さぁ、体が傷んでいる時に一番の慰みになるのが食べ物である。
この時の下見当日の帰り道のことだ。
確か行きにも目に入った店がある。
山菜饅頭の店、武本である。
その店が帰りにはなぜか輝いて見えたのだ。
同行の者にもったいぶった物言いををしてバスを停めた。
山菜まんじゅうの字が招いている(笑)
装飾もシンプル。
この写真がゆきたんくの胃袋をくすぐった。
こりゃぁ、河童さんだ。
山菜のあんがとても滋味である。
帰宅するまでの間、ゆきたんくは幸せで幸せでしょうがなかった。
さぁ、体が傷んでいる時に一番の慰みになるのが食べ物である。
この時の下見当日の帰り道のことだ。
確か行きにも目に入った店がある。
山菜饅頭の店、武本である。
その店が帰りにはなぜか輝いて見えたのだ。
同行の者にもったいぶった物言いををしてバスを停めた。
山菜まんじゅうの字が招いている(笑)
装飾もシンプル。
この写真がゆきたんくの胃袋をくすぐった。
こりゃぁ、河童さんだ。
山菜のあんがとても滋味である。
帰宅するまでの間、ゆきたんくは幸せで幸せでしょうがなかった。
次男の誕生日である。
ここに載せること自体、個人情報のばら蒔きである。
まぁ、悪用されることはあるまい。
次男も26になる。
出て行った長男も帰ってきて久しぶりの4人だ。
まぁ、元気がいちばんだな。
○○市と言っておきながら市街地の話である。
楽しみではあるが、今となってはそう思うことである。
それでいいのである。
さて、今から9年前に始まった年前のことだ。
ゆきたんくは原因不明の体の痛みに悩まされていた。
主症状は、体中の関節が痛むのであった。
筋力の衰えも著しい。
原因不明なのではなく、加齢のよるものだったと思う。
これはしばらく続いたが、2年3か月ほど前に始めたMEC食のおかげで消え去った。
医者に行って診断をいただいた訳ではないが、それ以外に考えられないのである。
さあ、まだ体中が痛かった7年前に話を戻そう。
仕事で下見があった。
場所は群馬県前橋市の鍋割山である。
ここを登る仕事があるので、事前に危険がないか市場登っておく必要があったのだ。
膝と股関節が悲鳴を上げていたゆきたんくの後姿である。 → Map
そんなに急ではない山を必死に登ったゆきたんくである。
それも今となっては良い思い出である。
榛名湖畔の出来事であった。
実に、実に、、、実に。
9年も前のことなのに、いまだに心残りなのである。
2008年に群馬県の四万温泉に行った。
その時に榛名湖畔で自由湖行動の時間があった。
ゆきたんくはカメラ片手に自由奔放の時間を過ごしていた。
とても幸せだった。
実は、これ職員旅行。
団体行動が苦手なゆきたんくである。
一人で伸び伸びしていた時に目に入ったのがこれ。
榛名ポーク。旅に出る前にした予習事項の中にあったやつだ。
腕時計を見る。
あと15分。
優柔不断なゆきたんである。
ここはあきらめるしかないか・・・
すると前方から職場の女子職員2人組が来る。
女子1「あら、これ食べるんですかぁ。」
ゆきたんく「いや、時間がねぇ。」
女子2「大丈夫ですよぉ。」
そこまで言われては本能に(何の)従うしかない(笑)
ポークカツカレー1つ、飲み物を3つ。
お店の人には時間がないことと、どうしても味わいたいことを告げて取り繕う(笑)
出てきたぞー
うん、旨かったのよ。 2008.11.16 カフェテラス・エヴァ → Map
悪いことはできないものだ。
スプーンを3つもらって順番にパクつく。
ゆきたんくは当然一番最後。
スプーンですくって一口入れようとしたら☎が鳴った。
旅行幹事からだ。
幹事「〇〇さん今どこ?」
「みんな集まっているよ。」
「そうそう、◇さんと▼さん見なかった。」
ゆきたんく「見なかったです。今そちらに向かっています、すみません。あと3分かかります。」
◇さんと▼さんは同じ店の中にいる女子のことである。
さあ、ゆっくりと味わうこともせず、カレーをかきこむ。
支払いを済ませ、バスに向かう。
きっとリベンジしてやるんだ。
平成27年に群馬県上野村に(株)上野村きのこセンターが設立された。
それよりも、4年前にゆきたんくはここを訪れている。
当時の写真だ。
当時は農林水産省補助事業としての椎茸づくりだったが、㈱になったということは、生産が安定して軌道に乗ったということだろう。
キノコ好きのゆきたんくとしては大変嬉しいことである。
では、㈱上野村きのこセンターのサイトである。 → 上野村きのこセンター
先日の投稿と同じ日の2011年5月7日に富岡製糸場を訪れている。
いつも通り何の気なしに、風景を写真を収めるのは反射的行動である(笑)
これより2年9か月後にまさか・・・
富岡製糸場の正門の奥に見える東置繭場(国宝)の下をくぐると左手に繭の乾燥場が見えてくる。
いや、かつてあったといった方が正しいだろう。
ゆきたんくが何気なしに撮った写真の風景はもうないのである。
2014年14日、15日の雪で半壊してしまったからだ。
ゆきたんくはこの繭置き場を記録できて良かったと思っている。
これはちょっと、潰れた富岡製糸場乾燥場 2014年2月14・15日の大雪で半壊の被害
富岡と言えば、世界遺産に登録された富岡製糸場がある。
世界遺産に登録される前に行ったことがある。
駐車場も十分になかった頃の話だ。
富岡製糸場の西側にある駐車場に車を停め、約450mを歩いて正門まで行ったことを覚えている。
その途中、製糸場敷地の東北の角地で住所が富岡1番地にかわいい公衆トイレがある。
ほのぼのした絵が描かれている。 → Map
城町というのか。壁画NO8ということなので他にもあるのだね。
世界遺産になった富岡製糸場の脇役ではあるが、ここは好きだなぁ。
いやぁ、取材がなかなか進まないね。
小学校の時に一番嫌いだったのが作文。
どうにもこうにも書けないんだよね。
大人になって振り返ると、材料がなかったことが一番の原因だったことが分かる。
材料がないのに、調理することはできないからね。
てな訳で、しばらくは過去の取材をほじくり返してみようと思う。
面白いのがあればいいなぁ。
取り敢えず、元気な顔を・・・ 2014.08.12 Hergestridge
こんなことができる時代になったのだと思った。
昨冬の九州旅行で、福岡空港に着陸する時の動画である。
fukuoka air port landing
着陸時は意外にショックがあること、そして速度があることが分かる。
実際に飛行機に乗っている時にはこんな感じだと思っていても、後で見ると違った感じに見える。
やはりその時の体の調子が違うのか。
緊張の度合いとか血圧とか・・・
さて、長男シリーズ。
何のことはない。
新しいことが分からないゆきたんくのぼやきである。
PCにiPhoneをつないだ。
フォトというボックスが出て来て、新しい写真を検索している。
月ごとにフォルダを作って、写真をPCにバックアップしてくれるのだ。
ふーんと見ていたら1枚の写真が出てきた。
ソウルのは5年前だが、10年前のインドネシアの写真だ。
そう、先日亡くなった義父も一緒だった。
スカルノハッタ国際空港で入国審査を受ける前の写真である。
義母が手続きをしてくれていた。
今まで違い、ビザが必要になったということだ。
まあ、ゆきたんくもよく分からなのでお任せしたのである。
この時は、義父母と長男のおーちゃんとゆきたんくの4人旅であった。
インドネシアで義兄夫婦たちが待っていてくれたのである。
さあ、写真はこれ。
でっかい孫と小さいじいちゃん。
照明が日本と比べて暗かったのだろうね。
ぼけてしまっている。
そういえば、ゆきたんくは旅で写真が少ない。
1週間も旅をすれば撮影枚数は5000枚を超える。
ところが自分を写した写真は非常に少ない。
家族や友達が写してくれた中にあればありがたいのである。
昨日はソウル南大門市場の投稿だった。
前にも使ったことはあるが、この写真は自分が写っているもののなかでお気に入りの一枚である。
後姿なんだければね。
売り物になっていた長男とのツーショット?である。
でかい二人。 左がおーちゃん、右がゆきたんく。
これから5年が経ったなんて。
また一緒に旅をしたいな。
長男が家を出て9か月になろうとしている。
たまに帰って来ては、冷蔵庫を綺麗にしてくれる。
さすが人間ディスポーザーである。
そんな長男と一緒に旅をしたのは5年前が最後だ。
気持的にはそんなに経っている感じはしなかったし、その時のことをけっこう鮮明に思い出すことができるからだ。
いつものことではあるのだが、自分にとって象徴的な出来事(笑)は忘れない。
ゆきたんくは旅のさい、いつもカメラを手にしている。
気に入ったものはすぐに撮りたいと思うからだ。
ソウルの南大門市場で写真を撮りながら歩く。
ああ、雑貨屋さんね。
ああ屋台のお店ね。
というように写しながら歩く。
ふと左にカメラを向けた時、反射的にシャッターを押した。
おぉ、随分とリアルなものが置いてあると思ったからだ。
リアルなはずである。
売り物になっていた長男のおーちゃん(笑)
さて巌流島の対決。
武蔵と小次郎の闘いの地である。
ゆきたんくの中では猪木対斉藤なんだよな。
アントニオ猪木と、マサ斉藤。
格闘技界のプロ中のプロが技能を競った戦いの場が巌流島だった。
ファンの皆様は結果はご存じだろう。
ゆきたんくは、巌流島でプロレスを行うということ、世間の目を少しでもプロレスに向けようという二人の根性に感動した。
その巌流島を友人との旅の途中でみることができた。大変嬉しい。
巌流島。火の山公園展望台から見た巌流島。→ Map(火の山展望台)
猪木氏が国会議員になったことで、現役中の動画が見れなくなっているものが多い。
巌流島の闘いのその一つのようだ。
猪木氏が政界を引退された後にゆっくりと見ようかね。
3月6日月曜日の朝、駒込駅前のビジネスホテルの窓から見た桜は芽は膨らんでいたが寂しいものだった。
ゆきたんくの心も、義父の告別式を控えて寂しかったから余計らにそう思えたのかもしれない。
49日法要を行った昨日にその桜を見る機会があった。
満開の時期は過ぎ、葉桜になりかかっていた。
終わりゆく命があり、つないでいく命がある。
この桜の花や葉に当たるのが、ゆきたんくやのりたん、そして息子たちと考えて精一杯生きねばと思う。
亡き義父の49日を迎えた。
正式の期日とは少しずれているのだが私も義兄も平日には予定をいれられない状況なので本日となった。
お寺は東大そばの静かなところにある。
本堂正面
義父に会った日からは30年以上が経った。
今日の法要を終えた後は納骨である。
墓の中には義父の母親が1人で待っていた。
納骨だ。
寺の本堂正面には何事もなかったようにお賓頭盧(おびんづる)様が座っておられた。
お釈迦様のお弟子の一人である。
なでぼとけのお賓頭盧様は、自分の悪い部分と同じところを交互に撫ぜると良くなると言われている。
ゆきたんくは頭を撫ぜたかったのだが、息子たちが見ていてはね・・・