かくしてデュッセルドルフには着いた。
そして女房たち、女性軍との食事も終わった。
ここからは、男一人別ホテルなので気楽だ。
5月から連絡を取り合っている先輩へ連絡した。
都立秋川高校学校の5年先輩でデュッセルドルフ在住の方だ。
前に連絡を取り合った時には、シューマンの住んだ町、デュッセルドルフについて調べたいとエラそうなことを言ってしまった。
そして、ライン川に身を投げた場所も確認したいという話をしたのである。
午後8時過ぎに待ち合わせ、車でアルトシュタット(旧市街)に連れて行っていただいた。
まずはアルトシュタットの探訪。
この石畳の場所が、ビールを飲む客でごった返すのは、金曜日の夜だという。
ついで連れて行っていただいたのが、シューマン一家が最期に暮らした家だ。
ここに行きたくて行きたくてしょうがなかった。
小学校3年の時に買ってもらった、「原色学習図解百貨」の第9巻「楽しい音楽と鑑賞」に入っていたEPのトロイメライを聴いて好きになったシューマン。
その解説に、「シューマンが投身したライン橋」というものがありました。
投身の意味が分からず、母に聞いたら「死のうとした」ということが分かった。
たかが9歳では死の意味も分からず、自殺の意味はさらに分からなかったはずなので分かるように説明してくれたのだと思う。
そのことで、シューマンのことが余計に頭に刻まれることになったのだ。
シューマンハウスの前。 シューマンと彼の妻クララのレリーフがある。
そのシューマンハウスを起点に、どの道を通ってライン橋(シュプスブリッケ)まで行ったのかを一緒に検証した。
というよりも、先輩は前もって調べておいてくれたようだった。
町区分で言うと、さきほどのアルトシュタットの南にカールシュタットがあり、ビルカー通り沿いにシューマンハウスがある。
シューマンハウスから北上し、市場まで来たことは予習していた。
なんと先輩も、「このカールプラッツ(市場)」までは来たんだよな。
と予習をしていて下さったことが分かり恐縮した。
そこから北へ走ったか、西へ走ったかがはっきりしなかった。
シューマンハウスからカールプラッツまで ライン川はこの地図の左(西)にある。
とりあえず、その場所(シプスブリュッケ)に行ってみようとなった。
市庁舎前(マークプラッツ…マルクト広場)。を通ったり・・・
ハインリッヒ・ハイネの生家の前を通ったり・・・
ライン川沿いに出て、セント・ランベルタス教会(2番目に高い建築物)の確認をしたり・・・
セントランベルタス教会が描かれている。教会手前にある橋は現在はない。
一人ではなかなか歩けない街中を案内していただいた。
充実したとても良い観光になった。
本当に有り難かった。
4日間、他の場所を回ってまたデュッセルドルフに戻ってくることを伝えて別れた。
初対面で行き届かないところがたくさんあっただろうに、親切にしていただき感謝している。
頭が下がる思いというのはこういうことなのだろう。
かくして、9歳の時の思いがかないつつある状況になったのだ。