うん、満月だから撮った。
それだけ。
寒いね。
空気は澄んでいるのだけれど・・・
今月最後の投稿はフルムーンでね。
まぁ、カメラの機能のおかげで楽にこんな写真が撮れること。
一昔前だったら、完全に風邪をひいていたね。
うん、満月だから撮った。
それだけ。
寒いね。
空気は澄んでいるのだけれど・・・
今月最後の投稿はフルムーンでね。
まぁ、カメラの機能のおかげで楽にこんな写真が撮れること。
一昔前だったら、完全に風邪をひいていたね。
ゆきたんくが好きだった店。
「伝説のステーキ」という店。
なくなってしまって、新しい店ができた。
これだ。
喜多方ラーメンのお店。
ゆきたんくの現在の職場の近くなのだが・・・
前のお店がなくなったのも、車の渋滞がひどいからだと思うと・・・
今日はゆきたんくの好きなマイクオールドフィールド氏のオフ会に行くはずだった。
3月末で退職し、好き放題やろうとしていたゆきたんく。
体調を崩し、おとなしくしていたゆきたんくにとって楽しみにしていた会だった。
体調が回復し、8月末に復職したがいいがコロナさんは絶好調。
職場の指導によって、都内は避けるように言われていた。
そんな訳で、いつも企画していただいている方には申し訳ないのだが欠席させていただいた。
今回のオフ会は、マイク氏の5番目のアルバム「プラチナム」40周年を記念してのものだった。
当時さっそく買って聴いたのだが、ウッドヘンジという曲が入っていた。
ストーンヘンジをひねったのだなと勝手に解釈し変な名前と馬鹿にしていた。
それから20年たったある日、ふと思い出した。
2000年も過ぎ、インターネットもできる環境だったので検索してみた。
「実際にあるんだ・・・」
それから3年後、ゆきたんくはウッドヘンジにいた。
コンクリートポッドは、かつて木が立てられていた場所だという。
円形に造られていることが分かる。
中央のポッドの横にあるフリント石塚とゆきたんく。
帰国してから気づいたことがある。
3枚目の写真のゆきたんくの左側に、少し背の高い柱がある。
実は、これがウッドヘンジの解説だったのだ。
それから8年後、ゆきたんくは再びウッドヘンジにいた。
もちろん、近くのストーンヘンジとのダブルヘッダーである。
これを見逃していたのだ。というよりも前回の時にはその存在を知らなかった。
近くでね。 → Map
リベンジは成功した。
ふふっ。
ゆきたんくの住む千葉県には、世界に通じる人がいる。
その一人が伊能忠敬だ。
55歳を過ぎて、17年をかけて日本全国を測量した。
そして『大日本沿海輿地全図』を完成させ、国土の正確な姿を明らかにした方だ。
その方は千葉県佐原市(現在は香取市)の方だ。
職場の指導もあり、東京都内には出歩かないようにしている。
というよりも、出歩けない・・・
伊能忠敬記念館 → Map
お墓のある観福寺、生家、記念館と尋ねた。
記念館の中は、写真撮影禁止なので資料集を買ってきたが、1000円の割に良い資料であった。
所用の帰りの夕刻に立ち寄ったのだが、今度はゆっくりと佐原の街を歩いてみたい。
ずっと前の職場の研修で、一週間の中で一番疲れが出やすいのは木曜日だと習った。
確かに溜まってはいる感じがする。
黄昏時を迎え、職場の室内が暗くなってくると、何かかが迫ってくる感じがする。
それが疲れなのか。
窓の外に目をやる。
一気にホっとする。
夕焼けではあるが、太陽の光が偉大なことに気づく。
先日鹿島神社に行った。
そう、桜花公園から佐原に流れた時だ。
その中で要石を見た。
地震を鎮めているとされる石である。
ゆきたんくは、毎日あっちに揺れ、こっちに揺れだ。
仕事のない休日ともなれば、どんだけ揺れるか分からない。
強いていえば、コロナが要になっているのか。
てなことを考えてしまった一瞬であった。
鹿島神社の要石
朝っぱらから探し物。
うん、コンピューターの中ね。
桜の芽の写真を探すのね。
写真の量が膨大でなかなか見つからない。
雰囲気だけでもね。
取り合えず、見つけた。
まだまだ良いのはあるはずなのだ。
のりたん(奥方)との休日。
とは言っても、休日も仕事が多いのりたんである。
職場の送り向かえはゆきたんくだ。
えらいねぇ(誰もほめてくれないから、自分でほめる。)
今日は昼時のお迎えで、昼食はサイゼリヤである。
だいたい頼むものは決まっている。
ドリンクバー、ゆきたんくはドリア、のりたんはパスタ。
そしてサラダを二人で取り分ける。
だいたい、小エビのサラダだな。
こんなんで、心が休まるなんてありがたいなぁ。
昨日はね、気分で行き先を決めた。
大人の休日(笑)
鹿島にした。
戦争遺跡を見るためだ。
その帰りに寄ったのが佐原だ。
うん、千葉県の誇る偉人「伊能忠敬」の故郷をスルーしてはいけない。
醤油ジェラートも食べれるといいなぁ。
伊能忠敬氏のお墓のある観福寺でみた紅葉。
生家の様子。
友人と出かけた。
もう、夕方近くだったので醤油ジェラートのお店は閉まっていた。
伊能忠敬記念館、旧宅、お墓など駆け足の観光だったが、満足できた。
うん、遠くに行けない不満足。
それは今年は誰もが抱えているのだろうなぁ。
で、この本の登場。
ゆきたんくの旅の本、千葉県編。
今日はどこに行こうかの参考に。
近場で楽しむならね、これだと。
久しぶりに開いてみたのだが、何か心躍らない。
友人と出かけるのだが、会ってから決めよう。
うん、そんなのも良い。
うん、朝のごみ捨ての時間だ。
起きたてのぼやっとした頭で、無防備にゴミ袋をぶら下げて歩く。
車にひかれる心配もない、なんの思考もしていない。
体だけは仕事をしている。
すごく楽な時間である。
強いて言えば、寒くなってきたことだろうか。
この薄暗さも気にならない。
大網からの帰りである。
松戸市の金ケ作に、旧鉄道第二連隊の軌道敷跡がある。
それに沿って、陸軍の境界標柱があるのだが、今まで気づかないやつを見つけた。
というより、気づいた。
その近くでは6本も見つけているのに、道路沿いの一番見つけやすいやつを見落としていのである。
というより、車の通りが激しくて、こんな所にはないという先入観が強かったのかもしれない。
ともかく、新しい境界標柱が1本増えたのである。
陸軍境界標柱 → map
これも13年前のお話。
大網の戦争遺跡をと探している時に、地元の方から聞いて確認しに行った壕。
聴音壕(ちょうえんごう)と言い、遠くから飛んで来る敵に飛行機の音を聞く施設だという。
そのころは、もうレーダーの時代だと思うが、日本はそうやっていた。
物資等が足りなかったから、他に方法がなかったのだろうと思う。
大網の宮谷八幡神社の裏に穴がある。
この祠の裏側に、穴があるのだ。
かつてこの穴に入る足場があったのだろう。
穴の入ってすぐあたりの上に、金具のようなものが見えている。
当時の軍の施設だったのだろうか。
どうやって検証しようか。
茂原取材の後で、東金に寄った。
法光寺という お寺の裏側に「上田中坑道陣地」が残されている。
本土決戦に備えて、九十九里浜側の守りを固めるためだ。
やはり怖いなぁ。
フラッシュを焚くと、坑道が左右に分かれていることが確認できる。
右側の坑道を見た。目が慣れてきたら光がさしていたので写真を撮った。
前に寄ったのは13年前か。
中に入ろうとした時に、大きな声を出すと崩れるかもしれないから見ていてあげると声をかけられたことを覚えている。
今日は友人一緒だったが、やはり怖い。
静かに少し奥まで入ってみた。
向こう側の開口部から光が見えた。
満足した。
夜ではないけれどね。
見た時にそう感じたんだ。
茂原の戦争遺跡の取材時に目にはいったんだ。
一つの役目を終えて、次の仕事なんだね。
その前のにぎやかさというかさ。
まあ、おしくらまんじゅうで温かいかなぁ。