wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

渡り鳥が帰ってきた12月の菊名池

2022-12-31 07:54:56 | バイオフィリア(身近な生き物たち)

冬に渡り鳥が帰ってくる菊名池の12月のようすを見に行きました(2022年12月18日)。戦争をしているロシアなどからやってきた、彼たち彼女たちはなんの罪もない崇高で無邪気な命です。

 

風もなく晴れた気持ちのいい天気です。

 

1年中ここに住んでいる右のほうのカルガモたちと、冬にやってきた左のほうのキンクロハジロたち。

 

カルガモのつがいかな?

 

人が投げるパンくずを食べようとキンクロハジロが元気に集まってきます。しかし、このツートンカラーの個体はすべてオスです。

 

そして、少し離れたところに1羽だけで泳いでいるこの子がキンクロハジロのメスのようです。カモ類は比較的オスとメスがいっしょに行動している印象があるのですが、キンクロハジロはちょっと違います。そしてメスの数があきらかに少ないです。他のメスたちはいったいどこにいるのでしょうか?そもそもオスとメスの数が違うのでしょうか?謎です。

 

そして、ハシビロガモ。去年はほかにもマガモが来てたのですが、この日は見ることができませんでした。

 

子供たちが遊んでいます。ここは、大人の見守る目も届いているし、自然にも触れられるし、よい遊び場です。

 

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本年も一年間お付き合いいただきありがとうございました。よい年をお迎えください。

 


僕の読書ノート「現代歌人文庫3 寺山修司歌集(寺山修司)」

2022-12-24 07:47:10 | 書評(文学)

寺山修司は様々な分野で活躍したが、作品のほとんどが前衛とよばれる領域であったため、読者やお客を選んでしまって、十分なポピュラリティーが得られなかったのは残念だ。それでも我々を惹きつける瑞々しい、あるいは妖しい魅力があって、なんとか近づきたいと思って入っていくのである。

本書はもう20年くらい前に買って途中まで読んだのだけれど、けっこう読むのがたいへんでずっと放置していたのだが、あらためてちゃんと最後まで読み直してみた。今読んでもやっぱり難しくて意味がわからない短歌が多い。一つには、語尾に古語がよく使われていることもある。そして、これは脈絡のない2つや3つのパーツをコラージュして一つの歌にして、さあどう感じる?と提示している作品なのだとすれば、意図としては納得できる。ダダイズムなのだろう、シュルレアリズムなのだろう。しかし、それぞれのパーツがマーブルのようにきれいな模様を描いていれば何かを感じることができるが、水と油のように完全に分離しているとほとんど理解できない。さらに、前者の場合でも、読んだ人がどう解釈するかについては、許容範囲がとても広い感じがする。だから、ものすごく自分勝手、自己流の読み方ができてしまうように思う。

本書は、寺山の歌集4編と石川啄木論、エッセー、他の歌人による寺山論2編からなる次のような構成になっている。

・歌集「空には本」 1958年刊、青春と田園を感じさせる。寺山言「ただ冗漫に自己を語りたがることへのはげしいさげすみが、僕に意固地な位に告白性を失くさせた」

・歌集「血と麦」 1962年刊、戦後の時代性や家族のこと。4年間も入院していたときに創作された歌。寺山言「私が詩人でありながら、いわゆる現代詩の多くに興味をもっていないのはそれが単に行為の結果であり、スタティックな記録にすぎないからなのだ」

・歌集「田園に死す」 1965年刊、土俗性と残酷性が一気に爆発する寺山らしい世界。寺山言「これは、私の「記録」である。自分の原体験を、立ちどまって反芻してみることで、私が一体どこから来て、どこへ行こうとしているのかを考えてみることは意味のないことではなかったと思う」

・歌集「未完歌集 テーブルの上の荒野」 1971年刊。

・石川啄木論

・エッセー(プライベート・ルーム) 寺山言「短歌は、言わば私の質問である」

・寺山論「アルカディアの魔王(塚本邦夫)」

・寺山論「寺山修司さびしき鴎(福島泰樹)」

 

「血と麦」の章「わが時、その始まり」には、「空には本」の中の有名な歌が再録されている。下記に引用したい。

  マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

  煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし

  ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし

  海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり

一転して、「田園に死す」はまるでバロウズのような醜悪な世界になり、下記のような歌がある。

  新しき仏壇買ひ行きしまま行方不明のおとうとと鳥

  間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子

  いまだ首吊らざりし縄たばねられ背後の壁に古びつつあり

  ほどかれて少女の髪にむすばれし葬儀の花の花ことばかな

「未完歌集 テーブルの上の荒野」には次にような歌もある。

  人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ

 

寺山修司は日本語のフェチだと言っていたらしい。たしかに、あるときは瑞々しく、あるときは禍々しく、言葉が立ってるな。


師走、ジョンのハッピークリスマス、ホモ・ウォー

2022-12-17 08:02:41 | つぶやき

12月になるといつも、焦燥感と安堵感の入りまじった不思議な感覚を感じます。12月を師走とよぶのは、「師匠の僧が御経をあげる為に東西を馳せる月」だからとされています。12月にご不幸が多かったのかどうかはわかりませんが、忙しくあわただしい月であると古くから認識されてきたのですね。

高校のときの現国教師は、師走は情緒不安になるといっていました。私にとっての師走は、12月8日のジョン・レノンの命日があって、ジョンの歌「ハッピークリスマス」に出てくる「What have you done?(今年は何ができた?)」のメッセージが頭に浮かんできて、今年はいったい何ができたのだろう?という自問自答、まあそこそこ平和には過ごせたかなという安堵、そんなことがいつも頭をよぎります。結局、はっきりした結論は出ないのですが。

今年の師走は、両親のお墓を申し込むことができました。行動してきたことが、実を結んだことでちょっとだけほっとしました。これが、「What have you done?(今年は何ができた?)」という問いへの、今年の私からの返答かな。

 

ジョン・レノンの「ハッピークリスマス」のYouTubeはいろいろなバージョンがありますが、下記は、歌詞の和訳入りで最初のところでヨーコから、元夫との子キョウコや、義理の息子のジュリアン・レノンへの呼び掛けが入っているので選びました。この曲が発表された1972年から、もう50年もたちましたが、メッセージである「戦争は終わらせられる」は残念ながらとうてい達成できそうにありません。我々人類であるホモ・サピエンスとは別に、戦争好きな人たちホモ・ウォーという人種を分類してみるというアイデアが浮かびました。

Happy Christmas(War is over)ハッピークリスマス2022/ジョン レノン/歌詞

 

ホモ・ウォーのことを考えていたら、物語のプロットが浮かび上がってきましたので、ここにメモしておきます。

『ホモ・ウォーはホモ・サピエンスとは別種であると定義され、ホモ・サピエンスはホモ・ウォーに別の星に移住して頂くようにお願いする。しかし、ことはそう簡単にいくはずもなく、ホモ・サピエンスのほうが別の星に移住することになった。ホモ・サピエンスは、地球上の全ての生物の遺伝情報とあらゆる知的情報を持って、別の恒星系の惑星に移住することに成功する。移住して間もなく、地球を観察したところ、ホモ・ウォーが全世界核戦争を引き起こし、ほぼ全ての生物が絶滅したことが確認された。ホモ・サピエンスはギリギリのタイミングで生き延びることができたことと、ホモ・ウォーが絶滅したことに安堵する』


12月の入江川中流域の鳥たち

2022-12-10 07:59:29 | バイオフィリア(身近な生き物たち)

地元の短い川、入江川の中流域は、12月になって渡り鳥などの鳥たちが集まってきました(2022年12月3日)。

多いのはホシハジロと、

オオバン。

オオバンを見ると、「千と千尋の神隠し」のカオナシを思い出すのは私だけでしょうか?

 

飛翔するチドリ。

 

そして、ひさしぶりにサギを見ました。アオサギです。

他にもコサギを見ましたが、アオサギにしてもコサギにしても、非常に用心深くなっていて、人が近づくと飛んで逃げてしまいます。最近あまりサギを見なくなったのは、そういう性質の変化があったせいなのでしょうか。

 

民家の庭の柿がたくさん熟しています。先週、住人の方が収穫していましたが、取りきれないくらいなっていて、カラスが食べに来ています。

柿をもぎってきて、屋根の上で食べているカラスもいます。


11月の近所の紅葉や入江川

2022-12-03 08:40:38 | バイオフィリア(身近な生き物たち)

今年は紅葉の当たり年らしく、近所の公園やお宅の庭でも紅葉がキレイです(2022年11月19・20日)。

 

近くの公園のイチョウは、黄色く輝いています。

 

桜かな、緑、橙、茶、までいろんな色の葉がモザイク状になっています。

 

この公園は木が多いので、すごい量の落ち葉が積もっています。

これって、プラタナスの葉ですよね。

 

もう一度、イチョウの輝きを。

 

入江川中流域では、毎年この時期に見られる北からやってきたオオバンと、ホシハジロもいます。

上流域の入江川せせらぎ緑道でも、以前は優美なサギ類をよく見たのですが、この1、2年、見なくなりました。コロナ禍に入ってからのようですが、なにか関係しているのでしょうか。

 

近所のお宅の庭の大きなサザンカでしょうか、咲いています。(再び見に来たら、サザンカの花ではなく、赤い実のなるナンテンやモチノキのような別の木でした)

 

ウルシのような木の赤い葉が鮮やかです。