4月からは忙しくて、何が何だかという状況に追い込まれたことが何度かある。
仕事も100点満点でなくていいんだ。
80点を目指そうとしたのだが、性格上そうもいかないこともあった。
その最悪の中で健康診断があり、血圧の高さが以上だった。
散歩を始めれば、出張先で膝を痛め中断しなくてはならなくなる。
その結果、行きついたのが原料である。
5月からの2カ月で10kg落ちたのは良かった。
就寝時刻近くの食事は徹底して避けた。
炭水化物も極力減らした。
残り半年で、あと13kg落そうと思っている。
いやいや、またまた誕生日を迎えてしまった。
なのに、仕事で帰りが遅くなってしまった。
家に着いたらケーキや御馳走が見えた。
感激だった。
食事前のプチ兄弟げんかにより、音程がずれた「ハッピーバースデー」が歌われた。
乾杯でゆきたんくと兄弟はソフトドリンク、奥方ののりたんはビール。
兄弟が馬鹿話をしながら会を盛り上げる。
笑い声が響き、楽しい一時が過ぎていった。
こいつらのために、これからも頑張らねばと思った。
今日は母校、東京都立秋川高等学校のお別れ会である。
一枚目の写真は、校木「メタセコイア」の立ち並ぶメインストリートである。
「我らが三歳(みとせ)の夢託す、秋川巡る玉成寮(ぎょくせいりょう)」が東京都から民間のものになり、更地にされてしまうというので1期から34期までに卒業生が集まるというものである。
1000人近くの卒業生が集まった。 第1部から第3部まで、たっぷりと10時間以上。行き帰りの時間を含めると16時間騒いだことになる。
同じ釜の飯を食った仲間、そして先輩や後輩、懐かしい友人に会うことができた。 ゆきたんくの人生の方向づけという分岐点にかかわった友人や恩師にも会うことができた。
暇な高校生だったゆきたんくを陸上競技に出会わせたやつ、大学進学で悩んでいた時にゆきたんくにびったりな大学を紹介してくれたやつ。 そして「やるからできるんだ。」と自信をつけてくれた恩師。ゆきたんくの仲人でもある。
体は疲れていたが、一生に一度のこと第2部はサマーランドの2階を貸切で宴会である。第一部では敷地内での飲食が×だったので、ここで出てきた食べ物のなくなることの早いこと・・・。
秋川高生時代に、食事に2分もかからなかったことを思い出した。
第3部は武蔵五日市線の秋川駅(旧西秋留駅)前の笑笑で12期会である。
同じ釜の飯を食った奴らとたっぷりと談笑だ。
ジンジャーエールのジョッキを何杯飲んだだろうか。
実はこの時の友人が同じ市内に住んでいる。
朝は一緒に出かけて、帰りも一緒である。
ということで、私ら2人と仲の良い友人と中華やで食事である。
結局帰ってきたのが11時過ぎである。
しかし、まだまだ時間が足りないと感じた会であった。
今日は千葉県選手権があった。
息子のおっかけである。
息子は大学4年生で、現在就職活動中である。
10年間続けた陸上競技も引退すると言っている。 1つのことを10年間続けた訳だから、けじめとしてはいい時期なのかもしれない。
私も十分に楽しませてもらったことを有難いと思う。
同僚の仕事を手伝った。
お礼に御馳走をしてくれた。
普段ゆきたんくが行かないような店である。
イタリアンと言えばサイゼリアと決まっているゆきたんくだが、今日はそんな雰囲気ではない。
飲み物は天然水だが、ガス入りとガスなしがある。
ガス入りのものにした。ヨーロッパではカルソゥー・ウォーターと呼ばれているところもある。
これがオードブル・・・。
まず前菜だ。
ジャガイモの冷たいスープ
有名なのはビシソワーズだが、イタリアではなんというのか。
ニンジンの泡状ムース
鯛のカルバッチョ
パルマの生ハム
和風アレンジが効いているような気がした。
主菜はパスタなのだが、おなかが空いていたので写真を撮るのを忘れた。
カラスミのスパゲティを頼んだのだが、4人がそれぞれ好きなものを頼んで小皿に取り分けてたくさん食べることができた。
ルン、、、、デザートだ。
ティラミスとラズベリー(同僚はそう言っている。ゆきたんくには分からなかったのだ)ジャムのかかったなめらかプリンのようなもの。メレンゲを焼いた菓子。
ボリュームたっぷりのコースであった。
手伝った内容の数倍のお返しをいただいてしまった。
その分仕事でお返しができればと思う。
そう、旨いラーメン屋さんに連れて行ってあげよう。
さて、明日はイベントである。たくさんのお客様の前で、何をどうしようかと悩んでいるゆきたんくである。
伝え方がまずいと誤解を受けてしまうのである。
まあ前日にジタバタしてもしょうがないので、ユーチューブで「たま」を見ているゆきたんくである。
「オゾンのダンス」の軽快なリズムに体がほぐれてきたのだが、聴いているとやりたくなるのが病気のゆきたんく。
マンドリンを弾きたくなってしまったが、職場に置いてある。
再びストレスをためるゆきたんくであった。
いずれにしても夜の10時過ぎである。騒音は避けなくてはいけない・・・。
写真はゆきたんく所持の初代ラウンドマンドリン。
いつも頭の中がとっちらかっているゆきたんくである。
そんな訳で何の関係もない時に頭の中の記憶がお客様としてやってくるのだ。
昨年福島県の「塔のへつり」に行った。
以前歩を進めることができた場所が地震による崩落によって通行不可になっていたことは以前にここでも述べた。
「この先どうなるのなかぁ。」なんて思いが頭にこびりついていたのだろう。
仕事での移動中にふと、「あれぇ、どうなったかなぁ。」という具合に頭の中を満たしてきたのである。
もろい質の岩である。大き目の地震がくればさらに形が変わるのだろう。
ゆきたんくはこのようなことがよくあるのだが、皆さんはどうだろうか・・・。
写真は二男のつっくんである。
2年前の高校に入学したてで、演劇部に入部した頃である。
毎日の厳しい練習のさなかの休日を利用して一家と女房の両親と「春の高山祭」に出かけた時のものである。
手長足長で有名な宮川のせせらぎを聞きながら目を細めていたのを思い出す。
きっと新しいことだらけで疲れていたのだろうか。
この後「部活動をやめたい。俺にはやりたいことがあるんだ。」なんて生意気を言っていたが何のことはない。つらいことから逃げ出したいだけなのは分かっていた。
現在では、新入生の演じている演劇に対して細かい評価を言う先輩になっている。
この2年間で彼が積み上げてきた姿は、家の中でも垣間見ることができた。
夜遅くまで練習して、コロコロだった体型もすっきりとしまっている。
自分の子供がステージを上げることって、とても嬉しいものだ。
仕事の上では大きなイベントが今週に一つ控えている。
だが、先週の宿泊を伴った仕事が大きかったのでこの2日間はゆったりと過ごした。
週末のゆきたんくが何をするのか・・・。
戦争遺跡巡り
千菓進(千葉県松戸市のゆきたんく行きつけのお店)でお茶と食事
友達とラーメン行脚
ホームページ作り
楽器演奏
ワーカホリックで職場に向かう
様々な選択肢があるのだが、この2日間は職場に行ってしまった。
そこで気持ちが落ち着くからどうしょうもない。
自分の家に居場所がないわけではない。
家族に相手にされているわけでもない。
本当に自分の思いのままに生きているわけである。
人から見れば羨ましいとも言われる。
うーん。これが幸せなんだろうね。
写真は地蔵岳。
そう、群馬県の赤城山の一つの山だ。
なぜ今日の投稿かって?
その訳は筋肉痛。
前にこの場所で膝を痛めたこともあり、今回の仕事は本番ということなので、1ヶ月半かけて体重を落した。予想以上に落ちたのだが、それはそれで良いとしよう。
この地蔵岳に登って3日後に筋肉痛が出たことは喜ばしいことなのである。
前回膝を痛めた時には、ついに筋肉痛が出なかったからだ。
それで、体重が落ちた分(なんと8kg)スピードが上がったのが原因だと思う。
筋収縮が速ければ、それだけ筋肉繊維にはダメージが残るからだ。
1枚目の写真は地蔵岳登山道入り口である。
以前にはなかった地蔵岳の表示(黄色の紙)がついていたのが嬉しい。
2枚目の写真は登山道途中の様子である。
木の根がすごい。
地蔵岳登山道の一部分
今日は群馬フラワーパークに行った。季節の花たちが気持ちよく咲いていた。
園内は子供たちの集団とお年寄りの集団が多く、家族連れはあまりいない。
まあ、平日なのでしょぅがないのだろう。
ゆきたんくが子供のころのこういった施設は、もっと大人数で賑わっていたように思う。少子化の波なのか、景気が悪いことが一因なのか。
園内を走る観覧用のバスもあるが、載っているのは1/3程度である。
タワーから見た入口方向全景である。
膝が少し痛んだが、園内中央にあるパークタワーに登ってみた。
人の少ないこと。このまま寂しい景色を記憶に残して仕方がないので、そのうち休日にでも再訪することにしようと思う。
今日は仕事でフィールドワークをした。
参加者が迷わないように、また民家に迷惑をかけてはいけないので、コースの途中に立つことにした。
そこで、自分の精神状態がおかしいことに気付いたのだ。
気のせいのことを話してもしかたがないので「ものさし」を示そう。
何かの本で読んだのだが、人間は普段の状態にない時には物の形を良からぬものにイメージするという。
宿舎を出発したゆきたんくは持ち場へ向かって、霧がだんだん深くなる道を歩いていった。下りだったので、霧がたまっている世界に吸い込まれていくようだった。
雨は降っていなかったが、木々の茂る中を歩く時には葉にたまった水がバラバラと音を立ててゆきたんくを脅かしてくれた。
そして立った場所で視線を感じるではないか。
その方向に目を向ける。
確かにこちらを見ているものがある。
それは髑髏であった。
正確に言うと髑髏のに見えた石であった。
小さな石だったのだが・・・
たった2cmあるかどうかの石に驚かされたゆきたんくであった。
確かに精神状態がおかしかったのである。
赤城にいる。因縁の地蔵岳はクリアーした。お年寄りに出会い励ましていただきながらの登山であった。
定年をとくっくに過ぎたお年寄りの団体さんであった。
近くに林間学園のメニューの一つだろう登山を頑張っている子供たちがいて、声かけをしている。
「どこらか来たの?」
「何年生?」
「やっばり学校の先生は若いわぁ(笑)」
「じゃあねぇ」
「頑張ってねぇ」
子供たちの元気さが、とても眩しく感じているように思った。
しかし、それはゆきたんくも同様だったのである。
最初に書いてあるように、ゆきたんくがお年寄りに励まされたのだから、どのように目に映ったかは想像できてしまう。
まあ、膝もパンクしなかったし、良しとするか。