風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

生い立ちの景色(37) 社会人一日目

2013-02-13 | 生い立ちの景色
1961年3月。15歳の春。

3月17日、今日はいよいよ入社式。式は8時からだったが「30分前に集合するように」のことだったので、早めに家を出た。服装は詰襟の学生服だった。

俺の就職したM電器テレビ事業部は最寄りの国鉄駅や阪急駅からはだいぶ離れていたので駅前から通勤専用のバスが出ていた。電車を降り、改札口を出たら会社のバスはすぐに分かった。会社の宣伝用の赤・青・白の3色に塗られた車体にブランド名がカタカタで大きく書かれていた。
駅前広場には次から次へとバスがやってきて、並んで待っている従業員といっしょに乗込んだ。バスは観光バスのお古のようで、真ん中の補助席が取り払われていた。後から乗った人は、そこに2列に立った。

工場に着くと、俺らは2、3百人くらいは入れる集会室に集められた。会場には、オレら中卒の現場用の人間だけでなく、高卒や大卒の人もいっしょで100人くらいがいた。式の始まる5分前になったところで係りの人から式次第についての説明があった。
式は「社歌の斉唱」から始まった。スピーカーから流れる曲に合わせて全員で歌うのだ。次に事業部長が登壇し、仰々しく巻物を広げて「綱領」そして「信条」を朗読し、次に「M電器の遵奉すべき七精神」を声高に読み上げた。我々も事前に渡されていた資料を見ながら唱和した。

式の終了後はそれぞれ大卒、高卒、中卒に分かれて、これから二週間の「導入訓練」について説明を受け、訓練用の冊子や資料とともに作業服を受け取った。更衣室の鍵をもらい、作業服に着替えた後に現場の見学があった。入社案内の時に見学通路からちらっと見たことはあったが、実際に製造ラインに降りていくのははじめてだった。1ライン当り日産500台だという、50メートル以上もある10本の生産ラインがすごい音を出して稼働していた。次から次へとテレビがライン上を流れていき組み上がっていくそのすごさに圧倒された。その後、食堂など会社施設を見て廻った。

昼になり、初めて社員食堂で昼ご飯を食った。食堂は千人分の席があり、えらく広かった。事業所の約2千人の従業員が時間をずらして交代で昼ご飯を食うということだった。メニューは定食(50円)が洋食と和食の二種類、カレーライス(50円)、うどん(15円)があった。500円分食券が給料天引きで10%割引で買えた。定食だけではちょっと物足りなかったのでうどんも食った。昼休みの45分が過ぎて、いよいよ導入訓練が始まった。オレはまだ緊張していた。

参考:文中のM電器の「綱領」「信条」「七精神」はここから。

マイクを横に置いて…

2013-02-04 | 日常
久しぶりに〝昼・千円ぽっきり歌い放題〟のスナックに行ったらママさん(パート)がこぼしていた。「ほんとにここのところ暇なの」と。この日も開店から一時間くらいは私の他には女性客が一人だけ。これでは「私のパート代にもならない」と思ったのか、途中、携帯で何人かの友達に「来てよ」と電話していた。
このママさんの時給は聞かなかったが、他の店では「昼も夜も800円よ」ということだった。昼の5時間で最低でも4人以上の客が来てくれなかったら、パート代も出ない勘定になる。
ママさん、「特に夜のサラリーマン客がすごく減ったの。以前なら、居酒屋で一杯飲んだ後に来てくれたのに、そのまま帰ってしまうらしくて…」と嘆く。

この程、新生銀行が発表した12年度の「サラリーマンのお小遣い調査」によると、「平均小遣いは月39,600円で前年比3,100円アップで5年ぶりに増加、昼食代も20円の微増で510円」になったそうが、全体としては、「無理な出費はせず、使わずに我慢する傾向が引き続き増加」と分析している。
特に、「1回の飲み代は前年比680円減の2,860円で、2009年に5,170円だったのがわずか3年余りで2,310円も下がり、1996年から調査を始めて以来最低額」になったという。

「サラリーマンの給料も下がり、リストラも横行してるやろ。若者は正社員になれへんし、わしらの年金も減るばかり。これがお客さんの減っている根本原因やで」というと、ママさんが「これに追い打ちをかけるような消費税の増税されたら、もう首をくくらなあかんわ!」と。
政治話しは厳禁?のこの世界らしいが、この日はマイクを横に置いて大いに政治論議で盛り上がった。

確認〝まだまだ動けるやん〟

2013-02-02 | 趣味
きょう、今年初めてテニスをした。一月にも日程が入っていたが、いろいろな予定と重なって一度も参加できなかった。そういうことで、私にとっては今日がひと月遅れの〝初打ち〟だった。
去年の秋には目の病気と肘の故障で2、3か月間テニスを休んだ。きょうは久しぶりということで、肘の方の不安も少しあったので入念にストレッチをやってからコートに行った。さいわい、春を思わせるような暖かさで体もよく動いた。

最近、何をやるにしても以前にも増して歳を感じるというか気にするようになった。そんなことで、きょうも〝あんまりハッスルしないように〟と自分にいい聞かせて始めたのだが、ついつい体の方が勝手に動くというかハッスルしてしまう。
日頃は社交ダンスで体は動かしているのだが、テニスの動きはそれとは違う体の動きとパフォーマンスが要求される。久々のレッスンとゲームでびっしょりと汗をかき、眠っていた体の部位に強烈に刺激をあたえる2時間になった。
〝yamaちゃん、まだまだ動けるやん。歳々といわんでも…〟誰かの声がどこからともなく聞こえてきた。

ありがとうございました

2013-02-02 | 趣味
営業目的で「ダンス」をさせることが「風営法」という法律で規制され、さまざまな条件が設けられていることに、ダンス愛好者や文化人、法律家などがLet’s DANCE署名推進委員会を結成し〝風営法の規制対象から「ダンス」を削除してください〟とすすめてきた請願署名が当面の目標であった10万筆を突破しました。

このほど、運動を推進してきた委員会からご協力いただきましたみなさまに下のようなお礼と今後の活動についての声明が発表されましたのでご紹介します。私もダンス愛好家の端くれとしてブログでも少し取り上げさせていただき、多くの方から署名のご協力をいただきました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
※なお、今後の活動の詳細につきましてはLet’s DANCEのホームページをご覧ください。

51年間の付き合い=「しんぶん赤旗」

2013-02-01 | 日常
今日、2月1日は日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が発刊されて85年目の記念日。改めて、「赤旗」との出会いを思い返してみた。

昼休みの人気のない更衣室、職場の先輩Hさんから広告紙に小さく包まれた「物」をそーと渡された。Hさんは小声で「アカハタ新聞や。読んでおいて」といった。周りを見渡し、誰もいないことを確認してから「ふん」と小さくうなずいてさっと受け取りすぐに作業服の中にしまい込んだ。俺の胸はドキドキしていた。これが、しんぶん赤旗との最初の出会いだった。昭和37年、小生若干16歳の春のこと。

あれ以来、赤旗との付き合いはもう51年になる。特に44年11か月の職場生活ではほんとうにいろんなことがあり、時には挫けそうになったことも一度や二度ではなかった(これらについては今後、当ブログの「生い立ちの景色」で綴っていく予定)。それらに耐えて、ここまでこれたのは、支えてくれた家族であったし、励ましてくれた職場の仲間であった。そしてもう一つ、生きる勇気を与えてくれた「しんぶん赤旗」であった。

昨今の、権力批判・監視という本来の役割を放棄した大手マスコミ報道の垂れ流しのなか、政治や社会の真実を見抜くために、これからも「しんぶん赤旗」はなくてはならない貴重な存在だと思う。
インターネットの発達でメディアの環境は大きく変化してきているが、これからも、私にとって〝生きる友〟としての存在には変わることがないだろう。