伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

気になっていた

2016-03-31 23:38:51 | 言いたんく

現在ゆきたんくの住まいは千葉県である。

そう、気になっていたことがあった。

ゆきたんくの母校はかつて東京都あきるの市(旧秋川市)にあった、東京都立秋川高等学校(全寮制)である。

残念ながら閉校になってしまって、現在は校内を南北に走るメタセコイア並木しか残っていない。

そんな全寮制を冠たる学校が千葉県にできたことを知った。

名前は時任学園中等教育学校。

私立の全寮制の中高一貫校である。

少人数で頑張る学校と聞いて、たまに情報を覗いていた。

1992年開校だから、ゆきたんくが千葉に住んですぐのことである。

女子中学校で始まり、女子の中高一貫校、そして男女共学になった。

久しぶりにホームページを覗いてみたが、2年前より更新されていなかった。

目に留まったのは『平成26年度生徒募集要項決定 25,3,21』の文字。

今は平成28年度の募集が載っていなければならない。

それよりも、もう別の項目に変わっていなくてはならないはずだ。

wikiを引いてみた。

『2016年3月生徒数の減少により廃校』の一行があった。

1回は見に行こうと思っていたが、それもかなわなかった。

よって自分の撮った写真はない。

ホームページよりお借りした。



時任学園航空写真


 

 

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初めての・・・

2016-03-30 23:55:49 | 

初めての出来事は記憶に残ることが多い。

あまり、頭の引き出しに物が入っていないからだという。

年を取ると物忘れがひどくなるという。

まぁ、病的なものや老化などが原因と言われている。

最近本で見た中に書いてあった。

「引き出しの中に、物が少なければすぐ見つかる。」

「物がたくさん入っていると、見つけるのに時間がかかる。」

50年ほど生活してきた人間の脳は物がたくさん入っているという。

ようは、記憶を忘れたのではなくて、引き出せない状態ではないかというのだ。

 

さて、ゆきたんくの初めての海外旅行は40過ぎてからのシンガポールである。

今でこそ、たくさんの写真を撮ることが当たり前のゆきたんくであるが、その時は自分のカメラも持っていなかった。

のりたん(奥方)が撮ってくれた写真が多少あるだけだ。

当時の情報量が少ないのに、その時のことを思い出せないのは現在の情報量が多いからではないだろうか。

と考えると、少しは老化を意識しなくてよいのではと思うことができる。

写真には残っていないが、寺院を見たことを覚えている。

写真撮影にはお金がかかるということでやめてしまったのである。

東南アジアの国では、ごく当たり前のことだと知ったのは随分と後のことだ。

勿体ないことをしたと今では思っている。

少ない写真ではあるが、写真を撮ったことをちゃんと覚えている一枚があった。



ゆきたんく と のりたん と 次男のつっくん。2000.07.28


長男のおーちゃんは学校の旅行だったかな?

 そう、あと思い出したことは、のりたんとつっくんがインドネシア(義兄がいた)に飛び、その途中でシンガポールに寄る時に後から合流したことだ。

 そう、一人で飛行機に乗ったのである。人生2度目の飛行機が海外だった訳だ。

7時間の間地に足が着かないというのは何とも落ち着かなかった。

着いたら着いたで、タクシーを拾わないといけない・・・

そう、ヒゲモジャの兄ちゃん運転手に「リッツ・カールトン・ミレニア」と言ったら「OK」。

海外で外国人との初コンタクトも覚えていた。

もう、15年も前のことになる。

さて、ゆきたんくは「忘れてしまった」のか、「記憶が引き出せない」」のか・・・

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印西市の戦争遺跡2

2016-03-29 23:06:50 | 戦争遺跡

さて、印西市の戦争遺跡で有名なものは、無蓋掩体壕である。

掩体壕は飛行機の格納庫だ。



旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕(東京都府中市) 2007.05.13 → Map 

  この写真は整備される前のものである。


 無蓋というのはその字の通り、蓋が無いものである。

掩体壕はコンクリート作り、無蓋掩体壕は土手を馬蹄形にしたような造りである。



印西市草深(そうふけ)にある完全な形の無蓋掩体壕 2006.12.13 → Map


 印材の草深に昭和13年、逓信省印旛地方航空機乗員養成所の創設行われた。

19年10月には、帝都防衛の任に当たるべく陸軍飛行第二十三戦隊が配備された。

 その名残の一つが無蓋掩体壕だ。

かつては36基あった無蓋掩体壕も、2009年の時点で完全な形で残っているのはこの1基だけだという。

現在、この1基については市の教育委員会の方でも保存するということである。

ただ言えることは、この掩体壕は歴史の証人である。

世界遺産に登録されているヒロシマの原爆ドームと同じだけの価値があると、私は思っている。


 

 

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パワスポ

2016-03-28 23:58:05 | 言いたんく

先日花見に出かけた時のこと。

たぬき通りという通りを歩いていた.

その通り。

あちこちにたぬきがいる。



地蔵たぬき


 ここはなんて所だろうと調べてみる。

「浅草たぬき通り商店会」という

 そしてこの写真のたぬきは「地蔵たぬき」である。

様々なたぬきがいるが、この「地蔵たぬき」は、実はたぬきのお母さんだそうだ。

子宝にめぐまれるように、お腹のあたりをなでていくと良いのだそうだ。

錫杖をもったお地蔵様に化身した大勢の元気なこどもを育てたお母さんたぬきが、子宝や子育てに恵まれない貴方に、ご利益をお分けするのだそうだ。

実は、この日から少し息子が素直になっているような気もする。

さっそくご利益があったと思っている。

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こんなところに。

2016-03-27 23:19:26 | 言いたんく

今日は高校の同期と花見。

言問橋のたもとで毎年恒例の花見である。

ゆきたんくは仕事の合間を縫って参加。

場所取り、準備等は仲間に甘えっぱなしである。

定年を迎えたら、積極的に準備から参加したいと思う。

さて、車でどこでも出かけていたゆきたんくであるが、このところ電車での移動が楽だと思うようになってきた。

今日は浅草までのお出かけ。

地下鉄銀座線を利用する。

座席が空いたので座った時に目に飛び込んできたものがある。

「こんなところまで・・・」



雷門(浅草)、新橋、日本橋・・・様々な意匠を見ることができる。


 車両連結部のガラスに施された意匠である。

老眼が進んできた今日この頃は、目が疲れていない時でないと気づかないものが多い。

これも、最初は白丸の塗装が剥げているのかと思ったくらいだ。

このよう遊び心は楽しくて良い。

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はまっている。

2016-03-26 23:01:43 | 言いたんく

ピン芸人日本一を決める、R1ぐらんぷりが3/6に放映された。

以前テレビで見たことのあるピン芸人が丁度演技をしていた。

ハリウッドザコシショウである。

思わず笑ってしまった。

こんなことは久しくなかった。

直観的に笑ってしまうのである。

ものまねだが、はっきり言って似ていない。

誇張しているというが、はっきり言うとザコシショウ風にアレンジしているだけだと思った。

でも面白い。

後を引く。

今でも1日に1回は動画を観ている。



ハリウッドザコシショウ氏


 

本人は1/10似せる努力をしていると言っている。

他の芸人は、素材を塩コショウだけで食べさせる料理人のようだと言っている。

中川家は24年間やっていることが変わらないと言っている。

ある意味理想形である。

耳から離れない。
 
ハンマーカンマー(笑)

 

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友人・・・

2016-03-25 23:01:51 | 言いたんく

ここ、「伝えたんく」は「幸たんく」というゆきたんくが作っている自己中心的サイトの枝である。

「自分が感じた幸せ」、または、「こうすればいいのに」という私擬愚見を載せるブログである。

今回は幸せではない内容だが、お許しいただきたい。

5年迷った。

友人がいた。

いや、今でも友人だと思っている。

自分の仕事にも協力してもらった。

そう、ラーメン職人である。

味の良いラーメン。

接客の良さ。

豊富なアイディア。

ゆきたんくだけでなく、奥方ののりたんとも実は知り合いだった。

息子たちもなついていた。


 


店で使っていた丼


 写真は彼からもらった丼である。

店が絶頂期の時、頼んでもらったのだ。

ある意味、日本で名声を得たラーメン店のマスターでもあった。

そのため悩みも色々と多かったようである。

彼が体を壊し、5年前の閉店につながった根本理由も知っている。

彼自身から聞いた話だからだ。

今、その内容をここで暴露しても仕方がない。

人が傷つくからだ。

本当に人が良かった。

ゆえに、頼みを断らなったのが・・・

 ある日を境に彼と連絡が取れなくなった。

奥様に伺って状態を知るのが精いっぱいだった。

店も閉まった今、どうしているのかは知る由がない。

本当に残念である。

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旅の楽しみ280…ブリュッセル南駅周辺

2016-03-24 23:20:26 | 

さて、2014年のヨーロッパ旅行で一番危なく感じた場所があった。

それはブリュッセル南駅の東側である。

肌で感じるやばさというのを味わった。

S氏「昼食どうする?」

ゆきたんく「何か外に出たい。」

S氏「そうか、歩こうか。」

と歩いたのはブリュッセル南駅北部の壊れかけた住宅がある地域だった。

街中で立ち話している人、店の人など、こちらを見る目が少し違う感じがした。

よって写真は残っていない。

カメラを向けてはやばい気がしたのだ。



ブリュッセル南駅の東側。


ブリュッセル南駅


ブリュッセル南駅から見たサンジル地区


結局散歩になってしまったが、これは自分が悪い。 

時間がある程度あると知って、面白いところないかと色気を出したからだ。

ブリュッセル南駅にある売店のサンドイッチをかじることになった。


 


なかなかイケたサンドイッチ。 3.7€


 

 

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なんで2

2016-03-23 23:56:18 | 言いたんく

先日の投稿について検証。

訪問した時とテロの時間が1年半ずれているので正確には分からない。

ニュースの中で女性記者が言った言葉が引っかかるのだ。

その場所はブリュッセル中央駅。

観光名所グランプラスに一番近い駅である。



ブリュッセル中央駅前


輪っかのある駅前ロータリー。


 この駅辺りのにいる人たちの雰囲気がよくないことと、先日書いた北西地域の方々がこの駅を使うようなことを話していたように思う。

まあ、北西地域にいる方たちみんなが悪事を働く訳はないはずだ。

そしてその北西地域には駅が6つもある。

実際に大きな事件が起きたのであるが、更にとんでもないものにしようとする意図があるように思った。

ヨーロッパの素敵な駅舎に感動し、グランプラスや周辺にあるランドマークを安心して歩けるようになる日がくると良いと思う。

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なんで・・・

2016-03-22 23:35:19 | 言いたんく

昨日ベルギーでテロが起こった。

無辜の民の命を奪う行為は無くなってほしい。

ブリュッセルの北西方面地区にはテロリストの関係者が住んでいると言われている。

細かい話はここでは書かないでおく。



ブリュッセルの写真。ここから南西に約900mで南西方面地区。 2014.08.08


 この道を歩いていた時(2014.08.08)のテロの脅威などは微塵も感じなかった。

この地域に生活している人たち、そしてゆきたんくのような観光客も感じなかっただろう。

今回テロの起きた地下鉄の駅と、北西地区の端を結ぶ線の丁度中間あたりに観光名所グランプラスがある。

そしてこの写真から南西に丁度100mで、テレビによく映っていたブルス広場に出る。

ここにブリュツセルの人たちが集まってテロに抗議をしていた。

見たことがある建物に似ているなと思っていた。



ブリュッセル証券取引所の裏側  


 この建物の正面がブルス広場に面していたのである。

今回のテロでは邦人も一人巻き込まれた。

日本はベルギーからは離れている。

すぐにテロの脅威にさらされることはないと思うが、対応については考える習慣を持つべきだと思う。

交通事故とテロを同次元で語ることはできないが、どちらも遭遇するのはタイミングの問題だと思うのだ。

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James Blackshaw - Confetti (Live) 2015.06.11

2016-03-21 23:07:55 | 音楽

以前投稿したマイクオールドフィールド氏の香りがする楽曲を奏でるジェームズ・ブラックショ-。

12弦を主に弾くということであったが、6弦ギターという基本があるのは当たり前のこと。

その6弦ギターによる弾き語りの動画を見つけた。


James Blackshaw - Confetti (Live) 2015.06.11


 

ギターのクリアーな音と柔らかなボイスのコーディネーションが心地よい。



6弦ギターを弾く、ジェームズ・ブラックショー 


 ライブ動画を見ると、変則チューニングも使っている。

聴く楽しみが増えた。

 

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あこがれ4…宮崎県

2016-03-20 23:35:35 | 

さて、こんなのを見つけた。


 


青島 → Map 写真は宮崎市観光協会様のサイトからお借りしました。


 宮崎県日南市にある青島だ。

通称、「鬼の洗濯板」と言われている。

小さい頃から名前だけは知っていた。

この項を書くまで宮崎県にあるとは知らなかった。

ここでばれてしまうと思うが、行きたい場所ありきで訪問県を選んではいないのである。

行きたい都道府県を選んでから、名勝を探すのである。

40過ぎまで出不精だったゆきたんくだからしょうがない。

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あこがれ3…宮崎県

2016-03-19 23:38:42 | 

宮崎県へのあこがれ第3弾。

宮崎県児湯軍高鍋町持田にある「持田古墳群」だ。

現在は前方後円墳9基と帆立貝式古墳1基、円墳75基の総数85基が国指定を受けている。



グーグルマップからお借りした。 → Map


 この古墳群の中を是非歩いてみたいと思うゆきたんくである。

古墳群は、昭和初期に大盗掘を受けて、貴重な副葬品が散逸しまったという。

それらは日本のどこかにあるのだろうか。

元に戻せたらと思うのはゆきたんくだけだろうか。

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あこがれ2…宮崎県

2016-03-18 23:41:07 | 

先日は、見訪問の県としてあこがれていることを宮崎県について書いた。

今日も宮崎県である。

なんと、現役国内最古の水力発電所(明治40年完成)があるという。

名前は黒北発電所。今でも当時のままの建物、ドイツ製の発電設備のままで稼働している。



写真は、サイト「黒北発電所の石造アーチ」からお借りしました。 


 このような歴史的遺構は予習していないと取材を忘れてしまうことがある。

ここもはずれないポイントだ。

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あこがれ1…宮崎県

2016-03-17 23:19:48 | 

さて、今年のココフカはどこへ行こうか。

ココフカとは、ゆきたんくとじまさん、お父さんの3人の旅行ユニットである。

毎年3人仲良く出かけているのである。

昨年は能登半島を1周した。

 

さて、現在のゆきたんくのあこがれは、3県ある。

「大分県」、「宮崎県」、「沖縄県」だ。

まだ足を踏み入れたことのない県である。

その中でも宮崎県の平和の塔は、自分の目でみたいものの一つだ。



平和の塔 (サイト法華狼の日記さんから写真をお借りしました。)


 1940年の神武天皇即位期限2600年を祝うにあたり、国は宮崎県の宮崎神宮の拡大整備事業を行った。

当時の宮崎県知事、相川勝六、「八紘一宇の精神を体現した日本一の塔」を作る事を提案した。

「八紘一宇(はっこういちう)」の大意は「道義的に天下を一つの家のようにする」ということだ。

この平和の塔は、十七基もの古墳群にかこまれている。

 塔を形成している礎石は、内地の津々浦々より、又皇軍第一線の各部隊より、遠くは南米及独乙の在留邦人より、各々由緒ある各地の石材の献納を受けたもの二千個を以て築き上げたという。

正面に「八紘一宇」の四文字を謹刻し、四周に、荒魂、和魂、奇魂、幸魂の陶製四魂像(高サ一丈五尺)を配してある。

見訪問県、宮崎の一番目玉がこれだな。

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