1月10日(土)、曇一時雨。
シベリアから寒波襲来とか。確かに寒いですネ。
本日は「無双」の盛り上げをしました。
去年からの残っていた歩兵の一部と、香車・桂馬・銀将・飛車・角行。これらを夕方までに済ませました。
外気温が低いので、盛り上げた漆が順調にうまく固まるかどうか。明日にならないと結果は分かりません。
一昨日、3回目の漆を塗った「はらだ山荘」の看板(表札)は、表面を盛り上げ駒のようにふっくらとした仕上げでなく、ぐっと湿度を加えて、メロン肌のように仕上げてみました。
山荘の看板には、この方が趣が出ると思ったからです。
使った漆は、京都の漆店で2年前に購入した「生地蝋色漆」。この漆は、新しい精製技術で精製したもの。従来技術で精製した漆と比べてキメが細かいです。同じ生地蝋色漆といっても、表面の光沢が少し違います。
ところで、本日は会報7号。昭和53年1月の発行です。
トップ記事は、池袋・西武百貨店での第2回作品展示会。
会期は、1月2日から4日までの3日間でした。
会場の設営は大晦日の31日。百貨店の営業が終わってから深夜に及びました。
東京の渡辺汀さん・堀内和雄さんにも協力してもらい、作業を終わって一息つこうと近くの喫茶店に入って、3人で延々3時間も駒談義。気が付くと元旦になっていました。
小生は東京に5泊。若かったしエネルギーがあったのですね。
出品点数は、前回よりやや少ない23点でしたが、会場では渡辺汀さんが、日ごろ使っている道具を持ち込んでの駒彫りの実演がありました。中村新太郎さん・北田義之さんも説明役を引き受けてくれました。会場での模様は、北田さんがレポートしています。このときの出品者で岡本研さんや松尾仁任さんは、今でも駒づくりを続けておられます。今や大ベテランですね。
初日の朝、大山名人が会場に駆けつけて頂いて、花村元司九段もお見えになるなど皆は大感激でした。
大感激といえば、忘れられない思い出があります。
展示会会場で店番をしていると、初老の女性が来られて、
「熊澤さん、ありがとうございます。私はMの母親です。貴方のおかげで息子が駒のことをやり始めるようになりました。それまでは言っても聞かなかったパチンコを、今ではぷっつりとやめて、一生懸命駒に打ち込んでいます。貴方のおかげです。本当にありがとうございました」。と涙を流さんばかり。
そのMさんは、前年に東京での駒づくり講習会に参加した一人で、当時は確か明治大学の学生でした。
息子の変わりようがお母さんはよほど嬉しかったのでしょう。わざわざ会場に小生を訪ねて来られたのでした。
小生は予期せぬお礼にびっくり。胸にジンと来てしまいました。忘れえぬ思い出です。
その後、お母さんにはmさん宅で何度かお会いして、あれから30年たちました。
熱心だったそのMさん。近年は駒の本を出したり、今や誰れでも知らない人はいないでしょう。
おっと、書くのを忘れていました。
7号から、文字は手書きではなく活字になり、見やすくなりました。
スタートして一年。会員数は、295名でした。
シベリアから寒波襲来とか。確かに寒いですネ。
本日は「無双」の盛り上げをしました。
去年からの残っていた歩兵の一部と、香車・桂馬・銀将・飛車・角行。これらを夕方までに済ませました。
外気温が低いので、盛り上げた漆が順調にうまく固まるかどうか。明日にならないと結果は分かりません。
一昨日、3回目の漆を塗った「はらだ山荘」の看板(表札)は、表面を盛り上げ駒のようにふっくらとした仕上げでなく、ぐっと湿度を加えて、メロン肌のように仕上げてみました。
山荘の看板には、この方が趣が出ると思ったからです。
使った漆は、京都の漆店で2年前に購入した「生地蝋色漆」。この漆は、新しい精製技術で精製したもの。従来技術で精製した漆と比べてキメが細かいです。同じ生地蝋色漆といっても、表面の光沢が少し違います。
ところで、本日は会報7号。昭和53年1月の発行です。
トップ記事は、池袋・西武百貨店での第2回作品展示会。
会期は、1月2日から4日までの3日間でした。
会場の設営は大晦日の31日。百貨店の営業が終わってから深夜に及びました。
東京の渡辺汀さん・堀内和雄さんにも協力してもらい、作業を終わって一息つこうと近くの喫茶店に入って、3人で延々3時間も駒談義。気が付くと元旦になっていました。
小生は東京に5泊。若かったしエネルギーがあったのですね。
出品点数は、前回よりやや少ない23点でしたが、会場では渡辺汀さんが、日ごろ使っている道具を持ち込んでの駒彫りの実演がありました。中村新太郎さん・北田義之さんも説明役を引き受けてくれました。会場での模様は、北田さんがレポートしています。このときの出品者で岡本研さんや松尾仁任さんは、今でも駒づくりを続けておられます。今や大ベテランですね。
初日の朝、大山名人が会場に駆けつけて頂いて、花村元司九段もお見えになるなど皆は大感激でした。
大感激といえば、忘れられない思い出があります。
展示会会場で店番をしていると、初老の女性が来られて、
「熊澤さん、ありがとうございます。私はMの母親です。貴方のおかげで息子が駒のことをやり始めるようになりました。それまでは言っても聞かなかったパチンコを、今ではぷっつりとやめて、一生懸命駒に打ち込んでいます。貴方のおかげです。本当にありがとうございました」。と涙を流さんばかり。
そのMさんは、前年に東京での駒づくり講習会に参加した一人で、当時は確か明治大学の学生でした。
息子の変わりようがお母さんはよほど嬉しかったのでしょう。わざわざ会場に小生を訪ねて来られたのでした。
小生は予期せぬお礼にびっくり。胸にジンと来てしまいました。忘れえぬ思い出です。
その後、お母さんにはmさん宅で何度かお会いして、あれから30年たちました。
熱心だったそのMさん。近年は駒の本を出したり、今や誰れでも知らない人はいないでしょう。
おっと、書くのを忘れていました。
7号から、文字は手書きではなく活字になり、見やすくなりました。
スタートして一年。会員数は、295名でした。
駒の写真集
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