熊澤良尊の将棋駒三昧

生涯2冊目の本「駒と歩む」。ペンクラブ大賞受賞。送料込み5000円。
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作品 文章 写真 販売品

竹内六郎さん

2009-01-23 21:11:23 | 文章
1月23日(金)、曇。

朝から「源兵衛清安」を彫り始めました。彫り終わるのは数日先です。
材は薩摩つげ孔雀杢です。

会報11号。発行日は昭和53年10月20日です。
第3回作品展が、正月に池袋・三越百貨店で開催することが決まり、皆さんに応募を呼びかけています。
会場は、新春将棋まつりの一部を使っての展示です。このときは確か関屋喜代作先生が理事で、プロデュースされていたと記憶しています。
この頃、東京の将棋連盟にはよく行きました。1ヶ月に1回か2回は仕事で上京していましたから、用事があると、午前中とか夕方に出向く訳です。
当時は将棋会館の5階が泊まれるようになっていて、空いていると一般客もOKだったので、ここにもよく泊りました。
丁度、関西将棋会館の建設運動が始まり、大山名人が旗振り役で、永井近代将棋社社長が秘書役。それに荻山さんという方も大山名人の特別秘書をされていましたので、大山名人へのお願い事などは荻山さんを通じる事もありました。
駒づくりを楽しむ会としても、僅かながらですが、会館建設の寄付金を集めて協力しました。

会報に戻って、
4ページには竹内六郎さんからの手紙の一部を載せさ手います。
竹内六郎さんは、竹内淇洲翁のご子息です。
小生が駒作りを始めた頃、作家の倉島竹二郎さんが名人戦の観戦記の中で、「六郎さんから頂いた淇洲翁が書いた将棋の漢詩の軸を大切にしている」ことを書かれているのを読みました。
「駒づくりの勉強のため、お持ちの駒を拝見させて欲しい」と、倉島さんの鎌倉・腰越のお宅を訪ねたのがこの少し前でした。いろいろな駒を見て、駒づくりに生かしたいという思いでしたし、駒と一緒に淇洲翁の軸も拝見しました。六郎さんの住所を教えていただいたのはこのときです。
早速、六郎さんに手紙を出して、何通か頂いた返事の一部を載せさせていただいたわけです。
六郎さんは確か三菱化学に勤められていて、この頃は既に定年退職なさっていたと思います。
初めてお会いしたのは東京での作品展会場だったか、川崎のお宅だったかは忘れましたが、淇洲著「将棋漫話」や、正真正銘の「淇洲」字母紙も頂きました。
手紙は5~6回頂きました。貴重な事が記されていますので、資料として大切に保管しています。
六郎さんは、15年位前に他界されました。

なお、山形県酒田市に淇洲翁の弟子・佐藤公太郎さんを訪ねたのは、六郎さんの紹介で、この手紙をいただいた少し前です。公太郎さんが預けている竹内家家宝の真正の「淇洲駒」は、このとき本間美術館で拝見することが出来ました。
今から30年以上前のことです。

今日はここまで。おやすみなさい。
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駒の写真集

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