山里文化は、第二次大戦直後には忘れ去ることが美徳とすらされてきた。しかし、環境が悪化し資源が底をつきそうなこれからの社会において、山里文化は再び必要とされ、山里資源は見直されるだろう。そこで、今、私たちは山里に生きる「知恵」や「技術」を記録し継承しなければならない。さらに、一つ一つの物事を分断して記録するのではなく、それを用いて生きてきた「人」の喜び、悲しみ、心のあり方や労働の意味といった、物事の背景に共通してある「懸命に生きる姿」こそをすくいあげることに私達は意義を見出す。民俗記録調査では拾えない山里の心を今こそ記録したい。聞き書きとは人の生きてきた様を敬う活動なのである。それはまた、聞き手と話し手との協働で紡ぎ出される物語でもある。
小数の限られた執筆者が多くを聞き取るのではなく、話し手(山里住民)1人に書き手(主に都市住民)1人で行うことで、山里と都市との交流を深めてきた。それを聞き書き集にまとめ、広く頒布することで山里の応援団を増やし、また山里の人により誇りをもってもらうことができるだろう。
聞き書きは12月からすでに始めている。5月末には発刊記念会(交流会を兼ねる)を行い、山里の食と農についてのパネルディスカッションも予定する。その後も聞き書きを継続し、より多くの人の話を書き取って、最終的には一つの地域すべての年配者の話が書けるまでは続けたい。それが地域の大きな自信になっていくだろう。また、聞き書き活動が広まり、多くの市民が人の生きる姿の記録に携われば、必ずまちの活力になっていくだろう。
小数の限られた執筆者が多くを聞き取るのではなく、話し手(山里住民)1人に書き手(主に都市住民)1人で行うことで、山里と都市との交流を深めてきた。それを聞き書き集にまとめ、広く頒布することで山里の応援団を増やし、また山里の人により誇りをもってもらうことができるだろう。
聞き書きは12月からすでに始めている。5月末には発刊記念会(交流会を兼ねる)を行い、山里の食と農についてのパネルディスカッションも予定する。その後も聞き書きを継続し、より多くの人の話を書き取って、最終的には一つの地域すべての年配者の話が書けるまでは続けたい。それが地域の大きな自信になっていくだろう。また、聞き書き活動が広まり、多くの市民が人の生きる姿の記録に携われば、必ずまちの活力になっていくだろう。