
ゆきたんくが戦争遺跡に興味を持って4年目を迎える。
そしてこの4年の間に知ったことは、戦争遺跡はどんどんとその姿を消しているということだ。戦争遺跡は個人的には平和教育には欠かせないものと考える。
また、戦争についての話をできる方が少なくなってきていることから、少し急ぎ足で戦争遺跡の調査を進めている。とはいっても専門的な知識は持ち合わせていないので、知己を頼りに取材を進めている。
「千葉県の戦争遺跡を歩く」という本を手に入れて、国府台の辺りの昔の絵地図を見ていると、里見公園から江戸川に向かってT字路の角に「陸軍の大井戸」という表記があった。
早速行ってみたが、古い家屋があり、その外側に塀が建っているので確認することができなかった。
大井戸のある辺りの風景(2006.10/14)
とんと分からないままでいたが、2007.08/26に市川の戦跡を歩くというフォーラムがあったので参加した。その時に里見公園から、上写真の川沿いの道に出てこの編の前に来た。なんと塀が崩されていて、大井戸に家屋が乗ったような形で円形の部分が見えたのである。(その時の写真データが見つからないので後ほど・・・)
そして解説の方が、「これが、陸軍の大井戸です。」と言われていた。やっと見ることができた。その廃屋の乗った井戸は、この道を通るたびに見ていたが代わり映えはしなかった。
丁度一週間前、知人宅からの帰り、この道を通った時、大井戸がむき出しになっているのを見た。車には友人を乗せていたので止まることなくその場を去ったが気になって仕方がなかった。
そして今日の夕刻に時間が出来たので行ってみた。
愕然とした。なんと「工事中」の表示があり、ロープが張ってあったのだ。
こうなると重機で壊してしまわれる可能性が強い。
その姿を現した大井戸(2009.02.22)
なんとか保存するとは言っても、この大井戸の並びも整地され始めている。
きっと道幅を拡張するのだろう。この井戸は邪魔である。
なんとか移動して保存できればいいのだろうが、そのようなスペースは無い。
近くに里見公園があるが、ここにあった大きな防空壕も埋め戻されて影も形もない。
大井戸を、掘り出して運ぶのも一苦労である。
このまま消えていく戦争遺跡の一つになってしまうのだろうか・・・。
大正時代の様子を書いた絵にあったのだから100年以上前の構築物だろう。
あぁ、どうなるのだろうか・・・。