高校時代の恩師である山村鉄夫先生が亡くなって、その通夜に行ってきました。
同じ町内にすむ山村先生とはいろいろなご縁があって、先生ご自身には高校で古文を教わったのをはじめ、奥様には中学校時代に書道を教わりました。
また、お子様のうちお姉さんには教育実習生として来られたときに教わったことがあり、逆に妹さんには私が学生時代に家庭教師をしたこともありました。
今でも思いだすのは古文の授業中、先生の質問に対する私の回答の仕方をほめてくださったことがありました。
そんなちょっとしたことで私は古文が大好きになってしまったのでした。
我ながら今考えてもなんと単純な、と思いますが、生徒を乗せるのがお上手だったんでしょう。
また何かの折、「君は教師にならないか?」とおっしゃったこともありました。
残念ながら先生のご期待に沿えず(沿わず)、会社員になってしまった私ですが、この歳になるまで他人に教えたがる癖を早々と見抜いていらっしゃったのかもしれません。
最近は年賀状を送るだけのお付き合いでしたが、先生の割と若い頃の写真を遺影に手を合わせながら、高校時代の物静かな授業中の声を思い出していました。
山村先生、長い間お世話になりました。
安らかにお眠りください。
合掌。
同じ町内にすむ山村先生とはいろいろなご縁があって、先生ご自身には高校で古文を教わったのをはじめ、奥様には中学校時代に書道を教わりました。
また、お子様のうちお姉さんには教育実習生として来られたときに教わったことがあり、逆に妹さんには私が学生時代に家庭教師をしたこともありました。
今でも思いだすのは古文の授業中、先生の質問に対する私の回答の仕方をほめてくださったことがありました。
そんなちょっとしたことで私は古文が大好きになってしまったのでした。
我ながら今考えてもなんと単純な、と思いますが、生徒を乗せるのがお上手だったんでしょう。
また何かの折、「君は教師にならないか?」とおっしゃったこともありました。
残念ながら先生のご期待に沿えず(沿わず)、会社員になってしまった私ですが、この歳になるまで他人に教えたがる癖を早々と見抜いていらっしゃったのかもしれません。
最近は年賀状を送るだけのお付き合いでしたが、先生の割と若い頃の写真を遺影に手を合わせながら、高校時代の物静かな授業中の声を思い出していました。
山村先生、長い間お世話になりました。
安らかにお眠りください。
合掌。