1月16日(金)、大体は晴れ。
本日は「錦旗」の盛り上げ。昨年の秋に2組を彫り始めて、彫り埋めの状態にまでにしていたものです。
ところで14年前、平成7年の今日は確か月曜日だったと思います。
以下は、明日書いても良かったのですが、明日は「駒サロン」がありますので、
今日書くことにします。
この年は、成人の日の15日が日曜日、16日が振り替え休日でした。
当時小生は52歳。まだ、日本板硝子のコンピューター部門で勤務していましたが、3月末を以って退職する日が、2ヶ月余りに迫っていました。
週明け17日(火)に会議があるので、16日夕方に上京して、大井町の新阪急ホテルの10階あたりに宿泊しておりました。22時頃には就寝したと思います。
いつものとおり、窓の厚いカーテンは閉めません。これは朝寝坊しない工夫です。
朝の光が部屋いっぱいに差し込めば、自然に目が覚めます。
ここまでは、特に変わったところはありません。
おやっと思ったのは、翌朝目が覚めて間もない5時45分頃でした。
横になったまま、ボヤーっとNHKテレビを見ていたとき、部屋が「ミシミシ」と僅かにですが、音を立てました。
直感的に「安普請なホテルだなあ」と思いました。
丁度、太陽が昇る時間帯でした。太陽の熱で外壁の金属が膨張して、音を鳴らした。そう直感したのでした。
ところが、暫くするとテレビの様子がいつもと違うのです。細かくは良く覚えていませんが、
「只今、琵琶湖付近の名神高速道路が通行止めになりました」とのことです。
事故でもあったのかなあ、と思っていると、「先ほど、京都で大きな地震がありました」。
「ホーっ」と思って聞いていると、画面では、京都放送局内のゆれる様子が映し出され、少しすると、大阪放送局の様子も流れたように思います。
関西地方で、大地震が起きたことは分かりました。
暫くテレビの画面に釘付けでしたが、それ以上のことは良く分からないままでした。
やがて朝食をとり、浜松町の東京本社に出勤しました。
9時からの会議にはまだ時間があるので、大阪本社に電話を掛ける。誰も出ない。
奈良の家に電話すると、大きな揺れだったが、被害は無いらしいということで、小生は一安心しました。
「神戸がものすごい。ビルが横倒しになっている」と分かったのは、それからだいぶ経ってからの昼近くでした。
あれから14年。ソレニシテモ、早朝の5時45分ごろのホテルの「ミシミシ」。あれは神戸淡路大地震の音だったのですネ。間違いありません。
500キロメートル隔てても、あの音を聞いていたのです。
あの日から1年以上は、神戸方面には行きませんでした。
テレビでは眼にはしても、実際の姿を直視するのは出来なかった。逃げていたんですね。
あの大地震で亡くなったり、住む家がつぶれたりしているのを現地で直視するのが怖かったのですネ。
本日は「錦旗」の盛り上げ。昨年の秋に2組を彫り始めて、彫り埋めの状態にまでにしていたものです。
ところで14年前、平成7年の今日は確か月曜日だったと思います。
以下は、明日書いても良かったのですが、明日は「駒サロン」がありますので、
今日書くことにします。
この年は、成人の日の15日が日曜日、16日が振り替え休日でした。
当時小生は52歳。まだ、日本板硝子のコンピューター部門で勤務していましたが、3月末を以って退職する日が、2ヶ月余りに迫っていました。
週明け17日(火)に会議があるので、16日夕方に上京して、大井町の新阪急ホテルの10階あたりに宿泊しておりました。22時頃には就寝したと思います。
いつものとおり、窓の厚いカーテンは閉めません。これは朝寝坊しない工夫です。
朝の光が部屋いっぱいに差し込めば、自然に目が覚めます。
ここまでは、特に変わったところはありません。
おやっと思ったのは、翌朝目が覚めて間もない5時45分頃でした。
横になったまま、ボヤーっとNHKテレビを見ていたとき、部屋が「ミシミシ」と僅かにですが、音を立てました。
直感的に「安普請なホテルだなあ」と思いました。
丁度、太陽が昇る時間帯でした。太陽の熱で外壁の金属が膨張して、音を鳴らした。そう直感したのでした。
ところが、暫くするとテレビの様子がいつもと違うのです。細かくは良く覚えていませんが、
「只今、琵琶湖付近の名神高速道路が通行止めになりました」とのことです。
事故でもあったのかなあ、と思っていると、「先ほど、京都で大きな地震がありました」。
「ホーっ」と思って聞いていると、画面では、京都放送局内のゆれる様子が映し出され、少しすると、大阪放送局の様子も流れたように思います。
関西地方で、大地震が起きたことは分かりました。
暫くテレビの画面に釘付けでしたが、それ以上のことは良く分からないままでした。
やがて朝食をとり、浜松町の東京本社に出勤しました。
9時からの会議にはまだ時間があるので、大阪本社に電話を掛ける。誰も出ない。
奈良の家に電話すると、大きな揺れだったが、被害は無いらしいということで、小生は一安心しました。
「神戸がものすごい。ビルが横倒しになっている」と分かったのは、それからだいぶ経ってからの昼近くでした。
あれから14年。ソレニシテモ、早朝の5時45分ごろのホテルの「ミシミシ」。あれは神戸淡路大地震の音だったのですネ。間違いありません。
500キロメートル隔てても、あの音を聞いていたのです。
あの日から1年以上は、神戸方面には行きませんでした。
テレビでは眼にはしても、実際の姿を直視するのは出来なかった。逃げていたんですね。
あの大地震で亡くなったり、住む家がつぶれたりしているのを現地で直視するのが怖かったのですネ。
駒の写真集
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