土地の店で旨いものを食べ,旅館に戻る。
明日はどうしようか。
天気ならばなぁ・・・
水戸黄門様が晩年を過ごした西山御殿と,その周囲の史跡が予定に入っていた。
昼は那珂湊おさかな市場での昼食。
「そうだ,あの東日本震災からもう8年になるね。」
じまさんが言い出した。
何を言いたかったのか。
北茨城市にある岡倉天心の六角堂を見たいという話だった。
ゆきたんくも,千菓進のマスターが撮った写真でみただけだからもう10年近く前に行きたいなと思っていた場所だった。
「行こう。」
お父さんも賛成。
予習していなかった場所だったが,ゆきたんくそこで会いたかったものに会えたのである。
地震で流された翌年再建された。岡倉天心と同じ時代を生きていた木だという。
瓦や宝珠などは,流された海の10mほど沿岸で見つかったそうだ。
ガラスもイギリスへ特注し,細部まで再現されたという。
さてゆきたんくが会いたかったもの。
これだ。
「亜細亜は一なり。」 岡倉天心の思想だ。
「亜細亜は一なり。」で始まるこの書がある。
美術書の体裁をとった文明論だという。
天心が本書を書いたのは、ヨーロッパ勢力の前に膝を屈して恥じようともしない亜細亜の人々の精神を奮い立たせるためだったか。
天心亡き後,大東亜共栄圏という戦争水槽の理想の1つとなったが,それでよかったのか・・・。
で,この碑は見たかったが,どこにあるかを把握していなかったのである。