私のゼロ地点、つまり人生の起点を確認しに行ってきました(2023年11月24日)。
私は東京(2ヵ所)で生まれてから、埼玉県(1ヵ所)、茨城県(2ヵ所)、石川県(2ヵ所)、北海道(1ヵ所)、神奈川県(5ヵ所)とけっこう引っ越しが多い半生を生きてきました。だから、あちこちに郷愁を感じる場所があるのですが、人生が始まった場所、つまり生まれた場所は特別です。生まれた場所は、東京都北区志茂なのですが、2歳くらいまでしか住んでいないので、記憶に残っていません。だから、私にとって生まれたばかりのことは謎なのです。両親におおまかな場所は聞いていたのですが、両親がまだ動けるうちにその場所をピンポイントで教えてもらいたいと考え、先日、茨城の家から北区赤羽まで出てきてもらいました。
赤羽駅近くで借りたレンタカー、日産マーチに、赤羽駅で待ち合わせした両親に乗ってもらい、志茂のその場所にやってきました。
近くには荒川の傍流、新河岸川が流れていて、コンクリートの高い壁によって隔てられています。監視塔のように見えるのは岩淵水門で、荒川の水が一部引き込まれて、新河岸川は隅田川と名称を変えます。だから、隅田川のゼロポイントと言ってもいい地点です。この高い壁と監視塔のような建物は、例えば、バンクシーが絵を描いたベツレヘムの分離壁を思い出させます。川の水の脅威と異民族に対する恐怖心・敵意は、似ているのでしょうか。人間は自分たちを守ろうとすると壁を作るんですね。
さて、そんな場所で1964年に私は生まれました。両親に教えてもらいました。この民家のある場所に、昔、2階建てのアパートがあって、その2階の部屋に私たち家族が住んでいました。せまい部屋で、トイレや台所は共同、お風呂は近所の銭湯を使っていたとのこと。私は生まれてから2歳ごろまでここに住んでいたそうですが、まったく記憶にありません。しかし、ここから始まったのです。
すぐ裏手には、熊野神社があります。神主さんが住まわれているようなしっかりした神社です。
1312年、紀州熊野三社権現を勧請して、志茂の鎮主として建立したといわれています。なじみのある、大山の阿夫利神社や富士山の浅間神社も祀られています。
向かい側にあるのは、志茂ゆりの木公園といいますが、昔は小学校があったそうです。
次にやってきたのは、北区西が丘。2歳のころに志茂から引っ越して6歳のころまで住んでいたところです。幼稚園年中組までいましたので、この時代のことは、ある程度、記憶に残っていますし、場所も以前からわかっていますが、せっかくなので見に来ました。
ここも、今は民家になっていますが、2階建てのアパートがあって、その2階に住んでいました。
近くにある梅木小学校の正門。ずっと住んでいたら、ここに入学したのでしょう。
この坂道を下りて行ったところに、西が丘サッカー場があります。私が住んでいたころは、まだありませんでした。
坂を上ったところの右側が住んでいた場所。
ずっと気になっていた、私が生まれた場所を今回、確認できました。分かったからといってどうってことないのですが、心の中のモヤモヤが一つ消えたのは大きいです。毎年毎年心の中のモヤモヤを少しずつ解消していくのが、生きていくことかなという気もしています。長生きできれば、たくさん消していけます。
そんなことで2023年を締めたいと思います。
1年間ご高覧頂きましてどうもありがとうございました。来年もぜひご覧になってください。