伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

うまっ

2014-03-31 23:58:39 | マイグルメ

さて、昨日の「中華屋さんのカツカレー」を食べたお店に行った。

今日は「中華屋さんのオムライスwithラーメン」である。

ラーメンは東京ラーメンだ。

何の抵抗もなく、スルスルと入ってしまう。

そして、肝心のオムライスである。

かかっているのがケチャップではない。

エビチリソースがかかっているのだ。

どんな風味でも融通無碍に受け入れる卵の度量の深さを思い知らされるメニューである。


 


安くて旨くて量が多い。

二十代の時に行きたかった店である。

それが今、ゆきたんくの職場のすぐ近くにあるのだ。

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こ、これは・・・

2014-03-30 23:57:49 | 言いたんく

仕事中に、すごく腹が減った。

職場の友人に無心した。

「ねえ、〇〇君、おなかすいたー」

そしてくれたのがこれである。


 


トマッシュ


ウメッシュなら聞いたことがあるが、トマッシュだと。

ジンジャエールにトマトジュースが入っているような味。

それがなかなか旨いのだ。

いや、いろんなことを考える人がいるものだと感心した。

ただのジュースと違って、おなかに溜まる感じがした。

うん、少し食事をとったような錯覚。

今度は食事のお伴として飲んでみたい。

そうそう、調べてみた。

これはカゴメがトマトジュースの生産終了後に少量だけ生産するマニアックなジュースだという。

どおりで、自分は見たことがないはずだ。

どうやら、その時期にジェーソンで売っているらしい。

これをくれた友人はジェーソンの常連さんだった。

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別れ・・・

2014-03-28 23:56:03 | 言いたんく

3月。

別れの季節である。

職場によっては人事異動というものがある。

ゆきたんくの職場もそうだ。

寂しくはあるが、これは年中行事である。

そして、その会場は毎年決まっている。

その別れのつらさを癒してくれるが、写真の飲み物である。

甘すぎず、苦すぎず・・・

酒の飲めないゆきたんくにとって、別れの寂しさを和らげてくれる飲み物である。

その正体は、大好物のサイダーと抹茶のブレンドである。

名前は・・・


 


茶イダー


嘘ではない。

本当のお話である。

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いつも一緒

2014-03-27 23:36:38 | 言いたんく

さて、いつも一緒。

かれこれ、27年も一緒にいる奥方ののりたんの話である。

あっ、「勝手にやってろ」というのろけ話ではない。

平成8年に我が家の一員になったメスネコ「ニャン」のことである。

ニャンはいつでものりたんと一緒である。

のりたんが食事を作っていれば台所にいる。

居間で食事をしていれば、ひざの上に乗ってくる。

横になっていれば体を摺り寄せてくる。

そして、写真のように仕事をしていれば、気を使って邪魔をしないようにそばにいる。


 


のりたんとニャン


家に来たのが平成8年、手のひらサイズの子猫だっから18歳になるのか・・・

まあ、人間の年齢にすると80は超えている訳だ。

このところ動きが少なくなり、寝ていることが多い。

餌を食べたばかりで、また餌をほしがる。

ボケの症状が出ているのだろうか。

ただ、冒頭に書いたさまざまな仕草は子猫の時と変わってはいない。

そう、のりたんとニャンはいつも一緒なのだ。

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今日の楽しみ

2014-03-26 23:22:50 | 言いたんく

通常。ゆきたんくの職場では昼食が給されるのであるが、年度初めはしばらくの間それがない。

でも、それはそれで楽しみである。

昼間自由なものが食えるからだ。

今日は、カツカレーとラーメンのセット。

カツカレーはカレー風味の中華餡がカツを乗せたごはんにかかっている。

一風変わった「中華屋さんのカツカレー」である。


 


初体験の味、なかなかおいしい。


 

 そして仕事の後。

疲れた時の定番は甘いものである。

ゆきたんくが友人と行きつけの店でのクリームあんみつである。

量たっぷりのクリームあんみつにみつをたっぷりとかけていただく。


 


甘味は別腹は女性の言葉ではなかった・・・


食が充実すると、人間というのは幸せなものであるのだ。

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旅の楽しみ204…インドネシア・ジャカルタ北部

2014-03-25 23:04:00 | 

インドネシアに務めていた時の義兄に連れられて、ワヤン博物館に出かけた。

ワヤンというのは、インドネシアのジャワ島やバリ島で行われる、人形を用いた伝統的な影絵芝居のことである。

また、それに使われる人形を指す。

そのワヤンの博物館である。

残念ながら写真撮影は禁止なので、目に焼き付けたゆきたんくである。

そしてブロックМのデパートでお土産に買っていたゆきたんくである。

ブロックМは南ジャカルタ市のビジネスやショッピングの中心地である。

だから、なんでもそろう。



お土産のワヤン


話を元に戻そう。

そのワヤン博物館の後にカフェ・バタビアで昼食をとった。

その時に気になったのが次の建物である。



屋根が・・・


左手に銀行、その手前に博物館。右はファタフィラ広場でその右奥にはカフェ・バタビア、右手前にはジャカルタ・歴史博物館があるのだ。

いわるゆ観光の目玉になるような場所に写真のような建物が混在しているのだ。

この写真の時が2008年1月2日だ。

グーグルアースから一番近い時間の画像を取ってきた。



矢印の先が、建物の写真の屋根である。


完全に穴が開いている。

雨期の時はどうなるのだろうか。

建物自体がだめになってしまうではないか。

あれからそして現在の衛星写真は、3階の床が見えてしまっている。



さて、矢印はつけていない。どの建物かお分かりになるだろうか。見えているのは3階の床である。

ちなみに2階のは・・・


こんな発見も旅の楽しみである。 

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忙しくて・・・

2014-03-24 23:10:19 | 言いたんく

さて、この写真を撮ったのが19時49分。



生姜焼き弁当の熱熱じゃなくて、、、、冷め冷め(苦笑)


仕事には段取りがある。

社会人になってからのゆきたんくは、意外なことに段取りをするようになった。

それは、できるだけ無駄な時間を省いて、遊ぶ時間を確保するためである。

好きなことをするために必要なことが仕事の段取りだったのである。

しかし、世の中思うようにいかないこともある。

段取りをしていても、予定外の緊急の仕事が入ってくる。

優先順位としておかしいんじゃね?

ということまで割り込んでくる。

食事どころではないのである。

よって、12時過ぎに食べる予定だった熱々のお弁当は冷め冷めになってしまったのである。

製造後2時間というのを聞いたことがあるが、捨てるの勿体ない。

しっかりといただいたゆきたんくである。

夕飯終了(笑)

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今年も

2014-03-23 23:59:03 | 言いたんく

今年も会うことができました。

あと20回くらいかな?

もっとかな?

流山市平和台にあるイトーヨーカドー前にある千草稲荷(ちぐさいなり)の河津桜だ。

ゆきたんくは、何故かここの桜が一番好きである。



小さなお稲荷様に咲く河津桜


桜の色もちょうど好みの加減である。

そしてゆきたんくの好きな戦争遺跡で、流山ではっきりしているのが、この千草稲荷なのである。

ここにはかつて、陸軍の流山糧秣廠があった。

そこに務める者たちが朝礼時に並んだのが、この千草稲荷である。

ここは馬糧製造の役割もあった。

つまり馬たちの食べる干し草などを加工していた。

干し草が千草に変化して呼ばれるようになったのだ。

そして、ここの桜のアップだ。



もう少し早ければ、桃色だけだったのだが・・・

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東京都立秋川高等学校35…阿伎留病院

2014-03-22 23:39:28 | 東京都立秋川高等学校

高校時代の思い出で、お世話になった場所を書いていなかった。

高校から400mほどのところに病院があった。

その名を阿伎留(あきる)病院という。

地図で調べてみると、現在は公立阿伎留医療センターという名称に変わっている。

ゆきたんくは阿伎留病院が好きだった。

正確に言うと、阿伎留病院の売店が好きだった。

好きになったきっかけは、生涯唯一の骨折をしたことに始まる。



今は亡き、東京都立秋川高等学校の校舎と事務棟。この写真の奥400mのところに阿伎留病院があった。


バスケットボールをやっていた。

誰かがシュートを打った。

リバウンドしたボールを取ろうとして飛び上がった。

その時にゆきたんくより高く飛んだ奴に手にボールが触れた。

軌道が少し変わった。

そのボールはゆきたんくの手に収まらずに指の端を速いスピードでかすった。

その時に骨折をしてしまったようだ。

そして阿伎留病院の整形外科にお世話になる。

当然授業は休講して病院に迎う。

順番待ちで少し退屈である。

そんな時に目に入ったのが売店である。

今では珍しくなくなったが、アイスクリームのショーケースの中にチョコモナカアイスがあった。

ゆきたんくは、迷うことなく買って食べた。

友人たちは授業を受けている。

何か特権を得たような、気持ちの良さ。

何か体の調子が悪いなあと思ったらすぐに病院だ。

そして、調子が悪いという状況の中でアイスは必ず食べる。

まあ、高校の先生も馬鹿ではない。

ゆきたんくも何度もやっていばばれてしまうので、我慢が必要だった。

2か月に1回くらいは、そんなことをしていたと思う。

それは、高校2年秋、文化祭が終わって陸上競技部に入部するまで続いた。

それにしても、あの時のアイスは旨かった。

あの状況があってこその味だったと思う。

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旅の楽しみ空から12…ロシア上空3

2014-03-21 23:28:39 | 


なんだか全体的に凍っている感じである。


 

ロシア語でБеломорьеというところが判明。

上写真陸地部分の左下のところに鍵状の部分がある。

何か引っかかりそうな感じがするところだ。

その地名が判明。ベロモリエと発音するようだ。

成田を発って9時間53分後の写真である。



青→の先の部分がペロモリエである。


地図上に入っている線は、飛行機が通っただろうと思われるところである。

1時間ごとに色を変えている。

水色線が9時間から10時間を示している。

そして飛行機の窓からどのように見えるかをグーグルアースで確かめる。

線上を飛行している過程している時に見えた画像がこれだ。



いやぁ、感動である。

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慌てた

2014-03-20 23:35:39 | 健康

考えなくてはならないことがある。

ゆきたんくは現在血圧の薬を飲んでいる。

おやじが高血圧だったこともあって遺伝かもしれない。

そして、薬を一度飲むと、飲み続けなければならないので、ずいぶんと我慢していた。

仕事でストレスが重なったのだろう。

ある日千葉からの出張の帰りに耳鳴りがした。

「キーン」とか「ピーッ」とか生易しいものではない。

心臓の鼓動のリズムに合わせて「ゴゴッゴゴッゴゴッ」というものだった。

あやや、脳みその血管でも切れたかなと、その時は思った。

車で出張していたので、少し休憩を取ることにした。

どうにか家に戻り、行きつけの医者(その時は耳鼻科しかなかった。)で調べたら血圧だという。

その少し前まで上が120行かなかったのに、170を超えていた。

調剤されて飲んで、どうにか収まった。

ただ、その日から少しずつ上がっていった。

まぁ、そんな訳で今日は血圧の薬が切れていたので、19時までにかかりつけの医者に行く予定だった。

仕事にかまけて、気が付いたのが18時45分。

慌てて、電話をかけて、職場を飛び出した。

アルドメット、オルメテック、ニファジビンCRの3人の友達とは一生付き合っていくのかもしれない。

酒を飲まないゆきたんくの肝臓の調子が少し悪いのも、この悪友たちのせいかもしれない。

まあ、脳溢血とかで死にたくないしね。

やろうやろうと言って、なかなかできない運動を少しでも始めようかと思う。

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北千住

2014-03-19 23:02:02 | 東京都立秋川高等学校

今日は、高校の仲間で何かやらかそうと密談の日である。

仕事を終わらせ北千住へ迎えう。

いつもコインパーキングに駐車するのである。

いつもだいたい同じ場所なのだが、近くに変わった門構えのお寺があるのだ。



浄土宗勝専寺


いつも北千住を訪れる度に目にしてはいるが、中途半端に知っていることは気持ち悪いので調べることにした。

 勝専寺は1260年に蓮社阿上人が開山し、江戸時代は日光街道千住宿の拠点であった。

 近くには南千住の刑場(小塚原刑場)があった。

 将軍様の御鷹狩の時の御休所にもなったという。

 何の気なしに、歴史的な建物はあるものだ。

 

そうそう、打合せをした店が、ゆきたんくの母校東京都立秋川高等学校の同期が経営する「B玉屋」だ。

ここでうまいものをつまみながら、話が弾んだ。



牛串。 1本食べてから写真を撮った。


ポテトフライ。火の通し方が完璧だ。

 


チーズフライ。口の中で溶ける一品。


うずら串。黄身が口の中でこっくりと・・・


焼き鳥丼とピーマン肉詰め(2個喰ってしまった)


 もっといただいたのだが、腹が減っていて写真を撮り忘れたものもあった。

 とにかく良い仕事をする店だ。

 ここを見た方はご贔屓にね。

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今日は

2014-03-18 23:46:40 | 言いたんく

今日の職場はお祝い。

一つのプロジェクトが完成したので、みんなで会食。

2つのお弁当からセレクトできる。

ゆきたんくが選んだのは



人形町今半の「すき焼き」弁当


いやぁ、絶品である。

左の桶に入っている温泉卵を溶きほぐし、それにお肉を絡めていただく。

久しぶりに贅沢をしたと感じた。



左桶の中の主役は肉。ただ、脇役の葱がまた美味しくて・・・


お祝いの日にふさわしいご馳走だった。

ただ、この日は風が強くて、あとで聞いたら「春一番」だったとか。

お祝いの式典中にも風で揺れているドアの音がうるさかった。

帰り道の道路がこんなになっていた。



こりゃあ、黄砂か・・・

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旅の楽しみ空から11…ロシア上空2

2014-03-17 23:24:46 | 

いやぁ、時間がないと何もできない。

時間を作らないと何もできない。

気持ちが乗らないと何もできない。

そんな時は、気分に合わせて優先順位が決まってくる。

今日は30分ほど気持ちが乗ったので、あの作業をした。

「あの」と言っても自分しか知らないけれど・・・

そう、ゆきたんくは飛行機からの景色が好きなのである。

高所恐怖症ではあるが、いったん飛び立ってしまえば、10mも1万メートルもそんなに差はない。

飛行機に身を任せるしかないからだ。

さて、今日はあの作業で、今まで分からない場所を特定することができた。

モスクワの北1300㎞の辺りで、白海とバレンツ海を結ぶ海峡的な所である。



画像グーグルマップから。 ロシア北西部である。


次の画像は飛行機からの画像である。

上の地図でいうと、白の矢印に近い航路で飛んでいる。

その窓からの撮影である。



最初は海に浮いている氷の端が見えているのだと思った。


人間、集中力とか気合いが大切だとか聞くことがあるが、乗っている時にはその力が高まっていると思う。

この写真を陸ではないかと疑い始めて、グーグルアース上に時系列の線を入れて、写真の撮影時間と照らし合わせてみる。成田からヒースローまでの線上で登場後9時間から10時間の間で、見つかったのがこれだ。



これは、もう間違いないだろう。


マップ上もアース上も場所の名前は入っていなかった。

アースに貼られている写真も3枚で、この場所からは少し離れていた。

上画像の蟹のハサミのような部分左側で海岸線から100mくらいのところに家屋がある。

そこから南東へ1.4㎞のところに写真が貼られていた。

灯台の写真である。その名前は「Терско-Орловский маяк」

グーグル翻訳は今や、言語の自動検出をしてくれる。

ロシア語から日本語へ変換だ。「テレク・オロビスキー灯台」となった。

地名とは関係があるのだろうか。その辺りは分からない。

下がそのリンクである。

http://www.panoramio.com/photo/347177

ただの眺めに自分なりに意味を持たせることができるのは嬉しいことである。

また、気持ちの乗っている時、すきま時間のある時に頑張ろうと思う。

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東京の戦争遺跡06…中島飛行機発祥之地

2014-03-16 23:14:59 | 戦争遺跡

ズバリ、2007年5月13日、中島飛行機発祥之地という名前に引きずられるように行ってきた。

 まぁ、この時は旧日立航空機㈱変電所、先日上げた国際基督教大学、白糸台の掩体壕、調布飛行場の門柱、航空自衛隊府中基地跡地 等駆けずり回っていたのだが・・・



記念碑である。

 現在、日産自動車販売店がある。その前は順に プリンス自動車工業、富士精密工業、そして中島飛行機の発動機工場だった。
太平洋戦争までの 日本の飛行機メーカーは三菱、川西、愛知、九州、日本、日立などがあるが、その中でも トップクラスのメーカーだった。

 中島飛行機は、群馬県太田市に本社があった。現在の富士重工業である。1924年(大正14年)に エンジン専門工場として、ここ荻窪の地に工場を建設した。


 


富士重工太田工場にて SUBARU360  2010年6月17日撮影



かつて、この奥にノコギリ屋根の工場があったという。


 

 富士精密工場時代には、ロケット開発に力を入れた。その研究は現在の日本における主力ロケットを生み出す原動力となった。

 そして、そこには「ロケット発祥の地」碑がある。



ロケット発祥之地碑

 


ペンシルロケット

全長 230ミリメートル
外径  18ミリメートル
読み取れなかったが80ミリメートル ロケット開口部から見て、尾翼の端から端までの長さである。
重量 230グラム

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