風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

工兵隊跡

2010-08-07 | 社会
オレが生まれたのは終戦6か月後だから、もちろん戦争のことは何も知らないが、50軒ほどの村の南端から数百メートル離れたところに旧工兵隊の兵舎跡があった。

その兵舎を改造したところに3所帯ほど住んでいた。オレが小学生のころ、その中に一年上のやつがおったので時々遊びに行っていた。

工兵隊というのは、道路や橋などを造ったり修復を専門にする兵隊で、親の話では、「淀川での真冬の訓練でボートから突き落とされていたやつがぎょうさんおった」「年に何回か、爆破によって魚を捕って、それを兵隊の食料にしたり、余ったら村の人らに配っていた」そうだ。

また。川向いの枚方には砲弾を作っていた工場(後のコマツ製作所)があって、終戦間近にそこが攻撃され、貯蔵していた爆弾が次つぎ破裂して、大きな地響きとともに炎が上がり、煙が対岸のオレらの家の方までやってきたそうだ。

戦後、その兵舎の大部分は解体され、廃材やら橋(仮橋)などを造る機材などが村の人らに払い下げになり、オレの家にも兵隊色(灰緑色)のペンキを塗ったそれらのものがあった。

納屋を改修する時に、外側のペンキを削り落としそれらを使った。おっ父は、「軍隊が使うものはみんな一級品や。橋などに使うものやから、水に強い木を使っている」といっていた。

お盆用の買い物に行ったときに、商店街の入り口などに白衣を着て義足や義手をつけた傷痍軍人の人がアコーディオンを弾き軍歌を歌っているのをよく見かけた。国道をアメリカ進駐軍のジープが長いアンテナを立てて走っていた。

65回目の暑い終戦記念日を前に、脳裏に蘇ってくるガキの頃の思い出だ。