今年は海外で初めての正月を迎えた。
イスラムの国インドネシアでのこと。
そして日本との違いに驚いた。
身分の格差の激しいこと。
それを受け入れている国民たち。
日本で普通に生活をしている者よりもはるかに幸せな顔をしている。
最初の写真は大乗仏教が作り上げた最大の仏教遺跡のボロブドゥールだ。
現在ではイスラムが国民の90%を超えているが、大乗仏教の象徴に対して、寛大なこと。
インドネシアでは日本人は身分の高い者として扱われる。
従って、名所旧跡での物乞いも集まってくる。この国では富める者が貧しいものに施すのが当たり前のこと。名所への入場料も外人と地元の人間とでは10倍も違う。日本人値段というやつだという。
富める者からはたくさんいただき、貧しいものからは少しいただく。
「なんでもそろっているのに、食べるのに困らないのになぜ不幸せな顔をしているんだろう。」と考えさせられた国。
そして4月には職場の異動があった。
新しい環境でやっていけるだろうか。
そこでこの歳であらためて考えたのが、自分の役割だ。
今までのキャリアが生きる場があることが一番幸せなはずだ。
仮に出世したって、現状維持だったって、自分のキャリアが生きるものでなければつまらない。自分の役割を把握し、精一杯頑張ることが幸せではないだろうかと。
今の所、幸せに近づいているような気がする。
そして締めくくりが、つい先日のことだ。
雄心のF氏の故郷に連れて行っていただいた。
そこにあったのは、日鉱金属精錬工場で、竣工当時世界一の高さを誇った煙突が残っていた。これにより、煙害から救われたのが地元の村民である。
残念なながら、その煙突は現在1/3の部分しか残っていない。
しかし、現役で煙を吐いていた。
現在では、害のある部分を浄化してから排出しているのだろう。
その手前にある大きな煙突が、政府に命令されて造ったものだ。
精錬で出てきた煙を空気と混ぜて薄め排出する装置が着いたものである。
結果的には、薄まった煙は、低温になり、地表を這って甚大な被害をもたらしたという。
このため創始者の久原房乃助は、煙害対策と、地元民との共存を考えて煙害解決のために煙突を建てた。
日鉱金属精錬所にある煙突。
上にあるのがかつて155mあったやつ
手前が阿呆煙突と呼ばれているもの
この2つの話のどちらにも共通しているのが「共存」だ。日鉱についての細かいことは伝えたんくの記事「阿呆煙突」を読んでいただくとわかっていただけるだろう。
お互いに自分の精一杯できることをやることで、双方が快適に過ごせるようになるのだとしいうことを学んだ年だったと思う。