先日の秋川高等学校の同期会では大いに盛り上がった。
話が尽きることがない。
結論から言うと朝7時に家に戻った。
ゆきたんくは酒を飲まないので車で移動である。
中野で大騒ぎ、場所を野方に変えて話し込み、友達の帰る電車がないのでその友達の事務所でコーヒーをすすりながら話し込んでしまったためだ。
しかし楽しかった。いくら時間があっても足りない。
高校生当時は、いくらでも時間があるように感じたものだ。
いつでも会える環境だったからだろう。
その友達の部屋を訪問すればいいのだからね。
先日の秋川高等学校の同期会では大いに盛り上がった。
話が尽きることがない。
結論から言うと朝7時に家に戻った。
ゆきたんくは酒を飲まないので車で移動である。
中野で大騒ぎ、場所を野方に変えて話し込み、友達の帰る電車がないのでその友達の事務所でコーヒーをすすりながら話し込んでしまったためだ。
しかし楽しかった。いくら時間があっても足りない。
高校生当時は、いくらでも時間があるように感じたものだ。
いつでも会える環境だったからだろう。
その友達の部屋を訪問すればいいのだからね。
不思議な学校である。
今はもう存在しない。
校舎も今年一杯でなくなるだろう。
卒業して30年以上経つのに昔の仲間で集まると、その当時に戻ってしまうのだ。
同期で香港在住の友人が日本に来た。
中野の同期生の店で再会だ。
もちろん、それ以外の同期もいる。
同じ釜の飯を喰った3年間というのは大きな影響を残していることは自覚している。
途中で学校を変わったやつもいる。
でも、当たり前のような顔で当時に戻れる高校はあまりないだろう。
「みんなちがって みんないい」
みすゞが竜宮城と呼んだ、出身地仙崎の町(山口県長門市)
26歳で亡くなるまでに数多くの詩を残した童謡詩人の金子みすゞ氏による言葉である。ゆきたんくのとても好きな一遍である。
ところが世の中を見渡してみるとどうだ。
個性の意味を履き違えている者が多いような気がしてならない。
個性というのは、ある一定のルールの上に積み重ねるものだ。
世の中の常識に反するものは個性とは呼ばない。
そのことに気づいていないのだろうかと思うことが多い。
日本人の良いところは勤勉なことだと知り合いの外国人は言う。
戦後60年で、国をここまで建て直し世界の一等国にすることができたのは勤勉だからだという。
日本人は約束を守る。
技術立国である日本で自分の子供を育てたい。
巷には日本人が悪いことばかりをしてきたことばかり流されているが、その日本人に感謝している国の方も多くいるのだ。
その日本を支えてきたのは、韓国の儒教を元にした考えだ。
目上を敬うことが基本である。
今の日本は、今まで支えてきた人たちを大切にしているのかということには疑問符がつく。
「みんなちがって みんないい」のだれど、心がバラバラではだめだろう。
意味を今一度考えることが必要ではないだろうか。
「日本の始まりは奈良から」を合言葉に、平城遷都1300年の記念行事が奈良県全体で行われるそうだ。
ゆきたんくがゴチャゴチャ書いても仕方がないので
詳しくはここをクリック。
オフィシャルサイトを見るのが一番手っ取り早い。
本当によく出来たサイトである。
見ていて楽しいのだ。
平城京の朱雀門
中学3年の時の修学旅行を初めとして・・・と書くほど奈良を数多く訪れてはいない。記憶を辿ると3度である。
第1回目が中3。
第2回目が高3。
第3回目が2006年の暮れ。
中3の時の記憶は、クラスの集合写真の前を貴下が歩いていたことだけ(笑)
高3の時は、南の方の博物館に行った覚えがある。
そして、その日のうちに家に戻った。
次の日に試合があったからだ。
2006年のは12月30日と年末も年末だ。
表具屋さんが管理している「頭塔」を見れたのは幸運だった。
その時の様子はホームページにしている。
見ても良いという方は、リンクをクリックして見ていただきたい。
得体の知れない礎石達
読み応え定の本
久しぶりの投稿である。
定価は500円。1年以上書いていなかった項だ。
今回紹介するのはセブンイレブンで見つけた「日本の歴史」のあとに「ハテ、そういえば・・・?」とつくやつである。
日本の歴史
歴史上常識とされてきた事柄を「ハテ、そういえば・・・?」という観点でみているのである。
表紙には「将軍が亡くなったあと、側室たちはどうなった?」とある。
考えてもみなかったことである。
「歴史の謎を探る会」の手による一冊を、皆さんも読んでみてはどうか。
海づりガイド1970
これは父の遺した本だ。
そして表紙の鯛は父が釣ったものだ。
中には釣ったばかりの鯛を手に誇らしげにしている父の写真も載っている。
ところがゆきたんくは釣りはしない。
何度か海釣りに連れて行ってはもらっている。
そして父の残した釣り道具は父の友人の太公望に譲った。
釣った魚をさばくための包丁5振りも、料理が好きな人に譲った。
父の一番の趣味だったことはゆきたんくはしていない。
かつて、ゆきたんくの息子たちが自分のやってきたことに取り組んでくれて幸せだと書いた。
ハンマー投げは長男が、楽器類の演奏は次男が。
そしてのりたん(女房)のやってきた演劇を次男が。
ゆきたんくの父親はどうだろう。
釣りはしないわ、一緒に飲むことを楽しみにしていた酒は下戸だわ。
タバコは吸わないわで、共通項がありゃあしない。
頑固なところ、職人気質なところは引き継いでいるとは思うが、時間を共有するのに大切な趣味や嗜好の部分がかみ合わないのである。
それも一人っ子なのにだ。
ゆきたんくの父は寂しい思いをしたのだろうな。
超、気持ちい~
と言うよりも、腸気持ちい~
と感じる日が多くなった。
ラクトフェリンのおかげだろうか。
もうダイエットモードになってから8ヶ月半が経つ。
長く続けて来られたのは、無理をしないということ。
そして今年になってラクトフェリンを飲み始めたが体重が少しずつ減り始めている。
食べる量は変えていない。
そして土曜日ぐらいはと腹いっぱい食べる日も作っている。
2月5日で、ラクトフェリンを1瓶飲み終える。
効果についてはその時に詳しくご報告する。
なかなか良い感じだ。
かつての写真を蘇られて喜んでいたゆきたんくである。
しかし悲しいこともあった。
旅の途中で寄った塩狩峠。
三浦綾子氏のファンだったのりたんが予定に入れた場所だった。
塩狩峠の標柱
今はもう新しいものに変わっている
この塩狩峠で、列車事故から乗客を救う「長野政雄」氏を主人公に書かれた小説である。
その時に泊まったのが「塩狩温泉観光ホテル」だ。
塩狩温泉観光ホテル
ゆきたんくとのりたん
このホテルが2006年6月末に閉館したことを知った。
客足が細くなり休館していたが、再会のメドが立たなかったのだという。
何となく覚えている部屋の造り。
夕食のメニュー。
塩狩駅から近いこともあり、そこに訪ねた「長野政雄氏の顕彰碑」
時間が経つということは、増えるものばかりではなく減るものもあることを知っておかねばならない。
このところ減ることの方が多いように思う。
このことに気づくために「幸たんく」を始めたかもしれない・・・
午前中はPCのお医者さんとして2件診断と治療をした。
午後からは北海道旅行の写真の体裁を整えなくてはならない。
まずは角度がひん曲がっているのを調整し
縦×横を1200×1600にし
ヒストグラムやコントラスト、カラー調整をいじって自然な色合いにした
そうしているうちに今まで気がつかなかったことに気がついた。
川村カネトアイヌ記念館
写真の真ん中に尖がり屋根がある。
その中の様子が真っ暗だったのに人がいることが分かるようになった。
ベルコ旭川
これは以前にどこか分からなかったので、教えて欲しいと「伝えたんく」で呼びかけたことがある。時間のある方がそんなにいらっしゃるわけではない。
やっと見つけた。ベルコ旭川という祭事につかわれる施設だ。
これは塩狩駅近く
スリップ注意の場所で自分がスリップしているところ。
今までの写真では、自分の足の形が良く見えなかったのである。
まあ、これらの写真を整理して北海道の項を新しくしようと思う。
さて、先日北海道の写真をスキャンしていることを載せた。
その写真の枚数は73枚。
一枚一枚プレビューした後、画像調整をかけて1600×1200くらいにしてスキャンするので時間のかかること。
スキャンしながら、23年前の思いでも蘇ってくる。
そう、初めて乗った飛行機、旭川までの空の旅は怖かった。
無事故の航空会社であった東亜国内航空(現在はない)の123便だったことを覚えている。今でこそ航空機での旅は窓側からの写真撮影が好きであるか当時はとうでもなかった。のりたんが撮った写真が3枚ある。
旭川到着前の写真だ。
きっと富良野の山地が写っているのだと思う。
その内の1枚がこれだ。
飛行機の窓からの景色
当時はデジカメではありませんでした。
写真をグーグルアースで角度を変えて検証してみると、向こうに見える海は日本海で旭川空港の上空を円を描いて飛び、着陸準備をしている時のものと思われる。
おおよそで高度は6000mくらい。この辺りを数周して降りていったような記憶がある。
さあ、この後は、読み取った写真の余分な部分(読み取りの余白)をトリミングし、レタッチして外付けハードディスクに。
それを旅たんくの北海道に振り分け、使えないものを削除する。
540と270のサイズのものを作り、サイト写真の張替えとリンクを確認する。
新しい写真についてはコメントを増やさねばならない。
まあ、のんびりとやろうかね。
サロベツ原野
懐かしい。
何を隠そう23年前の北海道の写真である。
新婚旅行で北海道に行った時のことだ。
仕事で北海道の写真が必要になった。
ところが、ゆきたんくが北海道に行ったのは23年前のこと。
ホームページに使っている写真は2002年ごろのアップなので容量を小さく抑えてある。写真一枚小さめのを8KBぐらいが良いと言っていた時代である。
しょうがないのでアルバムを引っ張り出してスキャンすることにした。
上の写真はそのうちの一枚である。
そう、「あしたの城」という宿に泊まり、サイクリング自転車を借りて(ゆきたんくものりたん…奥方)も自動車の免許を持っていなかった。
このさいサイトの写真を一新することにした。
スキャンしてレタッチするのだ。
未公開の写真もある。
まだアップするのは先の話だけれどね。
普通神社というと狛犬が一対で座っていることが多い。
中には、中国の唐獅子や唐獅子もどきのようなのもいる。
葛飾の方に行けば狛亀なんてぇのもある。
今日紹介するのは、庚申様のところの狛猿である。庚申の申は猿のことだ。
扇子を手に、何かを話しているような・・・
静かに座っておられる。
これは浦安市の猫実(ねこざね)にある庚申様の狛猿(こまざる)だ。
何か違和感があるけれど、この狛猿よりも若いゆきたんくが生意気を言う権利はない。
今日も少しの時間だが写真の整理をした。
京都の景色…バスの中から
何気なく撮れたものの中には、自分の意図とは関係なく良いものが撮れていることがある。これは自己満足に過ぎないが、自分が気に入っているのだから仕方がない。
この写真は4年前の年末に旅行した京都でバスの車中から撮った写真だ。
空とそれ以外の配分、空の雲の位置、川の左右の景色が違うこと(土地の高さ、色合いがコントラストが大きい)、そして明るい方の景色に自転車に乗っている人が帆ワンポイントになっている。路上の表示も道路の表情になっている。
こういうのが狙って撮れるようになるとかっこいいと思うが、きっと他の写真がくだらなく思えてしまうようになるのなら、今のままが良いとも思う。
贅沢かなぁ・・・
2004年10月3日市原市
長男のおーちゃんが陸上の試合(円盤投げ)に出場するというので市原の競技場に出かけた帰りのことである。
ふと見た看板に
「美人多し 脇見運転注意」
とあった。
素晴らしい看板だと思う。
今更ながらであるが、皆さん市原市での運転にはお気をつけ下さい。
ゆきたんくがネットのトップページにしているのぱグーグルだ。
そのトップページをご覧になった方は見られたと思う。
グーグルトップページだ。
このトップページの中心辺りを見ていただきたい。
追悼のキャンドル
そう1995年1月17日。
阪神淡路大震災が起きた日である。
昨年末に関西に旅をした。ゆきたんくの主目的は阪神淡路大震災の資料を集めることだった。
衝撃的だったのは、神戸市の波止場町にあるメリケンパークで見た「神戸港震災メモリアルパーク」だ。
震災の被災状況が当時のまま保存してあるのだ。
波止場町の波止場とは、船舶が接岸する岸壁・係留施設、それらの上面であるエプロンや貨物を荷役する荷役施設や乗客が乗降する、乗客が乗降する旅客施設などのことだ。
その旅客施設の写真を載せる。
傾いている。
今までで一度だけ観測された震度7の激震を記録したのが阪神淡路大震災(阪神間と淡路島の一部)だ。死者は6400人を越えた。
海面上になくてはならないものが・・・
ここだけでもこれだけすごいとなると被害地域全体では・・・
細かいことは、ネットで探してもらえば出てくる。
ゆきたんくの伝えたかったのは、この状況を生で見た時のショックである。
自分の立っている大地全体が、一瞬のうちにこのようになることのショックである。