wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

僕の読書ノート「病気の原因は栄養欠損が9割(清水英寿)」

2024-10-26 08:26:38 | 書評(生物医学、サイエンス)

 

仕事で知り合いになった歯医者さんの書かれた本である。清水先生は、興味・関心が多方面にわたっている多芸多才な方だ。歯科医としても、やっていることが一般的な歯科医の範疇を大きくはみ出ているスケールの大きな方である。西洋医歯学と東洋医学を含む代替医療を咀嚼し、豊富な歯科診療経験を元に生み出された清水理論ともいえる栄養健康法が展開されている。一般的な栄養学とは少し違った視点からユニークな提案が次々と出されていくが、とくにタンパク質の健康における重要性が強く主張されている。

清水先生の歯科医院での診療内容は、口腔内だけにとどまらない。口腔からはじまって全身の健康や病気に目配せしていく。その内容を本書からそのまま引用する。

『ここで、当医院で行っている診療の流れをご説明しましょう。

はじめに顔貌を観ます。顔色、肌つや、頸部のイボ、顔のシミ、目の下のクマの有無などを確認します。

次に、歯、歯肉、舌、顎骨を観察します。被せものや詰めもの、矯正治療等の歯科の既往歴を確認します。

続いて、「口臭」を測定します。口の中の環境を担っている「唾液」の量と質を調べます。

舌、歯垢、唾液の「虫歯菌」を培養して調べます。

歯周病菌と虫歯菌のゲノムを調べて、虫歯と歯周病の潜在感染のリスクを判定します。

その後、歯肉の滲出液を顕微鏡で観察して、虫歯菌、歯周病菌の状態、赤血球の状態、白血球の状態を調べます。

以上が、全身状態を把握するためのスクリーニングになります。

口の検査に続いて、全身状態を把握します。138項目の問診で、本人が日常で自覚している心身の健康状態を確認します。72項目の血液検査と尿検査をもとに、心身の状態を把握します(直接、間接的に、不調がわかる血液検査の項目を文中に載せています)。

検査データの基準値の幅を狭く解析することで、予防を目的とした心身の状態と、不調の根本的な原因がわかります。

具体的には主に次の情報を入手します。

・未病(生活習慣病のように、長い潜伏期間がある発症前の状態)

・家系的弱点、体質的弱点

・不足している栄養素

・生活習慣(食事、運動、睡眠、自律神経のバランス、嗜好性)

以上の検査で得られた情報をもとに、根本的な改善策(根治療法)を検討します。

治療を要する明らかな「病気」が見つかったら、専門医やかかりつけ医に依頼して、医科歯科の連携を図ります。』

歯科医院でここまで調べるのだという。一般的な歯科検診や人間ドックを受けてもわからないようなことまで診てくれるのだ。

 

本書を読んで個人的に該当しそうだと思ったところは、逆流性食道炎では、胃酸過多として制酸剤が処方され、長期の服用でタンパク質の消化能が低下して、結果的にタンパク質の不足になるので注意が必要であること。また、食べたタンパク質が未消化のまま大腸に運ばれると、悪玉菌のエサになってしまうこと。さらに、大腸で悪玉菌の餌となって腐敗発酵した未消化のタンパク質は、大腸ポリープや大腸がんの原因になるということ。また、胃酸の不足で、ビタミンB群不足となり、肩こりや、咽頭炎から風邪を引く原因になるという。

まさに、私の病態を表しているとしか思えない。現状では、制酸剤を止めることはできないので、せめてタンパク質を消化したペプチドやアミノ酸、ビタミンB群の補給をしたほうがいいのではないかと思い至っている。

このように、本書を読んでみると、きっとだれでも思い当たることが出てきて、栄養補給について意識的になれるものと思う。


僕の読書ノート「ペットが死について知っていること(ジェフリー・M・マッソン)」

2024-10-19 08:35:29 | 書評(進化学とその周辺)

 

本のタイトルが間違っていた。以前から、動物が死を認識しているのかどうかについて興味を持っていたので、タイトルに魅かれてあまり調べもしないで買ってしまったのだが、読んでみたら内容がタイトルとは違っていた。「ペットが死について知っていること」については、ある程度は取り上げられてはいるものの、そういうことを主題とした本ではなかった。また、副題の「伴侶動物との別れをめぐる心の科学」も間違っていた。本書では「科学」については、ほとんど触れられていなかった。だから、そういう興味を持って本書を読むと物足りなさを感じてしまうことになる。

本書の英文タイトルは「Lost Companions: Reflections on the Death of Pets」である。そのまま訳せば「失われた伴侶:ペットの死における反応」であり、それが正しくこの本の主題をあらわしている。本書の内容は、取材にもとづく多くのエピソードや自らの経験を元に考察した、ヒトと伴侶であるペットの間の深い愛情と、そのペットが死んだときのヒトの深い悲しみやその時どうすればいいかについての提案である。「ペットが死について知っていること」や「心の科学」の本ではない。

とても良識的な内容であるし、私も動物との深い愛情や辛い死を経験しているので、おおむね書いてあることには同意できるので、日本の出版社のミスがとても残念である。あと1点、欧米で安楽死の安易な利用が多いのはいかがなものかと思う。

動物が自らや他者の死を認識しているのかどうかについて、科学ではないが、エピソードや著者なりの考察については多少書かれていたのでそれを引用しておきたい。

・犬や猫には、死という概念がないとされてきた。はたして本当にそうだろうか。推測の域を出ない話だという声はもっともだが、私が聞いたり読んだりしてきた話の多くが、実際には犬や猫が死の瞬間に、独特の表情で人間を見つめてくることを伝えている。まるで最期の別れであることを悟り、深刻な場面であることに気づいているかのようだ。いつもの「さよなら」とは明らかに違うということ。私は、犬にはそれがわかると確信している。おそらく、動物にとっての死も人間にとってのそれと同じように大きな意味を持っている。

・ここで、明確な答えが存在しない問いに向き合っておきたい。それは「犬は自らの死について考えるのか」ということだ。彼らには死という概念があるのだろうか。・・・私が確信しているのは、・・・彼らは死後の人生(それにしてもおかしな言い方だ)について思い巡らしたりもしないはずだ。言い方を変えれば、彼らには来世があるのかどうか、死んだあとに何が起こるのかどうか、などは考えないということだ。

・2007年、米医学誌『ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』は、”猫オスカーのある1日”と題する前面記事を掲載した。記事では、・・・2歳の猫オスカーについてのエピソードを紹介している。オスカーは子猫のころに、・・・認知症患者やアルツハイマー病患者が暮らす・・・センターに引き取られた。世界中が注目したのは、オスカーがある不思議な才能—こう呼んだほうがよければだが—を持っているという「事実」だった。オスカーは患者の部屋にふらりと入り、患者の枕元で添い寝をしてゴロゴロとのどを鳴らしながら待つ。いったい何を待つのかというと、数時間後に決まって訪れる患者の「死」だ。オスカーは毎日さまざまな患者の部屋に出入りするのだが、長く居座るのは、もうすぐ死を迎える患者の部屋だけだという。(日本でも似た例が犬で報告されている「看取り犬・文福(若山三千彦)」)

・どうやってオスカーは死をかぎつけるのか。・・・この件について見解を述べる医師のほとんどが、オスカーは病室に入るときに空気をかいだのだろう、と指摘している。オスカーは人間が気づかないレベルの臭い—死んでいく細胞から発生するものと思われる—を感知できたのではないか、というのが彼らの見立てだ。

・猫について、そして死について考えるなかで、わかってきたことがある。それはほかの動物たちが「死」をどうとらえているのかについて、私たちがいかに無知かということだ(人間の死についてさえ、あまり理解できていないのかもしれない)。もしかしたら動物たちは、これまで私たちが考えてきたことよりも、死をよく理解しているのかもしれない。私は猫と暮らし、猫のことを考えるなかで、人間の領域を超えた彼らの知識について、私たちがいかに無知であるかを教えてもらった。あの猫のオスカーは、誰も知らない、あるいは知り得ない何かをたしかに知っていたのだ。オスカーだけが特別なのか、猫が秘密を隠しているのかはわからない。いずれにしても、光栄にも一緒に暮らしてくれる、あの小さなトラたちのことを、私たちはつぶさに観察していくべきだろう。

・野生動物は互いに悲しみ合ったりするのだろうか。答えは間違いなくイエスだ。・・・ゾウが互いの死を悲しむのであれば、人間の死に対しても悲しみの感情を抱くはず、そうは考えられないだろうか。私は、『象にささやく男』を著した故ローレンス・アンソニーが残してくれた事例に、そのヒントがあるような気がしている。・・・2012年のことだった。彼が61歳で心臓発作のために息を引き取ると、(何年も前に彼に命を救われていた)ゾウの2つの群れ、合せて31頭が約180キロの道のりを歩いて彼の家まで行き—1年半ぶりの訪問だ—2日2晩にわたり何も食べず、その場にずっと立ち続けたのだ。きっと亡くなった友人に敬意を表し、その死を悼んでいたのだろう。

・この本を書き終えたいま、私はこう確信している。犬たちは最期が近づいていることを、たしかにわかっている。彼らには死の概念があり、死について考えている。というより、死を感じている、と。そして、犬たちが死をどう思っているのか、それを私たちが正確に知ることはできないということも、あらためて実感している。


「寶林寺 東輝庵展 横浜の禅ー近世禅林のルーツ」in 横浜市歴史博物館

2024-10-12 07:50:24 | 美術館・展覧会

横浜市歴史博物館で開催中(9月14日~11月10日)の、「寶林寺(ほうりんじ) 東輝庵(とうきあん)展 横浜の禅ー近世禅林のルーツ」を見てきました(2024年9月29日)。

鎌倉の円覚寺は、臨済宗における一つの拠点として様々な影響力を示してきたことは、私も坐禅をしに行っていた寺院なので知識として知っています。しかし、横浜にある円覚寺派の末寺の一つが展覧会に取り上げられるとはどういうことかと、ちょっと興味を持ったので見に行ってきました。

寶林寺は保土ヶ谷駅から近い永田という地にある寺で、18世紀に月船禅慧(げっせんぜんね)という禅僧がそこに東輝庵という修行道場を作りました。月船という人はそうとうすぐれた禅僧だったらしく、評判を聞きつけて指導を受けるために全国からやってきた修行僧たちには、のちに白隠慧鶴(はくいんえかく)のところに移る峨山慈棹(がざんじとう)、円覚寺中興の祖となる誠拙周樗(せいせつしゅうちょ)、かわいい禅画で有名になる仙厓義梵(せんがいぎぼん)など、その後名を成した人たちが多かったそうです。

円覚寺管長の横田南嶺さんが書かれた「禅の名僧に学ぶ生きかたの知恵」という本にも、誠拙さんのことが紹介されています。それによると、当時の江戸時代においては、檀家の制度が薦められたせいで、お坊さんが増えた分、レベルの低いお坊さんばかりになり、円覚寺のような大きな寺は荒廃しきっていたそうです。一方で、立派なお坊さんはそういう大寺院には寄り付かず、小さな寺で修行をするようになったのだといいます。その典型的な例が、寶林寺の東輝庵です。しかし、円覚寺としても寺を復興できる才覚のある僧を探し求めていて、月船によって円覚寺に送り出されたのが弟子の誠拙だったということです。

 

横浜市歴史博物館。
 
展示会場。
展覧会では、東輝庵に集まった禅僧や関係のある名僧たちが描いた禅画などが紹介されていました。
 
仏涅槃図(岸朝 画、1699)
会場内では、撮影可となっている一部の作品のみ撮影しました。
 
釈迦の入滅の図でしょう。よく見ると、釈迦が昼寝をしているようにも見えるのがおもしろい。
 
動物たちや鬼たちも集まってきて泣いています。
 
達磨図(白隠慧鶴 画、月山禅慧 賛、18世紀)
臨済宗中興の祖といわれる白隠慧鶴が絵を描いて、月山禅慧が詩文を書いたということらしいです。白隠らしい力強い達磨の絵。
 
鍾馗図(しょうきず)(仙厓義梵 画賛、18世紀後半~19世紀)
悪鬼を退治しようとする道教の神様らしいのですが、おちゃめな姿に描かれているのです。
 
坐禅蛙図(仙厓義梵 画賛、18世紀後半~19世紀)
坐っているだけでいいなら、蛙はすでに悟りを開いているよという意味らしいです。
 
達磨図(釈宗演 画賛、20世紀)
釈宗演は夏目漱石も入門した円覚寺の管長。
 
普化振鈴図(誠拙周樗 画賛、18世紀後半~19世紀)
普化とは中国の禅僧で、常に鈴を手にして奇矯な振る舞いをしていた人らしいです。誠拙さんはこのような端正な画風のようです。
 
円相図(誠拙周樗 画賛、18世紀後半~19世紀)
臨済宗でよく描かれる丸い円は、はじまりもなく、終わりもなく、悟り、真理、仏性、宇宙全体を象徴的に表したものとされています。
 
猪頭和尚図(加藤文麗 画、誠拙周樗 賛、18世紀後半~19世紀)
猪頭和尚とは、猪の頭を好んで食べたり奇妙な振る舞いをした僧侶らしいです。
 
臨済宗は、このように絵(禅画)も駆使して何かを伝えようとするところがいいです。
今回、仙厓義梵が気になったので、機会があったらもっと見てみたいと思いました。

小田原城に行く-2

2024-10-05 08:13:23 | 遺跡・寺社

小田原城に行ってきたレポートの2回目です(2024年9月22日)。

 

階段を上って天守閣に入ります。天守閣は1960年に再建されました。さっき通ってきた3つの門もその後に再建されたものです。

 

城内には様々な展示がされています。これは江戸時代初期の小田原城地図。小田原北条氏時代の面影を残しているとされています。だいぶ外側を取り囲むように総溝が築かれたのは小田原合戦の前だったといいます。

小田原城は15世紀に大森氏が築き、北条早雲に始まる小田原北条氏の本拠となって関東支配の拠点となり、豊臣秀吉との小田原合戦で北条氏は滅亡、その後は徳川家康の家臣である大久保氏や稲葉氏が城主を務めてきたということです。

 

二の丸の建物にあったというしゃちほこ瓦。

 

1821年の天守閣の瓦。徳川家の家紋、三つ葉葵。

 

かつて城内には小田原動物園があったそうです。昭和25年に開園、令和5年に閉園。哺乳類・鳥類約70種が展示され、繁殖や野生動物の保護といった種の保全活動も行われていたそうです。

 

保護されてここで飼育・繁殖された日本の動物たちもいます。ホンドギツネ。

 

ハクビシン。

 

ニッポンアナグマ。

 

最上階の5Fの外側には展望デッキがあり、360度一周することができます。これは箱根方面。

 

伊豆半島と海。

 

すこしかすんでいますが、大島も見えます。

 

城下の本丸を見るとここがそうとう高いところにあることを実感します。

 

小田原駅と遠くに丹沢山地が見えます。右から、大山、三ノ塔、塔ノ岳という並びです。

 

江戸時代に天守にまつられていたという摩利支天像が再現されています。

 

外に出て天守閣をのぞんでみると、なかなかの美しさと豪壮さがあります。

 

帰りは学橋(まなびばし)から出ます。手前の二の丸に小学校があったため、そういう橋の名になったそう。昔は城跡にいろいろな施設を作っていましたね、小田原城だけでなく。今は、そういう施設は除いて、城のあったころの状態を再現しようという流れになっています。

 

堀のほとりにはジャズ喫茶がありました。

 

帰り道で、天守閣の最上階が見えました。新幹線に乗っていても小田原駅の近くで天守閣が見えますね。

 

帰りの東海道線の車窓から見える空は、夏の終わりを感じさせるものでした。もう9月の後半なんですけどね。次の日は秋らしく涼しくなりましたが、その後また夏日が戻ってきたりと季節がおかしいです。

 

相模川の河口近く。

というわけで、小田原城はけっこう立派でした。これからさらに城跡が整備されていくんでしょうね。