧種の命が大切か、私たちには公正に判断するのが難しくなっている。
ネコを飼っていると私たちの心や身体によい影響を及ぼすのかどうかについても、どうもよい報告は少ないようだ。イヌの飼い主やペットを飼っていない人に比べて、ネコの飼い主は、心臓病患者の生存率、なんらかの医師の診療を受ける頻度、精神的なヘルスケアを求める割合、血圧、体重や全般的な健康上の障害など、様々な調査で悪い結果が出ている。イヌと比べてネコを飼うことによる、運動量の少なさ、触れ合う時間や心理的な交流の少なさなど、理由を見出そうとしている。(個人的な思いつきであるが、もともと心身になんらかの問題がある人はネコを飼う傾向があるということはないだろうか?ネコの社会性の低さは、人間の自閉スペクトル症候群(ASD)に似てはいないだろうか?)
ネコは孤立して生きる動物で、人間と暮らしても社会的協調を身につけなかった。人間はネコに自分たちのやり方を教えることはできない。逆にネコが主導権を握って私たちを手なずけるようになるのだという。私たちが自分に対するネコの愛着や愛情だと思っているものは、条件づけされたものであり、食べものをねだっているのだとしている。また、ネコは生まれつき同種の仲間を嫌い(私が飼っていたネコがとくにそうだった。久しぶりに実の母ネコに会っても嫌悪感を示していた)、直接のアイコンタクトを脅威とみなし、互いに見つめ合うことを嫌う。ただし、ネコは順応性の高い生き物でもあり、ネコ同士や他の動物と仲良くしている場面を見ることもあるが、例外的なのだという。そして、ネコにとって大切なことは、不変性と、予測可能性だという(このあたりもASDのようだ)。エサの時間がいつもと少しずれるだけでネコはイライラする。
ネコの品種改良が進められている。それは、イエネコと野生種とのハイブリッドによって、野生に見えながら飼いならされている美しい品種を創ることが目指されている。まだあまり日本には入ってきていないかもしれないが、そうして創られた品種が、ベンガル、トイガー、パンサレット、チートーである。チートーはアジアのヒョウとイエネコのハイブリッドで、雄の中には14キログラム近いものもある。
(チートー、shutterstock.comより)
ネコはインターネットで大人気である。有名な人気ネコにリルバブがいる。いつも舌を出していて嬉しそうに見えるというのだ。(私はネットでリルバブの写真を見たら、病的な異様さがあって可哀そうになってしまった)実際のところ、リルバブは歯が1本もなく、下顎は未発達で、大腿骨は曲がっていて、膀胱もときどき機能障害を起こすのだという。人間は常にネコを擬人化したくなる。人間に似た特徴と表情の空虚さのせいで、ネコの心を「読み取りたい」という気持ちは抑えがたくなる。そして、ネコの写真に説明文をつけるという娯楽がオンライン上で広まっている。いまや世界に浸透している日本生まれのハローキティについても述べられている。ハローキティには口がないのが特徴だ。
本書を読んでみると、ネコは人間との間で心の奥底でつながっている神秘的で愛すべき存在だという、私たちネコ好きが思っていた気持ちは、もしかしたら勘違いだったのか?と思わせる内容であった。ネコ好きにとっては他にもちょっと残念な内容が多かったが、これは平均的なネコの話であって、あなたや私の大切なあのネコはもっと進化した特別なネコなのだと思うことにしようではないか。