伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

便利と弊害

2008-03-31 19:48:16 | Weblog

 先日のブログ夜景で熱海へ旅行したことを記した。新幹線を使うと、東京熱海間の90kmを50分で結んでしまうのだ。速くなったし便利になったと思う。今回は旅行2日目の朝に所用があったゆきたんくは、始発(6:34)の新幹線に乗って帰京する予定であった。こんな時は便利に早くなったことはとても有難いのである。

 帰京の朝は6:00にタクシーを呼んでおいた。切符も割引乗車券をホテルのカウンターで購入することができた。あわてて券売機に走ることもない。

 タクシーに乗り込み、熱海駅に着くまでの間、運転手さんとざっかけない話をした。40年ぶりの熱海来訪であること、そして夜景が綺麗だったこと。


ホテル後楽園の窓からの夜景

運「熱海の夜景もねぇ、昔はもっと明るくて、もっと綺麗だったんですよぉ。」

ゆ「昨日ので十分に綺麗だと思いました。それよりも綺麗だったなんて…」

運「お客さんも言ってらしたけれど、新幹線のおかげで熱海がちかくなっちゃったん  だよねぇ。それでさ、旅行するありがたみがなくなっちゃったんだよ。それでホテルが何軒も潰れて、灯りが減ったんですよ。」

ゆ「昨日来る途中に、基礎が打ってあって建築中の様子が見えたけれど、新たにホテルができるのではないですか?」


建物の基礎

運「あれはね、ワンルームのリゾートホテルなんですよ。今じゃ東京でも売れなくなってきているのに、ここじゃあ売れないかもしれない。定年後の第二の人生を歩もうとする方が対象のようだねぇ。」

ゆ「ということは、観光地ではなくなってゆくんですね。」

運「そうだねぇ、お客さんの言う通りだね。」

こんな話をしたと思う。帰りの新幹線の中で熱海のことを考えてみた。
 昔から湯治の地であり、海から熱い湯が湧き出ていたことから「熱海」と呼ばれるようになったという。現在のJR東海道本線開通以降、首都圏からの保養客が押し寄せ一大保養地になった。かつては新婚旅行や職場旅行の定番(行き先)であり市の中心地東海岸町などには大型ホテル・旅館が数多ひしめいていた。バブル崩壊後、社員旅行の衰退と大型宿泊施設を敬遠するムードから斜陽化し転業も多いのが行保養地から遠ざかっている原因だと思われる。 


ホテルとリゾートマンション
熱海港にはフェリーも発着する。


網代漁港
漁業も昔からの産業である。
アジ、タイ、ブリ、イワシ、ソウダカツオが獲れる。


 良く考えてみると、新幹線で旅行先が近くなり有り難味が減っただけの問題ではなかった。様々な要素がからんで、かつての保養地が消えようとしているのである。話をした、タクシーの運転手さんも60歳以上の方であり、地元を憂っているのだ。

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まっきいろ

2008-03-30 23:56:28 | Weblog

 今日は南房総に一日旅行に出かけた。あいにくの雨で花摘みはできなかったが、十分に楽しめる内容であった。
 ゆきたんくと女房ののりたん、長男のおーちゃん、そしてばあちゃんである。次男のつっくんは部活動で不参加であった。このごろのお出かけでは、家族の誰かが欠ける。我が家にもそういう時がやってきたのだな。
 さて、一日旅行の内容は大多喜駅周辺の散策、夷隅線での移動、千倉でのいちご喰い放題、菜の花弁当の昼食と盛りだくさんであった。

 中でも、千葉県の代名詞にもなっている「菜の花」を名前に冠した、いすみ鉄道の「なのはな電車」に乗れることが何よりも嬉しかった。実はゆきたんくの幼少の頃の夢は電車の運転手になるこどてあった。ワンマン電車の運転席は、客席から丸見えである。どうやってスタートするのか、ブレーキはどれか。子供の頃に目を皿のようにして見ていた運転方法を思い出す。運行している地域もローカルなら、列車そのものもローカルで懐かしい。


記念乗車券
菜の花の中を走る電車

 通常は1両編成であるが、観光電車は普通客車と観光客車の2両編成である。単線であるため、そんなの本数を出せないのをカバーしているのだろう。
 電車の中では、フラッシュが焚かれ、窓から見える畑の中を歩くおばあちゃんに手を振り、運転席の扉を開けるお父さん(コラコラコラ)などもう子供が乗っているような状態である。まあ、子供の頃に帰っているのだろうな。ゆきたんくも楽しかったもの。


江戸川の菜の花

 まあ、どこへ行っても菜の花の黄色が目立つようになってきた。春の訪れである。先日出かけた(自然の妙参照)ローズマリー公園に今日も行ってきた。空が雨模様なだけで、黄色の鮮やかさは変わっていなかった。肌寒いとはいえ、確実に春は訪れている。あと一日で新年度だ。

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コーディネーション

2008-03-29 23:36:32 | Weblog

 服装・インテリアなどで、色柄・素材・形などが調和するように組み合わせることをコーディネーションという。近年、グループ内の人間関係とか、スポーツでの体の動き、についても使われるようになってきた言葉である。

 さて、通り沿いの建物について考えてみた。日本では個人商店のごとく様々な建物が軒を連ねている。東京の大手町付近だと同系色・同サイズの建物が並んでいる。
どちらの方が町並みとして綺麗かは言うまでもないだろう。一枚目の写真はロンドンのハイドパークの近くにあるポントストリートである。レンガ色のアパートメントがズラッと並んでいるのは壮観である。空の色とのコントラストがなんとも言えない。

 
ポントストリートにて

 道の反対側はショップが並んでいるようだ。そのショップもレンガ色を基調としている。なんとも素敵な通りである。

 
これは京都の先斗町(ぽんとちょう)
およびでない 失礼しました。

 


リージェント・ストリート

 リージェント・ストリート(ロンドン)は商用の建物の集合体である。同じ高さで同系色のビルが緩やかな弧を描いて立ち並んでいる。一般庶民が買い物をするようなところである。 


イブリー・ストリート

 様々な観光地に向かうバスの発着場、ビクトリア・コーチ・ステーション近くにある
比較的安価な宿の立ち並ぶ通り。ここでもコーディネーションが見られる。ちなみにゆきたんくが泊まったのはイブリー・ハウスである。

 このようにヨーロッパでは、通りが一体化していることが、街の景観につながっていることが多い。特にロンドンではいたる所がこのようになっている。コツウォルズのライムストーンの家並みも素晴らしいと思う。


ボートン・オン・ザ・ウォーター
コツウォルズの町のひとつ

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ちょっといい話

2008-03-28 23:25:46 | Weblog

 朝のコンビニで良いものを見た。
いつも行く店で金髪の女性店員がいる。お小遣い稼ぎにバイトをしているんだくらいに思っていたのである。
 小さな子が支払いをしていた。小さな小銭入れからお金を出しているが、まだ計算が追いつかないらしい。最初店員はレジカウンターから乗り出して子供と一緒にお金を数えていた。ゆきたんくがもう一方のレジで支払いを済ませた時、金髪の店員はカウンターから外に出てきて、子供の前でしゃがんでお金を数えていた。そればかりか、「これで50円だよね。」などと子供に優しく声かけをしながら教えていた。
 その姿がとても良かった。

 いつの間にか見ることが少なくなった、大人と子供のやりとりである。長い時間の間に人を見かけで判断し、その中身については十派一絡げにしてしょうがないと納得していたゆきたんくである。

 あらためて、その店員の顔を見るととても優しさに溢れた素敵な顔をしていた。今まではフィルターをかけてその方を見ていたことが分った。時間の経過とともに世の中を見るフィルターを身につけてしまったゆきたんくだが、今一度それをはずしていろいろな物事を見てみたいと思う。懐かしい情景や新しい発見があるかもしれない。

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2008-03-27 23:59:21 | Weblog

 謎である。
 ふとしたことから、今までに見学した神社仏閣の中で気に留めた「蛇塚」について調べてみようと思った。京都の太秦にある前方後円墳のような有名なものについては解説が多くあるのだが、自分が取材したものについては分らない。
 長野県蓼科の横谷渓谷を見下ろすことができる場所に、木彫りの観音様が祭られている所がある。横谷観音である。その横には眼下に横谷峡を、目を上げると茅野市郊外から南アルプス連峰も眺められる場所がある。そこには大ぶりの石があり、蛇が彫ってある小さな石塔が建ててある。


横谷観音横の石塔

 その石塔を拡大した写真を見てほしい。蛇にしては首から上がお地蔵様のようでもある。不謹慎な表現になるが、かつて人面犬というキャラクターがあった。犬なのに、顔が人間というやつだ。実にアンバランスな感じがする。

 日本中を探せば沢山の事例があるのだろうが、ゆきたんくはまだ2件しか出会ったことがない。もう一つは千葉県柏市の布施弁天の境内にある蛇塚である。こちらは「蛇塚」という表示がある。その塚山には蛇の体が這っており、その頭に当たる部分に石塔が建ててある。


千葉県柏市布施弁天の蛇塚

 形状こそ違いがあれ、塚を構成する要素については類似している。他の物件を知らないので検証するには無理があるかもしれないが、誠に興味深い一致ではある。

 また千葉県松戸市の根本には「小僧弁天」があり、その名前の由来には、「修行が厳しくて川に身投げをした小僧さんの生まれ変わりの白蛇が、子供たちの幸せを守っている。」ことがある。ここにも弁天様(水の神様)と蛇の関係が挙げられる。

 部分部分では共通性について触れることができたが、「これだ」という結論を導くことはできない。群馬県の伊香保にある水沢観音の弁天様については、蛇ではなく、蛙がある。蛇と蛙では、敵対関係である。


伊香保水澤観音弁才天の蛙

 このように見ていくときりがないが、それをしないと謎は解けないかもしれない。この項を書いていて、ますます謎になってしまった。誰か教えて下さいな。

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夜景

2008-03-26 23:46:40 | Weblog

※3/27に3/26の熱海港夜景を加えました。

 今日は所要で熱海に来ている。
 熱海といえば、ゆきたんくが8歳の時以来である。
確か、父の友人の車2台に便乗して温泉旅行に行った記憶がある。
ブルーバード、そう鉄板ブルーバードと呼ばれていた時代の板金の厚いやつと、今はもう走っていないコロナに乗って行ったのである。
とても長い渋滞に巻き込まれたのと、温泉の中で父が手で水鉄砲をしていたのを思い出す。

 40年ぶりの熱海ということになる。
今回は新幹線を使ってきた。母の実家に戻るときは名古屋まで2時間乗ったのを覚えている。その時の東海道新幹線は「ひかり号」と「こだま号」の2種類があった。確か「ひかり号」は超特急なんて呼ばれていたと思う。それで1時間とかからずに熱海に着いてしまったことに時代が変わったことを感じた。

 今回は午後4時頃の到着なので、観光もできない。次の日の朝早くに千葉に戻ることになっているので、ゆきたんく得意の朝の散歩も微妙である。シャトルバスでホテルに着いた。案内された部屋はなんとホテルの角地であり、窓からの景色はパノラマのように広がっていた。すごくきれいな景色である。「来て良かった。」と思える旅ができることは本当に幸せである。しかし、それは序章に過ぎなかった。風呂に入り、土産を物色し、仲間内での話の弾む会食の後、部屋に戻った時に目に飛び込んで来たのは、お色直ししたパノラマであった。夜景がきれいなのである。山肌に沿って観光施設の開発が進んでいるが、その建物郡の照明が輝き、眼前の入り江に反射しているのが、都会とは違う澄んだ空気を貫いてゆきたんくの目に届くのである。

 残念ながら、この項を打っているコンピューターはホテルのインターネットサービスで事故防止のためだと思うが、USB端子がなくて写真データの移動ができないので後日アップすることになる。実際の目で見た夜景と写真に撮ったものとでは臨場感に雲泥の差が出てしまうことはご勘弁いただきたい。


カクテルとドライフルーツ
もちろんノンアルコールです。

 その後、酒の飲めないゆきたんくは仲間と18階にあるバーラウンジ「エブタイド」でノンアルコールカクテルで話を楽しんだ。夜景はさらに輝きを増してゆきたんく達を迎えてくれたのである。

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何で

2008-03-25 23:58:31 | Weblog

 写真は遠方まで見渡せる高台である。そこに小さな木が一本生えているが、何の変哲もない様子である。実はこれ、埼玉県行田市にある、さきたま古墳群の中の稲荷山古墳である。稲荷山古墳は前方後円墳で、写真は円墳部分の頂に当たるのだ。


稲荷山古墳 埼玉県行田市

 なぜ稲荷山古墳というのか。この円墳の部分にお稲荷さんがあったというのである。1本、申し訳なさそうに生えている木はお稲荷さんの名残りだという。ゆきたんくの住んでいる千葉県松戸市の隣の市、流山市にも前方後円墳はいくつかある。その中の一つ、鰭ヶ崎三本松古墳は、やはり円墳部分にお稲荷さんがあった。


千葉県流山市の鰭ヶ崎三本松古墳

 ここには小さな祠が建てられていて、そこにはお稲荷さん(狐の瀬戸焼が置いてあった)なぜ、稲荷ということになるが、お稲荷さんは、稲(米)の収穫(生る)を祈願することから、この古墳の周囲が田だったことが考えられる。わが千葉県の富津市にも稲荷山古墳はあるが、周囲は田であることから間違いないであろう。また、宮城県大河原町の嶋館神社は前方後円墳の上に建てられており、祭神のお稲荷さんを産業の神に見立てている。

 「むら」の長を弔い、墓としての古墳の役割とは、象徴として「むら」の平和を見守ること。「むら」の発展と、それを支える食糧の確保ができることであったと思う。ゆえに古墳の上に神社が建てられたのだと思う。

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大きいね

2008-03-24 23:56:16 | Weblog

いやぁ、大きな注連縄だこと。

写真は、島根県は出雲大社の神楽殿にある注連縄である。
長さ13m、胴回り9m、重さ3トンの巨大なものである。

 そもそも注連縄というのは、神域と外界とを隔てるための紙垂(しで)をつけた縄のことをいうのだそうだ。
 となると、この出雲大社神楽殿の注連縄は日本一の大きさだということだから、ここは日本一の結界ということになる。

神楽殿の注連縄

 また、何事にも起源というものはあるもので、天照大神が天岩戸から引き出された時に、二度と天岩戸に入れないように太玉命(ふとだま)が注連縄で戸を塞いだことかに注連縄を使うことが始まったと言われている。


注連縄の下で

 注連縄の下の白シャツの男がゆきたんくの長男のおーちゃん、その右側で縄を見上げているのが次男のつっくんである。この注連縄は良く見ると、結びのところに一円玉が刺さっているのだ。誰かが名刺代わりにねじ込んだのだろうか。

 後に聞いた話だが、この注連縄に向かって硬貨を投げ、見事に刺さると良いことがあるということだ。当時、そんなことを知らなかったゆきたんく一行は何もせず、一瞥しただけで、神楽殿をあとにしたのである。何かもったいないことをした感じがする。こんなところまで予習が可能だっただろうか。否である。ここでは、注連縄の大きさに素直に感動したかったゆきたんくである。

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空振り

2008-03-23 19:56:52 | Weblog

 楽しみにしていたことが、急遽だめになった時の落胆っていったら…
写真は奈良県は奈良市にある唐招提寺の金堂である。工事中で、金堂全体がプレハブで覆われていて、窓から見えるのは解体した柱などである。仏教を伝えるために、苦労してやっと日本に着いた鑑真和上が開山した寺であった。その功績の象徴である金堂を一目見たいと思っていたが、ごらんの通りである。


外からみた金堂

 こうなると遠出した時は、すごく損をした気分になるものである。近場では静岡は西伊豆の「まぶ湯」が崩れていて見ることができなかった。

 そう北京に行った時である。旅のキャッチフレーズが、中国の名物料理と世界遺産であった。かつて皇帝が生活していた故宮博物院のメインの建物と言えば、映画「ラストエンペラー」にも映っていた大和殿である。大きな広場の向こうにでんと構えているやつである。初めて見たのがこれである。


工事中の大和殿

 そう、思いっきり工事中である。建物の中を見ることも、その周囲を歩くこともかなわないのである。思いっきりがっかりである。事前に聞いていなかったしね。

 気を取り直して天壇公園である。祈念殿を間近で見ることが目的であった。そして建物内部の天井を見たかったのである。


唯一間近で取れた祈念殿

 ここも工事中であった。なんと、振られてばかりである。この先の回音壁もアウト、園丘もアウトであった。三振どころの騒ぎではない。いつかまた行かねば・・・

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自然の妙

2008-03-22 23:59:54 | Weblog

 今日は千倉に行ってきた。
 仲間内の旅行である。
 風は強めだが、綺麗な日本晴れ。
 味気のない高速道路を走り、館山袖ヶ浦ICから久留里街道に入る。
 田園地帯の風景に心を休ませながらしばらく走ると眼前に海が広がる。
 海沿いの道、国道128号線を走ると、海岸が様々な表情を見せてくれる。
 「海の色ってこんなに綺麗だったっけ。」
 「こんなの初めて見た。」
 「来て良かったぁ。」
 それぞれの感動を口にしながら 、思いを共有する。


ローズマリー公園の菜の花
奥に方に写っているのは山である。
この山が、冷たい北風を防ぐのだ。

 ローズマリー公園でしばしの休憩である。花の香りを嗅ぎ、リラックスする。
 近くにイギリスのコツウォルズのような建物があった。シェークスピア・カントリー・パークと表示されていた。なるほど…


うどん天作の前で…

 写真は昼食をとった「うどん天作」の前の光景である。
 主人が、魚のアラを防波堤の上に載せてやると、来るわ、来るわ、「ここは松島か?」というくらいのカモメ達である。アッという間にアラを平らげてしまう。そのアラの元の魚は、写真の海で育まれたものである。この辺りは暖流が流れており、寒流との境目(潮目)には魚の餌である沢山のプランクトンがいる。

 先にあげた山と、海のおかげでこの辺りは冬でも暖かく、花の名産地になっているのだ。

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表情

2008-03-21 23:50:12 | Weblog

表情って感情の出口だと思う。
脳が怒りを感じれば起こった顔。
脳が喜びを感じれば、嬉しい顔。
脳が憂いを感じれば、悲しい顔。
脳が理解できなければ不思議な顔。

みなさんはどう思うだろうか。

次に載せる写真は午後5時半から午後6時25分までの間に撮った写真である。


山梨県富士吉田市 富士北麓公園

 息子の陸上競技部の合宿が毎年山梨県で実施される。2005年の8/8に見に行った。人練習を終えて、陸上競技場の外に出て写した写真がこれ。モニュメント広場の「発生と創造」である。空は青く晴れ渡り、昼の暑さを忘れさせるかのように、雲が涼しく浮いている。

 練習が終われば、宿舎での休息である。一路、河口湖畔の旅館に向かう。高校生を何人か乗せ、一般道路に出た時の前方写真が最初の一枚、富士河口湖町の風景である。前方から暗くなってきているのである。ありゃあ相当厚い雲だぞと思いながら車を走らせる。


河口湖手前、どんどん青空が狭くなる。

前方は雲、雲、雲、後方も雲が覆い始める。天辺に狭い青空


河口湖に着いたが、雨が降ってきた。
視界悪

 高校生を旅館で降ろし、ゆきたんくは必殺、名刹巡りである。しかし、陸上競技の合宿に来て、自分だけ好きなことをやろうなんて、甘かったようである。突然の豪雨でワイパーなんて利きやしない、富士御室浅間神社の木陰でも雨は容赦しない。


せっかくの雨で宝珠も見えない。

激しい雨に叩かれ、名刹巡りどころではなかった。


静かになった河口湖

 そして日が落ちて暗くなってきた時、あんだけ降った雨がぴったりと止んだ。静かなものである。海で言うと夕凪に当たるのか。風がなく、水面が静かである。車のヘッドライトの光も吸い取られていく感じで明るくならない。道の駅の表示が、コントラストを強くして輝いている。この間約1時間。思えば標高1000m近くの場所にいるのだから山中にいるのに近い状態ではあった。

 これは、好き勝手やるゆきたんくに、山梨は富士吉田の町が懲らしめの表情を見せたのだと思うのだ。

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近くて遠い

2008-03-20 23:06:49 | Weblog

 澳門(マカオ)の媽閣廟(まこっみう)

 距離感て何だろうか。
 一般的には距離の短いのが近い、距離の長いのが遠いと捉えているはずだ。
しかし、若者の会話などで、「なんかあいつ、遠くに行っちゃったよなぁ。」なんて言うと実際に遠くに引っ越してしまったとか、付き合いが悪くなったことをさす場合がある。

 もう一つ考えてみたい。日本人には基本的にはない感覚だと思う。
実際に距離は短い。しかしなかなかそこへは行けない場合である。

 最初の写真は目の前に海か湖(河口)があり、直射日光も霧に和らげられた涼しい所であることが分る。ベンチで休むカップルの姿も見ることができる。ベンチ側はマカオで向こう岸は中国の広州である。かつてマカオがポルトガル領だった時、マカオ半島にいる中国人が、どうしても中国本土(広州)に帰りたくてこの川を渡ろうとしたが見つかって殺されたという。


マカオ半島

 上の写真の中に矢印がある。その矢印が指し示している細い線の右側が一枚目の写真の場所である。その川幅は約340メートルである。陸上競技のトラック一周よりも短い距離(400m)である。かつてドイツが東西に分かれていた時に、ベルリンの壁が存在した。(1961-1989)資本主義と社会主義の思想の違いから、旧東ドイツが建設したものである。その壁を乗り越えようものならば、たちまち蜂の巣にされたという文献もある。国を跨ぐというのは命がけなのである。

 340mを長く感じるか、短く感じるかは人間一人ひとりの中に物差しがあるのだと思う。

 

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ずっと…

2008-03-19 21:48:34 | Weblog

 「あっ、間欠泉だ。」
 長野県は山ノ内町の湯田中温泉郷のよろづやに泊まり、足を伸ばして渋の地獄谷噴泉を見に行った時のことである。

「ラッキー、タイミングが良かったんだ。」と言いながら、同行者の様子がちょっと変だったことを感じていた。

「そうかぁ、ここの間欠泉は天然記念物なんだぁ。うんうん。」
「あそこに、地獄谷噴泉って言うんだぁ。へぇーっ。」
漢字はちゃんと読めているのである。そう、間欠泉とは記されていない。 

渋の地獄谷噴泉標柱

 同行の者はにやにやしながら、ゆきたんくの顔を覗いている。
「何か、顔についているのか?何か変だぞ。」

その時、あることに気づいたのである。
「あれ、あの間欠泉止まらないぞ?」
間欠泉とは読んで字の如く、物事の間が欠けることを表すのである。つまり、噴泉が出続けることはないのである。一定の周期で出たり止まったりするのが間欠泉なのである。

噴泉とは出続けるものを言うのだというとを、その時知ったのである。
同行の者たちは、一つのイベントが終わったように、ゆきたんくの勘違いを楽しみ、納得したようで静かになった。

噴泉の方は、ずっと「シューッ」と言いっぱなしである。

噴泉出口

 噴泉の出口には、硫黄分のようなものが固まっている。しっかりと吹き出口の周囲に大きな石を配して口の形が変わらないように、そして周囲を掘り下げて杭で囲み、その間には鎖が結ばれている。ちゃんと天然記念物様の扱いになっているのである。 今から225年前の浅間山の噴火時に一回止まったと言われているが、この噴泉は太古の昔から噴き続けているのだそうだ。

 

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生活習慣病測定器?

2008-03-18 23:43:37 | Weblog

 奈良県は東大寺の大仏様のいらっしゃる大仏殿。金堂ともいうのだが、その中の柱には穴の設けられたのがある。
 その穴をくぐると幸せになるとか、なんとか…
 中学校3年生の時の修学旅行で初めて見たのだが、穴より先に見たのは行列であった。穴を潜る順番を待っていたら、自分たちの学校の集合時間に間に合わないのであきらめた思い出がある。
 「ああ、俺はこれで幸せにはなれない」なんて捨て台詞を吐いた次の日には清水寺の音羽の滝で、3本の滝の水を全部飲んで「ああ、これで幸せになれる、あの子と…」なんてやっているのだからいい加減なものである。

清水寺内・音羽の滝
真夜中の撮影で暗くて申し訳ない

 もっとも、清水寺に着くまでに、バスのガイドさんからは
 「滝に向かって左が学問成就の水、真ん中が恋愛成就の水、右が延命長寿の水。どれかひとつだけ選んで、一口だけお飲みください。いくつも選ぶと、どの願い事も叶わなくなってしまいます注意してください。」
 というような話を聞いているはずであった。

 こんなんだから、我慢などというものとはほど遠い生活を送ることになる。

 最初の話に戻そう。東大寺金堂にある柱の穴をくぐると、「子供の寝小便とか厄除けに効き目がある」という説が本当らしいが大人になってもくぐることができる人が、この日はいた。私はとてもじゃないが通ることはできない。胴回りが立派なのである。いわゆる活習慣病と言われても何も言い返せない体型なのである。

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いつかは…

2008-03-17 23:14:52 | Weblog

 写真は2004年2月21日の新宿、朝日生命ホール

 「えっ、どうして?」

 自分の中では当たり前だったと思っていたことがある日突然否定される時ってある。

 ゆきたんくは、演劇を見ることがある。その常設会場のような存在だったのが、新宿の朝日生命ビルにある朝日生命ホールである。写真は、朝日生命ホールの現役最後の日のものである。
 当然この日も演劇を見に出かけた訳だが、突然女房から「ここは今日でオシマイなんだよ、ビルを壊すんだって。」と聞かされた訳だ。とっくに知ってはいたのだが、自宅から新宿までの1時間弱の間、その話題はなかった。

 女房から、そのことを言われた時に目に入った風景が次の写真である。

朝日生命ビル下から西を臨む

 すかさず、写真をとった。頭の中には「斜陽」という言葉が浮かんだのである。太宰治の小説に斜陽というのがある。戦後、財閥解体などで上流階級の人々が没落した時代のことが書かれている。ここがホームグラウンドのような劇団の方がホームを失ってしまい、行く先はどうなるのか…。外野の人間がとやかく言うことではないが、その劇団のファンとしては心配である。

朝日生命ビル

 それから4年が経ったが劇団は健在である。この世の中には、いつかはなくなるものもあるが、思い出は無くならない。そう、この朝日生命ホールや、そこで演じられた演劇、与えてもらった感動は無くならないと思いたい。 

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ブログ村Ping

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