朝日新聞の「声」欄に掲載された作家赤川次郎さんの「橋下批判」投書に対して、橋下徹大阪市長は自身のツイッターで「反論」しています。それぞれの全文は次の通りです。
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橋下氏、価値観押しつけるな 赤川次郎(朝日新聞4月12日付、ところによっては14日付)
「大阪の橋下徹市長は大阪府和泉高校の管理職をなぜ処分しないのだろう?
教師の口元チェックをしながら、姿勢正しく心をこめて「君が代」を歌えたはず
がないのだから。
それにしても生徒のためのものであるはずの卒業式で、管理職が教師の口元
を監視する。何と醜悪な光景だろう!橋下氏は独裁も必要と言っているそうだ
が、なるほど「密告の奨励」は独裁政治につきものである。
府知事時代、橋下氏は初めて文楽を見て、こんなもの二度と見ないと言い放ち、
補助金を削減した。
曰く「落語は補助金なしでやっている」。舞台に座布団一枚あればいい落語と、
装置を組み、大勢の熟練の技を必要とする文楽を一緒くたにする非常識。
客の数だけを比べるのはヴートーベェンとAKBを同列にするのと同じだ。
文楽は大阪が世界に誇る日本の文化である。理解力不足を棚に上げ、自分の
価値観を押し付けるのは、「力強い指導力」などとは全く別物である。
過去に学ぶ謙虚さを持ち合わせない人間に未来を託するのは、地図もガイドも
なく初めての山に登るのと同じ。一つ違うのは、遭難するとき、他のすべての人
々を道連れにするということである。」
以下は橋下徹大阪市長のツイッター10回分(4月14日付)
(1)「14日の朝日新聞の声で赤川次郎さんからお叱りを受けた。君が代起立斉唱条例について価値観を押し付けるなと。しかし、義務教育の卒業式の場で、全員起立して斉唱する際に、あえて着席することも価値観の押し付けである。人間の意図的な行為は全てが価値観の表れでもある。」
(2)「特に、作家さんの表現行為は価値観の表われそのものである。それが押し付けとならないのは、その表現行為を受領するか否か、受領者側に自由があるからだ。赤川さんの価値観が嫌な人は、赤川さんの本を買わなければ良いだけ。だから赤川さんの表現行為は価値観の表れだが押し付けではない。」
(3)「人の行為は価値観の表れ。それが押し付けになるかどうかは、受領者側に受領の自由があるかどうかによる。義務教育の入学式・卒業式の場において、子どもたちや保護者は、教員の不起立行為が嫌な場合に他の入学式・卒業式を選ぶ自由はない。その入学式・卒業式に出ざるを得ない。」
(4)「子どもの晴れ舞台である卒業式、入学式の国歌斉唱を厳粛に行いたいという価値観を持っている保護者も多い。子ども自身も起立して歌いたいという子どもも多いだろう。そんな中で自分の思想良心からあえて着席するのは、それも他人への価値観の押し付けなのだ。こういう場合にルールが必要となる。」
(5)「そして大阪維新の会は民主主義のルールにのっとり、条例を成立させた。特に大阪市議会においては維新、公明、自民の圧倒的多数(3分の2以上)をもって条例は可決となった。赤川さんの価値観を大阪市民に押し付けないで欲しい。入学式や卒業式で君が代を起立して斉唱すると言うのは大阪市民の価値観だ。」
(6)「また文楽に補助金を入れないことにも甚だご立腹らしい。一度、補助金支出の仕組みと文楽の仕組みを勉強して下さい。今の仕組みのままでは文楽は振興しません。僕は文楽と言う文化を否定しない。しかし公金の支出の仕組みを問題視している。これは日本の文化行政全般にわたる問題だと思う。」
(7)「なぜ落語や漫才や歌舞伎に補助金が必要ないのか。それは文楽のような仕組みではないから皆自立しているのである。文楽を本当に振興させるためには、今の仕組みを変えなければならない。これが現実の政治行政です。一度三毛猫ホームズに調べさせて下さい。」
(8)「赤川さんは大変な誤解しているようです。君が代起立斉唱条例の対象者は教員のみ。子どもや保護者は対象ではありません。しかも条例成立の前に、教育委員会が既に起立斉唱を決定しています。」
(9)「また入学式や卒業式の式典の場において起立を求められるもので、教員がプライベートの場で着席していても不問です。子どもたちが、親たちが選ぶことが出来ない卒業式、入学式の場で、子どもたちの晴れ舞台を祝う場で君が代の起立斉唱を教員に求めるのです。ここでの不起立も価値観の押し付けです。」
(10)「起立を求める価値観の押し付けと、不起立を求める価値観の押し付け。二つの価値観がぶつかったので民主的な手続きにのっとり条例を制定しました。これが大阪府民、大阪市民の価値観です。赤川さんの価値観を大阪府民、市民に押し付けないで下さい。」
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橋下氏、価値観押しつけるな 赤川次郎(朝日新聞4月12日付、ところによっては14日付)
「大阪の橋下徹市長は大阪府和泉高校の管理職をなぜ処分しないのだろう?
教師の口元チェックをしながら、姿勢正しく心をこめて「君が代」を歌えたはず
がないのだから。
それにしても生徒のためのものであるはずの卒業式で、管理職が教師の口元
を監視する。何と醜悪な光景だろう!橋下氏は独裁も必要と言っているそうだ
が、なるほど「密告の奨励」は独裁政治につきものである。
府知事時代、橋下氏は初めて文楽を見て、こんなもの二度と見ないと言い放ち、
補助金を削減した。
曰く「落語は補助金なしでやっている」。舞台に座布団一枚あればいい落語と、
装置を組み、大勢の熟練の技を必要とする文楽を一緒くたにする非常識。
客の数だけを比べるのはヴートーベェンとAKBを同列にするのと同じだ。
文楽は大阪が世界に誇る日本の文化である。理解力不足を棚に上げ、自分の
価値観を押し付けるのは、「力強い指導力」などとは全く別物である。
過去に学ぶ謙虚さを持ち合わせない人間に未来を託するのは、地図もガイドも
なく初めての山に登るのと同じ。一つ違うのは、遭難するとき、他のすべての人
々を道連れにするということである。」
以下は橋下徹大阪市長のツイッター10回分(4月14日付)
(1)「14日の朝日新聞の声で赤川次郎さんからお叱りを受けた。君が代起立斉唱条例について価値観を押し付けるなと。しかし、義務教育の卒業式の場で、全員起立して斉唱する際に、あえて着席することも価値観の押し付けである。人間の意図的な行為は全てが価値観の表れでもある。」
(2)「特に、作家さんの表現行為は価値観の表われそのものである。それが押し付けとならないのは、その表現行為を受領するか否か、受領者側に自由があるからだ。赤川さんの価値観が嫌な人は、赤川さんの本を買わなければ良いだけ。だから赤川さんの表現行為は価値観の表れだが押し付けではない。」
(3)「人の行為は価値観の表れ。それが押し付けになるかどうかは、受領者側に受領の自由があるかどうかによる。義務教育の入学式・卒業式の場において、子どもたちや保護者は、教員の不起立行為が嫌な場合に他の入学式・卒業式を選ぶ自由はない。その入学式・卒業式に出ざるを得ない。」
(4)「子どもの晴れ舞台である卒業式、入学式の国歌斉唱を厳粛に行いたいという価値観を持っている保護者も多い。子ども自身も起立して歌いたいという子どもも多いだろう。そんな中で自分の思想良心からあえて着席するのは、それも他人への価値観の押し付けなのだ。こういう場合にルールが必要となる。」
(5)「そして大阪維新の会は民主主義のルールにのっとり、条例を成立させた。特に大阪市議会においては維新、公明、自民の圧倒的多数(3分の2以上)をもって条例は可決となった。赤川さんの価値観を大阪市民に押し付けないで欲しい。入学式や卒業式で君が代を起立して斉唱すると言うのは大阪市民の価値観だ。」
(6)「また文楽に補助金を入れないことにも甚だご立腹らしい。一度、補助金支出の仕組みと文楽の仕組みを勉強して下さい。今の仕組みのままでは文楽は振興しません。僕は文楽と言う文化を否定しない。しかし公金の支出の仕組みを問題視している。これは日本の文化行政全般にわたる問題だと思う。」
(7)「なぜ落語や漫才や歌舞伎に補助金が必要ないのか。それは文楽のような仕組みではないから皆自立しているのである。文楽を本当に振興させるためには、今の仕組みを変えなければならない。これが現実の政治行政です。一度三毛猫ホームズに調べさせて下さい。」
(8)「赤川さんは大変な誤解しているようです。君が代起立斉唱条例の対象者は教員のみ。子どもや保護者は対象ではありません。しかも条例成立の前に、教育委員会が既に起立斉唱を決定しています。」
(9)「また入学式や卒業式の式典の場において起立を求められるもので、教員がプライベートの場で着席していても不問です。子どもたちが、親たちが選ぶことが出来ない卒業式、入学式の場で、子どもたちの晴れ舞台を祝う場で君が代の起立斉唱を教員に求めるのです。ここでの不起立も価値観の押し付けです。」
(10)「起立を求める価値観の押し付けと、不起立を求める価値観の押し付け。二つの価値観がぶつかったので民主的な手続きにのっとり条例を制定しました。これが大阪府民、大阪市民の価値観です。赤川さんの価値観を大阪府民、市民に押し付けないで下さい。」