wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

私のゼロ地点

2023-12-30 08:14:29 | お知らせ・出来事

私のゼロ地点、つまり人生の起点を確認しに行ってきました(2023年11月24日)。

私は東京(2ヵ所)で生まれてから、埼玉県(1ヵ所)、茨城県(2ヵ所)、石川県(2ヵ所)、北海道(1ヵ所)、神奈川県(5ヵ所)とけっこう引っ越しが多い半生を生きてきました。だから、あちこちに郷愁を感じる場所があるのですが、人生が始まった場所、つまり生まれた場所は特別です。生まれた場所は、東京都北区志茂なのですが、2歳くらいまでしか住んでいないので、記憶に残っていません。だから、私にとって生まれたばかりのことは謎なのです。両親におおまかな場所は聞いていたのですが、両親がまだ動けるうちにその場所をピンポイントで教えてもらいたいと考え、先日、茨城の家から北区赤羽まで出てきてもらいました。

 

赤羽駅近くで借りたレンタカー、日産マーチに、赤羽駅で待ち合わせした両親に乗ってもらい、志茂のその場所にやってきました。

 

近くには荒川の傍流、新河岸川が流れていて、コンクリートの高い壁によって隔てられています。監視塔のように見えるのは岩淵水門で、荒川の水が一部引き込まれて、新河岸川は隅田川と名称を変えます。だから、隅田川のゼロポイントと言ってもいい地点です。この高い壁と監視塔のような建物は、例えば、バンクシーが絵を描いたベツレヘムの分離壁を思い出させます。川の水の脅威と異民族に対する恐怖心・敵意は、似ているのでしょうか。人間は自分たちを守ろうとすると壁を作るんですね。

 

さて、そんな場所で1964年に私は生まれました。両親に教えてもらいました。この民家のある場所に、昔、2階建てのアパートがあって、その2階の部屋に私たち家族が住んでいました。せまい部屋で、トイレや台所は共同、お風呂は近所の銭湯を使っていたとのこと。私は生まれてから2歳ごろまでここに住んでいたそうですが、まったく記憶にありません。しかし、ここから始まったのです。

すぐ裏手には、熊野神社があります。神主さんが住まわれているようなしっかりした神社です。

1312年、紀州熊野三社権現を勧請して、志茂の鎮主として建立したといわれています。なじみのある、大山の阿夫利神社や富士山の浅間神社も祀られています。

 

向かい側にあるのは、志茂ゆりの木公園といいますが、昔は小学校があったそうです。

 

次にやってきたのは、北区西が丘。2歳のころに志茂から引っ越して6歳のころまで住んでいたところです。幼稚園年中組までいましたので、この時代のことは、ある程度、記憶に残っていますし、場所も以前からわかっていますが、せっかくなので見に来ました。

ここも、今は民家になっていますが、2階建てのアパートがあって、その2階に住んでいました。

近くにある梅木小学校の正門。ずっと住んでいたら、ここに入学したのでしょう。

この坂道を下りて行ったところに、西が丘サッカー場があります。私が住んでいたころは、まだありませんでした。

 

坂を上ったところの右側が住んでいた場所。

ずっと気になっていた、私が生まれた場所を今回、確認できました。分かったからといってどうってことないのですが、心の中のモヤモヤが一つ消えたのは大きいです。毎年毎年心の中のモヤモヤを少しずつ解消していくのが、生きていくことかなという気もしています。長生きできれば、たくさん消していけます。

 

そんなことで2023年を締めたいと思います。

1年間ご高覧頂きましてどうもありがとうございました。来年もぜひご覧になってください。


僕の読書ノート「Casa BRUTUS 2023年12月号[奈良美智と家]」

2023-12-23 07:54:48 | 書評(アート・音楽)

 

しばらく前になるが、奈良美智の「Orange covered wagon」というインスタレーションの作品を見たことがある。移動店舗みたいな車の中を覗くと、女の子の部屋のような奈良美智ワールドが展開していて、日本のマニアックなポップ・ロックのカセットテープが流れている、なんともラブリーな作品だった。Casa BRUTUSが「奈良美智と家」を特集しているというので、ピンと来て購入した。

奈良さんが那須に作った、自宅とアトリエの様子がたくさん見れる。その様子は、本人の作品だけでなく、集まった美術品や好きな音楽のCDやレコード盤のジャケットなどに溢れていて、奈良さんの趣味と人生が整然と展示されている感じで、それ自体インスタレーションのようになっているのがすごい(逆に言うと、へんな生活臭がない、ほんとうのプライベートは謎)。オールド・ロック好きであることは知っていたが、とくに好きなのはパンク、中でもラモーンズであることがわかった。ラモーンズの暴力的でありながら、戯画的・ポップであることと奈良さんの作風はとてもよく似ている。

奈良さん自選100作品が、本人や編集部のコメントとともに掲載されている。それによると、ドイツ時代の1991年に「The girl with the knife in her hand」という作品によって、生涯を通底するような作風を手に入れたことがわかる。それについての本人のコメントは、「自分にしか描けない自分の絵を確信した一枚、これからは何の迷いもなく何枚でも描ける! と胸がドキドキしたのを思い出す。多作な時期となる自分の90年代が始まった。」

とにかく、奈良美智の作品が気になっている人には必見の一冊。


神宮外苑のイチョウ並木を見に行く

2023-12-16 08:08:02 | 東京・川崎

明治神宮外苑のイチョウ並木を見に行ってきました(2023年12月10日)。

外苑北側の国立競技場は見たことがあるけれど、南側はイチョウ並木含めて行ってなかったこと、伐採問題でそうとう話題になっていた樹木の状態はどんな感じなのか見てみたかったこと、そしてイチョウの紅葉の時期ということで、このタイミングに行ってきました。

 

地下鉄銀座線の外苑前駅からが近いです。ここが、青山通りの明治神宮外苑入口です。

 

イチョウ並木です!

初めて見たけれど、やっぱり見事です。葉の黄色と通りがキラキラしてますよ。そして、人の出が多い。

 

秩父宮ラグビー場の入口。こちらに並んでいた人もたくさんいました。

 

オープンカフェが、ヨーロッパみたいないい雰囲気を出しています。

 

けっこう葉が散ってしまった木も多くて、ここは紅葉の時期が早いようです。

 

イチョウの木の根元には林床がしっかり作られていて、植物が植えられています。誰かがこれはクリスマスローズだと言っていました。

 

青空にイチョウの黄色が映えます。

 

イチョウ並木の突き当りの交差点まで来ました。

 

振り返ってみる。

 

外苑中央のグランウンドでは、クリスマスマーケットをやっていました。ここに向かって歩いている人も多かったわけです。

 

クリスマスマーケットには入らず、公園内を周遊します。このような紅葉もよく見られました。

 

国立競技場が見える通り。

 

聖徳記念絵画館。

 

聖徳記念絵画館側からクリスマス・マーケットを見ると、ずいぶん盛況のようです。

 

旧第二球場のあたりは、鉄の壁が作られて、工事の準備は着々と進んでいる感じです。

そこに、外苑の改造工事の説明が掲示されています。イチョウ並木は残すのですね。あとでネットで調べてみたら、旧第二球場をラグビー場に、ラグビー場を神宮球場に、神宮球場は公園とビルにというように、場所を入れ替えて新築するようです。

 

神宮球場の外野入口。

 

イチョウ並木に戻ってきて、もう一度たんのうしていきます。ここはやっぱり特別な景観です。唯一無二な感じがします。

個人的な意見としては、イチョウ並木は周囲の林床も含めて大事に残してほしい一方、再開発のために他の一部の樹木を伐採するのはやむなしという考えです。人々の愛着はよくわかりますが、100年くらいの樹齢であり、そこまで歴史的文化的景観的価値が高いのか?と問われたらちょっと即答はできない感じです。明治神宮の森は別格ですが。

 

帰りに寄った日吉駅の前にある慶応義塾大学キャンパスのイチョウ並木は、まさに今がピークという感じでした。


僕の読書ノート「共感革命:社交する人類の進化と未来(山際壽一)」

2023-12-09 08:04:32 | 書評(進化学とその展開)

 

これはレビューするのが難しい。読む前の期待が大きすぎた。京大霊長類学派は、近年の不祥事で評価がガタ落ちしてしまったが、知名度も高く良識ある山際氏がそれをどれだけ挽回してくれるのか?「共感」はまさに諸刃の剣で現代において重要なキーワードだと私も感じていたので、どれだけ素晴らしい科学的論理展開を示してくれるのか?そのような過剰な期待があったので読んでみたのだが、申し訳ないが期待ほどではなかった。書かれていることはまっとうなことも多いのだが、私のような偏屈な人間には物足りなかった。

何が物足りなかったかというと、著者のあたまの中にある記憶や思いをそのまま、口述筆記のように書いているだけなのである。そういう文章でも通用するのは養老孟司氏のような限られた思索家だけだ。科学者の文章ではない。山際氏は科学者なのだから、論文や本からトピックスを引用、説明して緻密な論理構成を組み立ててほしかった。それが科学者が書いた本の説得力でもあるし、醍醐味でもある。本書は、そういう労力をかけずに楽して書いている感じがするのだ。また、主題である共感についての心理学的な考察がないし、そもそも定義が正しくないように思える。例えば、「共感は相手に共鳴し、相手の気持ちがわかることを指す。英語で共感は「エンパシー」で、同情は「シンパシー」になる。シンパシーは共感の上に成り立つものだ。進んで自分から助けることが相手のためになる、とわかっていないと成立しない」と書いているが、逆じゃないだろうか。先にシンパシーがあって、その上にエンパシーが発達してきたというのが動物進化の流れではないだろうか。

気を取り直して、有用に感じた内容もあるので書きとめておきたい。

・ユヴァル・ノア・ハラリは「サピエンス全史」で、ホモ・サピエンスが言葉を獲得し、意思伝達能力が向上したことを「認知革命」と呼び、種の飛躍的拡大の最初の一歩と考えた。しかし、著者は「認知革命」の前に「共感革命」があったという仮説を持っている。

・人類は180万年ほど前にアフリカ大陸を出た。そのためには、サバンナにいる多くの猛獣に対して防衛力を備えた社会性を持っていたはずだ。その社会性とは、共感力、つまり他者と協力する能力を基にしたものだっただろう。また人類の親は、頭だけが大きく身体の成長の遅い子どもを、たくさん抱えることになる。そのため親だけでは子どもを育てられず、他の仲間の手を借りる必要が出てくる。そこに共感力が育つきっかけが生まれた。

・農耕牧畜で領土が生まれ、ずっとその中だけで暮らしていると、領土内に住む人々の間でしか共感を感じなくなる。領土の外の共通の敵づくりに役立ったのが言葉だ。言葉はアナロジーで、同じ人間でも「こいつはキツネのようにずるいやつだ」「コウモリのように卑怯なやつだ」「鬼畜米英」という言い方をして、人間ではない生き物や、危険な外敵に仕立て上げることができる。戦争の起源は「共感力の暴発」でもある。

・人類最初の神殿とされているのが、トルコ南東部で発掘されたギョベクリ・テペで1万2000年前に建立されたと考えられている。人類の文化が生まれた「ゼロ・ポイント」と呼ばれている。最初の小麦の生産地もすぐ近くにあるが、およそ1万年ほど前とされており、神殿建立のほうが先という説がある。

・戦争は人類の歴史の中でも、きわめて新しいものだ。人類が狩猟採集生活をしていた時代に戦争をしていたという証拠は、現在見つかっていない。人類最古の戦争は、約1万2000年以上前とされている。スーダンのヌビア砂漠にあるジェベル・サハバで大量の人骨が見つかり、槍などで傷ついている形跡があることから、この頃から戦争があったのではないかといわれている。

・ホセ・マリア・ゴメスたちの哺乳類の系統樹分析では、種内暴力による死亡率は全哺乳類では0.3パーセント、霊長類の共通祖先では2.3パーセント、類人猿の共通祖先で1.8パーセントぐらいしかなく、人類になっても旧石器時代くらいまで2パーセントで安定している。それが、新石器時代、とくに3000年前以降の鉄器時代に入ると15から30パーセントと急に跳ね上がる。つまり、暴力によって殺し合う人間の精神性はつい最近の傾向で、しかも大規模な都市国家や武器の登場とともに現れてきたことになる。

・これからの人類の生活スタイルとして著者が予想?あるいは推奨?するのは、科学技術をうまく使い、狩猟採集時代の精神に戻る、「シェアとコモンズを再考する時代」の到来である。未来の社会は労働ではなく、自身の承認欲求を満足させるようなボランティア活動が人々の生きる意味になるだろう。そして、人々はそれぞれ複数のコミュニティに属し、それらを渡り歩いて過ごすようになる。これまでのような成長ー教育ー仕事―趣味といった単線的な人生ではなく、それらを同時に実践するような複線的な人生が主流になる。


東京港野鳥公園に行く

2023-12-02 08:00:22 | 遊園地・公園・遊び場

東京港野鳥公園に行っていました(2023年11月19日)。ここも前から一度見てみたいと思っていた場所です。東京港の港湾・流通施設で埋め尽くされた場所に、どんな形で野鳥のための公園が保全されているのだろうかという興味です。

 

京急線平和島駅から環七通りをひたすら東に向かって歩きます。京浜運河を渡ります。

 

30分ほど歩いて着きました。東京都野鳥公園の入口です。

ちょうど、東京港野鳥公園里地里山フェスティバルというのをやっていたため、入園料300円が無料になりました。

 

ここがフェスティバルのイベントの中心。

 

この公園は、東側と西側のエリアに分かれています。

 

まずは橋を渡って、東側エリアから見て行きます。前を歩いているのはレンジャー(日本野鳥の会)の人のようです。超望遠レンズをつけたカメラを持っています。焦点距離が、600mmとか800mmとかあるんですよね。私のカメラのズームレンズは18-55mmだから、全然遠くは写せません。

 

池の周囲をこのような茂みが囲んでいます。

 

ネイチャーセンターという4階建ての観察基地みたいな建物があります。

窓から池が観察できます。ところどころに望遠鏡も装備されています。

窓から見る「潮入りの池」。

羽田空港が近くにありますから、ひんぱんに着陸しようとする航空機が飛んできます。

たくさんいるのはカモ類のようです。

 

ネイチャーセンターのB1Fには干潟遊歩道というのがあって、干潟の上を歩いて周れます。

カニがいました。もっと暖かい時期にはカニがたくさん見れるそうです。

 

観察小屋というのが園内に4か所あります。

のぞき窓が作られていて、鳥たちを驚かさないようにして観察できます。

こんなかんじで見えますが、超望遠レンズなら鳥の姿がそうとう精細に見えるのでしょう。

 

東観察広場から見える東淡水池。据付けの望遠鏡で木にとまるノスリの姿を見ることができました。ガイドの方の話では、オオタカが飛んでくるのも見えたそうです。

 

西側のエリアにやってきました。西淡水池が見えます。

アオサギかな?

 

こちらはゴイサギ。私のカメラでは、最大に拡大してこのくらいです。やはりここはセミプロの写真好きのための場所。私だったら、地元の入江川せせらぎ緑道の方がいい写真撮れるな。

 

園内では田んぼでイネが栽培されていて、刈り取られた後のようです。

不耕起栽培、無肥料栽培、持続可能な農法と書かれています。米国のような大規模農業にはコスト的に太刀打ちできない日本には、こういう古くて新しい農業がこれから重要になっていくんじゃないでしょうか。農薬や肥料を使って行なう安易な農業より、ずっと高度な技術や革新が必要とされそうです。

 

帰り道、また京浜運河を渡ります。今日はだいぶ歩いて疲れたので、途中でバスに乗って平和島駅まで戻りました。