伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

研修…その他6

2017-10-31 23:34:42 | 言いたんく

またまたシムクガマの話で恐縮である。

旅に出て、絶対に気を付けなければいけないは病気と怪我である。

予定が狂っても、進み方を間違えても気がつけばどうにかなる。

今回は気がつかなかったお話。

集中力に欠け、よそ見が多い。

何か刺激があると、そちらに気を取られる。

これ、ゆきたんくである。

何が起こったか。

先日の投稿で、暗所恐怖症を条件付きで克服したような記事を書いた。


 

 
これはシムクガマの中。


先日の写真。一枚目の写真の逆側から撮られていることがわかるだろう。


フラッシュを焚く。 


 上写真を見ると、喉チンコのように下に向いている岩(これは鍾乳石だろう)がある。

そして、その下は低く沢になっている。

となれば、通ることができるのはこの柱状石筍と壁の間だろう。

行きは良い。外からの光が当たっている。

帰りは逆光になっている。

その上ゆきたんくは帽子をかぶっているのだ。

帽子のつばが、前景の死角となる。

そう、3枚目の写真右上角に出っ張っている石に見事「ガツーン」と頭をぶつけた。

暗いはずのガマの中が一瞬明るくなった様な気がした。

その場でしゃがみ込む。

この時は、穴の部分左にある柱状石筍の模様に気を取られていたのだった。

皆様も、ここを訪れることがあればお気をつけください。

他のガマでは、絶対にぶつけないという誓いを立てた。

さて、どうなることやら。

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研修…その他5

2017-10-30 23:31:57 | 言いたんく

さて、ついでに。

ゆきたんくが高所恐怖症であることは述べた。

笑ってしまう出来事がある。

子供達が小さい時に、任天堂64のボンバーマンで一緒に遊んでいた。


 

 

「ボンバーマン」の画像検索結果
ボンバーマン。


 このキャラクターが悪者に向かって爆弾をぶつけて退治し、場面をクリアするゲームだ。

雪山が登場する場面でのことだ。

雪山の斜面のもうけられた細い道を通っていたらびびって眩暈を起こしてしまったのである。


 


まさにこの画面である。情けない・・・


 臨場感たっぷりに、画面の手前部分と奥の部分がずれて動いてみえるようになっている。

 

 今回の研修でやばかったのがここ。



座喜味城址だ。


ゆきたんくは、この→の部分立っていたのだ。


 ここと中城城だけが城壁の上に登ることができる幅がある。

写真のゆきたんくは何か写しているが、この後少し震える。

城壁の下を見てしまったからだ。

また、一番城壁が熱い部分ではあるのだが、高い所で13m。

ゆきたんにとっては、十分に恐怖を感じる高さである。

残りの人生で克服することができるのだろうか・・・

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研修…その他4

2017-10-29 23:29:18 | 言いたんく

ゆきたんくは高所、閉所、暗所恐怖症だ。

飛行機はあきらめた。

便利だし・・・

10mから落ちても10000mから落ちても、そんなに結果に変わりはないかなぁなんて。

飛行機は、閉所でもある。

これは窓観光、写真撮影で克服した。

暗所については、読書や映画鑑賞でね。

さて、独立した暗所恐怖症の話である。

この写真を見ていただきたい。

同行のY氏が撮影した写真である。

場所はシムクガマ。



人物が1人見えているが、これはゆきたんくである。秋川高校のシャツを着ているから間違いない。


 Y氏がフラッシュを焚いているので明るく写ってはいるが、中はすこぶる暗い。

ただ、興味関心が強く、この機を逃してはまずいと思った時にだけ、大丈夫スイッチが入るようだ。

 研修意欲に燃えていたことを褒めてあげたい。

また、予備知識として集団自決のあった壕ではなく1000人もの人たちが助かった壕ということもある。

三種混合恐怖症というのは、根っこに臆病風が吹いていたのだ・・・

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研修…その他3

2017-10-28 23:25:53 | 言いたんく

ふと見て「なんだ。」と思って、そのうちそのまんま。

まぁ、これがゆきたんくの正体である。

飛行機から降りて、ボーディングブリッジを歩いていると、自分が乗ってきた飛行機が見える。

ここですかさず記念写真を撮る。

もちろん通行中のお客様には気を遣いながらである。

そのうちの一枚がこれ。

みなさんがとっくに知っていて、ゆきたんくが知らないことだと思う。



「うちなー」ってなあに。


沖縄、もしくは沖縄本島のことを「うちなー」と言うのだそうだ。

ウチナー=沖縄県 は広く知られているんだそうだ。

ゆきたんくはなんと、沖縄に行って、帰って来てから知ったのだ。あーーー

ウチナーンチュ、ウチナージラなど、市民権を得ている方言も多く、

「ウチナー」はもともと宮古や八重山などまわりの島々から、沖縄本島をさす時の名称だったそうだ。

今でも宮古・八重山では沖縄本島に行くことを「うちなーにいく」と言うそうだ。

全く知らなかった。 うん、これは研修だな。

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研修…その他2・戦時下

2017-10-27 23:24:47 | 言いたんく

平和ボケとかなんとか。

日本人は平和ボケなんだろうか。

そもそも、ゆきたんくは平和ボケしているのだろうか。

していた(汗)

何だかんだいって沖縄は戦時下と変わらない状況がある。

それは、那覇空港で見たこれだ。



やったぜ、無事着陸だぁ。


次に見えたのがこれ。「ん?海上自衛隊」


昔の零戦に似た色の日の丸飛行機、近くには第5航空隊の文字。


 実はこれ、飛行機が進入する南の方から「陸上自衛隊」、「航空自衛隊」「海上自衛隊」の順番で施設が並んでいる。

民間空港の脇に並んでいるのだ。

この光景はアメリカ軍基地に近いところで見れると思っていた。

もっとも、沖縄県本土にある日本の空港は那覇空港である。

これを見て沖縄は戦時下なんだと思った。


 

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研修…その他1

2017-10-26 23:22:00 | 言いたんく

はい、まだ続きます沖縄編。

実はiPhone写真で撮った写真をよく見ていなかったのだ。

実はゆきたんく、食事に行く時に国際通り入り口にあるシーサーとツーショットで写真を撮ったのだ。

ついに、、、嬉しいと思っていた。

友人にすぐに送った。



念願のシーサーとツーショット。


友人は、これを見て酔っ払いの立ち〇◯〇〇〇と思ったらしい。

静かにシーサーに話しかけているのである。

そうは見えませんかねぇ。

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研修…帰宅

2017-10-25 23:19:41 | 言いたんく

気持のよい2時間5分。

行きの飛行機では、午前中の便だったので景色の綺麗なこと。

結局262枚の写真を撮った。

帰りは心地の良い疲れや、窓側の席でないことも加わってあまり撮らなかった。


 


1枚目。


2枚目


睡眠。



3枚目。高度が落とされた。


4枚目。なんとiPhoneのマップでは玉川河川敷に着陸(笑)


 飛行機は無事羽田空港に着陸した。

後はゆきたんく号が、無事故で松戸まで戻ることだ。

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研修終了…那覇空港

2017-10-25 23:18:46 | 言いたんく

初めての沖縄は濃かった。

どう過ごしてやろうかということが一番に来て、沖縄で最初に自部の足で立つ場所について触れていなかった。

記事、研修…行きの空3 の最後にこう書いた。

「沖縄那覇空港に着陸。後は、飛行機から1歩出た時に、47都道府県制覇の観劇を味わうのである。」

何を味わったか書いていない・・・

そして帰りの飛行機の記事になってしまった。

補足するとしたらこのタイミングしかない。


 


土産物屋・・・ 友人のお土産て見たものばかり。


そんなに混んでるわけでなし・・・


 帰りの写真撮影時には体が疲れていたので、景色もこんな風に見えてしまうのだろう。

初日の到着時には還暦近くなってやっとこれた。

暖かくて気持ち良い。

どんな街並みを見ることができるのだろう。

澄んでいる人たちとどんな話をしよう。

本当に、たくさんのことが一度に頭の中を駆け抜けたのである。

これがゆきたんくが未知の土地を訪れた時の醍醐味なのである。



空港内を歩く。窓際のプランターに目が行く。


空港内を歩く。


後は帰るだけ。


自分たちが乗る飛行機の垂直尾翼。鶴丸さんよろしくね。


 2時間ちょっとのフライトで、羽田に戻る。

駆け足で、沖縄研修について書いてきた。

準備不足が露呈した旅になった。

これを次回の充実につなげたい。

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研修…旧海軍司令部壕

2017-10-24 23:15:39 | 言いたんく

同行のY氏のリクエスト。

ゆきたんくは薄学、Y氏は博学である。

どうにか帰りの飛行機の時刻に間に合うように寄れそうだ。

ということで寄った。

旧海軍司令部壕の見学方法を確かめた段階で、今回は無理と諦めた。

宿題が一つ、また一つ。

小学生時代のゆきたんくとなんら変わりがない状態になってしまった。

姿勢の中の写真は何枚か撮れたのだが、今度は実物を拝みたいという思いでこの1枚を貼る。



施設内の壁に貼ってあった写真を撮影した。 → Map


 

Y氏には申し訳ないことをした。

反省。 

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研修…轟の壕

2017-10-23 23:13:32 | 言いたんく

いや、ここで普通の呼び方の壕が出てきた。

まぁ、普通ではないが、ガマ・アブと比べると親しみやすい。

轟(とどろき)の壕というのは、なぜこういう命名なのか興味がある。

さて、ここは自由に見学ができるようだ。

しかし、壕に入るために降りる階段の手前にリュックとノートと筆記用具があった。



リュツクと水筒そして解説用資料


 観光ガイドの持ち物に違いなかった。

階段を降りて行くと、2人の女性(子供とおばあちゃん)がいた。



この階段から降り始めるのだ。


階段はしっかりと整備されている。


途中に塔婆があった。


下を見ると地下壕入り口がある。


直径30センチ程度の穴から声が聞こえてくるのだ。


左を見るとこちらにも壕がある。


 聞くとガイド付きで修学旅行生の集団が入っていったという。

よく聞くと声が響いている。

ここも宿題の一つとなった。

戦中は最大1000人以上の住民や日本兵が避難していたとされる。

ここでも日本兵の避難民に対する横暴はあったという。

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研修…マヤーアブ(マヤーガマ)

2017-10-22 23:11:51 | 言いたんく

結論から言うと、ここも予約なしには入れないガマ。

平和学習の修学旅行生が明るい所で説明を受けている。

あれ、ガマの入口でやらない方が良いと思ったゆきたんくである。

この研修の項をいくつも書いてきたが、調べ物をすると「心霊」という字が躍っている。

それがあるかないかは別として、変えることはできない過去の歴史を事実として目を向けることだ。

そう、ここも宿題になった。

場所は「平和創造の森公園」の中だ。



緑にあふれた整備された公園だ。 → Map


路駐して歩を進める。金網が見えてきた。


立ち入り禁止の看板。係員の方が番をしていた。


10代の若者たちだ。修学旅行生だと思う。


 ガイドさんの話を聞き、予備知識及び、安全確認をしてから中に入るのだ。

写真を見るとヘルメットを着用していることが確認できる。

靴は普段履いているものらしい。

糸数アブチラガマの近くでは長靴を貸し出していた。



解説を読んで・・・


 2つ。

1つ目

 地図ではマヤーガマとなっていたが、ここではマヤーアブとなっていること。

 調べた。

   ① ガマ・・・横穴洞穴の壕(自然洞窟・鍾乳洞など)、岩の窪み等
   ② アブ・・・縦穴洞穴の壕(自然洞窟・鍾乳洞など)、または窪み等

こうなると、ひめゆりの塔の伊原第三外科壕はアブということになる。

2つ目

 日本軍が避難していた住民を追い出したこと。

帰宅後、友人に教わった「阪神タイガース 松木一等兵の沖縄捕虜記」を読んだ。

その中に、墓(沖縄の墓は中が広い)に避難した住民を追い出した話が書かれていた。

その家族は、屋外の住居に戻り爆撃を受けて両親が戦死したことが書かれていた。

もちろん、それと逆のケースの話もあったが、気の短い(気の小さい)下士官などの指示によるものだったと思う。

そうであれば、被害に遭われた住民は日本軍に恨みを抱くことだろう。

捕虜になるのが恥で、自決ができるように手榴弾を持たされた避難民もいる。

沖縄が陥落すれば、日本本土への上陸を許してしまうから、最後まで戦おうとする姿勢が様々な形で吹きだしたのだろう。

しかし国民の命を守れなければ本末転倒ではある。 

 

ひめゆり学徒隊の中で生き残った方の話があった。

目の前で子供を抱いた母親に、自分が持っている水を分けて欲しいと求められた時にあげることができなかった。

そして70年間も悔やんでいるという話がある。

きっとまだ名前も場所もしらない壕(ガマ・アブ)の中にも、それぞれの物語があるのだと思う。

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研修…沖縄陸軍病院本部壕跡

2017-10-21 23:34:39 | 言いたんく

ここでもY氏と二人。

伊原第一外科壕から車で8分。(地図上では11分とあるが)

沖縄県陸軍病院本部壕跡に着いた。

ひめゆり学徒隊が、最初南風原(はえばる)に動員されたのだが、米軍が上陸して前線の負傷兵の増加に伴って学徒隊は分散配置された。

それが、前に書いた伊原と山城に撤退した時のことだ。

この沖縄陸軍病院本部壕も、地図上では「陸軍病院山城(やまぐすく)本部壕」だ。



沖縄陸軍病院本部壕の標柱。この奥に壕入り口がある。


 車をとめ、周囲を見る。

ここでもホッとした。

戦争での出来事を風化させないように取り組んでおられることだ。



慰霊の塔の前にはベンチがあった。


碑文。


道の途中にあった案内の標柱。 


 その慰霊塔の前で当時のことを修学旅行生たちに話している写真も見つけた。

しかし、このような形で続けていくのには限界があるだろう。

映像記録という形で残していかれてはどうかと思うが、もうすでにやられているのかもしれない。

ひめゆりの塔付近が観光化した中で、他の壕も戦争遺跡(戦争遺産)ではあるけれども目をつぶらずに敢えて見ること、聴くことが大切だと思う。

 

さて、このガマはサキアブと呼ばれていて「キジムナー」発祥の地と言われている。



キジムナー 鳥取県境港、みずきしげるロードにて


そんな本部壕では43名の方が命を落とされたという。

冥福を祈りつつ、中に入った。



足元はかなり悪い。先陣を切るY氏。


中はかなり暗くなっている。


暗くて狭い。何処の壕でもこの環境で傷病兵の手当をしていたのだろう。


入り口に戻る途中で見た。字からして当時のものだろうが日本軍の防衛戦が
陸軍病院そのものが南部の伊原・山城周辺に撤退したのは1945年5月25日
以降と言われている。この1944年7月3日と言うのはどう理解すると良いのか。
またこの当時西暦で書く習慣があったのか・・・

 


入る前には気付かなかった。


訪問してみて、深い勉強が必要だと思った。

この壕は日本軍が防衛線を前田高地附近にまで下げ、さらに後退したことの結果だ。

ただ、この戦いはアメリカ軍に本土上陸を許さないための必死の戦いであったことも事実だ。

オールインワンで歴史を勉強することが大切なことは一層強く感じた。

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研修…伊原第一外科壕

2017-10-20 23:33:37 | 言いたんく

これは同行のY氏の案だ。

ひめゆりの塔が建てられていたのが、ひめゆり学徒隊で一番被害の大きかった伊原第三外科壕だ。

しかし、ひめゆり学徒隊で被害に遭った壕は他にもある。

 伊原第三外科壕から伊原第一外科壕まで車で2分、400mの距離


 


コンクリートの標柱のようなものが見えたので車を停めた。


伊原第一外科壕の標柱と碑があった。


 周囲は畑。

レストランも、博物館も、献花の花売り場も、民芸品売り場も何もない。

そして、ここを訪れた時はゆきたんくと同行のY氏の二人。

ひめゆりの塔の前では、手を合わせ数分の間その場を動かない者もいた。

修学旅行の団体、観光客の団体、個人の観光客とまことに賑やかであった。

ここにきて、少しでも犠牲者の魂が救われたと思うのは

1 慰霊碑の標柱があること。

2 碑文があること。

3 千羽鶴があったこと。

何も用意していないゆきたんくが偉そうなことを言えた義理ではない。

その気になれば、ひめゆりの献花を買ってここにお供えすることもできたろう。

沖縄県が制定している「慰霊の日」は6月23日で、この日は様々な壕に供え物がされるそうだ。

ここにある千羽鶴はそれ以降の別の日に備えられたものであることは分かる。


 
階段とはいえない階段を降りるゆきたんく Y氏撮影


深いガマがある。


ここにも千羽鶴がある。Y氏撮影。


千羽鶴の下には花束が置いてあった。 壕はこの奥深く続く。


 ここには沖縄に来るたびに寄ろうと思う。

そして手を合わせるのだ。

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研修…昼食

2017-10-19 23:33:00 | 言いたんく

さて、昼食が研修だって?

そう、初めての沖縄。

沖縄でしか食べられないものをチョイスすることにしたからだ。

ここでコンビニ食品は悲しすぎる。

ひめゆりの塔を出てすぐのひめゆり会館で食事をとることにした。


 


まずは冷たいお茶と何かの佃煮。そしてサーターアンダギー。


これがまたかわいい。直径は3cmくらい。


三種そば。載っているのは「足テビチ」、「ソーキ」、「ラフテー」と贅沢。


 沖縄の人は、豚肉の調理が上手だと前から聞いていた。

足テビチ(豚足)、ソーキ(豚肉スペアリブ)、ラフテー(豚角煮)とまあどれも旨いこと。

現在では長寿一位の座を他県に譲ってしまっているが、かつての長寿は豚肉がもたらしていたという。

その豚肉を一度に味わえるメニューがこの三種そば。

旨い、旨いとあっという間にたいらげてしまった。

毎日食べたいと思う一品である。

サーターアンダギーは首里方言(方言は何種類あるんだろう・・・)でサーターは砂糖、アンダーギーはアンダが油、アギが揚げるという意味だそうだ。

アギの語尾を伸ばすことで「油で揚げたもの」になるそうだ。

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研修…ひめゆりの塔

2017-10-18 23:32:21 | 言いたんく

ゆきたんくが大学4年の時である。

大好きなさだまさし氏の楽曲で「しあわせについて」という曲を聴いた。


 

しあわせについて/ひめゆりの塔主題歌

 


さだ氏らしさが満載の歌で、もうすぐに好きになった。

この歌が、映画「ひめゆりの塔」の主題歌であった。

当時、戦争についは何の興味も持たなかったゆきたんくである。

この10年くらい戦争遺跡に興味を持ち、そしてその歴史的裏付けが大切なことに気づいた。

そしてそれは、後の趣味となる日本各地の旅行とシンクロすることもあった。

今回の沖縄訪問で、絶対に落としてはいけないことに「ひめゆりの塔」があった。


 


小さな塔だった。


 思ったよりも、小さな小さな塔。

終戦直後の物資難な時代に建立された事と、その当時アメリカ軍統治下に建立されたという事情のためだ。

 50~60㎝くらいだろうか。

そして、その塔の後ろにはひめゆりを配した戦没者碑が建てられている。



ひめゆりの塔 戦没者碑


 この場所は、正式正式名称は「伊原第三外科壕(沖縄陸軍病院第三外科壕跡)」と言う。

今までいくつかの地下壕を見て来ているゆきたんくであるが、それは軍が造った地下壕でコンクリート製の造りであった。

ここ沖縄の壕は鍾乳洞(ガマ)を活用したものが殆どである。


 

 


そして戦没者碑の手前の穴を見た。


この中でひめゆり学徒が傷病兵の手当を行っていたのだ。


この項を書いているうちに、自分の勉強不足がだんだん露呈してきた。

ゆきたんくのフェバリット・アーティストのさだまさし氏が歌う「しあわせについて」は映画「ひめゆりの塔(1982)」の主題歌である。

その舞台がここだとばかり思っていた。

それは後のことで、従軍したのは240名。

ひめゆり学徒隊(沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員)は、南風原(はえばる→Map)にある沖縄陸軍病院に「看護要員」として従軍した。

しかしその後激しい戦闘により、日本軍が前田高地附近に撤退した。

戦闘は激しさを増し、その1か月後には陸軍病院そのものが回復の見込みのない負傷兵・学徒を置き去りにして南部の伊原・山城周辺に撤退した。

分散して地下壕に潜んだのだが、この際患者を収容する壕が確保できず、負傷兵は原隊への復帰が命じられ、病院としての機能は失われていたそうだ。

戦局が絶望的になると、学徒隊は解散を命じられた。(看護婦採用試験合格者を除く)。

しかし、行き場はなかった。既に沖縄のほぼ全域をアメリカ軍が支配していた。

また周辺も既に激しい砲撃にさらされていたため、地下壕から出ることはほとんど死を意味した。

その時に最も被害を受けたのが、この第三外科壕の学徒隊なのだ。

壕にいた96名のうち、87名が死亡した。

ひめゆりの塔がここに建てられたのは、こういう経緯があったのかと推測できる。

しかし、第一外科壕(訪問済)、第二外科壕(未確認)でも、戦闘による死傷者は出ているのだ。

今回同行したY氏により、悲惨な目にあった方々はここの「ひめゆりの塔」ばかりではないことを聞聞いた。

この伊原第三外科壕跡だけに献花することはやめにした。

何度も作られた映画により有名になり、観光地化したことに違和感を覚えたのも確かだ。

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