wakabyの物見遊山

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僕の読書ノート「国道16号線 「日本」を創った道(柳瀬博一)」

2021-02-27 16:46:17 | 書評(その他)

私は30歳過ぎから45歳くらいまでの間、国道16号線エリアである横浜の西谷や二俣川に住んでいた。その当時は車好きだったから、どこへ行くにも16号線を使っていたし、人生において重大なイベントの多くは16号線エリアで起きていた。しかし、苦悩と迷いに満ちた時代でもあった。今はそこから抜け出すことができているが、当時のことはあまり思い出したくないという気持ちでここまでやってきた。だから本書で、「国道16号線は日本を創った」と持ち上げられているのを見て、ええ?どういうこと?読んで確認してみなければと思ったし、著者の柳瀬博一氏は小網代の森の再生を書いた「奇跡の自然の守りかた」の共著者として知っていたので読んでみたのである。

地形は、古代から現代に至るまで人間の思考や精神、文化に影響を及ぼしてきたという考え方を、私は中沢新一の「アースダイバー(2005年初版)」ではじめて知ったのだが、同様の視点はすでにジャレド・ダイアモンドが「銃・病原菌・鉄(2000年日本版出版)」で示していたのだという。ダイアモンドによれば、人々が暮らしている土地の地理的な条件、「地形」や「気候」や「自然環境」の違いが、それぞれの地域の文明のかたちを規定する大きな要因となる、という。その説に基づくならば、この日本の文明と文化を形成する前提となった地理的な条件があるはずで、その地理的な条件を備えた典型的な地域は日本のどこにあるのかと考えたら、「国道16号線エリア」であるという結論に至っている。

国道16号線は、東京の中心部を遠巻きにして東京湾の周囲をぐるりとまわる環状道路である。三浦半島から始まり、横浜、八王子、春日部、野田、千葉などを通って、房総半島で終わる。国道16号線エリアには、3万数千年前の旧石器時代から、縄文時代、中世、現代にいたるまでずっと人々が暮らし続けてきた。柳瀬氏の仮説では、「山と谷と湿原と水辺」がワンセットになった小流域地形が人々を呼び寄せ、この小流域地形がジグソーパズルのようにびっしり並んで東京湾をぐるりと囲んでいる地域が現在の16号線になるのだという。現在は、16号線エリアの小流域のほとんどは、住宅地になったり、商業地になったり、川は暗渠となり、原型をとどめていない。三浦半島の小網代の森で、その小流域の原風景を見ることができる(一度は訪れることをお勧めしたい)。こうした16号線エリアの地形は、地球の活動が作った。本州が逆「く」の字に折れ曲がっている房総半島の沖合には、3つのプレートが接する三重会合点ができていて、「オホーツクプレート」の下に「フィリピン海プレート」が潜り込み、「太平洋プレート」がそれらの下に潜り込んでいるため、関東地方は地形がダイナミックに変化している(これが巨大地震の原因でもある)。さらに、気候変動による海面の上昇と低下、火山の爆発と火山灰、河川の運動によって、16号線エリアの地形ができあがった。

本書では、16号線エリアが日本を牽引してきた例として、現代の繁栄、戦後日本音楽の発祥、江戸時代以前の歴史的躍動、養蚕と生糸の輸出による殖産興業といった面で掘り下げている。個人的には、音楽の話とカイコの話が興味深かった。

第二次世界大戦後、16号線エリアには米軍基地が作られた。そして、そこは洋楽をはじめとする米国文化の発信地となり、進駐軍クラブや米軍キャンプで日本人ミュージシャンたちが育ってきた。日本のジャズシーン、コミックグループ、歌謡曲の女性歌手たち、芸能プロダクション、グループサウンズ、矢沢永吉、ユーミン、細野晴臣たちが、みなこのエリアから出てきた。(私は今でこそ、ユーミンも細野晴臣も大好きだが、その良さがわかってきたのは、私が16号線エリアを抜け出した後である)矢沢永吉は「レイニー・ウェイ」で、ユーミンは「哀しみのルート16」で、国道16号線を舞台とした曲を歌っていて、どちらも別れや涙が出てくる悲しい歌のはずなのに、曲調はなぜかイケイケドンドンである。なにか底知れぬポジティビティが湧き出ている。

私は大学時代、カイコの研究をやって修士号の学位を取ったし、母は絹織物の和服を作る仕事をしていたし、母方の祖母は絹糸を紡ぐ仕事をしていたから、三代にわたってカイコのお世話になってきた。そして、16号線は日本のシルクロードとよばれている。八王子は養蚕業が盛んで、各地からも生糸が集積し、織物が生産された。八王子から大量の生糸や蚕卵が横浜港へ運ばれて輸出された。この街道が「絹の道(シルクロード)」と呼ばれるようになったが、これは現在の16号線と重なるルートである。明治時代の日本は、生糸で稼いだ外貨で鉄や機械や軍艦や兵器を購入した。生糸のおかげで殖産興業と富国強兵を果たすことができ、先進国の仲間入りをしたのだという。

新型コロナウイルスの感染拡大により、リモートワークやリモートスタディが日常化した中で興味深い動きがあるという。都会の人々が「身近な自然」に興味を示すようになったというのだ。首都圏では、ベランダ・ガーデニング市場、ペット市場が活況を呈し、緑地公園や庭園に多くの人が足を運ぶようになり、街を流れる小川でザリガニとりをしたり、海辺で魚釣りをする親子が増えたり、といった変化が起きている。都心のオフィスに通うこともできるが、もう少し大きな自然が近所に欲しい人たちに都合のいいエリアが16号線エリアである。たしかに、あそこには身近な自然もあったし、田舎っぽさもあった。生物学者のエドワード・O・ウィルソンは「生命の多様性(1995年日本版出版)」において、人間が住むのを好む場所として、見晴らしのいい山があって、谷があって、湿原があって水辺へとつながっている、まさに16号線に備わった小流域地形の特徴と一致する特徴を示していた。さらに、こうした地形は自然が豊かで「生物多様性」が存在しているから、人間は好むのだ。人間のこうした他の生命とのつながりを求める本性を「バイオフィリア(生物愛)」と呼んだ。

本書を読んでの感想としては、国道16号線でよくここまで論考できたものだと感心するとともに、読んで楽しかったというのが素直な気持ちである。


「ありの行列」小3国語教科書

2021-02-20 16:45:17 | バイオフィリア(身近な生き物たち)

娘はいつも家で宿題として、国語の音読をやってますが、先日オヤッと思ったことがありました。「ありの行列」という文章の音読をしていたのです。これは私の大学時代の師匠が書いた文章です。教科書にこの文章が載っているということは前から知っていたのですが、光村図書小3国語の教科書に載っていて、娘が小学校で習っていることを知って、不思議なめぐりあわせを感じたものです。

 

以下にその文章を抜粋します。

ありの行列  文・大滝哲也

 夏になると,庭のすみなどで,ありの行列をよく見かけます。その行列は,ありの巣から,えさのある所まで,ずっとつづいています。ありは,ものがよく見えません。それなのに,なぜ,ありの行列ができるのでしょうか。

 アメリカに、ウイルソンという学者がいます。この人は、次のような実験をして、ありの様子をかんさつしました。

 はじめに、ありの巣から少しはなれた所に、ひとつまみのさとうをおきました。しばらくすると、一ぴきのありが、そのさとうを見つけました。これは、えさをさがすために、外に出ていたはたらきありです。ありは、やがて、巣に帰っていきました。すると、巣の中から、たくさんのはたらきありが、次々と出てきました。そして、列を作って、さとうの所まで行きました。ふしぎなことに、その行列は、はじめのありが巣に帰るときに通った道すじから、外れていないのです。

 次に、この道すじに大きな石をおいて、ありの行く手をさえぎってみました。すると、ありの行列は、石の所でみだれて、ちりぢりになってしまいました。ようやく、一ぴきのありが、石のむこうがわに道のつづきを見つけました。そして、さとうにむかって進んでいきました。そのうちに、ほかのありたちも、一ぴき二ひきと道を見つけて歩きだしました。まただんだんに、ありの行列ができていきました。目的地に着くと、ありは、さとうのつぶをもって、巣に帰っていきました。帰るときも、行列の道すじはかわりません。ありの行列は、さとうのかたまりがなくなるまでつづきました。

 これらのかんさつから,ウイルソンは,はたらきありが,地面に何か道しるべになるものをつけておいたのではないか,と考えました。

 そこで,ウイルソンは,はたらきありの体の仕組みを,細かに研究してみました。すると,ありは,おしりのところから,とくべつのえきを出すことが分かりました。それは,においのある,じょうはつしやすいえきです。

 この研究から,ウイルソンは,ありの行列のできるわけを知ることができました。

 はたらきありは、えさを見つけると、道しるべとして、地面にこのえきをつけながら帰るのです。ほかのはたらきありたちは、そのにおいをかいで、においにそって歩いていきます。そして、そのはたらきありたちも、えさをもって帰るときに、同じように、えきを地面につけながら歩くのです。そのため、えさが多いほど、においが強くなります。

 このように、においをたどって、えさの所へ行ったり、巣に帰ったりするので、ありの行列ができるというわけです。

 

生物を対象とした研究という行為をとてもシンプルに表現した文章です。ここにはウイルソンというアメリカの学者が出てきますが、この人はハーバード大学の昆虫学者で世界的に著名な社会生物学者エドワード・オズボーン・ウィルソンです。大滝先生も昆虫学者であり、ハーバード大学に留学していたことがあるので、ウィルソンと交流はあったのか、どういういきさつで教科書に文章を書くことになったのかなど、聞いてみたいことはいろいろあるのですが、もう故人なので叶いません。大滝先生は、教育者としては自由、放任の方でしたが、世界の最先端の研究がすごいことになっているというワクワク感を学生に伝えるのがとても上手な先生でした。

PS:ウィルソン氏は2021年12月に亡くなられました。そして最近の著書をレビューしました。


哺乳類進化研究アップデート No.4ー哺乳類への中耳の進化

2021-02-13 12:32:42 | 哺乳類進化研究アップデート

進化学の研究手法はゲノム解析の時代になってきましたが、昔ながらの研究手法である、新しい化石を発見して他の動物と骨格形態を比較する研究は今でもトップ・ジャーナルに掲載される重要な分野です。ネアンデルタール人のゲノムが解析されて、ホモ・サピエンスと交雑していたことや、最近ではヒトの新型コロナウイルス感染に対する重症化のしやすさはネアンデルタール人のゲノムに由来していることなど、化石人類のゲノム研究が脚光をあびていますが、ネアンデルタール人は3万年前くらいまで生きていたのでゲノム解析に耐えうるDNAサンプルが入手できたのでしょう。一方、爬虫類などの四肢動物から分かれて哺乳類の祖先が進化してきた時代は、2億年近く前のことですので、ゲノム解析ができるようなサンプルは得られず、骨格形態の解析という古い研究手法によって最新の研究成果が挙げられているのです。今回紹介するのは、そんな化石の観察結果から新たな知見が得られたということで、今週のNature誌に掲載された論文です(「中期ジュラ紀のハラミヤ類の単孔類様の聴覚器」 A monotreme-like auditory apparatus in a Middle Jurassic haramiyidan. Wang, J. et al. Nature 590, 279–283 (2021))。その論文の内容をまとめた解説記事が同時に掲載されていましたので、そちらからかいつまんで紹介します(「哺乳類進化の古典的な物語に耳を傾ける」 Lend an ear to a classic tale of mammalian evolution. Hoffmann, S. Nature 590, 224-226 (2021))。

哺乳類は他の脊椎動物と比べて、鋭敏な聴覚を持っています。特に波長の高い音を聞く能力が高く、非常に精巧にできた中耳がその能力に寄与していると考えられています。爬虫類の中耳を構成する耳小骨は鐙骨(あぶみこつ)だけです。一方、哺乳類の耳小骨は、鼓膜側から、槌骨(つちこつ)、砧骨(きぬたこつ)、鐙骨と三つの骨から構成されています。鐙骨は内耳の蝸牛(かぎゅう)に振動を伝えます。哺乳類で新たに増えた二つの耳小骨である槌骨と砧骨はどうやって作られてきたのかは、哺乳類進化の重要なテーマになっています。結論としては、下顎の骨が分かれて中耳に移ってきたと考えられていますが、その過程についてはまだ不明なことも残っています。そのあたりの研究の進捗状況はリアム・ドリューによる著書「わたしは哺乳類です」に詳しく書かれています。

哺乳類と、絶滅した哺乳類の祖先を合わせて哺乳形類(ほにゅうけいるい)と分類されます。哺乳類にはカモノハシなどの単孔類、有袋類と有胎盤類を含む獣亜綱、絶滅したリアオコノドン、ビレボロドンなどが含まれます。哺乳類以外の哺乳形類には、モルガヌコドン目が含まれます。

今回のWangらによる報告は、最近発見された化石の解析、以前に報告された化石の中耳の再評価、およびさまざまな現代の哺乳類における中耳の発達についての議論を組み合わせて、中耳の進化を整理し直したものです。下顎から中耳への骨の移行について次のような用語体系を確立し、3つのタイプに分類しました。①分離(中耳は下顎から完全に分離されている)、②メッケリア付属(中耳はメッケル軟骨と呼ばれる構造を介して下顎に接続されている)、③歯後付着(中耳は顎から分離されていない)。さらに槌骨と砧骨の間の接触状態によって、平らに重複する関節とサドル型関節に分けました。それによって下のように中耳の状態を整理しました(下図参照)。

哺乳形類ーモルガヌコドン類(中耳は歯後付着、槌骨と砧骨は滑車型接続)

    ー哺乳類ー単孔類(中耳は分離、槌骨と砧骨は重複型接続)

        ーリアオコノドン(中耳はメッケリア付属、槌骨と砧骨は部分的に重複型接続)

        ービレボロドン(中耳は分離、槌骨と砧骨は重複型接続)

        ー獣亜綱(中耳は分離、槌骨と砧骨はサドル型接続(発生初期では重複型接続))

図1

ハラミヤ目という分類群がありますが、哺乳類以外の哺乳形類なのか哺乳類なのかがまだ確定していません。以前から、ハラミヤ目に含まれるビレボロドンの中耳は下顎に付着していて、哺乳類以外の哺乳形類であるとされてきました。Wangらの研究は、その一種ビレボロドン・ディプロミロスの化石を再評価し、中耳が下顎から分離していることを示し、そのことによってハヤミヤ目は哺乳類に含まれることになり、哺乳類の起源はこれまで考えられていたより300万年早い、少なくとも2億1500万年前にさかのぼることが示されました。

さらに、槌骨と砧骨の接続の仕方の評価によって、これまで単孔類で知られていた重複型接続は、初期の哺乳類であるリアオコノドンやビレボロドンの他、獣亜綱(大人ではサドル型接続になる)の初期発生段階にも存在することを示しました。単孔類の中耳の形態は、哺乳類の初期型であることが示唆されます。

中国を中心にここ数年で新しい化石が見つかり、哺乳類の系統樹が再評価されつつあり、Wangらの研究結果はその一つの進歩と考えられます。

 

代表著者がこの研究成果について語っています。

Fossilised glider takes the origin of mammals back to the Triassic


横浜散歩 その7-高木学園附属幼稚園

2021-02-06 22:51:16 | 横浜

探してみると、身近な場所にも有名な建築家による建物はあるものです。このブログにはよく隈研吾氏の建築が出てきますが、今回は隣町の菊名にある隈研吾設計による高木学園附属幼稚園を紹介します。

 

この日は、ときどき通っている鶴見の病院から、鶴見川沿いをウォーキングしました(2021年1月19日)。

 

川から出てきて岸を歩いているカモの集団がいます。ホシハジロという種類で、シベリアから越冬のために日本にやってきているようです。

 

綱島駅近くに作られている、相鉄・東急直通線の新綱島駅。2022年下期に開業する予定です。

ここから、大倉山、菊名へと歩いていきます。隈研吾氏は大倉山の生まれだそうです。大倉山駅の近くには妹島和世氏(サナア)設計による大倉山集合住宅があります

 

だいぶ歩いてきてやっと着きました。高木学園附属幼稚園です。では、建物を観察してみましょう。

 

木の格子で囲まれた隈氏らしい意匠です。幼稚園の雰囲気に合っていますね。

 

こういった印象的な絵が見られます。森本千絵さんがデザインを担当しているということです。

 

 

園庭です。

 

色や、高さ・幅の異なる格子が組み合わされて、遊びのあるモザイクのようになっています。

建物本体はオーソドックスな鉄骨造りで、木の格子は建物を支える構造体というよりは、単なる装飾に徹していますが、これだけで全体の雰囲気がずいぶん変わります。こうして見ると何てことはないんですけどね。