マイク オールドフィールド
1992エジンバラでのミリタリータトゥー
チューブラーベルズ2より
ゆきたんくの趣味の1つは旅行だが、いつも行けるという代物ではない。
いつもはどうやって楽しんでいるか。仕事ももちろん楽しいが、責任が発生するという点においては気を抜けない部分がある。
まるっきり精神を自由にして楽しんでいることと言えば、楽器演奏だ。
体中の筋肉が張っていても、ギターの音を聞くと余分な力が抜けていくように感じるのだ。
音楽嫌いだったゆきたんくに音楽の楽しみ方を教えてくれたのは、高等学校時代の同級生であった。身近な楽器であるソプラノリコーダーのアンサンブルの楽しみ方を教わった。本当に感謝している。
そして全寮制の高校に在学したこと。友達の部屋に遊びに行っている時に、流れてきたチューブラーベルズ。たまたまレコードプレーヤーを持っていたやつがチューブラーベルズをかけたのだ。

チューブラーベルズ
25th Annniversary Edition
「誰だぁ、エクソシストのテーマなんてかけているのは。」
当時はマイクの楽曲というよりも、オカルト映画「エクソシスト」のテーマとしての認知度が高かったのだ。
「これは、チューブラーベルズって言うんだぜ。」
ゆきたんくはそんなことは知らなかった。
ただ、こんなに音の入り組んだ楽曲にはどんな楽器が使われているかが興味深かった。それに曲としては嫌いな曲ではなかったのだ。
レコードジャケット記してあるはずの楽器の所を見る。
そこで分った驚愕の事実。殆どの楽器をマイクが一人で演奏している。
どうやって音を重ねたのか皆目見当がつかない。
当時のゆきたんくのレベルは、カセットテープレコーダーに曲を録音し、そのレコーダーの音と合わせて曲を吹き、他のカセットレコーダーに録音する、いわゆるピンポン録音しかやったことがなく、かつ演奏できる楽器はソプラノリコーダーのみであった。
従って、マイクの技はとてつもない天才の成せるものだと認識したのだ。
ピアノで始まり、グロッケン、オルガン、ベース、エレキ、メロトロン、ブゾーキー、アコースティックギター・・・。
曲を創り、編曲し、その楽器たちを一人で操り、多重録音する。
なんて人間なんだろうと思った。その時若干19歳。
今でそこ、ハードディスクレコーディングが主流になりつつあるが、今から35年前に当時19歳の少年がテープレコーダーの消去ヘッドに小さな紙切れをテープで貼り、オーバーダビング(多重録音)して、A面25分、B面23分の大作を作り上げたこと。それをヴァージンレーベルの第1号アーティストとして支えた、現ヴァージングループ会長のサー・リチャード・ブランソン。

マナーハウススタジオ
現在は普通の民家
シップ・トン・オン・チャーウェル
イングランド、オックスフォード州
チューブラーベルズ誕生の地
彼の楽曲の売り上げが凄く、ヴァージン・アトランティックという飛行機会社までできた。それはマイクのチューブラーベルズが無くては無理なことだった。
彼のデビュー前のデモテープを「こんなもの、売れない。」と蹴った主流レコード会社の人間は凄く悔しがったと言う。
ともあれ、出不精だったゆきたんくが旅に目覚めたのはマイクの楽曲のおかげだった。いつかマナーハウスに行きたい(飛行機に乗らずに・・・)。そして最初の弦楽器のマンドリンを弾くようになる。
チューブラーベルズが好評のうちに第二弾ハージェストリッジがリリースされる。
この曲はマイクにとって全英で初めて1位を獲得した曲だ。チューブラーベルズは長く売れ続け、ついにはハージェストリッジを抜いて堂々の1位を獲得した。
自分の曲を、自分の曲で抜いて1位を獲得するなんて、マイクとビートルズしかいないのだ。
そしてハージェストリッジが地名と分るや、行きたくてしょうがなかった。
そして30年来の夢を果たしたのが2003年だった。
ヒースローで借りたレンタカーで走った距離は1250マイル、2000kmのドライブだった。その中にオックスフォード近郊のマナーハウスや、ヘレフォードの北西キングトンの町からウェールズにかけて盛り上がっているハージェストリッジはしっかりと含まれている。

ハージェストリッジに立つゆきたんく
そう、マイクが1992年に参加したミリタリータトゥーはスコットランドのエジンバラだった。次のヨーロッパ旅行の候補地が決まった。