会ってきた。
東大和市にある「旧日立航空機立川工場変電所」だ。
「軍需工場の変電所」から「戦争を伝える文化財」になっている。
軍需工場ゆえに,爆撃を受けた訳である。
それも軍用機のエンジンであるならば,ここを叩いておかなけばならないのは必要であろう。
ここで生まれたエンジンを積んだ軍用機により,自国の飛行機が落とされたならば敗戦につながるからだ。
ただ,動員された学生や,地域住民が亡くなるということは納得できない。
日本軍は無辜の民は狙わなかったはずだ。
空襲時,この中に人がいたと思うと・・・
結果,多摩地区に集中していた軍需工場は空襲に逢い,100人近い方が亡くなってしまったという。
変電所に残っているクレーター状の穴から分かるように,建物の中にいた人たちはどんな状況だったのか。
もちろん,窓枠や扉などは爆風で吹き飛びでいたはずだ。
想像できない怖さ,辛さ,悔しさだったと思う。
戦後も建物はそのままで,平和産業として1993年まで操業していた。
変電所自体は主要設備機器の更新をしながら、工場へ電気を送り続けていた。
変電施設の役割を終え,取り壊しになるところを「地域住民や元従業員の方々の強い要望」で、変電所の建物はそのままの場所で保存されることになった。
このような史跡をしっかりと残し,後世の人間が何を感じるかが,これからの世に大切なことと思う。
実際,広島市の原爆ドームなどは,世界各国から見に来る人がいる。
心に響く姿を持つ生の遺跡を大切にしていく気持ちを持ちたい。